2013年の日記

12月7日

『秘密なの』

 秘密、という言葉には本質的に隠微な響きがある、などと言い切ってしまうとそれはやっぱり嘘で、そんなのはケースバイケースである。

 綾波レイが指に絆創膏を貼りまくっている理由を秘密にするのはお味噌汁を作る練習をしているのを隠すためであり、なぜ隠すのかといえばシンジを驚かせたいからである。つまりレイ自身も言っているように、この秘密はいずれ明かされることになる。明かされない場合とはお味噌汁を作れるようにならなかった、すなわち目的を達成できなかったという場合であり、それならばそもそもそれを秘密にする必要はなかったということになる。ならば秘密にし続ける理由もない。
 一方、シンジ君がベッドの下にエロ本を、机の引き出しの奥にケンスケが隠し撮りしたレイの写真を、ある種の画像や動画、サイトアドレスにパスワードプロテクトを設定するのは、それがバレると恥ずかしいからで、場合によってはレイに嫌われたり詰問されることも十分に考えられるからである。針のむしろである。この秘密は永久に隠し通さねばならぬ。たとえ死んでも。そんなことになるなら最初からそんなものを収集しなければ良い、というのは煩悩なき大賢人の意見であり、ついつい手元に置いてしまうというのが人間というものなのである。というか、向こうから寄ってくるんだよな。不思議なことに。

 いずれにしても何を秘密にしてそれをいつ明かすか、あるいは永遠に明かさないかは本人が決めるべき問題で、他人にどうこう言われる筋合いはない。

 知る権利などというのが問題になるのは、それが本人だからである。ややわかりにくいが、たとえば日本という国がどんなことをして何処へ行こうとしているのかを知る権利というものが、国民にはある。それが主権在民というものだ。国民が本人なのである。
 一方、どこぞの企業がどんな技術でどんな製品を作ろうとしているかについては、一般的な国民はユーザーかもしれないが当事者ではない(当事者といえるのは株主であろうと思われる)。なのでAppleが次期iPhoneとしてどんな製品を出そうとしているかについて知る権利など存在しない。

 知る権利が国民にありながらそれを隠す必要のある場合というのがあり得る。それが広く知られた時、国民に不利益をもたらす場合である。
 これは上記株主の場合も同じで、次期製品がどんなものであるかがライバル企業に知れると株主に不利益をもたらす。なので秘密にする。アホな製品を出して売れなかったりしたら株主総会が紛糾して経営陣は責任を取ることになる。

 めんどくさくなってきた。当たり前のことをくどくど書いてるのだからそれも当然かと思われる。

 ひとつここは綾幸らしく行こう。

 たとえば綾波レイに出生の秘密があるとして、それを彼女自身に隠していいのは彼女がそれを知ることによって彼女自身に生命の危険が及ぶ場合である。これは使徒との戦闘において不利になる場合を含む。
 そうでない場合、彼女が自らの秘密を探る行為を妨げることがあってはならないし、秘密があるかどうかそのものを隠してはならない。彼女が真実を知ることによって不幸になるという判断があるかもしれないが、それを決めるのは彼女自身であって、他の誰でもない。
 簡単なことだ。彼女が自分の指に絆創膏を巻いているかどうかそのものが秘密で、自分の指を見ることすらできない、なんていうことがあっていいはずがない。シンジがレイに「ねえ、手を見せてよ」なんて言ったら逮捕なのだ。だがレイの指に秘密があるかどうかも秘密なので、シンジはなぜ逮捕されたのかわからない。そういうことだ。

