2005年11月〜12月の日記
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12月30日

 今年も無意味に一年を振り返ってみようかと。
 この歳になると、一年が異様に早いように感じる。今年も何事もなくだーっと過ぎ去ったよなぁと思って振り返ってみたらとんでもなかった。色々ありすぎである。

 まずサイト開設三周年企画の発表が今年だった。この件は時々書いてるのでそんなに驚かない。四人目の掲示板の運用開始が今年だった。これはびっくりだ。頑張って三人目からの移行作業をしたのは遠い昔のことのように思える。綾展クビになったのも今年だ(爆)。アンケート設置したのは最近だな。Seven Sistersさんの『Kimiの名は』が完結した。それから初オフがあった。

 だいたいこんな感じかな。しかし今年はホント書いてないよな。企画に七本書いたけど、今年になって書いたのはその内の二本くらいだったかな(覚えてない)。あとは短編一本公開して、一本投稿した(未公開)。そんだけだ。来年は連載を開始したいです。今年の初め頃には、夏頃には始めたいとか書いたような気もしますが(^^;)。

 そういえば今年のキーワードは「微妙にマイナー」だった。が、どうやらそんなことではダメらしい。来年はどうしようかな。「地味に大手」とか?(笑) 「弱小メジャー」なんてのもいいかな。アイディア募集します。


 四人目の掲示板で、ちょっと詩の話で盛り上がっているようである。私は詩はわからんし、従って当然書けないんだが、せっかくだから乱入しようと思っていろいろ考えてみた。だがとんでもない結論に達した(爆)。だから掲示板には書かないんだけど、せっかく考えたのでここに書いてみる。

 そもそも、なぜ詩を書くのかという問題がある。なぜ詩というスタイルを選ぶのかということだ。
 随分前に、現代詩の世界で有能な新人が出てこなくなった、という話を聞いたことがある。才能のある人は詞、つまり歌詞を作って歌ってしまうのではないかという趣旨だったような気がする。例に上がってたのが中島みゆきとか井上陽水だったような気がするので、これは相当昔の話だ。
 詞というのは歌があるということを前提にしているというか、音楽に言葉が乗ればそれを詞と称するのであるから、なぜ詞なのかといえば歌いたいからというのは自明である。詩というのは「うた」で詞は「ことば」であるというのはとりあえず無視しよう(^^;)。
 詩だろうが小説だろうが歌だろうが、それが表現である以上、表現者には伝えたいことがあるはずである。それが伝わらないという意味において、誤読というのはあり得る。過激に言えば誤読じゃなくて誤書だということになるんだろうけど、詩の解釈には一定の素養が必要かもしれないという気もするので(だとするなら書く方にも素養が必要なんだが)、普通に話し言葉で書けば済む小説に比べるとこの判断は難しい。突き詰めて行くと詩にならないというケースも考えられる。じゃあ詩って何だよという話になるわけだが。

 何にしても、詩を書いたとき、伝えたいことを伝えるためには詩というスタイルを選ぶべきだという判断が、表現者にはあるはずだ。

 歌が好きだという前提で、それでも歌わない人がいたとしよう。なぜ歌わないのかと聞けば、下手だとか自分の声が嫌いとかいう答えが返ってくるだろう。では歌う人に同じ質問をしたとして、歌がうまいから歌う、と答える人はいないように思う。やっぱり好きだから歌うのだ。これは上手いか下手かは関係ない。

 つまり、詩を書きたいなら書くべきなのだ。たとえそれを伝えるために詩というスタイルがベストではなかったとしても。

 ということで、君はなぜ詩を書くのかということについて考察を重ねた結果、それは書きたいからであるという私が日頃からしつこく書いているまさに考えるまでもない結論が得られたのであった(爆)。

