2005年1月〜3月の日記
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3月30日

 「誕生日おめでとう」

 ということで、トップに出す日記タイトル四文字縛りを破ってみたり。年に一回しかない誕生日だからいいでしょう。

 このサイトを開いてから、三月三十日というこの日を迎えるのは四回目です。早いものです。日記を読み返したりしてみると、私は通常自分のことを「私」と書きますが、この日の日記ではほぼ「僕」を使っております。内容的にはこれはなかなか恥です(爆)。まぁしかしその時は間違いなくそう思ったのであり、今はその時とは違う、かといえばそんなことは全然なく、ほとんど成長しておりませぬ。この歳になってそんな簡単に考えることは変わりませんよ。日記の公開は止めた方がいいかもしれんな(^^;)。

 誕生日だからといって特別に何を書こうかなぁと考えるわけではなく、もうすぐ誕生日だ、あるいは今日は誕生日だと気づいた時に想ったことを書いてるわけで、今年も想ったことはありました。それは、何をプレゼントしたら喜んでもらえるか、ということ。聞いてみたとしても、彼女はたぶん何もいらないと言うでしょう。彼女が何か欲しがっているとしても、それは私のあげられるものではないから。本当に大事なのは、何かを欲しいと思う気持ちでしょう。だから私は、彼女に喜んで欲しくて何かをあげたいと思うのではなく、彼女の喜んでいる姿を見て自分が幸せになりたいんだということに気づくわけです。

 というようなことを例年の如く「僕は君に何かをあげたいと思う。でも君は何もいらないって言うだろう」なんて書くとあいたたたな感じになるわけですが、今回のようにややぼかして書いたとしてもさして痛さは軽減されないわけだ(爆)。

 しょーがねぇんだよ。こーゆー奴なんだから。


 誕生日おめでとう。

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3月25日

 逆境に強い奴は得てして順境に弱い。

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3月23日

 日付が変ってるから23日でいいはずだ。投稿公開も日付が変ってからだったから、ほんとは更新日を22日じゃなくて23日にするべきなんだろうけど、そのへんはアバウト(笑)。

 9日に吾妻ひでおは離婚したかもという噂が、みたいなことを書いたけど、してないみたいです。奥さん偉い。

 なんか書くことがあったはずだけど忘れた。某氏のようだ(爆)。

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3月19日

 まとまったことを書こうとすると日記なんて書けるもんじゃないということを学び、それでいて勢いで書くのを我慢したとしたらいったい何が書けるというのか(笑)。

 てなことで今回のお題は「萌え汚染」

 とか言いながら全然違うことを書くが(爆)、山田正紀という作家がいて、「神狩り」という作品がある。ラストにやや不満はあるが、私は傑作だと思っている。これは約三十年前の作品だが、なんと「神狩り2」が刊行された。まだ買ってない。山田正紀はSFから離れてミステリー作家になったと思っていたが、帰ってきたのだろうか。それともようやく好きなことが書けるようになったのか。

 私の大好きな作家に神林長平という人がいる。この人もSF作家である。で、「戦闘妖精・雪風」という名作がある。神林地帯というサイトから引用させていただくと、

地球は正体不明の異生命体ジャムからの攻撃を三十年にわたって受けていた。その攻撃を食い止めているのは惑星フェアリイの前線基地にいるフェアリイ空軍=FAF。中でも情報収集を任務とする特殊戦は、理解の及ばぬ敵と闘うためには必須の存在だったが、友軍を見殺しにしてでも戦闘情報を持ち帰らねばならぬという非情さを要求されていた。その特殊戦のパイロット深井零と高度な戦術電子偵察機・雪風の不条理に満ちた戦いの日々を描く連作短編集。
 である。ハードSFと言っても大きくは外していないと思う。主人公はレイである(笑)。これも1984年の刊行だから、約二十年前の作品になる。で、99年に続編の「グッドラック 戦闘妖精・雪風」が出た。面白かった。ちなみに2002年には「戦闘妖精・雪風」の改訂版も出ている。

