第弐拾参話、四日目

晴れの日は気分よく、雨の日は憂鬱。そう話したのは誰だったか。リツコかもしれないしマヤかもしれない。では、いま目の前に広がる曇り空のときはどちらの感情なのだろう。考えようとする前に、答えをもう得ているのを知っていた。もとより外の天気などどうでもいい。一夜明けたあの日から、心は常に晴れ渡っていた。もしかしてそれを確認するためにカーテンを大きく開けたのかもしれない。レイはそう思った。

不思議な感覚だ。彼女は部屋を振り返って胸に手を当てる。いままでなんの不便も寂しさも感じなかったのに、白木の椅子とテーブル、クリーム色のカーテンと丸いシーリングライトがあるだけでべつの世界のように光っていた。もしこれらがなくなったら、きっと暗く寒い空間に感じるだろう。ただひとつだけ残念なのは〝よく弾む〟マットの使用感を享受できなかったことだ。もちろん、今夜も明日もそのさきもあるのだからあせる必要はない。彼に言われたとおり、ゆっくりと進めばいいのだ。

とはいえ、いまそのベッドには愛しくてしかたのないシンジのほかにもうひとり、すやすやと寝息を立てている。真新しいピンク色のシーツのおよそ半分ほどを占拠している人物は、栗色の髪を三つ編みにして心地よさそうな顔だ。さぞ疲れていたのであろうが背を向ける彼にずいぶんと密着している。右腕と右脚を絡め、まるでクレーンゲームのアームだ。追い立てられる格好となったシンジが密着したことで自身の目覚めに繋がったものの、なんだか面白くない。片方の眉をあげるとタオルを手にして足早に浴室へ向かった。

「またこの感じ……好きじゃない」

少し冷たいくらいの水を全身に浴び、身体を軽く洗うと呟く。習慣にしている朝のシャワーだが今日は早めに切りあげる。脱衣所で下着を手にして着けようとするが、洗濯したやつを用意し忘れていた。白いショーツをじっと観察すれば股の部分が大きな円形の染みになっており、乾いた跡だ。昨夜ずいぶん冷たいとは感じていたが思っていたとおりである。レイとしては隣にアスカがいようとも関係ないのだが貞淑という観点から好ましくないし、なにより彼の裸体を他人に見せたくない。相手がアスカであればなおさらだ。迎える準備が万全だったにもかかわらず無駄になってしまったのが悔やまれて溜息をつくと、肩にタオルをかけたまま全裸で寝室へ戻る。

「起きたのね」

干してある洗濯物を手に取っているとき、アスカがもぞもぞと動いていた。ショーツとブラジャーを着けながら横目で窺っていれば彼女は慌てたように身体を離してがばりと起きあがる。さっとシンジの姿を見て、見る見る顔を赤くすると慌てたように口を開いた。

「こっ、こっ、これは、その……寝相が……」

両手でぱたぱたと顔をあおぎながら彼と交互に見るが、最後に下を向いてごめんと呟く。レイはなにも言わずクローゼットを開けてかけてある制服に手を伸ばした。数秒ほど逡巡してから背後のアスカに言う。意識したわけではないのに、なぜか低い声になってしまった。

「シャワー使えば?」
「あ……うん。借りよう、かな……」

アスカがタオルを持って早歩きで浴室に消えたのを認めるとレイは制服から手を離し、すぐさまシンジの横に行った。アスカが寝ていた場所へ同じ姿勢になって、彼をうしろから抱く。うなじに顔を埋め何度も擦りつける。ほどなくしてシンジが覚醒して寝ぼけ眼のまま仰向けになったので、ためらいなく唇を奪った。彼は舌を絡めてはこないが唇で丁寧にまさぐってくれる。

「綾波……おはよう……」
「おはよう、碇くん」

覆いかぶさるようにしてシンジを見詰めるレイはいままでの気分を翻して柔らかく微笑む。彼も目を細め、生乾きの髪に右手を伸ばしてくる。もう片手が肩から肩甲骨、背骨を伝って尻を何度も撫でた。彼女は吐息を漏らし、きゅっと尻を窄める。右手で肩を抱いた彼がなにか言おうと口を開いたが肩口に顔を埋めてさきを制した。