 何かを書きたいという衝動があって、書いている小説が行き詰まるとこういうところに反動が来る(笑)。

 本年は大変お世話になりました。新年もまたよろしくお願いします。

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12月19日

 下の日記を一部訂正します。あやきちさんはパッケラさんより先に来ていたそうです。訂正しますが、例によってお詫びはしません。ご本人も書いてあられましたが、大幅に遅刻したことに変わりはないんですよ(笑)。ついでに記入ミスの類を修正(^^;)。

 さて。

 オフレポを書くのが困難であるという理由はいくつかある。最大の理由は、いうまでもなく、何を話したか覚えてないというものであろう(爆)。これは酔っぱらっているということも大きいが、とりたてて何だということを話していないということでもある。そもそも何か結論を導こうとかこういう議論をしようという趣旨ではなく、つまりちょっと会って酒でも飲もか〜ということでしかないわけで、当然といえば当然である。まぁ今回はあいださんとののさんを取り囲むという趣旨はあって、とりあえず取り囲んだわけだが、取り囲んでその先に何があるというわけでもないのだ(笑)。ということで、まともなレポというのはほとんど成立し得ないのである。

 であるが、全てが酔っぱらいの戯言というわけでもない(ような気がしないでもない)。というわけで、その時に話したことや聞いた意見、後になって考えたことなどをひっくるめて書いてみる。小説を語る掲示板、通称四人目の掲示板の話である。

 現行の四人目の前には、当然のように三人目というのがあった。今でも置いてある。ログは全て四人目に移行したので、単に置いてあるだけである。それなりに容量は消費しているので消そうかなと思う。が、「三人目を消す」というフレーズが頭をよぎった時、私にはできないと悟った。という話をしたら嘲笑された(^^;)。まぁそんなことはともかく。

 掲示板設置のいきさつや目的については散々書いてるような気がするので省略するが、ひとつ付け加えるとするならばこの掲示板はある意味で運動体としての側面を持ち、なんて書き出してもあぁまたプロレスの話かよと思ってくれる人はまずいないであろうし無駄に長くなるのでやめる(笑)。
 読んで思ったことを書こうとしても既に書かれているので書けない、という話がある。逆に、先に書けば誰も書いてないから書きやすい、という話もある。どちらも正論であろう。だが、思ったこと感じたことを全て書くというのは難しい。全て書くと長くなりすぎるという面もあるだろうし、書いてるうちに忘れるということもあると思う。例えば私は、ピンク色を基調にしたパジャマ萌え、なんて書こうとして忘れたことがある(笑)。それはそれとしても、思ったことが全て既に書かれているということは、恐らく無い。だが最も書きたいことが書かれているということは往々にしてある。
 そういうときにどうするかというと、書かないという選択肢も当然あるが、私の場合はそのレスに対して思ったことを書くことが多いと思う。このケースならこの人(先にレスをした人)もそう感じたかと思うわけで、つまり「私もそう思った」と書くわけだ。しかしこれは激しく程度問題である。つまり10人20人と「私もそう思った」というレスが付いたとしたら間違いなくアホで、お前ら書くならもうちょっと頭使えということになる。ただひとつ言えるのは、私が(あなたが)「私もそう思った」という事実は、そう書かなければ誰にも伝わらないということだ。
 では、「私もそう思った」という事実を伝える必要があるのかどうか。
 これに対しては、伝えたければ伝えるがよい、という仙人さまのような回答しかないと思われる。そりゃそうだよな(笑)。必要なんかあるわけがない。ただし、掲示板設置の目的のひとつとして、「私はこう思いました、あなたはどうですか」という問いかけはある。
 これも何回も書いてるので自分でも嫌になるのだが、基本的に書き手のモチベーションの根底にあるのは広い意味での自己満足でしかあり得ない。金を払ってでも読みたいと思わせるような作家さんも一部おられるが、大多数のそうではない作家さんが感想が来ないと書く気にならねぇとかほざいていてもおととい来やがれである。書かなくて良し。ただしちょっと注意をしておくと――というか実は目からウロコだったんだが――感動してもらえるとか笑ってもらえるとかそういうのを全部ひっくるめた意味での「受ける」というのがモチベーションになることはナチュラルである。言い換えれば、受けることが自己満足に繋がるわけである。こんなのは人それぞれで良くて、どんなに受けたとしてもこんな話は書きたくないという人もいるだろう。それはそれでいい。特定の人に受ければそれでよくて他の人はどうでもいいってのでもいいのである。

