Re: サイト開設十周年カウントダウン企画・八月 ( No.31 ) |
- 日時: 2010/08/23 22:28
- 名前: JUN
- 蝉時雨vol.4
「ただいま」 シンジがそう言って扉を開く。見ると、明らかにミサトやアスカよりサイズの小さい運動靴がある。 「綾波、来てるの?」 靴を脱ぎ、買い物袋を玄関の脇に置いて居間のドアを開けると、綾波レイは確かにそこにいた。ソファに腰を下ろして、視線は心持ち下向き。どこか冷たい雰囲気を醸している。 そんなレイの様子に、シンジは不安になる。何かしただろうか、ここのところ機嫌を損ねるようなことはしてない筈だけど。 「綾波、いらっしゃい」 「…………」 レイは答えない。嫌な予感がするが、本当に思い当たらないのだ。お弁当は手抜かりなく作っているし、肉だって取っている。週末にはデートにだって行っている。シンジ自身、レイとのそういった行動をとても楽しみにしているのだ。 「ぼ、僕、財布を置いてくるね」 沈黙を守るレイにいたたまれなくなったシンジは、逃げるようにして自分の部屋に向かう。葛城家の家計は基本的にシンジが切り盛りしているので、財布は自室に置いてあるのだ。下手においておくとミサトのビール代に消えてしまう。
部屋に着いたシンジは一つため息をつく。黙り込んだレイほど怖いものはない。アスカは手が出るが、レイは空気で人を殺すクチである。転びそうになった他の女の子を支えただけで、シンジは半日食事が喉を通らなくなった。レイの放った無言の圧力によるものである。 引き戸を開けたシンジは、部屋の中の違和感に気づいた。妙に片付いている。基本的にシンジは部屋を綺麗に保っているが、それでも最低限の生活感は出る。そういったものがない。つまり、誰かが部屋を片付けたのだ。
財布をいつもの引き出しにしまおうとした時、シンジは“それ”に気づいた。
「な、な、な、なんでこれが…………!?」
机の中央にぽんと、やけに丁寧に、これ見よがしに、それは安置されていた。
――ケンスケから譲り受けた、シンジ秘蔵のエ○本である。
背中から一気に嫌な汗が噴き出す。ここにこれがあるということは、つまりそういうことである。レイの放つ無言の圧力の正体、それは明らかにこれだった。部屋中が片付けられ、ただこれだけが机の上に置かれている。異様な雰囲気が、そのブツからは放たれていた。それがレイ自身の怒りであると気づけないほど、シンジは愚かな生物ではなかった。
何で見つかっているんだろう。確かにベッドの下に…………
いそいそとそれを仕舞い、引き戸の元へと戻る。戸を開けるのが怖かった。他の女の子が触れるだけで機嫌を損ねるレイが、シンジのそれを見て冷静でいられるはずがない。 だが、このままでいい筈もない。決心して戸を開け居間を見ると、レイは先ほどと同じように座っていた。 恐る恐るレイの横に座り、そっと声をかける。
「ね、ねえ、綾波……」
そんな猫なで声に、レイはぷいと顔を背ける。かなり怒ってる、シンジは思った。 果てしない沈黙。ただ窓から蝉時雨が流れ込むのみだ。 「その、僕の部屋の、あ、アレのことなんだけど……」 「…………」 「ぼ、僕だって、綾波に悪いと思うんだけどさ、ほら、僕も男だし、変に溜め込んで綾波に変なことしちゃったら、それは結局綾波を裏切ることになるわけで、あの、えっと――」 「私に黙ってあんなの見てるのは裏切りじゃないのね。碇くんにとっては」 「う……それは、その――」 「私以外の人のほうがいいのね。ごめんなさい。巨乳じゃなくて」 「そ、そうじゃないんだよ。そうじゃなくて、僕は――」 「不潔」
シンジの言葉を待たず、レイは立ち上がった。 「え、どこ行くんだよ、綾波」 そんなシンジの声に耳を貸さず、レイは玄関へと歩いていく。 「ま、待ってよ綾波!」 「さよなら」 「あ……」
ぷしゅ、と音を立てて閉まった扉を、シンジはいつまでも見つめていた。
次の日、シンジはケンスケに断り、その本を捨てた。食べてくれるか不安だったが、弁当も別に作った。レイの好物を選んで。カボチャの煮っ転がし、ポテトサラダ、鰆の西京味噌焼き、そしてレイがお弁当以外にもよくせがんで作らされた、砂糖を沢山入れた甘い甘い玉子焼き。
学校に来てから、レイは一言も口を利いてくれない。当然覚悟はしていたが、やはり辛かった。レイの声が聞けない学校生活がこれほどまでに苦痛だとは思ってもみなかった。自分のしたことがいかにレイの心を傷つけたのかを痛感させられた。 「あの、綾波、これ……」