「あなたは私の恋人……私だけのあなたよ」

シンジがうん、と返事したのでレイは顔をあげるとふたたび微笑んで啄ばむようなキスをしてから身体を離す。やはり彼が一番輝いていると、彼女は思った。本当はこのまま営みたい衝動があったけどここでも自制する。きっとまた染みになるだろうが、いまはこれでいいとベッドから離れれば浴室から水音がした。

しばらくするとアスカが浴室から出てくる。身体にバスタオルを巻いたまま少し赤い顔をして乾いた制服と下着を取るとまた脱衣所へ消えた。髪は濡らさなかったようである。

そのあとはとくに目立った会話もなく三人は昨日買ったサンドイッチを食べた。ベッドの上のシンジがアスカの顔を見ていたのでレイも見る。目のまわりは腫れてるが、それ以外は健康的なようで血色もいいようだ。目線が落ち着かないのは居心地の悪さなのかもしれない。

「あたし、さきに本部行くからふたりはゆっくりしてなさい」

朝食を終えてしばらくするとアスカは部屋を出た。手にはトレーナーを入れた紙袋だ。せっかくなので欲しいと言うのをレイは快諾した。玄関から出るアスカの足取りはそれほど重く見えない。昨日のうちにレイが本部へ連絡しているから急ぐ必要はないし、非常召集があれば出頭するのだからしばらくいればいいとシンジは提案したが、アスカは断った。

「アスカ……大丈夫かな」
「平気よ」
「さっきの話でなにか変わればいいけど」
「そうね」

ふたりが本部に顔を出すのは昼前だ。まだ時間はあるので、昨日片づけきれていなかったいくつかの荷物をほどく。衣類用のカラーボックスへレイとシンジの下着を移し、クローゼットに収納する。シンジの私服や下着も少ないから今日の帰りにでも買おうなどと雑談しながらレイは服用している薬を整えゲンドウのメガネは布に包んで引き出しの一番下に入れた。

「壁紙もあったらいいけど、もう業者も難しいよね」
「ええ。ほかに必要なものはない?」

食器、湯切りするザル、玄関には観葉植物。そんな話に相槌を打ちつつも彼の唇をちらちら見ては溜息をついた。今夜の夕食はなににしようかとあれこれ話を振られるものの、だんだんと頭に入ってこなくなる。結局、シンジと時計を交互に見ているうちに時間は経ち、家を出る頃だ。

戸締まり火の元を確認すると玄関に鍵をかけてふたりは部屋をあとにする。本部へ向かう道中、彼はアスカの話題を出さなかった。レイはシンジの手を愛おしそうに握って心を鎮めようとするが頭に浮かぶのはつぎの戦いだ。あと一体だというのは知っててもいつなのかわからない。今日かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。いままでの流れを思うにかなりの難敵であると予想され、相当な苦戦だろう。そしておそらくシンジが単身で立ち向かわなければいけないのだ。アスカに大丈夫だと言った彼の言葉が重なる。意図は違うけれど、同じことを言ってくれないシンジに対し暗く哀しい感情が芽生えた。


前回の使徒戦では零号機が失われた以外、大きな損害はなかった。地上は悲惨な有様だが技術開発部の仕事ではない。その前の戦いは精神攻撃だけでほぼ無傷だったのだから連日の忙しさを翻して閑職ぎみだ。ゆえに、新しい兵器や装備の拡充にはうってつけのタイミングである。

目を輝かせるマヤからの提案にふたつ返事で了承したミサトもまた、彼女と同じくらい高揚していた。疲労の九割は吹き飛んだというのは過言にせよ、思わず頬が緩まってしまうほど安堵したのは間違いない。ブリーフィングルームでシンジとレイの前に立つ姿勢はいつになく堂々としていた。

「まずはシンジ君、レイ。今回アスカを保護してくれたこと、とても感謝しているわ。彼女は始末書くらいで処罰されてないから安心して」

本来であればもう少し厳しい罰があるのだが、保安部の怠慢もあったので口頭注意と確認書にサインするだけで済んだ。なによりあのアスカを見ては誰も量刑が軽いなどと思わないだろう。ミサトはほっとした表情を見せるシンジに笑顔を向けると声のトーンをあげて伝える。