 この「戦闘妖精・雪風」は2002年からOVA化されている。全5巻でまとめるんだそうで、今は4巻まで出ている。見ていない。これに関しては賛否両論だが、小説を映像化するのが難しいのは今に始まった話ではない。いずれ見てから判断しようと思う。

 ここまではいい。

 で、やや旧聞に属するが「戦闘妖精少女 たすけて! メイヴちゃん」というOVAが出た。「※本作は「雪風」とは何の互換性もありません(笑)」だそうだが、原作には神林長平のクレジットが入っている。リンクもしておこう。まずバンダイビジュアルのサイト戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん。それからインプレスの紹介記事

 いったいこれはなんなのかと。

 原作者である神林長平はどの程度かかわっているのか、どのような許可を出したのかに関心が集まるわけだが、どうやらライナーノーツを書いているらしい。上記バンダイビジュアルのサイトからプロモーション映像が見られるのだが、噂によるとそれに出てくるメイヴちゃん(だよな?)のパンツのお尻に書いてある「雪風」の文字と神林のサインは神林長平直筆らしい。ホントかどうかは知らんが、ホントのような気もする。「量産される“萌えアニメ”に問題提起」なんだそうだが、こういう方向で問題提起をしても世の中全て是萌え傾向が加速するだけなのではないだろうかと思うのだが。
 なんにせよ見てないんで、見てから判断するべきなのだろうとは思うのだがSeven Sistersさん、これ、見なくてもいいっすよね?

 ちなみにこのプロモ映像、プラグスーツが映ってます(笑)。話の流れ的には主人公のレイ(深井の方ね)がエヴァを見てたという感じかな。キャラクター原案は山下いくと氏だ。

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3月9日

 私が言うのも激しくあれなんだが、世の中どいつもこいつも萌え萌えやかましい。萌えってのはなんなのかというのは結局のところ明確ではないというか、意味が固定する前に拡散してしまったのではないか、というようなことは前にも書いたが、昨今は十人十萌えなんだそうだ。女子中学生に言わせると「最大級のほめ言葉ね」「相手に『胸キュン』の気持ちを伝えやすい」だそうであるから、世代間格差どころの騒ぎではない。が、萌えと胸キュンは近いような気もするし、誉め言葉といわれればそうかもしれない。でも例えば女の子に「tambさん、萌えです」とか言われてもあんまり嬉しくないような気がする。当たり前だが言われたことはないので想像なんだが。つか、胸キュンってのは今でも使う言葉なの?

 萌えが何でもアリ化したのはいつからなんだか良く知らんが、やはり「もえたん」はマイルストーンとして記憶しておくべきであろう(そうか?)。まぁそれから出るわ出るわ「萌え萌えうにっくす! UNIXネットワーク管理ガイド」「萌える法律読本」「もえるるぶ東京案内」「ぽえりな」(著者は「Linux萌え萌え大作戦」。驚くほどにグングン萌えた! だそうだ)その他諸々。企画を出す奴も出す奴だが通す奴も通す奴である。まぁ害はないし何でも別にかまわんのだが、どっかで歯止めは必要だろうし、反動もあるだろう。もっとも世の中の書籍全てが萌え系になるわけはないと思ってるので、そんなに心配する必要はないと思うが(甘かったりして)。

