2006年1月〜6月の日記
【HOME】【過去日記】【現在の日記】

6月6日

 今日はシンジ君の誕生日である。いや、めでたい。ある程度齢を重ねると色々アレなんだが、シンジ君くらいだとまだめでたい歳であろう。
 もっともそんなものは気の持ちようであって、いくつになってもめでたいと思えばめでたい。何はともあれ生きてこられたという意味でも。実際、良く生きてこれたなと思う時があるわな。

 で、せっかくの誕生日なんだから何か書けばいいのにと思うわけだが、マジで時間がない。いやほんとに忙しいんだわ。
 ということで、今日の日記もとりあえず書いたということでおしまいなのである。aba-m.a-kkvさんが投下して下さっているので、それを読むとしよう。今日は無理のような気がするが(^^;)。

▲pagetop

5月23日

 本日よりこの日記は「憂国日記」としてひたすら国を憂える日記と化すことにしました。まぁひたすらってのは嘘ですが(笑)。
 何にせよ、前にもちょっと書いたと思うけど、ここはそういう場じゃないからと口をつぐむよりも、それが政治的な発言であっても書いた方がいいように思えるのです。その程度の危機感を感じているということなのですよ。だから書く、と。
 まぁしかし、いきなり「イランの戦争を防止できるのは我々です」なんていうメールが来ると(ほんとに来た)うさんくさいことおびただしいのは事実なんだが(^^;)。それはそれとして(^^;;;;;
 要するに、考えて欲しいのです。
 ちょっと前の新聞で、若者がインタビューに答えて、あの時は郵政民営化が必要だと思って投票したけど今考えてみればそうでもなかったかも、みたいなことを言ってた。その時は本当に必要だと思ったけど今の現状から振り返ると必要なかった、あるいは考え方が変わったという話ならいいんだけど、改革するのかしないのか、みたいなスローガンに躍らされて盲目的に投票したってんじゃ困るんだわな。
 政治っていうのは実はすごく生活に密着してるというか、「変わる」はずだし「変えられる」はずだし、そして「変わってしまう」もの。いくらなんでもそんなことはっていうことが、容易に起こり得るのです。ごく最近も古い楽器がもう買えなくなるみたいなことがあったでしょ。そういうのに興味のない人にとってはどうでもいい話なんだけど、危機感は常に持ってないといかん。

 で、私は私の危機感を書くんだけど、私の危機感に対して深く考える事なく「その通りだ!」って賛同するんじゃ、だからダメなのよ。別の考え方はあってしかるべき、というより別の考え方がないなら私が危機感を抱く可能性すらないわけだから。
 ま、投稿小説のある文章に対して私が「ここはこうした方がいいんじゃ?」という指摘をしたとして、作家が「いや、ここはそのままで」って答えるようなもんです(笑)。


 で、とりあえずキトラ古墳の話をするわけだが(^^;)、ありゃあやっぱり修復じゃなくて破壊だわな。こうしなきゃだめだって学者が言ったけど現場ではそんなことやってられっかって軽視したのか、そもそも学者の言うことが現場無視の実現不可能無理難題な要求だったのか。
 まぁしかし工具かなんかをぶつけたとかいうのは何とかして欲しいわな。いくらなんでも。

 それはともかく。

 憂国、というからには国を憂えているわけだ。憂えるっていうのは心配するということだから、つまり国を気にしているということになるわな。これも愛国心だ。
 で、教育基本法の話になるわけだが、そもそも靖国に参拝するしないが心の問題であるならば(靖国批判はいずれしますが、とりあえず今はスルー)、卒業式とかで日の丸を掲揚するとか君が代を歌ったり歌わなかったりするのが心の問題でなぜいかんのかというのがサッパリわからん。
 というか、どうでもいいと思うんだよな。歌おうが歌うまいが、国家を愛そうが愛すまいが。誰かに強制される筋合いのもんじゃない。
 だがいわゆる愛国者の方はそれが許せないわけだ。私のような、別に愛さなくてもいいんじゃね? 的な立場の人間を。
 これはまさにそういう立場の人間を作り出した教育の問題で、しつこく書くが私は十四歳の少女なんだが、いわゆる戦後民主主義教育を受けた最後の世代の部類に入ると思う(もちろん「ここまで」って正確に分けられるわけじゃないんだけど)。これは何となくなんだけど、私の周囲にいる私より若い世代の人たちは、私や私より上の世代の人たちよりも国歌とか国旗とかそういったもの、あるいは国家そのものに対する屈託というかこだわりの薄い人の割合が多いように感じる。もちろんそれは悪いことじゃないだろうし、逆に言えば屈託があるからこそ、ある種の反動として、いわゆる正しい歴史観をとか国家の誇りをとかいう話になるわけだけど。