 忘れてはならない。日本は負ける、そう言っただけで拘束された時代はさほど過去のことではないのだ。


7月14日

 本文中にもタイトルを書こうと思ったというのを不意に思い出した。というわけで古いSF。

 比較的以前からの住人の方々であれば、私が折に触れ山野浩一という作家について言及していたことをご記憶の方もおられるのではないだろうか。柳井ミレア氏が主宰するところのその名も「新世紀ヤナイの巣」というサイトで2004年に(時が経つのは早い)行われた競作企画において、私は「She's a Rainbow」という作品で参加させていただいた。同サイトから「企画」「師弟(及びゲスト1)対決」とたどるとある。同作品の後書きを参照していただきたいのだが、このタイトルは、直接的には山野浩一氏の作品タイトルからいただいたものである。
 同氏の作品は長らく絶版となっており、入手困難というより事実上入手不能であった。私はハヤカワ文庫版の「鳥は今どこを飛ぶか」と「X電車で行こう」を所有している。ええ、自慢です。仮面社版の「殺人者の空」も持っていたはずだが、誰かに貸したきり後方不明である。「花と機械とゲシタルト」は図書館で読んだ。「レヴォリューション」もかなり以前にどこかの図書館で読んだが、現在在住している地域の図書館には存在しない。なので読めない。国会図書館にはあるので、図書館内なら読めるが。東京地方の図書館にはあるようなので、その方面の方は取り寄せれば読める。
 ちなみに「X電車で行こう」は驚くべきことにアニメ化されてたりする。見たことない。
 まあそれはそれとして。
 つまり山野浩一氏はそもそもどうやって読むんだコラ的な作家であったのだが、なんと2011年に東京創元社から再編集版で文庫本が出版されていたのであった。驚愕の事実である。というか、アンテナが低いにも程がある。出版されたのは「鳥は今どこを飛ぶか」と「殺人者の空」で、迷わず二冊とも買った。まだ読めてないのでどの程度未読の作品があるかどうかは謎だが、「殺人者の空」には長年再読したいと願っていた「メシメリ街道」が入っているので、それだけで大満足である。ぶっちゃけた話が五十年も前の作品群なんだが全く古びていない、と思うのはやはりバイアスの成せる技だろうか。
 古いSFの話は更に続く。
 水見稜という作家である。あまりに寡作だったためか世間から忘れられているが、とにかくこの人も私の波長に合った作家である。いずれにしても入手困難で、という類の自慢話は省略するが、とりあえず「マインド・イーター」という連作短編集がある。これはマジで傑作である。これをネタ元にしたFFを書きたいと思っているのだが、なかなか難しい。あれ、書いてないよな?
 でもって、「マインド・イーター」も再販されてたわけだ。やはり2011年。恐るべし東京創元社である。まあ私は持ってるので、と思ったのだが、当時SFマガジン誌に掲載はされたが文庫未収録の作品が入っているのだった。どんな嫌がらせだよ。まだ買ってないが、買わねばなるまい。後書きだけでも読みたい。
 とにかく、アンテナに引っかかってない何かが絶対まだあるに違いない。なんとかせねばならぬ。ぐおお。

 そして唐突に選挙の話をする。
 アメリカの大統領選挙は四年に一度行われる民主主義の再確認だという話がある。日本の場合、そもそも選挙の時しか政治のことなど考えないというのがいかがなものかという感じはあるが、選挙の時すら考えないよりははるかにマシであろう。政治家に向かって手を振った場合、それが選挙期間中なら笑顔で手を振りかえしてくれる(場合によっては駆け寄ってきて両手で手を握ってくれる。握手した人の数しか票にならないのである)が、そうでなければ不審者扱いである。前にも書いたかな、この話。
 まあそんなことはどうでもいいとして。
 以下は基本的に3.11以降に書いた日記の繰り返し焼き直しになる。なのでここまで読んできた奇特な方も流し読みでいいかと思われる。
 まず経済の話をしよう。自民党のやってることと民主党のやってることの違いは、ざっくり言えば金を企業にバラまくか労働者にバラまくかの違いかと思う。私としては私の暮らし向きが良くなればそれでいいので(笑)、結果を出してくれればいい。どっちがどうなのかは正直わからない。単に私の周辺だけ見ても、会社を経営してる奴はとにかく会社を何とかしないとダメだと言うし、労働者は給料が上がらんとダメだと言う。どっちが正解かはわからん。
 私に見える範囲での事実を書く。例えば自動車製造業の求人は増えている。ただし、期間雇用である。経団連が強く主張しているが、やはり雇用調整は必要だと考えているのだろう。企業サイドは調整される側のことなど考える余裕はない。もうひとつ、デフレ政策によって実際に物価が上がった場合(既に上がっているが)、給料が上がるまでの間、生活が苦しくなることは間違いない。高級宝飾品がそれなりに売れるようになったという話だが、その辺りの何かで何だかの指標が上がって景気が良くなったと称するならば、私には何ら関係のない話でしかない。恐らく富裕層とそれ以外の二極化が進むのであろう。もちろん必ずしも格差が問題だとは思わない。問題なのは貧困である。それはわかる。だが貧困層はより貧困に、中流ギリギリで踏み止まっていた層は貧困化するような気がしてならない。杞憂ならいいのだが、実際に所得が上がらず物価だけ上がるならそういうことになる。だから順番が逆だろということになるわけ。所得が上がらなければ物は買えない。でも先に所得を上げることはできないらしい。何でもそうだ。議員定数は減らせないけど増税はできる。
 次、憲法改正の話。
 何をどう変えたいのか明らかにしないでとりあえず変えられるようにしよう、というのはフェアではない。何か変えたいから変えられるようにするわけで、その何かというのは草案とかから読み取れる部分もある。それは基本的人権とか表現の自由とか色々あるんだろうけれど、まあ普通の国にしたいわけだ。この場合の普通の国とは戦争のできる国であろうと私には思える。それが絶対にだめだとは、あえて言わない。だがそれを隠すのは間違っている。だから信用できない。例えば好き勝手に憲法を変えた直後、議員の九割が賛成しないとだめなんて風に変更されたらどうにもならない。これは結局、自らの選んだ議員をどの程度信用するのかという話になる。意図を隠してとりあえず変えられるようにしようという政治家は信用できない。
 次、原発の話。
 現状考え得る最大限の安全対策を取ったとして、それで重大事故が起き得ないという根拠は一体どこにあるか。そんなものはあるわけがない。例えば五十年後に重大事故が起きたとして、きっと「五十年前の基準だったから」というだろう。あるいは「想定外だった」とか。逃げないのはいいけれど、無闇に突っ込んで行って玉砕の巻き添えになるのはごめんだ。勇気ある撤退という言葉もある。歴史から学べることはここにもあるような気がする。
 ただ、重大事故の起こり得る可能性が極めて低いことも事実であるとは思う。問題はリスクをどう取るかということになるのだろう。
 最後に橋下徹のことも触れておきたい。
 維新の政策に私は必ずしも賛成ではない――というより疑問点の方が多い――けれど、正しいと思ったこと、言わなければならないと信じられることは発言するという橋下氏の姿勢は、人間として政治家として信頼できるように思う。慰安婦発言などあんなタイミングですれば選挙で不利になるのはわかり切っている。少なくとも有利になることがないのは、それこそ誰にだってわかる(ここまで逆風になるとは読めなかったようだが)。それでも橋下氏にとってそれは言わなければならないことだったのだろう。選挙で争点にしたくないからとか、票にならないからという理由で口をつぐむより余程マシである。沖縄駐留米軍の話でも、合法な性風俗を利用することによって性犯罪が抑制されるとするならば、それはそれなりに筋が通っている。これをまかりならんと思う人は基本的に射精産業そのものに反対なはずで、もちろんそれでも構わないが、それならば橋下徹に噛みつくのは筋がやや違う。
 もちろん性風俗を利用すればいいというのは根本的な問題の解決策ではあり得ない。だが根本的な解決策とは日米安保や国防のあり方にまで踏み込まなければならず、すぐにどうこうできる問題ではない。まあ米軍は性風俗利用禁止らしいので、要するに米国の国内問題で大きなお世話だったのだが。