「だいたいそれどころじゃないのよ、いまのアスカは」
「どういう意味、ですか?」
「ああ、ごめんなさいね。悪く捉えなくて平気よ。まぁ、簡単に言えば復活ってやつ?」
「復活、ですか?」
「ええそうよ。それも一時的な、偽りの復活なんかじゃないわ。パーぺきな復活よ……そう、不死鳥のごとく蘇ったの」
「は、はぁ……」

少々の悪ふざけを咳払いでごまかすと表情を引き締めて経緯を説明する。本部へ来るなり早々に面会を取りつけたアスカは最後の一回でいいからと起動実験を申し出た。ミサトとしてもこれ以上はさすがに酷だと思ったが、いっぽうでなにか様子の違うアスカにラストチャンスを与えた。慰めや同情より好きなようにやらせたほうが吹っ切れるだろうとの判断だ。ところが、である。

「アスカのシンクロ率、起動指数を大幅に下回っていたのは知ってるわよね? でもね、朝やったら超えていたのよ。しっかりと」
「それはまた……」

エヴァの構造上、まぐれというのはありえない。ボウリングでストライクとはわけが違うのだ。ただ、そこで終わらなかったのだからここまで驚いている。リツコの代わりを務めたマヤも初めは機器の故障かエラーだと疑ったほどなのだ。

いましがたまで繰り返された五回の起動実験のうち、四回まで右肩あがりにシンクロ率を上昇させると全盛期におよばずとも目を見張る数値を叩き出していた。エントリープラグ内のモニタも音声もアスカの要望で切られていたためどんな集中のしかたをしたのか不明だが、疑いようもない結果を見せたのである。

「しかも最後の一回なんて、四回目とほとんど同じなのよ。なにをしたのかって尋ねても、わからないって清々しく笑うんだから私、参っちゃったわ」
「なるほど……」

アスカのシンクロ率は自己最高のおよそ七割程度であったが、戦闘は可能だ。動きは少し緩慢になるし力も十全に発揮されないがそこは作戦本部長の真価が試されるところである。つぎの使徒が寝てても倒せるような小動物レベルならいざ知らず、奇妙きてれつな個体ばかりなのだ。

さて、いまも戦闘シミュレータで元気に訓練しているアスカだが、気になってくるのはどうしてそうなったかだ。結果が出ればいいという問題でもない。使徒を倒して終わりにならないと考えているからこそ同じような状況になった場合の対処が知りたい。

「ゆうべレイんちに泊まったのは報告からも知ってるけど、なにがあったわけ?」
「いやぁ……とくには。お風呂と食事くらいだと思いますけど」

そんなはずはないだろう。ミサトはシンジとレイを鋭い眼差しで観察した。腐っても作戦本部長、ここまで多数の幸運があったにせよ使徒を屠ってきた観察眼と実績があるのだ。なにか隠していると睨んでた。だが、いくら顔を窺ってもレイはもとよりシンジも心当たりがまるでなさそうだ。

「夜ってどうやって寝たの?」
「普通に三人でベッドに寝ましたけど。昨日新しく買ったんですよ、ダブルのよく……はい」

語尾が妙に怪しかったのを聞き逃さない。隣のレイは珍しく目を逸らしていた。いつも姿勢のただしい彼女だが、どこか落ち着きないようにも見える。これはさては、と邪推して顔が嫌らしく歪んだ。

「シンちゃん。アスカとも……ヤっちゃった?」
「な、な、なにをっ、言ってるんですかっ」

果たしてシンジは顔を赤くしながら慌てたが、いっぽうのレイは眉間にわずかな(しわ)を寄せたあと剃刀のような流し目を隣の彼へ向ける。なるほど、さすがに複数はなかったかと少々残念な気持ちになった。

「そっかぁ。3Pはないかぁ……」
「さん、さん……いやいやいや……」
「いいじゃないの。わっかいんだからぁ」
「だ、駄目ですよ」
「ったくもぅ。それでぇ?」
「あ、はい。僕なりに思ってることを伝えただけです。正直、なに言ったのかあまり覚えてなくて……必要だと感じたことをしたって言うか、考えても僕にはわからないから」

シンジの目線は遠くを見ているようだった。発見したときの様子を述懐するが、主観的なため細かい対処まではわからない。しかし、アスカを強く抱擁したと聞いたときそれがすべてだと確信した。いま思うと大胆なことをしたとは彼の弁だが、とんでもない話だ。