 で、戦後民主主義教育の弊害、みたいなことは最近よく新聞に出てるけど、それがどんな教育のことをいうのか、はっきりした定義を目にしたことがない。なので私の理解を書くことになるんだが、むちゃくちゃ乱暴に書くと、要するに「あの戦争は間違いであった」という教育だと思う。もちろん、極右政治家だって正しい戦争だったなどと言ってはいない(はず。心の中でどう思ってるかはともかく)。

 これは当然の話で、もしあの戦争が正しかったと言うならそれは東京裁判の否定であるから、その辺のでたらめな政治家が言うならともかく(言うこと自体は自由だ)、行政府内部からそんな発言が出れば、それは東京裁判の受諾を前提にして受け入れたサンフランシスコ講和条約の破棄を意味するからだ。これはつまり日本はまだ占領下にあって独立を回復しておらず、連合諸国は賠償請求権を放棄していないという状況だ。そこからやり直す勇気のある奴はやってみればいい。
 公平を期すために書いておくと、日本がサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾しているのかどうかについては異論がある。英語原文では、受諾したのは”Judgements”、すなわち「判決」であって、判決理由等について同意したという意味ではない、というものだ(と思う)。基本的にこれはその通りらしい。判決は受諾するが判決理由は受諾しないというのはこれいかにというか、こういう話が出てくるからややこしくなるのだが、事実としてそういう話はある。が、話が拡散しすぎるのでちょっと置いておこう。

 話がそれた。で、仮に「あの戦争は間違いであった」というスタンスそのものには合意が取れているということにすると、では何が問題なのかというと、戦後民主主義教育は当時の権力側を全否定する傾向があるように見える、という部分であると思う。GHQの意向もあったというか、当然ながら占領下では日本もある意味正しかったなどと言えるはずもない。やがて暴走が始まり、即ち国のために何かするとか、いわゆる滅私奉公ってやつとかは全部間違いであるということになってしまうわけだ。勢い国家そのものを否定し、国家に弾圧されていた側(共産党等)が全面的に正しかったという方向になる。これはどうなのかと。

 何もかもが全て間違いだったということはいくらなんでもないと思うので、この「それはどうなの?」という感覚は恐らく正しい。
 なおかつ、国を愛すると言った時の「国」というのが国家体制を意味しないとなれば(そしてそれを信用すれば)、愛国心を育てるという教育そのものに大きな問題はないと思うかもしれない。「国を愛する」というのは、要するに「故郷を愛する」という気持ちと同義ということになるからだ。

 だがしかし、教育として「故郷を愛する」という気持ちを教えるということは、「故郷を愛さない自由はない」ということだ。これもどうなのかと。なんで故郷を愛さねばならんのか?

 と言うように、別に愛さなくてもいいんじゃね? という感覚に戻ってしまい、まさに戦後民主主義教育の成果かなと思うわけだが(笑)、万一、懸念されているように愛国心に成績がつくとしたら、それはやっぱりよろしくないんじゃないかなと思うわけだ。私としては。

 私は「国を愛さねばならぬ」という感覚は理解し難いし、愛国教育をしようとしている人は「別に愛さなくてもいいんじゃね?」という感覚は許し難いであろう。

 国を愛するという教育というのは、いわゆる自虐史観とか国家の誇りとかそういうよりややこしい問題に直結する話であって、なかなか簡単に話は進まないのだが、要するに国を愛することによって、逆に言えば国を愛さないという自由を手放すことによって、我々は幸せになれるのかどうかが問題なわけだ。

▲pagetop

4月14日

 地雷を踏んでしまったので、以下リカバリーに入ります。


HN
 tamb
 
年齢
 公称14歳。ついこないだまでは数年間に渡って27歳だった(笑)。
 
職業
 自由人
 
病気
 体調は常に悪い(タバコの吸いすぎか?)。精神は病んでるなと思うことが多い
 
装備
 クレイジーヘッドとグッドハート(山川健一)
 