 ほとんど独り言というかチラシの裏の領域に突入しつつあり、自分でももういいやという気分になってきたのでぶっ飛ばすが、では読み手のモチベーションはどこにあるのかというと、いうまでもなく「いい話が読みたい」という部分にある(はず)。私がこういうサイトをやっている目的の一つは「いい話が読みたい」ということであり、これは書き手としての「いい話が書きたい」という気持ちでもある。ここでいう「いい話」というのは私が読みたい話のことであるから、論理的に「いい話は読みたくない」という文章は成立し得ないのだが、まぁそんな話は放置だ。
 で、自己満足のために書いてるんであればただ書けばいいんであって、それを発表する理由にはならない。前にも書いたけど、発表するというのは読んで欲しいという欲求があるからであって、それは共感して欲しい(受けたい)という気持ちのはずだ。共感してもらうためには書き手の書きたかったことが読み手に伝わらなければならないという大前提がある。読み手のモチベーションが「いい話が読みたい」という部分にあるとすれば、書き手に対して伝わったかどうか、つまり「私はこう思った」あるいは「私もこう思った」、更に言えば「私にはわからなかった」ということを伝えるのは重要なことである。これがすなわち読者が作者を育てるということなのであると私は思う。同時に読者も育つ。オレは書き手だからと思ったあなた、あなたも読んでる時は読み手です。
 もちろんその先には容赦のない批判というか、伝わっていることを前提としての「だから何だよつまんねぇぞボケ」という話はあってしかるべきだとは思う。受けることをモチベーションとしている人は真摯に受け止めて精進していただきたい。だがそれが書き手の書きたかったことだとすれば、あらさいですかとスルーするしかない。だってそれが書きたかったことなんだから。どこがいいんだかサッパリわからんという話はFFに限らず世の中にあふれておる。まぁそれがいくら書き手の書きたかったことだといっても、それを私がサイト的に受け入れるかどうかはまた別問題なんだけどね(笑)。

 とまぁこんなようなことを考えていたわけだ。なげぇ話だ(^^;)。さ、続きでも書くかな。

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12月5日

 過日、実現した例としては初の綾幸主催オフが行われた(以前に企画倒れがあった)。以下はそのレポートのようなものであるが、必ずしも事実に基づいてはいないということをご承知おきいただきたい(笑)。

 このような趣味サイトで行うオフというのは、実はなかなか微妙なものであるように思う。考え過ぎなんだろうとは思うが、考えてしまうものは仕方がない。何を考えてしまうのかというと、出られない方のことである。例えばある種の身体的障害があってこのような企画には出にくいというケースは十分にあり得るし、遠方にお住まいの方もそうそう出ては来られないだろう。今回のように「飲む」という企画の場合は未成年の方は無理だし、女性の方を含め、この手の企画はやはり怖いという方もおられると思う。そういう感覚はとても正常である。
 だからオフはやらないという話にはならないのだが、つまりこのサイトはオフ出席者で構成されてるとか、オフに出ないと掲示板で何を話しているのかわからないとか、そういう疎外感を出席しなかった人に与えるのは避けたいと思うのである。
 これはこう考えて欲しい。例えばこのサイトには作者がいるし読者がいる。絵の描ける人や描けない人がいる。イタモノを書ける人や書けない人、エロを書く人、書かない人(笑)。確かにこのような区別はあるが、それによって差別をしているつもりはないし、当然だが優劣はない。
 だから単にオフに出た人と出なかった人がいるという、それだけの話である。ネット社会はネット上で完結してしかるべきだと思う。だが閉じていなければならないという必要もない。つまりオフはおまけみたいなもんである。機会があればこれからもやると思うが、おまけであるという位置付けに変わりはないであろう。