「いいのよ、シンジ君。あなたは間違ってないわ」
「そう、なんでしょうか……」

あまりいろいろ言いすぎてもよくないと判断し、それ以上の言及をしなかった。アスカはシンジと、そしてレイのまごころによって復調した。それだけである。

なにはともあれ、ここからはもうひとつ大事な話があるのだから頭を切り替えなければならない。どこか取り残されている感のあるレイにとってこれほどの朗報はないだろう。さてどんな表情を見せてくれるのか。ミサトはさきにも増して頬を緩ませた。


赤いベンチと観葉植物がいくつか置かれ、自販機がずらりと並ぶ。開放的な空間と言えば聞こえはいいが衝立もない通路際の一角ともあって居心地はあまりよくない。つぎからはひとつ上の階の休憩所を利用しようと決めたシンジは青いラベルのスポーツドリンクを煽る。隣に座るレイも同じものを飲んでおり、ラベルに書かれた成分表示を眺めていた。

「なんかさぁ、コツってヤツ? アンタに聞いて半信半疑だったんだけど、たしかに感じたわ」

赤い自販機に寄りかかりながら元気に口を開くのはアスカだ。褐色のビンに赤いラベルの元気ハツラツな炭酸飲料を手に持っている。(しわ)だらけの制服に身を包み、赤いインターフェイスヘッドセットを頭に着けてツインテールだ。

「そう? よかったわね」

レイは顔をあげずに答えた。そっけなく見えるが彼女なりに安堵しているのだろうとシンジは思った。アスカは両脚を肩幅に開き、片手を腰に当ててごくごくと喉を鳴らしている。栗毛の少女に昨日までの陰りは窺えないどころか艶々していた。やはりそうなのかと彼も納得だ。それは今朝、三人で食事をしているときレイの放ったひと言に起因する。彼女曰く、エヴァのコアには誰かがいると。前に機体交換実験のときに感じたことと、ダミープラグの開発にかかわっていた推測からの答えだ。レイとてすべてを知っているわけではないものの、それでも確信があった。シンジも彼女の言葉に理解を示しており、初めこそ馬鹿なと疑っていたアスカだったがシンクロ率という動かぬ証拠を見れば納得である。まさに心を開くほど弐号機との親和性は高まった。かつてレイに受けた助言は真理だったのだ。

「知ってしまえば、なんだって感じよね」
「そうかも」

アスカとレイの話に、さきほど初号機に搭乗したシンジも頷く。ぼんやりとした感覚だが母親らしき存在とはいままで何度も邂逅している。あるときは胸に抱かれる温かさであり、またあるときは頬を撫でられる安らぎがあった。五感とは違う概念的なものを受けていたが、よもやコアに魂が眠るとは驚きである。それでも、レイが魂を引き継いでいるのを知っていれば疑う余地はない。アスカもそうだったのだろう。弐号機の中で羽根布団のような優しさに包まれたのだ。しかし、それならばなぜシンクロ率が頭打ちのようになったのか。シンジは疑問を口にした。

「途中から伸びなかったって聞いたけど」
「ああそれね。まぁ、言葉で説明するのは難しいってのはわかるわよね? たぶんもっと甘えたら伸びるんだろうけど、なんか違うのよね。ってか、アンタもそうなんじゃない?」
「そうなのかな、やっぱり」
「ったく、カノジョができたからってさぁ。このエロシンジ」
「はは、はっ……」

なんとも返す言葉に困る彼だが実際そうなのだろうと思った。レイと恋人になれたことでもともとなかったエヴァに対するこだわりがどんどん消えている。拒絶するのではなく適度な距離を保とうとした結果、シンクロ率は前より遥かに低い。もう二度とあがらないかもしれないと自分でも感じていた。起動はするし重機程度の動きは可能なものの戦闘はかなり難しい。あと一体の使徒が来るのだからミサトから伝えられた話に活路を見出すしかない。

「まぁいいわ。アンタたちはそこでよろしくやってなさいよ」
「あれ? もう行くの?」
「そうよ。暗くなる前にさっさと済ませたいから。ま、落ち着いたら呼ぶわ」

そう言い残し、アスカはひらりとスカートを翻して去ってゆく。彼女は午前中、シンクロテストの合間にミサトの家から本部の宿舎へ移る手続きをしていた。今回の失踪で考えさせられることがいろいろあったと言う。服も下着も替えがないから取りに行き、日用品も買うと楽しげにしていた表情が印象的だった。