特技
 ダメ出し
 
口癖
 しまった


[靴のサイズ〕
 秘匿
 
[両親はまだ結婚してる?〕
 微妙
 
[兄弟〕
 いない
 
[ペット〕
 いない


好きなもの
[色〕
 そのときの気分によるけど、最近は赤がいいなと思うことがある
 
[番号〕
 別に
 
[動物〕
 難しい質問だな
 
[飲み物〕
 コーヒー
 
[ソーダ〕
 ソーダの種類には詳しくない
 
[本〕
 「好きなもの」という質問の分類で「本」というのは正しくないだろう。本の種類を問うているなら、写真集や絵本ではないという意味で「小説」と答えるんだが、質問者の本意は「小説のジャンル」だろうと思う。その意味ではSF。上のソーダも含め、質問者は質問の内容をよく吟味するようにして頂きたい。
 
[花〕
 特にどの花が好きということはない。花は切ないと思う。


質問
[髪染めてる?〕
 いや
 
[髪の毛巻いてる?〕
 いや
 
[タトゥーしてる?〕
 いや
 
[ピアス開けてる?〕
 ピアス開けるというのはどういう意味だか問い詰めたい。例えばキミは釘を開けるか。ネジを開けるか? あぁ?
 
[カンニングしたことある?〕
 いや
 
[お酒飲む?タバコ吸う?]
 ええ
 
[ジェットコースター好き?]
 いや
 
[どこかに引っ越しできたらな〜と思う?]
 いや
 
[もっとピアス開けたい?]
 だからピアス開けるというのは以下略
 
[掃除好き?]
 いや
 
[丸字?どんな筆記?]
 丸字ではない。汚い。「?」の後ろはスペースを取れ
 
[ウェブカメラ持ってる?]
 いや
 
[運転の仕方知ってる?]
 何の運転だよドアホ
 
[携帯何?]
 携帯って何ですかという質問か? 辞書をひけドアホ
 
[コンピューターから離れられる?]
 当たり前だ
 
[殴り合いのケンカしたことある?]
 当たり前だ
 
[犯罪犯したことある?]
 当たり前だ
 
[お水/ホストに見間違えられたことある?]
 当たり前だ……じゃなかった、そんなんあるか!
 
[ウソついたことある?]
 当たり前だ。生まれてこの方、一回もウソをついたことのない人間がこの世にいると思うか? ないと答える人がいるなら、その答えそのものがウソだ。
 
[誰かを愛したことある?]
 まず「愛する」を定義せよ。話はそれからだ
 
[友達とキスしたことある?]
 あるといえばあるし、ないといえばない
 
[誰かの心をもてあそんだことある?]
 もてあそぶ、という言葉の意味は難しいぞ。わかって言ってるのか?
 
[人を利用したことある?]
 ギブアンドテイクを前提として人を使うことを「利用」と呼んでいいなら、ある。
 
[使われたことは?]
 上記に通じるが、後に使うことを前提としてならある。ただし、自分から進んでやる、つまり使われることを歓びと感じるならば、それは「使われる」とはみなさない。あなたはボランティアを「使われる」と言いますか?
 
[浮気されたことある?]
 少なくとも私は知らないな
 
[何かを盗んだことある?]
 一般的な意味での「盗む」なら、ない。とりあえず記憶にはない。心を盗んだことがあるかどうかについてはあえて言及を避ける(笑)
 
[拳銃を手にしたことある?]
 残念ながらない


今現在
[着てる服]
 スウェット
 
[今のムード]
 テンション低い
 
[今のテイスト]
 ブルー
 
[今のにおい]
 匂わない
 
[今の髪型]
 いつもと同じ
 
[今やりたいこと]
 寝たい
 
[今聞いてるCD]
 今は聞いてない
 
[一番最近読んだ本]
 大藪春彦「野獣死すべし」。何十回読んだかわからん
 
[一番最近見た映画]
 マジで忘れた
 
[一番最後に食べたもの]
 ごはん
 
[一番最後に電話で喋った人]
 クライアントの人
 
[ドラッグ使ったんは?]
 ない
 
[地球のほかの惑星にも人類がいると思う?]
 人類ってのを定義してみ?
 
[初恋覚えてる?]
 今思うとあれが初恋かいなってのは覚えてるが、それが真の初恋なのかどうかは何とも言えん
 
[まだ好き?]
 顔も声も覚えていない
 
[新聞読む?]
 読む
 
[ゲイやレズの友達はいる?]
 残念ながらいない(と思う)
 
[奇蹟を信じる?]
 です
 
[成績いい?]
 何の成績?
 