 で、萌えといえばやはり吾妻ひでおだと、しつこいようだが私は思う。吾妻ひでおは、これも何回も書いてるが、80年代を駆け抜けた漫画家である。二度の失踪とアルコール中毒を乗り越えて復活した。と思う。思う、と書かざるを得ないのは、いつまた失踪するかわからないからである。しゃれにならん。
 で、失踪の時期とアル中で入院してた時期のことを漫画にしたのが「失踪日記」。吾妻ひでおの漫画といえば古本屋の片隅にひっそり眠っているのを発掘するしかなかった昨今、まさか平積みになってるとは思わなかったわけだ。どこを探してもなくて店員に聞いたら平積みになってたと(笑)。同時に吾妻ひでお特集のcomic新現実というのも買ってきた。
 で、「失踪日記」。これは実話だそうだが、全くしゃれにならん。笑っていいのかどうかすら良くわからん。失踪されて残された家族はたまったもんじゃないと思うし(妻子有り。離婚したという噂もあるが良くわからない。もし事実だとしても、無理もないかとは思う)、失踪って普通にホームレスやってるんだぜ。残飯漁ったりとかホームレスの食料をかっぱらったりとか。吾妻ひでおがだぜ? 警察につかまった時にファンの警官がいたとか、二回目の失踪時は配管工になって社内報に漫画を投稿したとかは笑ったけど。どっちの失踪の時も捜索願が出てて連れ戻されたんだけど、自宅から配管工の仕事に通ったとか(笑)。力仕事なんで、どうやら失踪前より筋肉がついてたらしいが(爆)。
 古い言葉でいえば無頼型ということになるんだと思う。ただ、作家が無頼型であるかどうかとその作家の作品が傑作であるかどうかは、基本的には関係がない。

 「逃げちゃダメだ」というのはキーワードの如くであるが、これも何回も書いてるように、私は必ずしもあらゆることから逃げてはいけないとは思わない。「逃げる」とは何かという定義付けが必要になってくるが、やっても無駄なことや準備不足で失敗することがわかり切っているなら、それはやるべきではない(失敗に意味を見いだせる場合は別)。まぁこういうのは一般的には逃げたとは言わないんだろうが、周囲からは逃げたとしか見えない場合もあると思う。
 吾妻ひでおの場合、何かから逃げたのだろうか。守るべき妻子がいて、普通に漫画を描いていれば――本当に描きたい物は描けなかったかもしれないけど――喰うに困ることはなかったはずなのに。なぜ家族や安定した生活を捨て、野宿をして残飯を漁る道を選んだのか。
 理解はできない。できないからこそ天才型とかいうのかもしれないが、この行為を簡単に「逃げる」と表現してもいいのかどうか。守るべき矜恃があったとかプライドとか言うと綺麗なんだろうけど、その言葉を以て許していいのかどうか。だが私は許すとか許さないとか言う立場にはない。なぜなら彼は吾妻ひでおであり、私は吾妻ひでおと知り合いではないからである。無責任極まりないが、そうとしか言いようがない。とにかく生きて、描き続けて欲しい。

 逃げてもいいことと逃げてはいけないことの判断は難しい。

 そして、「気合いを入れて探せば読めるくらいの位置にはいると思っている」から読みたきゃ探せという態度はとてつもなく傲慢なんじゃないだろうかと、そう思った。

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2月8日

 昨年の晩夏、かつて綾波天国という名で呼ばれたサイトは、管理人の綾吉氏と共に風になった。


 年頭、私は確かに「とりあえずエロだ」と書いた。そして後日掲示板に、短編と長編とオリジナルの構想を同時に練ると混乱する、という趣旨のことも書いた。ではエロは短編なのか長編なのかどっちだろうという話になると思うのだが、これはどちらでもない。エロは短編でも長編でもなく中編であるなどという話では当然ながらなく、つまりエロではない短編及び長編の構想があるということであって、掲示板に書いたときにはエロの構想は練っていなかったのである。
 エロだエロだと言っても、要するにレイがシンジにすべてを任せてぐっすりと安心して眠れれば、つまり心が通い合えばそれで万事OKなのであって、これは話の分類がエロにくくられるかどうかとは関係がない。エロであろうと無かろうと着地点は同じである。だからエロシーンはそこに至るプロセスの一つとして肉体という言語を用いているに過ぎず、例えば手をつなぐとかぎこちなく微笑むとか、そういうことと意味的には変わりがない。単にエロいシーンがあれば――ある一定の性描写があればそれは即エロシーンなのかという問題は残るが――エロに分類されるという、これは主として法律的及びモラル的な問題である。ただ、肉体言語を用いるということは、身体を軽視する傾向のある(と私には思える)レイには特別な意味合いも持たせやすい。誤解のないように言っておくが、ぎこちなく微笑むという行為にも特別な意味を持たせることはできる。繰り返すが、単に手法の問題に過ぎない。
 だが一般論として、女の子が身体を許すということには――レイが十四歳の女の子であるという部分を差し引いても――大きなハードルがある。つまり非日常であるので、レイが行為自体に何を想うかと合わせ、意味合いは持たせやすい。これは例えばキスでも同じことだが、段階的に言っていわゆるエロシーンはキスより非日常性が高い。
 以上の理由によって明らかなように、再度繰り返すが私がエロシーンを書くのはあくまでも手法として用いているに過ぎず、それは文学的表現の一環である。私をエロリーダーとかエロ大魔王とかエロカイダの首領とか呼んだり、その他諸々エロエロエロエロ言うのはやめていただきたい。まぁ別にいいんだけど(笑)。