「すっかりアスカって感じだなぁ」
「そうね。とても溌剌(はつらつ)としていたわ」

シンジはアスカの背中が消えたあと、隣のレイを見る。彼女はまだ熱心にラベルを読んでいたが彼が安堵の声を出すと顔をあげてじっと視線を向けてきた。

「本当によかったよ。本当に……」
「碇くん、嬉しい?」
「うん。嬉しい……だから、僕たちも頑張らないと」

そう言ってシンジはレイの手を取る。すると彼女はすぐさま表情と肩の力をほころばせた。互いに手を重ねあわせ、頷く。ふたりはアスカが訓練している間、新機軸の調整に参加していた。かねてより素案だけは用意されていたものがマヤの提言により急ピッチで実用化へ向けて進んでいる。

「私も嬉しい。あなたひとりじゃないもの」
「本当はきみを危険に晒したくないんだけど、でも、僕も一緒にいたいから」
「ええ。私、とても胸が温かいわ。またひとつになれる……」
「綾波、疲れてない?」
「平気よ。碇くんは?」
「全然だよ。早く実験に呼ばれないか待ち遠しいくらいだ」
「うん……」

レイは頬を染め、目を輝かせながら微笑んだ。ふたりとも私服ではなくまだプラグスーツ姿である。三十分間の休憩を挟んで、また初号機への搭乗が待っていた。今日は遅くなるかもしれないから夕食は食堂にしようか。そんな予定を考えていると周囲の警戒を終えた彼女が身を寄せてくる。口止めしているわけではないし秘密でもないもののミサトとアスカ以外ふたりの交際を知る者はいない。だからこのような場所は控えたほうがいいのだが、彼も彼女もこの距離で中断するつもりはなかった。公共の場で、という背徳感が呼吸を荒くする。迫る互いの唇、背中にまわされる腕……。だが、無粋なアラームがそれを妨げてしまう。

「このタイミングで鳴るかなぁ」
「駄目なのね、もう……」

残念ながらお預けとなってしまったシンジたちは、少し遅れて実験棟へ向かった。ふたりして蟹股ぎみだったのは諸事情によるものだ。

『シンジ君、レイちゃん。準備はいいかしら?』

エントリープラグの中にマヤの声がする。ふたりとも初号機に搭乗していた。以前、太平洋で使徒と戦闘になった際にシンジとアスカがタンデムで見せた瞬間的なシンクロを常時おこなおうという趣旨である。

これまでの実験では座席を製作するにあたってレイがどの位置にいればいいか、データ取得がおもであった。たとえばシンジに触れるにしてもレイの手は膝の上がいいのか、手を重ねるのがいいのか、肩に乗せるのがいいのかと何パターンも存在する。ほかにもうしろから抱擁する、あるいは膝の上に座る、股の間に座る、肩車するなど水中ゆえにさまざまな姿勢が考えられた。半分以上は実験に立ちあったミサトの趣味によるものだがそれでもシンクロ率の変動があれば無駄ではない。潔癖なマヤがミサトの指示に眉を顰めながらも繰り返しおこなわれ、最終的に座席の配置は前後で落ち着いた。レイに見守られているようでシンジが安心するのか、それとも彼女を守りたいという彼の気概か。

「了解」

ふたりが声を揃えて応答すると、シンクロが開始される。ここまでは通常と変わらない。だが、エヴァを立ちあがらせる動作、歩く動作に続くと途端に乱れが生じた。シミュレーションであっても操縦の感覚は実機と同じだ。したがって火器の使用以外は思考と連動しており、普段まったく意識しない個人の動きがそのまま反映される。無意識とはすなわち習慣や肉体の違いだ。シンジには男性器があり、レイには乳房と女性器がある。男女では肋骨と骨盤の形も大きく違う。軸足が右なのか左なのか、重心は前なのかうしろ寄りなのか、歩幅や速度も重要だ。

これらを二人羽織さながらに一致させ、なおかつ戦闘しなければいけないのだから問題は山積である。シンジ単独で初号機とシンクロするよりレイと同時のほうがシンクロ率は高い。仮にアスカのシンクロ率が低くてもレイに弐号機は動かせないので彼女とタンデムする選択もない。わずかでも勝ちを得るためにはこの方法に慣れるしかなかった。