 というような考えに基づいて、ごく限られた人を除いては、こちらからお誘いすることはしなかった。お誘いのメールがなかったからどうこうということは一切ないので、そこはご承知おき下さい。
 ということは、基本的に今回の出席者は自分から手を挙げたということで、つまり物好きだよな(爆)。

 相変わらず長い前置きだw

 今回の出席者は敬称略で

あやきち
あいだ
D・T
なお。
クロミツ
のの
パッケラ


の計8名である。いや、良く集まったもんだ。おぢさんは嬉しいよ。遠征組が実に3名もおられる。他に関東組4名、東京長期出張中組が1名である。

 遠征組がおられるということで、私はひそかに朝まで付き合う覚悟を決めた。夜中の二時くらいに「じゃ」とかいって放り出されても寂しくなるだけである。ま、結果的には二次会で帰ったんだが(爆)。

 話が飛ぶんだが、風邪の匂いというのがある。風邪の前駆状態のとき、明確に匂いがするのである。これは誰に聞いてもそんな匂いは知らんというし、具体的に体臭が変わるというわけでもないようなので謎なんだが、とりあえずある。この匂いがすると、数日以内に風邪になる確率は7割を超える。
 で、数週間前、何年振かという感じで風邪で倒れた。椅子にすら全く座っていられなくなり、しばらく床で横になってから這うようにして家に帰り、翌日は仕事を休んだ。
 オフの少し前になって、あやきちさんから「わざわざ風邪ひかないでくださいよー」とかいうメールが入り、俺はもうひいたから平気だもんねーと思ってたら、その晩とたんに風邪の匂いがした。マジかよと思ったが、倒れたときは風邪の匂いがしなかったので、あれは過労だったのかも知れぬ。とりあえず決行日に熱とか出なければいいので、なんとなく室内を暖かめにし、うがいと手洗いを励行し、かつビタミンなど多めに取ってみたりした。
 当日になっても特に風邪の症状はなかった。まずは良かった。
 結局二次会で失礼させていただいた理由にはこういうこともあったし、あやきちさんのテンションが上がっていたので、任せても遠征組に申し訳ないことにはならないだろうという読みもあった。あやきちさんには感謝している。帰りの電車の中でも普通だったし、付き合えばよかったかなとも思ったが、家に着いたらあんまりいい感じじゃなかったので、帰ってきて正解だったかもしれない。誰しも意識を喪失したおっさんを目の前にして途方に暮れるのは嫌であろう。
 ちなみに今日に至っても相変わらず風邪の匂いはするが、症状はない。わけわかんね(笑)。

 話を戻し当日。何とか仕事にケリをつけて会社を出た。
 幹事として予告通り定刻15分前の17時30分に待ち合わせ場所に到着。極端に人が多く、これで出会えるのかと不安になる。
 緊張しつつもぼーっと待ってるとあいださんから電話が入る。今S駅とのこと。5分遅れくらいか。
 電話を切るやいなや謎の人から電話が入る。どう聞いても「林ですが」としか聞こえない。いきなり本名を言われても困る(笑)。聞きなおしても埒があかないのでとりあえずスルーして話を聞くと、あやきちさんであった。あやきちと林。似てないこともないわな。で、交通機関のトラブルにより、なお。さんが30分以上遅れる見込みという連絡が入ったそうだ。さらに当のあやきちさんは今T駅だとのこと。なんたることか。しょーがないのでじっと待つ。
 40分くらいに悩める文学青年風の人物が登場。D・Tさんであった。でーちゃんってこういう人だったのかー。どもどもとか言ってるうちに実直な青年実業家風のクロミツさんが登場。クロミツさんとは二回目。この人がでーちゃんで、などと話をしつつ、土曜のこの時間に初対面の面々がここで待ち合わせをすることの困難さについて語り合う。
 そうこうするうちにののさんが登場。ののさんとも二回目。相変わらず今時の若者である。考えてみれば出席者の約半数が遠征組なんだよな等といいながら、待ち合わせ時間を過ぎて集まっているのは半分である。なんということか。予約していた店に遅れますと電話を入れる。
 18時ちょい前になって、息を切らして漫才師が現れる。パッケラさんであった(爆)。