 綾波天国は、そのサイト名によってアダルト系と誤解されやすいという理由で、また綾吉という名前は、あれ系の作家に同名の人物がいるという理由で、それぞれ風になった。別にエロくてもいいじゃないかと思うのだが(笑)。

 実際の話が、本当に変えるとは思ってなかったわけだが、まぁ色々と思うことはあるであろう。それ自体は何ら問題がない。ちょくちょく変えるようだとさすがにどうかとは思うだろうが(笑)。
 ちなみに私はサイト名もハンドルも変えるつもりはない。変える時はサイトもtambという人物も塵に還る時である。その予定は全くない。

 予定ではこの後に延々と綾波天国サイト名変更の話題が続き、投票の詳細などにも触れるつもりであったが、正直なところエロ関連で詭弁を弄してたら力尽きた(爆)。エロ関連の話は綾波天国というサイト名がアダルト系サイトと誤解される元だという話の枕のつもりであったのだが、綾波天国がエロ話の枕になってしまった。深くお詫びいたしますが反省はしません(爆)。

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2月1日

 短編に着手しました。比較的シリアスな話になる予定でしたが、なぜかネタものっぽいショートショートと化し、あっという間に書き終わってしまいました。企画の影響でしょうか。筆が荒れるなどと言えばかっこいいのですが、元々荒れるような筆など持ってはいませんね。しょうがないので破棄です。まぁぼちぼちと。
 不意に間もなくバレンタインだということに気づいてしまいました。気づいてしまったものは仕方がないのでバレンタインものを書いてみようと思いましたが、十数秒で放棄です。無理です。
 そうこうしているうちに、返す刀で誕生日がやってくることを思い出してしいましたが、これまた何も思いつきません。やっぱり放棄です。

 「コインロッカーベイビーズ」という本を約二十年ぶりに読み返し始める。そっちが春樹ならこっちは龍だ。「愛と幻想のファシズム」でないところがいいでしょ? 龍氏の文体というか文章は比較的癖ありげで、どちらかと言うと好きではない。気になってダメかというとそんなこともないが、「愛と幻想の〜」はあんまり感心しなかった。これはもちろん文章のせいだけではない。「コインロッカー〜」は当時は非常に面白く感じたのだが、今回読み返してみてどう感じるであろうか。

 明日は久しぶりにダブルヘッダーです。夜は通常業務ですが、昼は下町で似顔絵を描かねばなりません。嘘です。昼は通常業務で、夜はミュージシャンの顔になります。嘘です。本当はダンスをしなければならないのです。これも嘘です。全部嘘です。何もかも嘘です。仕事がありません。仕事がなければ当然の如く収入もありません。このままでは会社を畳まなければならなくなります。アスカ様は実家に帰しました。暇で暇でどうしようもありません。何もしてないので眠くもなりません。しょうがないので朝から晩まで、もとい、朝から翌朝までパソコンに向かって文章を書いてます。一日に20時間はパソコンに向かってるので大変に腰が痛いです。素敵な椅子が欲しいです。素敵な椅子っていうのはパソコンショップで売ってる数万円の椅子ではなく、アーロンとかコンテッサとかそういう類いのものです。十数万から二十万くらいはします。身分をわきまえろとか言う前に金がありません。仕事をしないといけませんね。