『シンジ君、右脚が早いわ。レイちゃんにあわせて』

返事すらままならないシンジはとにかくレイにあわせようと集中する。いくら恋人と言えども一挙手一投足まで観察していたわけではないので至難の業だ。右脚がふわりと撫でられるような感覚を受けてうしろにずれる。これはレイの歩幅がもう少し小さいこと意味していた。

『レイちゃん、爪先をもう少し外側に』

直立するとシンジはやや蟹股ぎみに、レイは内股ぎみになる。これは性差というよりも思春期の成長過程で起こる差異だ。だが、もっとも違うのは手脚の長さだろう。なぜこうも彼女はスタイルがいいのか。身長は自身のほうが高いのに腰の位置がまるで違う。シンジは恋人に改めて羨望の眼差しを向けた。そんな思考がまた初号機の挙動を乱すことに繋がれば雑念も許されない。

『今度はライフルを持ってみて』

マヤに指示されたとおり、足元にあるライフルへ手を伸ばす。この動作も分岐点だ。膝を曲げ、腰を落として屈むのか立位で前屈するのか。声に出してタイミングを計ったり事前に動作を決めたりしてもいけない。戦闘中はすべて咄嗟におこなうものだから五感を研ぎ澄まして相手のわずかな変化も逃さないようにする必要がある。

「なぜ小指を動かすの?」
「これは、その……」

レイから疑問が飛んだ。ライフルを持つとき、シンジは女性ならそうすると思って小指を立てたが彼女は違うらしい。もしレイがカラオケに行ったらきっとマイクはしっかり握るタイプだ。歌っている間、左手はひらひら上下に動かすのかじっとしているのか、目は閉じるのか眉間に(しわ)を寄せるのか。何曲もさきまで予約を入れてひとの歌を聞かずトイレに立つのかもしれない。いや、それをやるのはきっとアスカだ。彼女ならマイクスタンドを使いそうだし採点結果を血眼になって更新するだろう。そんなどうでもいいことまで考えた。

『つぎはナイフを装備してみて』

そのあともさまざまな動きを試した。ナイフの持ちかたも順手と逆手を繰り返し、突く、払う、斬るといった動作をあらゆる体勢から放つ。レイは長年の戦闘訓練によりとても洗練された動きをするが、いっぽうでシンジは足の踏み込み、腰の位置、肩の上下など多くに素人感が出てしまう。ほかの武器もまた然りだ。

『少しこっちで調整するから、そのまま待機してて』

こうして中断の指示が出るたびにシンジは息を吐く。レイを理解しきっていないと先日口にした自らの言葉が早くも現実となって目の前に現れた気がした。好きなのに、愛しているのに、ひとつになれたのに、こればっかりは難しいのかもしれないと落胆して首を左右にゆっくり振る。するとそれはフィードバックを通じてうしろの彼女にも伝わった。

「碇くん、変な感じがするわ」
「変?」

痛みがあるわけではないのだが、勝手に首が動いているような感覚とは気持ちがいいものではない。彼女に気づいた彼はすぐさま止めるが同時に悪戯心も沸き起こった。これは息抜きであってセクハラではない。そもそもレイは恋人で、いつもあんなに触ってるんだしちょっとくらいいいだろう。そんな言いわけをあらかじめ自分にして右手で右の尻をそっと撫でた。エヴァの装甲に阻まれてかなり鈍くなってても感覚はただしくフィードバックされる。当然ながらレイにもだ。

「碇くん……それは違うと思うの」
「ははっ。でも、なんか不思議だね」

するとレイも気になったのか、彼女は左手で初号機の腹を擦る。シンジはくっくっくと声を殺して笑った。自分がやるぶんにはなんともないのに他人が動かすとこうも変な感覚を受けるのか。そして興が乗ってくれば彼がさらに楽しみたいと思ってしまうのはしかたのないことである。

「たぶん、そう来るような気がしたわ」
「あれ? やっぱりバレてたんだ」

初号機の胸を触ろうとしたが、レイもシンクロしていればすべて自分がコントロールできるわけではない。初号機の両手は彼女の抵抗によって〝小さい前習え〟の姿勢で止まってしまう。胸と尻が問題なければつぎは、と鼻息を荒くしていたものの男の浪漫が敗れた瞬間である。