 またも話がちょっと飛ぶが、パッケラ兄さん、誰かに似てるとずーっと考えてた。似てる相手本人の顔も浮かんでるんだが、名前が思い出せない。ずーっと考えつづけて、日曜のプロレス中継を見ながら不意に思い出した。修斗のカリスマ、総合格闘家の佐藤ルミナである。似てると思う。リンクはしないので各自検索されたし。マジ似てるぜ。つまりなかなかかっちょいいのである。

 話を戻して、再びあやきちさんから電話。直接店に行くかと言ってる。こっちはまだ待ち合わせ場所にいるのでいいからここに来いと言う。
 なお。さんから電話。途中のK駅で降りたがどうすればいいか。某駅で降りて改札から電話をしてもらうことにする。
 あやきちさん到着。好青年であるが、とりあえず蹴りを入れる。
 あいださんから電話。改札を出たとのこと。左に曲がれとか言ってみる。話をしながら手を振ったりする。実にシャイで真面目そうな普通の青年であった。
 これでなお。さんを除いて集合。18時5分過ぎくらいだったと思う。集まり悪いよ(笑)。とりあえず店に向かう。ビルに入ってエレベーターを降りたところで店からまだかいなという電話が入る。今まさに店に入るところですとかいいながら、電話をして来た店の人と顔を合わせる。

 案内された席に行くと、普通の4人がけ座敷テーブル席が通路をはさんで二箇所用意されている。何週間も前に予約入れてこれか。これでは自己紹介もままならぬ。テンションの下がることおびただしい。二度とこの店に来ることはないであろう。全てあやきちさんのせいである(爆)。予約のときに個室を頼むって言ったじゃねぇかゴルァと店員にタックルをかましてマウントポジションからタコ殴りにするが、空いてないものは仕方がない。つーか、店に入るのが予約時間よりかなり遅れてる(爆)。
 文句をいっても始まらないので、とりあえず4人と3人で喫煙組と非喫煙組に分かれる。私は喫煙組である。他にパッケラ兄さん、あいださん、D・Tさんである。路上喫煙禁止ということもあり、喫煙組はいっせいにタバコに火をつけるのであった。
 なんとなく自己紹介などしつつ、いきなり雑談である。確か年齢は全員14歳ということで統一したような気がするが、ぶっちゃけた話が何を話したかサッパリ覚えておらんわな。

 なお。さんがやって来る。帰宅してから気づいたのだが、電話が入っていた。あやきちさんが迎えに行ったのだろうか。気づかなくてすいません。全部あやきちさんのせいです(爆)。ちなみになお。さん、こざっぱりとした垢抜けた青年である。身に付けた装飾品は見逃さぬ。
 8人も揃えば人口比率的に見ても一人くらいはいかにもというおたく青年がいると思っていたが、残念というか幸いというか、そういう人はいなかった。あえて言えば……いや、伏せよう(笑)。これで全員そろったので、改めて乾杯である。
 個人的見解では、作風と人物に許しがたい乖離のある人はいなかった。みんな掲示板やらチャットやらの印象どおりである。

 途中席の交代などしつつ雑談は続く。事前の連絡では、非喫煙組に配慮してタバコは控えろとか言ってたが、少なくとも私は吸いまくりであった。マジすいません。何もかもあやきちさんのせいです(爆)。


 あっという間に予約の二時間が過ぎ、そのまま全員で二次会になだれ込む。この界隈はあやきちさんが詳しいようなので、あやきちさんについて行く。最初の候補の店はじゃんけんで負けた私が斥候に行くも玉砕。その次の候補場所では地下と二階とどちらでもOKだったので、地下にクロミツさん、二階にあやきちさんが斥候に行く。地下になった。10分待ち。なんだか高級そうな店で、こりゃ静かに話をせなあかんかなと思ったが、しばらくすると隣が大宴会状態になり、何の問題もなかった。つーか、やかましかった(笑)。