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1月27日

 夢を見た。チャットをしている夢である(爆)。これだけでは本当に夢なのかそれとも現実か判然としないが、間違いなく夢である。半ば眠りながら朦朧とした意識の中でチャットをしていたわけではない。
 そこに誰がいたのかは覚えていないが、ぐだぐだと毒にも薬にもならぬ話をしていると、とある高名な、掲示板にも登場したことがなければメールのやり取りをしたこともない作家氏が唐突に登場するのである。誰もが神と崇める作家氏である。ちなみにこの作家氏は実在しない。名前は忘れた。皆が「おおおーっ」とか「ははーっ」と巨大フォントで驚愕したりひれ伏したりする中、私は平然とこう言い放った。「○○さん、エロ話はいけますか?」
 非常にイヤな夢である上、あまりにも末期的である。

 最近、に限った話ではないが、スパムメールが鬱陶しい。何とかってところからは最後通牒を突きつけられるし。当然ながら即ゴミ箱行きである。何なんだよ、ポリネシアンセックスってのはよ(爆)。というわけで調べてみると(調べたのか!)、なるほどねという感じではある。興味のある方は調べて頂きたい。好奇心というのは重要である。だがそれを実行に移すべきかどうかはよく吟味し、自己責任でお願いしたいと切に願うものである。まぁ調べた範囲ではしっかり抱き合ったまま一時間ほどじっとしてるとかそういう世界なんで、特にこういかがわしいとか異常性欲とかそういった感じではない。眠ってしまうかもしれないが(^^;)、それはそれで美しいと思われる。
 ポリネシアンセックスそのものはいいとしても、それまでの箸休めにノーカットのこちらをどうぞとか、ポリネシアンセックスの相手探しはこちらでとか、そのポリネシアンセックスの思想との乖離具合は何なのかというか、要するに大きなお世話である。
 このサイトでこれほどまでセックスという単語を乱発したのは初めてであろう(笑)。

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1月22日

 自動書記というのは、むちゃくちゃ簡単にかつ乱暴に言えば、妖精さんがやってきて勝手に書いてくれるという現象である。と思う。平井和正氏が有名である。便利なことこの上ないが、本人に書いているという意識がなくて勝手に書き上がるんだとやっぱり面白くないし、妖精さんにダメ出しするかも、という話は前に書いた(笑)。

 いつになく良く書ける、という時はたまにある。いつもそうならそれは「いつになく」ではないから、定義としてたまにしかない(笑)。で、そういう時はそのノリを大事にしたいので、あんまり深く考えずに書く。従って、後で大量に直しが入ることになる。まぁしかしすらすら書けるとはいっても自分で書いているし、ちゃんと意識もあるので、後になって「こんなこと書いたっけか」ということはない。妖精さんを招聘しているわけではないので何の問題ない。というより、そうじゃないと困る。
 常套句みたいなのをいくつか持っているといいと思うし(マンネリになるのはあれだが)、それは個性的な文体につながるかもしれない。だが個性的な文体などと言うのは軽く百万年は早いと思われる。そんなのを追求する前にもっとやることがある。薄っぺらな常套句なんていらない。
 妖精さんは望まないけど、言葉が降りてくるという現象がないとダメなのかもしれないと思う時がある。技量あるいは語彙の問題で自分には使えない(使わない)言葉、あるいは文章がふと脳裏に浮かぶ瞬間。しかし当然のことだが、ぼーっとしてても言葉が降りてくるようにはならないので、努力ということになる。本を沢山読むとか。FFでも得るものはある。
 まぁしかしファイルを開いてディスプレイを睨んでいても書けない時は全く書けないので、ついつチャットなどに乱入してはしゃいでしまい、妙な発言をして軽くたしなめられて凹む(爆)。



・・・_| ̄|○



 あやきちさん風に凹んでみました(笑)。

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1月21日

 そういうことで企画公開です。
 各方面から有り難くもお疲れ様の言葉をいただき、実際やや虚脱気味ではありますが、本当に大変だったのは実作業を全て担当したあやきち氏であると思われるので、ぜひ氏を労って頂きたいと思います。はい。