「またお尻を狙ってるわね」
「はははっ。綾波はガードが固いなぁ」

レイもどことなく弾んだ声をしているので見えなくても頬を緩めているのがわかった。そして、こういった行動こそがふたりの親和性を高める要素のひとつである。意識から無意識へ、相手がこうするであろうという、まさに阿吽の呼吸だ。彼らが結ばれてまだ四日。熟年夫婦にはほど遠くとも小さな一歩を刻みつつあった。


微糖と書かれているのにどうしてこんなにも甘いのか。ミサトは缶コーヒーを口にしながらそんな感想を持った。シンジとレイがタンデム実験を繰り返している合間にひと息入れようと休憩所へ来た彼女は、柱に寄りかかってピンク色の自販機を眺める。

「コアの秘密……やはりそうなのね」

薄々感じてはいたがアスカの復調を見て確信した。存在しないマルドゥック機関によって選出されたコード707、すなわちシンジたちの学校の生徒。かつて初号機に取り込まれた彼がコアから産み落とされるように復活した姿。内燃機関を有さないエヴァになぜ使徒と同じコアが存在しているのか。エヴァを起動させるには魂を宿さなければいけない、ということである。

「アスカは……」

おそらく昨夜レイの家に泊まった際にヒントでももらったのだろう。だから彼女は弐号機の中で母親を感じシンクロ率を取り戻した。機密としているのはもちろん人道的な理由だろうが、加持が命を懸けて探っていた情報としては弱い。ネルフの上位組織である人類補完委員会と言う名称とコアの秘密を考えれば、答えが見えたようなものである。

「母子で補う、か……」

構造はひとまず横に置くとして、初号機のシンクロに思考を移す。いままさにシンジとレイは互いを補完するべく汗を流している。一卵性の双子でもない限り、かなり難しい問題だ。だが、彼らならきっとやれる。それだけの絆をふたりは得たはずだ。とくにレイの様子は溺愛と言ってもいいくらいである。明らかに自爆する前より表情が豊かになった。それこそ真綿が水を含むように、どんどん吸収しているように見える。いや、内側から溢れさせていると言ったほうが正解か。

「それはいいんだけど……」

ふたりの恋路に心配はいらない。レイの秘密を知っても拒絶するどころかますます彼女を愛しているシンジを見れば、それこそ世界が破滅しても破局するなどありえないだろう。問題はアスカだ。

「保護者も卒業かぁ……」

午前中に早々と引越しを申請したのは驚きだったが、原因はシンジではない。来るべきときが来たと自覚している。反抗期などという生易しいものだったらどんなによかったか。いや、それすらも手に負えなかっただろう。今回ばっかりは反省をあとまわしにしないで悔やんだ。

「ただ、ねぇ……」

戦いがすべて終わったとき、アスカはなにを拠りどころにするのだろうか。エヴァのシンクロ率が頭打ちだったことからも、母親に対する依存が薄れたのは間違いない。ゆえに、弐号機を降りる日が来ても受け止められるだろう。けれど、そのさきが続かない。誰であれ生き甲斐は必要なのだ。

「私のうぬぼれかしら」

責任とはべつに、なんとかしてあげたいと思うのはせめてもの罪滅ぼしだが自己満足だろうか。レイとシンジふたりの仲に決して不満があるわけではない。本当によかったと心から思ったのは事実だが、いっぽうでアスカとシンジの関係に〝家族として〟しっかり向きあっていたら違う結果になっていたかもしれないと考えると手放しには喜べなかった。それなりにつきあいがあるのもそうだが自分とどこか共通する部分もあるだけに肩入れしてしまう。

「本当、勝手ね……」

いまさらそんな偽善がなにになるのかと自身に嫌悪したミサトは飲み終えた缶をゴミ箱へ放る。茶と金の二色で彩られた空き缶は綺麗な放物線を描いたものの乾いた音を立てて床に転がった。飲み口からは甘い液体が零れていた。


レイは意外にもよく話す、というのをシンジは知っている。率先して口数が多いわけではないのだが話題を振るとちゃんと応じてくれるし哲学を説くときもある。出逢ったばかりの頃はそれこそひと言あればいいくらいだった彼女も、交流が増えてゆくにつれて目線をあわせてくれるようになったし相槌や頷きも多くなった。なにかと一緒にいる回数が増え、いつの間にか話題を探すことも減ったものだ。先月も、電車のホームでつい立ち話が長くなって二本ほど逃したか。