[帽子かぶる?]
 はい
 
[自己嫌悪する?]
 しょっちゅう
 
[なにかに依存してる?]
 明確にしてる
 
[何か集めてる?]
 ないといっていいと思う
 
[親友いる?]
 いない
 
[身近に感じれる友達いる?]
 いないな
 
[自分の字好き?]
 明確に嫌い
 
[見た目気にする?]
 いまさら
 
[初恋]
 質問がブレて来てるよな。いいか、これは「今現在」というカテゴリーの中の質問だろ。「帽子被る?」とかも変だが、これはどう答えればいいんだ? 初恋は生まれる前に経験したけど
 
[ファーストキス]
 生まれる前に経験済みだ
 
[一目惚れって信じる?]
 あり得るが信じない
 
[ビビビ!を信じる?]
 ビビビって何だ? マジで教えてくれ
 
[思わせぶりは激しい方?]
 思わせぶりな人間かという質問なら、NOだ
 
[シャイすぎて一歩を踏み出せない?]
 NO


自分のこと
[よく物思いにふける]
 そうでもない
 
[自分は性格悪いと思う?]
 良くはないな
 
[いやみっぽい?]
 それはない
 
[天使?]
 あほか
 
[悪魔?]
 そこまではいかん
 
[シャイ]
 ええ
 
[よくしゃべる?]
 テンションによる
 
[疲れた?]
 はい


頭編
■髪型は?
 ハゲかけのロン毛
 
■色は?
 白髪混じり
 
■知数は?
 並
 
顔編
■眉毛は作ってる?
 まさか
 
■目はあります?
 あるような気がする
 
■耳は穴だらけ?
 両方あわせて二つはあるな。たぶん
 
■鼻は赤い?
 そうでもないと思うよ
 
■口は裂けてます?
 裂けてはいないと思われるが自信はない
 
■ちなみに声は?
 自分の声って良くわからん
 
体編
■身長は?
 中背
 
■体重は?
 中肉
 
■座高は?
 わかんね
 
■バスト
 貧乳萌え
 
■ウエスト
 普通でいい
 
■ヒップ
 あんまり大きくない方がいい。という方向の回答でいいよな?
 
■ぽっちゃり?がりがり?
 普通
 
■足のサイズは?
 前にも出てなかったか? この質問。秘匿だよ
 
■爪は整えてますか?
 いや
 
■普段着は?
 背広にネクタイ(爆)
 
■勝負服は?
 Agnes bかなw 制服とかね(爆)
 
■かばんの中にいつも入っているものは?
 PDA
 
■小物はつける?
 つけねーよ

-------------------------------------------------------------------------------
見た人は強制的にやらなければいけないバトンです。ここまで読んだ方は諦めて下さい。
やらぬとすれば、債務不履行として、訴訟します。
というバトンでした。
-------------------------------------------------------------------------------

 という地雷バトンであった(爆)。疲れた。最初は理不尽だったり意味不明だったりする質問が多くて面白いなと思ったんだけど、実際に答えてみるとそうでもなかった。気の利いたことも書けないし。つか、余りに長すぎる。書いてる最中でテンションが下がる(笑)。それが目的だとしたらアンケート作成者は凄いけど、複数のアンケートを組み合わせたものだろうな、やっぱ。しかも女の子向けだったという(笑)。
 ……まぁ私も14歳の少女なわけだがw
 ちなみに告訴したり訴訟を起こしたりはしないので、バトンを受け取るかどうかは各自の判断、自己責任で。当方は一切関知いたしません(笑)。

4/15追記。あえて自爆したい人でサイト持ちじゃない人は、四人目の掲示板にスレを立ててやって下さい。あとに続く方はそれのレスの形でどうぞ。二人目の掲示板は使わないようにお願いします。長すぎる(笑)。

▲pagetop

3月30日

 綾波レイ嬢誕生日記念企画、略して「レイたん」というのは第三公司の企画だったな、確か。
 とりあえず誕生日おめでとうっていう感じなんだけど、とにかく忙しくて何もできん。ま、例年何かやってるかというと何もしていないわけだが(^^;)。何かするにしても、私にできるのは文章を書くくらいだし、そんなのよりもシンジ君に「おめでとう」って言ってもらった方が嬉しいわな。こっちとしては、そういうレイちゃんの笑顔を想像するだけで満たされてしまうわけだ。それはそんなに悪いことじゃないと思うんだよな。
 ここまで書いて、ふと思い立って去年の日記読んでみると、書いてることがほとんど変わらんのだった(爆)。