 この手の企画は、実は誰かと共同でやるより一人でやった方が楽なのです。それなら自分の思い通りにやればいいし、何かあった時の責任は全部自分が被れば済みますから。
 企画といえども、作品はそのサイトのコンテンツになるわけですから、サイトの性格にもよると思いますが、一定のハードルはあると思うのです。文章力とか作風とかの面で(企画だからある程度ハードルを下げるというのはあると思いますが)。共同企画の場合はどちらかに合わせるしかないんで、これは全部あやきちさんに任せました。任せるなら全面的に任せればいいんですが、あやきちさん的にも「tambはどう言うか」みたいなある種の遠慮はあったと思うし、私も聞かれたら聞かれたで「それは違う」とか言っちゃったりするんで(^^;)、その辺が迷走の原因だったりします。いってみれば単に事前の打ち合わせが不足だったということで、要するに見切り発車だったわけです。これは追々考えよう、みたいなのが多すぎた気がします(爆)。

 で、今回の企画公開にあたって大活躍だったのが意外にもメッセ(笑)。これを導入しろという指令はあやきちさんから下されていましたが、そもそもメッセって何だか全然知らなかった私は全く興味が持てませんでした。知らないことに興味を持つのは難しい(笑)。要するにチャットなんですが、それならチャットを使えばいいじゃないかと。
 ご存知の方も多いと思いますが、メッセというのはその場に呼んでもらうか呼ぶかしないと話ができません。チャットのように閲覧もできないし、乱入もできません。そもそも誰と誰が話しているのかもわかりませんし、登録していなければそこにいるかどうかすらわかりません。つまり異様に閉鎖的です。チャットのようにオープンではありません。逆に言えば、内緒話ができるということです。誰かの陰口とか(笑)。
 打ち合わせでもメッセは使いました。メールだと一日に一往復、せいぜい二往復しかできませんが、メッセだとリアルタイムで会話ができるので、早く話が進みます。しかし、ついつい雑談に走るという弊害もあります(笑)。延々と雑談してて、ほとんど話が進まなかったような気もしたりしなかったり。
 ですが公開直前には大活躍でした。直前というのは実は当日だったりします(爆)。詳細は省略させていただきますが(滝汗)、まさにメッセなくしては公開不可能だったと言えるでしょう。まぁ公開日にはFTPで上げるだけの状態まで事前に準備をしておけといわれればその通りなんですが(爆)。
 それはそれとして(^^;)、当日の夕方から私達はメッセで繋がっていたので(やらし)、あやきちさんがアップ終了と同時に私もアップを開始、終了したら企画掲示板の設定ファイルを転送という手順だったので、こと綾と綾幸の公開時間のズレは一分もなかったはず。これはかっこいい(爆)。掲示板のスレ立てはあれでしたが(N2爆)。レスカさん、ほんとすいません。m(_ _)m