 とりあえずこの店は個室であった。これを求めてたんだよ。
 適当に注文し、今更ながら自己紹介である。みんなそこそこ酔っており、そこには来ていない人の名前を語って自己紹介などはじめ、まったく自己紹介にならぬ。来ているのは全員作家であり、なおかつまともに書いてるのはクロミツさんだけである。そのクロミツさんにしてもeverが止まっている。なので更新はどうしたちゃんと書いてんのかの怒号が飛び交い、直後には全員がもごもごといや書いてはいるんだけどねと口ごもるのである。わけがわからぬ。とりあえずeverの結末は決まっていて、パッケラ兄さんの赤幸は年内に更新するそうである。ほんとか?(笑)

 逆行やらスパシンものに対する批判などしつつ、今回のオフの趣旨はののさんとあいださんを取り囲むということだったので、とりあえず近くにいたののさんを取り囲んでみた。基本的にはプライベートな内容でありネットにも関係ないのでここには書けないのだが、とりあえず埋めるしかないのかもしれないということである。ポイントはバナナケーキである。遠くの方であやきちさんが大炎上しているが、あいださんがポツリと呟く。

「結局……」
 我々は息を飲んだ。
「俺たちは誰かを幸せにするために生きているのかもしれないな」
「彼女というのは、遥か彼方の女と書く。しょせん男には理解できない存在だ。男と女の間には、深く広い溝がある。それをわかっていても、な」
 なお。さんが遠くを見て言った。
「そうかもしれへん。……悲しい生き物や」
 パッケラさんが目に涙を浮かべる。
「だが、それでこそ生き抜く価値があるんじゃないか?」
 D・Tさんが絞り出すように言う。
「その通りだ。分かり合えないと分っていても、それでも分かり合えるという希望は捨ててはいけないし、信じなければ生きていく事はできない」
 クロミツさんが決意を込めた目で言う。
「それでも忘れられねぇんだ!」
 ののさんが叫んだ。
「こういうのを投稿しますといってそのまま放置するのはヤメレ!」
 あやきちさんの絶叫が響き渡る。
「なんでエロ書いてんのが俺だけなんだよ!」
 俺は滝のように涙を流す。

 我々は希望と虚無を等しく胸に抱き、店を出た。吹き抜けから下を見おろし、ツバを垂らしたい欲望に耐えていると、背後から聞いたような声が聞こえた。

「あんたたち!」

 我々は戦慄つつ声のした方に振り向いた。思った通りの人物が仁王立ちである。アスカ様である。しかもエヴァ並みの大きさである。我々はアスカ様の次のセリフを予想してひれ伏した。

「明日は何の日だかわかってるんでしょうね!」

 我々はひたすらひれ伏すしかなかった。アスカ様の誕生日を忘れていたわけではない。だが会話の中でアスカ様の誕生日について触れる事はなかった。確かに我々は綾波レイを想う人間の集団である。しかし、だからといってアスカ様を放置していいという事にはならないのだ。
 ひたすらひれ伏す我々に業を煮やし、アスカ様は片足を上げて我々を踏みつけた。怒り妬む神、アスカ様である。だがここで許しを請うために顔を上げるわけには行かぬ。そんなことをして、アスカ様が足をどけたらパンツ丸見えだからである。怒り妬む神がアスカ様だとすれば、赦し愛する神はレイだろうか。しかし我々はアスカ様の愛も感じていた。この大きさ、恐らく体重はトン単位であろう。アスカ様が体重をかければ我々はぺしゃんこである。だが我々はまだ生きている。しかしアスカ様の慈悲にすがり続けるわけにもいかぬ。つまり燔祭の山羊、生贄が必要である。生贄は5人もいれば充分であろう。俺は隣にいたあいださんとののさんと素早く目配せを交し合った。そして、俺たちは絶妙のコンビネーションで残りの5人をアスカ様に差し出し、まんまとアスカ様の足の下から脱出したのである。