 誕生日おめでとう。

▲pagetop

3月21日

 既に旧聞に属する話になってしまったが、高校野球で出場辞退だなんだという事件があった。高校野球というのは野球部であって、つまり部活であり、これを教育の一環として見た場合に出場辞退という選択は――という話は前にも書いたよな、確か。
 つまり卒業式を終えたからといって酒など飲みに行ってはいかんという教育ができなかったということなんだが、卒業式の当日に飲むかどうかはともかく、進学するにしろ就職するにしろ、コンパだのなんだので飲むことは事実としてよくあると思う。最近は無理に飲ませるとかいうことはなくて、飲みたければどーぞみたいな雰囲気になってるんだとは思うけど。しかし三月中は高校の責任だけど四月になったら知らんよ、というのも変な話ではあるわな。まぁどっかで線引きはしないといかん。六十過ぎて高校の責任って話でもないだろうし(笑)。

 それはともかく、要するにこれは、甲子園出場が決まっている野球部員が酒飲みに行って発覚したらどうなるか、という想像力が欠けていたということなんだろう。あるいはバレやしねぇと思ってたのかもしれんけど、まぁ同じことだ。

 つまり、こういう行為をしたら周囲はどんな迷惑を受けるか考えなさいという実に単純な話なんだが、この理屈は実は全く説得力がない。電車の中で携帯(最近はケータイと表記するらしいが)の着信音を鳴らしまくり、電車走行の騒音に負けないように大声で話をしてるのはいいおっさんおばさんばっかだし、ラッシュの人ごみの中でのろのろと歩きながらメールを打っているのも同じく。いい大人でさえも想像力に欠けておる。まぁ今時こんなのを迷惑と感じる人などいないのかもしれんけど。

 更に言うと、そもそも未青年が酒を飲んで誰に迷惑をかけるのか、という話もあるわな。じゃあなんで辞退しないといかんのかという話に戻ることになるんだが、それは脱法行為だからなわけだ。だがこれは話が逆で、脱法行為だからいかんのではなくて、いかんことだから法律に定められているわけだ。これは未成年のうちに酒など飲むと身体の成長がどうのとかアルコールが身体に与える影響がどうのとかそういうことのはずで、だったらやっぱり辞退ってのは変な話のような気がする。泥酔するんじゃなければ飲酒そのものが誰かに迷惑をかけるってことじゃない(親は迷惑かもしれんが)んだし、泥酔されると迷惑なのは大人でも同じだ。電車の中で吐くなバカモノ。
 話を戻すと、部活クビの謹慎の卒業延期とかそういう話にするのが妥当なんじゃないかと思う(なってるような気はするけど)。

 そういうまっとうな話は置いておくとして(笑)、疑問に思ったのはOBが怖くないのかってこと。私が高校生の頃は、一年は家畜、二年は奴隷、三年は人間でOBは神様だった。私は野球部じゃなかったけど、もしこういうことで辞退とかなったらOBに半殺しにされたであろう。

 そういう意味で、大人の与えるプレッシャーってのは大事なんかなと思ったりもする。

 しかし彼らはこれからどういう人生を送るのであろうか。


 話はガラっと変わって、下にも書いたジャンプの原田雅彦。引退だそうだ。アマチュアスポーツに原則として引退はないと思うんだけど、あのクラスになるとそういう一般論は通用しないわな。ジャンプなんて誰でも気軽にレジャーとして楽しめるスポーツでもないし。禁酒とか、最近流行りの禁煙とか、もう一生分飲み尽くした(吸い尽くした)という思いがあるといいらしいけど、飛び尽くしたというか、ある種の達成感はあるのかなと思う。コーチになるらしいけど、札幌五輪のごとくオリンピックで表彰台を独占して胴上げされる原田の姿を見たいものだ。

 さらに話は変わって、日記らしく本日の話題でも。WBCで日本が世界一だ。おめでとう。韓国戦でエラーした今江がタイムリーを打ててほんとに良かった。
 いま不意に思ったんだけど、WBCってボクシングみたいだな(爆)。
 それはともかく、ゴジラ松井とかどう思ってるだろう。出ないことが総合的に自分のためになるって判断をしたんだろうけど、どうなんだろうね。