 さて、どこに投票するか。消去方で考えていくとすべて消えるw
 視点を変えて考えてみると、自分でも驚くべき政党の名があがった。実に驚くべきことなので戸惑いまくる。たぶん入れないであろうw
 さてどうすっかな。やっぱり投票で変わるんだと信じたいしね。こうなると宗教に近いような気もしてくるけどねw

 最後に気になるニュースがあるのでちょっとだけ触れてみる。性犯罪において、被告に原告の名前を知らせるのかどうかという話である。被告の抗弁権的な観点から安易に隠すべきではない的な意見があるようだが、そもそも加害者が被害者の名前など知らない場合に、それを知らせない事によって加害者がどんな不利益を被るのか私にはサッパリわからん。


3月30日

 今年も変わらず綾波さんの誕生日がやってきたということで、真に喜ばしいことである。
 人間、歳月を重ねて行けば何かしら変化があるのは当然である。それはやむを得ないことでもあり、同時に素晴らしいことでもある。いずれにしてもどこかで立ち止まり、振り返ってそれを意識するのはやはり必要なことだと思う。誕生日というのはそのためのいい機会なのではないだろうか。
 ここにいる我々は14歳ということになっている。これは14歳という時空平面が無限に増殖し、このサイトを覆い尽くしているという統一見解がある。従って永遠に14歳だからといっても歳月を重ねていないということを意味しない。だがここにきてもうひとつ別の――あるいは見方を変えているだけで同一の見解が、ある意味オフィシャルに提示された。すなわち、エヴァの呪縛である。個人的にはその呪縛から逃れること――卒業しようという積極的な行動は放棄しているので、永遠に14歳であるというその原因についてはもはやどうでもよく、関心は自分が14歳であるということの意味をどう捉えるかという部分のみにある。それは取り残されるという事態を意味するのかもしれないが。
 突如、卒業しないなら中退という手もあると思いついたが、エヴァから中退というのはどういうことなのか意味不明であるので今は考えないことにしよう。
 何はともあれ、ライナスの毛布の如く抱えて生きて行くだけである。

 誕生日記念投下物なんてのもご用意(でっちあげ)させていただいたので、それもよろしければ。なんとこれもQ準拠だ。
 それにしても今年に入って日記書いてないとは思わなかったなw

 誕生日おめでとう。