昼休み、一緒に買いに行った弁当箱を差し出す。レイは暫しそれを見つめ、鞄から何かを取り出した。それを見て、シンジは絶望した。 その手には、コンビニ弁当が握られていた。
震えながらシンジの手が下がり、ほんとにごめん、とだけ言って踵を返す。レイの怒りは、自分が思っていたよりずっと深かった。普段、シンジのちょっとした悪戯を微笑みながら赦してくれるレイが、これほどまでに怒っている。
二人分の弁当を食べながら、シンジは深い溜息を吐いた。昨日まで一緒に二人で食べていたのに。 正直、コトを甘く見ていたのだ。どんなに拗ねていても、謝ってキスをすれば、レイは必ず許してくれていた。次の日はいつもレイのリクエストした弁当を持って行って二人で食べるのが常だった。
次の日から、来る日も来る日も、シンジは二つ弁当箱を持っていった。その度、シンジは二人分の弁当を食べていた。
そんな毎日を一週間も繰り返したある日、シンジはまた弁当箱を手渡した。やはり、レイの好物を詰めて。レイはまた暫しそれを見つめ、ゆっくりとそれを受け取った。 シンジの顔が歓喜に満ち溢れる。瞳を輝かせ、 「あ、あの、食べ終わったら僕の机の上に置いといてくれたら、洗っておくから。美味しくなかったら、残していいよ」 レイは、こく、と頷いた。
昼休みが終わると、レイが無言で空になった弁当箱を渡す。その軽さに、シンジはまた笑った。許してもらえたからではない。レイに少しでもその兆候が見えたからだ。 レイが自分の席へと戻るのを見届けた後、シンジが弁当箱を仕舞おうとすると、その中からかさ、と乾いた音がする。不思議に思ったシンジは、弁当箱を包んでいたバンダナをほどいた。小さな紙が入っている。ノートの切れ端のようだった。
『午後八時、私の家』
パソコンの明朝体のように綺麗な字で、それだけが書かれていた。レイの作ってくれた挽回のチャンスだった。
「お邪魔、します……」
レイのアパート。サードインパクトの後改装が加えられ、小奇麗なマンションになっていた。二人で選んだ家具の恩恵でレイの自身の部屋も小洒落た空気を醸している。
「座ってて」 「は、はい」
シンジがソファに腰を下ろすと、マグカップに入った紅茶が置かれる。 「あ、ありがと」 夜になって、あたりは昼間以上に静かだ。蝉時雨すらない。 「その、あの、綾波、本当に、ごめん。僕が馬鹿で、その、綾波のこと傷つけて……」 「…………」 「今更何言っても言い訳なんだけど、僕は馬鹿だからさ、その、こうして二人きりでいる時に綾波に酷いことしちゃうのが怖くて……奇麗事、なんだけど…………」 「……碇くん。わたし、魅力、ない…………?」 消え入るように小さな声で、レイは言った。 「そ、そんなことない。綾波は、すごく魅力的だよ。どんな人より、ずっと……」 「ほんとう……?」 「……うん。それは、自信を持って言える。綾波よりかわいい人なんて、いないよ」 「…………」
レイが黙り込む。また沈黙が、二人を包んだ。 その時間がどれくらいか、シンジには分からなかった。とてつもなく長くもあり、ほんの一瞬だったのかもしれない。 そんな中、ずずっ、とレイが音を立てる。半ば反射的にシンジがそちらを見た。
レイが、泣いていた。
「あ、綾波、ホントにごめん。許されないことなんだけど、その――」 「違うの」 「え……」
シンジの言葉を遮り、レイが言った。
「私、怖かったの。碇くんが、私以外を見るようになるのが。碇くんが、もう私に飽きちゃったんじゃないかって。私――」 「綾波!」
言葉を紡ぐレイをシンジは思い切り抱きすくめた。
「ごめんよ、本当に、ごめん。綾波が不安になるようなこと、もうしないから。飽きるなんて、あるはずがない。綾波は、僕の宝物だから……」 「碇くん…………!」
「あの本は捨てたよ。大丈夫だから。僕が好きなのは、綾波だけだから……」 「えっちな本、もう読まない……?」 「うん、読まないよ」 「うれしい……でも、碇くん」 「なに?」 レイは微笑んで、自分のブラウスのボタンに目をやる。 「碇くんが我慢できなくなったら、私があのくらい、いつでも見せてあげるから……私、碇くんになら、何だって出来るから……」 「綾波…………」 そっとシンジがレイの胸元に手を伸ばす。レイと視線が錯綜する。レイはシンジの唇にちゅ、と口付け、その手を取った。 「いい……?」 レイは小さく首肯し、 「だって、碇くんだもの…………」
おしまい
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