 三次会に突っ込んだ面々がどうなったかは謎である。



 まともなレポはあやきちさんが書いてくれると思います……。

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たぶん11月5日

 インターネットというメディア(と言っていいと思う)の特徴は、匿名性にあるらしい。匿名であるがゆえに無責任に言いたい放題で言いっ放し、なんて言う評論家の皆様は2ちゃんしか見てねぇんじゃねぇかなと思ったりするが、まぁどうでもいいといえばどうでもいい話ではある。

 発言者が匿名であるというのは、受け手にとってはそれを書いた者がナニモノかわからないということである。
 インターネットでの匿名性も同様で、発言そのものと発言者の肩書きとか年齢とか性別とかそういう属性が関係ないということでもある。わかんないんだから関係もくそもない。これはメリットでもあって、専門分野ならともかくどこぞの大学教授が言っているんだから信用できるとか、中学生が言ってるんだからしょせん子供の戯言だ、みたいな先入観は、発言者がその気になれば、つまりそういうことを書かなければ排除できるということである(匿名であるということは無責任性を誘発するかもしれないが、本質的には関連がないと思う)。
 これは私がしばらく前から自分の年齢を27歳であると主張している所以でもある。年齢なんて関係ないんだよ。そのうち72歳であると主張するつもりです。4歳ってのも悪くないな。サイトに合わせて(笑)。

 まぁしかし実はその程度のことを排除したから、あるいはしなかったからどうだというものでもない。私が実は某大学の客員教授で本職は文芸評論家でアニメの監督もやってるってカミングアウトしても誰も信じないでしょ? まぁ嘘なんだけどさ(爆)。そういうことよ。書かれたことが全てであると。先入観を排除して読めばいいだけ。歳なんか書かなくても文章から若さを感じることだってあるし。
 ま、とりあえずこういった類いの趣味系の掲示板とかで、話題と全然関係ない肩書とかをいかにも偉そうに匂わすみたいなのはかっこ悪いとは思うけどね。
 別にいいけど。

 で、肩書とか学歴なんて関係ないよってのは本来はリアル社会でもそうあるべき話で、専門的な論文ならともかく、小説とかで作家の略歴に何々大学卒業とか書いてあっても、これはもう無意味というより愚の骨頂である。ハードSF作家が理学博士だろうが何だろうが話がつまらなければ何の意味もない。文壇派閥の実体が学閥であった時代などとうの昔に終わっているのだし。

 ネット社会なるものが存在するとして、実社会と完全に分けることは実は難しいし、無理に分けても大きな意味はないとも思うが、でも事実上分けることはできる。例えば私は日記とかで、家に帰るとアスカ様が鎮座しておられる、とか書いているが、つまり私にアスカ様がいるからといって私が誰なのかはわからないということだ。性別や年齢を書いても大して状況は変わるまい。
 この事実は実に深い問題である。私が誰であるかわかるというのはどういう意味なのか。私を私であると特定する要素とはいったいなんなのか。実名だけでも不十分である。同姓同名の人物がいるかもしれない。加えて年齢や出身地、現住所まで考えれば特定できるのかもしれないが、それは個人を特定するIDと言えるのだろうか。例えば家が火事になり、私を知る人がいなくなったとしても私が私でなくなるわけではない。住基ネットでも何でも同じことで、その番号が私である(あるいは私ではない)とどうして言えるのか? 私が誰であるかわかるというのは、一体どういう状態のことなのか?