 でもって企画そのものですが、これが成功なのかどうかは今後掲示板でどんな話をするかにかかっているという部分もあるかと思いますが、肝心の作品については、ぶっちゃけた話がレベルはややアレかなと(爆)。もちろん私の書いた物も含めての話ですが(苦笑)。もちろんいいなと思う作品もありました。作品個々の話は掲示板に譲るとして、全体の印象として締まりはなかったような気がします。印象が散漫というか。これは簡単な話で、ある程度長さ的に読み応えがあり、かつド真ん中ストレートな作品がなかったからです。軸になる作品がないというか。
 前にやった企画の時は比較的重い作品が多かったような印象があるので、これはちょっと意外でした。お題の違いがあるとはいえ、もう少し重いのがあるかと思いました。私が書けば良かったんでしょうが、私が書いたのは全て一発物のネタ物です(笑)。
 しかし、凄まじくぶっ飛んだ作品や、前述のようにいいなと思う話、それから、あの人がこんな話を!? みたいなのもあって、個人的には非常に楽しめました。その意味ではこの企画は成功だと思うし、そもそも企画だからといって平均レベルが上がるということはないのです。というか、ネタ物に走ればむしろ下がる(爆)。人を笑わせるのは難しいです。ま、そもそも高いレベルを求めて企画をやったわけではないですしね。
 レベルは低くてもそれは大きな問題じゃない、と言い切るのは若干の問題があるんですが(^^;)、自分のレベルは大したことがないと自覚的であればいいと思うんですよ。上手く書きたいという気持ちを持っているということが前提になりますが。
 大事なのは話をすること。本当は読者間でもっと話ができるといいと思うんですよ。作品をネタにしてね。作品そのもののレベルは、書いていけば、そして努力していれば上がると思うんで、ポイントはその作品で何を伝えようとしているかです。そういうのは作品のレベルにかかわらず語れると思うんですよね。ただ、ネタモノだとフツーに面白くなかったってだけっていうケースもあるんで(爆)、その辺は難しいですな。はい、私のことです。ホントすいません。
 で、話をすると作品で伝えたかったことの何が伝わらなかったのかがわかる。あるいは何が読み取れなかったかがわかると。何から何まで説明するのもあれですが、伝わらないということは即ち文章力が低いということなんで、ほいじゃあもっと伝わるように書かないとという話になると思うのです。伝えたいことが読者の好みに合わないとかそういうのは関係無しでいいんじゃないかと思います。商売じゃないんでね。

 ま、今日はこの辺で(笑)。

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1月4日

 明けましておめでとうございます。毎年書いてるような気もしますが、今年も変わらずにまったりと、そして今年からは新しく「微妙にマイナー」をキーワードとして(笑)、続けていく所存です。
 本年もよろしくお願いいたします。

 毎年、正月とかGWとかお盆とかには思うし書いてるような気もしますが、この手の「みんな揃って休み」みたいな期間があると仕事の進行が変わります。正月であれば、いわゆる正月進行というやつです。早く言えば締切りが繰り上がるということですな。別に正月だから休まないといかんということもなく、事実働いておられる方も多いと思われますし(サービス業ならまず休めないし)、私も休まなくても構わないのですが、締切りが早くなるのは如何ともし難いものがあるので、まぁ年末は火を噴くわけです。なので、正月なんてなければいいのにな〜なんて思ったりもするのですが、人と人との関係を考えると、こういうのも実はなかなか有意義なことだったりもします。長らく姿を見かけなかった、こういう時でないと姿を見せられない多忙な方がひょっこり掲示板に現れたりして。実際、みんな生きてて良かったです。