▲pagetop

2月28日

 あんまり日記の間が空くので、トップに日記の更新日も入れてみました(笑)。
 そういえばトップ。頂いた絵が横長なんでレイアウト考えなきゃなーと思ってましたが、慣れてしまいました(爆)。

 ここんとこ空前絶後の忙しさだったけど、とりあえず一段落して普通の忙しさに戻った。まぁとりあえずなんだけど。
 で、いつのまにかオリンピックが終わっている(笑)。新聞は追ってたけど、テレビを見てる暇はほとんどなかった。もうすぐパラリンピックが始まるけど、その頃にはやっぱり見てる暇はなくなってるであろう(笑)。

 そんなことで、オリンピックとかそういう時だけ屈託なく日本万歳人間と化す、昨今の言葉で言えば「プチなしょ」な私がオリンピックを軽く振り返ってみましょう。見てないんだけどね(^^;)。

 印象に残ったのは、やはりジャンプの原田雅彦。そしてスケートの安藤美姫でしょうか。
 まず原田。失格です。当然ながら一義的な責任は本人にあるんだけど、そもそも制限体重を勘違いしていたんだというんだから、コーチ陣その他のスタッフは何をしていたのかという話だよな。スタッフというのは選手が競技に専念できるような環境を作るのも仕事だと思うんだが。まぁそれはそれとして(^^;)、現役続行だそうだ。「この恨みを晴らさないではおけない」だって。頑張って頂きたいと思う。マジで。
 安藤美姫。「メダルなんかいらない」「4回転を跳ぶために来た」と公言し、メダルには届かず4回転も失敗した。難しい話なんだけど、私はこの姿勢を支持したいと思う。何が難しい話なのかというと、仮にSPでメダル圏内に入っていたとして、フリーで無難にこなせばメダルが狙えるけど4回転に挑戦して失敗した場合は水泡に帰すという場合、挑戦すべきなのかどうかという話だ。この判断は私にはつきかねる。
 原田にも言えることなんだけど、まず考えなければいけないのは、なぜその競技をやっているのかということだ。競技なんだから結果は出すべきだと思う。それは当然だわな。安藤美姫は今でも荒川静香に憧れてるんだそうだ。どういう部分に憧れてるかって、それは一位だとかそういう部分ではなくて、かっこいいって所だと思うんだよな。では、メダルを手にするために無難にこなすことがかっこいいのかどうか。やっぱりかっこよくないと思う。
 でも、一人でやってるわけじゃないんだ。支えてくれる人がいる。そしてオリンピックなんだよ。あんまり「日本のため」みたいな雰囲気はなかったけど(それはそれでいいと思う)、挑戦して失敗してメダル逃して「ナイストライでした」で済まされるのか。何より本人はそれで納得できるのか。「自分のためにやっている」だけでは済まされない部分もある。でもそういう時に支えになるのは、やっぱり「好きだからやってる」という部分だと思う。
 例えば四年後、好きだから、何よりも自分のためにメダルが欲しい、と思うかもしれない。その時は全力でメダルを取りに行けばいい。そういうポジションに立つことができる力はあるように思う。そしてその時には、浅田真央が5回転とかチャレンジしてるかもしれないよな。

▲pagetop

1月23日

 もう一月も終わりなんであれなんですが、あけましておめでとうございます(爆)。
 今年もよろしくお願いします。

 さて、今年の抱負ですが、まず第一に投稿規定を何とかしたいです(^^;)。まぁずーっと言ってることなんですが。それから連載を開始したいなぁ。これはなんとかなるかなぁ。わかんないな(爆)。

 この日記、今更ですが、しばらくの間はBSアニメ夜話における岡田斗司夫氏の“エヴァは文学である”という意味の発言を受け、文学、純文学、エンタテインメントの定義と、作品に対し作家性を絡めて批評することの是非、そして二次創作を書くことの閉塞性と不毛性、その不毛性を織り込み済み納得済みの上でそれでも敢えて書くことの意味を問うていきたいと考えておりますが、過去この日記でこーゆーことを書くといって書いた試しはないので恐らく書かないでしょう(N2爆)。

 今年もまったりとよしなに。

▲pagetop