 おかしいな。こんなことを書くつもりじゃなかったんだけど(^^;)。

 話を元に戻そうとして戻すべき本線がないことに気づくわけだが(爆)、つまりあれだ、tambというのは実社会での私とは基本的に切り離されている(切り離している)わけだが、「綾波レイの幸せ」なるサイトをやっていて何々というFFを書いていて、というような、実社会には存在しないIDがネット社会では発生しているわけだ。だからそういう意味では匿名ではない。
 つまり、綾幸なんてサイトをやってる奴の言うことはしょせん戯れ言、という先入観は発生し得るわけだ。

 確かに、綾幸やってるtambです、とか名乗らなければ匿名になれる。しかしそれを過信するのも問題がないとは言えない。文章の癖とか偉そうな態度とかイタイ書き込み内容とかでばれるかもしれぬ。まぁばれないケースの方が多いとは思うけどね。
 しかし例えばプロレス関連の掲示板で何か書いたとき、あんた綾幸のtambじゃねぇか? と言われることはまずないと思われる。それはそこに私を知っている人がいないからであり、これは例えば私がどこぞのプロレスの道場に入って行っていきなり訳の判らんことを喋りまくり「あいつは誰だ。つまみ出せ」と言われるのと構造は同じなのではないだろうか。

 ここまで考えると、インターネットの特殊性としての匿名性なんていうのはほとんど無意味というか実体がないんじゃないかと思えてくる。

 例えばだな、オフ会があったとしよう。お互いをハンドルで呼び合ったりするわけだ。実名も知らんし、肩書きも学歴もわからん。性別は高確率で推測が可能で、年齢はある程度は推測できるが誤差は大きい。あとは顔が見える。いわゆる「顔が見える」じゃなくて、顔面が見えると。
 これで匿名じゃないって言える? それともやっぱり匿名?

 オフ会なんてネット社会の延長だという意見もあるでしょう。
 では、電車の中で隣の男女が静かに別れ話をしていたとして、その男女にとってお互いは匿名ではないわな。当たり前だけど。ではそれを隣で聞いている私にとってその男女は匿名か?
 再び電車の中で隣に座っている変に若造りしたおっさん二人がカミーユがどうとかサクラ大戦のキャラがどうとかオフ会がどうとか話をしていたとして(実際にいたんだが、話をしながら口笛吹いたり指鳴らしたりで――電車の中だぜ――いい歳して実に醜悪であった。だが実は私も端から見ればああなのかもしれないと思うと気が滅入ることおびただしいが、ここで私が「いい歳をして」と思ってしまうことの問題点についてはここでは触れない。ちなみに私は電車の中で口笛吹いたり指鳴らしたりはしない)、そのおっさん連中は匿名か? もしかしてここの訪問者かもしれんが。
 もう少しラディカルな話をしよう。作家が変名で小説を書く。これは匿名? プロフィールを隠してデビューすると匿名? 本名だけ隠してたら? あるいは本名だけ明かしてたら?
 好きなアーティストのライブに行って、同じ曲で同じようにノっている隣の客は?
 ステージ上のアーティストは? オーディエンスはそのアーティストの何を知っている?

 つまりネット上では、匿名性がどうとか言うよりも、単に通りすがり同士でも話がしやすく、かつ通りすがりになりやすいということなのではないだろうか。

 とまぁこのように匿名という言葉ひとつでも無意味に議論を深めることはできるのである(爆)。

 ではでは。

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 以上、久々のサルベージでした(爆)。

 サルベージだけだとあれなんで、しょーもない話でもひとつ。
 8月に続き、先月も月間最多アクセス数を更新しました。まぁ3ヒットですが。で、1日あたりの最大アクセス数も初めて1000を超えた日がありました。しかも2回も。1回は言わずと知れた『Kimiの名は』の最終話とEpilogueが公開された日です。もう1回は1日のことで、特に更新もないのに一体なんだろうと思ったら、とある小説捜索掲示板で私の「NO END SUMMER」が紹介されてたのでした。普通はこういうのは直リンなんですが、ちゃんとトップにリンクして頂きました。ここは直リン禁止じゃないんですが、カウンターが回るのはそれなりに嬉しいので(笑)、有り難いことでございます。潜在的な需要はまだあるんだなぁと思ったのでした。

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