 喧嘩を売って歩く年にしよう、と去年の年頭に書いた。実際にどうだったかは言及を避けるが(^^;)、まあ喧嘩なんか売っててもしょうがないな、というのが今の気持ちである。好きでやってるんだし、自分の好きなようにやればいいだけではないかと。ロックがやりたいんだったら世の中ラップが流行ってるからといって無理にラップをやる必要はなかろう。
 と書くと正論くさいのだが、これは実はかなり自閉的である。
 なんか前にも書いたような気がすごくするのだが(こんなんばっか)、好きなことばっかりやっていると結果的に好きなことができなくなるという罠がある。これは実に簡単な話で、例えばFF書くのが好きだからといって仕事もしないでFFばっかり書いてると喰えなくなって餓死する。野球が好きだからといって練習もせずに試合ばっかりやってても永久に勝てない。勝つことを目的としないなら勝てなくてもいいが、試合に出してもらえなかったり対戦相手がいなくなったりする。だから野球でもFFでもそれができるような環境を自ら作らねばならない。野球なら練習をする。FFならいい作品を書く努力をし、訳の判らぬ断罪系の投稿が来ても喜んで受けつける、なんていうわけにはいかんのだよ、これが(笑)。
 どこに飛躍があるのかというと、基本的にFFというのは勝負ではないということ。ノーベル文学賞を取るような作家A氏とひたすらライノベを書いてる作家B氏がいたとして、恐らく世間的にはA氏の方が評価は高いだろうが、そんなことには何の意味もない(本当は、職業作家で「喰う」という前提条件が入ると話は違うのだが、これはそういう話ではない)。私は高い評価を受けたいがために書いているわけではないのだ。これは何でも同じことで、たとえばあなたは何かの賞を取りたかったり世間に高く評価されたいがためにそれをしていますか?
 FFなんてのは――これは独りでやることなら趣味一般に言えると思うのだが――基本的には好き勝手にやればいい。読者なんていなくても関係ないし、なんだったら発表すらしなくてもいいのだ。誰も足を止めることのない路上でストリートミュージシャンがひたすら歌を唄い続けるのと構造は同じだ。彼らはそれがウケルからといって、やりたくもないラップなどやる必要などないのだ。では、なぜ彼らは自宅ではなくあえて路上で歌を唄い、私はウェブ上で作品を発表するのか。それは誰かに聞いて、読んで欲しいからではないのか。
 独りで勝手にやっているはずの行為を人前に晒そうとする時、そこには必ず評価されたいという気持ちがあるはずだ。評価されること自体が目的ではない。好き勝手にやっていることを評価して欲しいのだ。読みたい人だけ読め。読みたい作品は探せ。という結論に達することが自閉的なのではないかと言っておるのだ(笑)。
 音楽の話をしよう。自分の音楽を評価されたいと思った時、もちろん路上で唄い続けてもいいが、ライブハウスに出たりレコード会社にデモを送ったりする。それは基本的には多くの人に聞いてもらいたいという欲求であって、メジャーデビューして音楽で飯を喰うことそれ自体が目的ではない。自分の音楽がラップでないなら、ラップをやればウケルとわかっていてもやる必要はない(どうしても音楽で喰いたいならやればいいが)。もちろん、いったんラップをやっといてロックに移ったり、ロックにラップを取り入れるという手もある。
 日本の音楽シーンはかなり深刻なようで、つまりCDが売れていないらしい。そうなると、業界として音楽シーン全体を盛り上げるという必要性も出てくる。顔が可愛いだけのアイドルや(それはそれで存在価値があるとは思うが)、どっかからパクってきたような音楽だけを細々と売るのではなく、本物の、本当にいい音楽が売れるようにリスナーを教育する必要があるのだ。いい音楽は、リスナーに届きさえすれば必ず売れるという前提はあるのだが。
 断罪系の作品が本当に流行っているのかどうかは良く知らんが、誰かを断罪するつもりはこれっぽっちもないので、取り入れようもない(と思う)。できる努力は、ひとつは多くの読者に届ける努力をするということ、もうひとつはエヴァFF全体を盛り上げる努力をしろということである。だが、これらをやる気は、今の私にはほとんど無い。
 届ける努力をするのはめんどくさいという部分も大きいのだが(^^;)、気合いを入れて探せば読めるくらいの位置にはいると思っている。エヴァFFの低調が言われだして久しいらしいが、私が近辺に首を突っ込みだしてから激しく盛り下がったという印象はない。こんなもんだろうと思う。あの頃に回帰とか言われてもはぁそうですかくらいにしか思わん。盛り下がろうが何だろうが書く奴は書くし読む奴は読む。要するに、この状況はマズイ、と感じるポイントが違うということなんだろうと思う。それはそれでいたしかたあるまい。危機感がないんだから。ただし、全体を盛り上げる努力をしないということは、自分が読者としての位置に立った時、優れた読みたい作品に出会う確率が下がるということでもあるのだが、これについてはまた後日。もうひとつ言えば、一言でエヴァFF全体とくくってくれるなという気もある。
 ライブハウスに出たりレコード会社にデモを送ったりせず、業界全体を盛り上げる努力もせず、ひたすら路上で唄い続ける。気づく奴は気づくだろう。という意識が自閉だといっておるのだ(笑)。
 ま、今年のキーワードは「微妙にマイナー」(笑)。そのうち意識も変わるでしょう。しばらくはまったりと、とりあえず短編をいくつか。連載の構想を練って、まずはエロの続きだな(爆)。

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