「――そんなに変わるものなの?」

シンジの話題にレイは小首をかしげてつぶらな瞳をしばたたかせる。ふたりはシンクロテストを終え、着替えて食堂にいた。夜九時をまわっていたというのもあってスーパーでの買いものや食事を作るのには遅いからと本部で済ませたところだ。テーブルの対面に座った彼女は家電製品をなににしようかといった話題から、米は土鍋で炊くのがいいらしいとの説明を受けての問いである。

「いや、そう言われてるけど僕はあまり変わらないと思うよ」
「いろいろとあるのね。産地によっても違うのでしょ?」
「産地とか栽培方法とか食事ってこだわり出したらキリないね」
「生きるために食べよ、食べるために生きるな、だそうよ」
「それって哲学? 綾波は博識だなぁ」
「そう? 碇くんも読んでみる?」
「い、いやぁ……眠くなりそうだし……きみから解説聞くほうが頭に入るかも」
「なら、どんな話が聞きたいの?」
「そこからしてもう難題じゃないか」

そういった他愛もない話が続く。シンジはまるで気づいていないが、レイがこのような反応を示すのは彼だけである。ほかのひとに対しては以前と変わらず、指揮系統に属していないネルフの職員に声をかけられても耳目へは届かない。目線を向けるのは愚か、眉ひとつ動かさないのもざらであった。ミサトやアスカが混じっている場合もシンジという触媒が必要だ。彼が話をしているから、興味を持っているから、もしくはかかわっているから大切なのであってほかのことについては極端に視野が狭かった。裏を返せばシンジとの会話は夢中になるのである。あの夜から世界が広がったと自覚のある彼女は些細な表情の変化、声のトーンも見逃さない。

「――ところで炊飯器は買うの?」
「そうしたいんだけど、もう電気屋さんもやってないだろうしなぁ」
「ここに売店があるわ」
「あ、そうなの? じゃあ少し見ていこうか」
「ええ。まだやってると思うから」

立ちあがり、食堂をあとにする。さすがにデートでもないので本部施設内で手を繋ぐのは稀だがふたりの肩はとても近い距離だ。手の甲がいつ当たってもおかしくないし、隠れる場所さえあればすぐにでもキスができる。

シンジは昨日街を歩きながら感じた景色の変化を殺風景な本部でも覚えたことに驚いていた。地球の裏側にいる未知の他人、テレビや雑誌の中の人物、電車のホームや町で見かけたひと、自宅の隣人、学校の生徒。他人と親しさの階梯(かいてい)をあげるにつれ、こうも心持ちが違うのか。いや〝恋人〟という二文字が心に潤いのフィルターをかけるのかもしれない。血まみれだったレイ、同じエヴァのパイロット、戦友と感じる前に儚い少女と思っていた。それがいつしか気になる女の子へ発展し、自身の一部にまで昇華されたのだ。

「きっかけ、なのかな」
「なんの話?」
「身も蓋もない話をすると、僕はなにも初対面できみが好きだったわけじゃないんだ」

担架から振り落とされて抱きかかえはしたが、いきなりひと目惚れするような状況ではなかった。彼女の家にIDカードを届けて運悪く押し倒したときだって、混乱のほうが優っている。それまではせいぜい目で追ってたくらいだ。教室や本部内で目標をセンターに入るようにロックオンされていた。こんなにも美人なのにどうしていつもひとりなのか、パイロットとしてではなくもっと親しくなれないものかと。赤い瞳にはなにが映っているのか気になる程度だ。いや、それはそれでひと目惚れなのかもしれない。

「私もそうよ?」
「だよね。うん……でも、いまは違う」
「ええ。いまは違うわ」

笑顔を向ければレイも嬉しそうな顔を向けてくれる。単純と言ってしまえばそれまでだが、すべてはタイミングだ。担架から投げ出された方向、引き出しの把手(とって)に引っかかるような鞄、ポジトロンスナイパーライフルの引き金を引いた瞬間。紅茶を入れてくれようとして火傷した指。それらが重なって地球の裏側の他人から隣の恋人へと引き寄せた。

「運命……かな?」
「運命?」
「宿命とか言っちゃって……ははっ」
「宿命……」

運ばれてきたものではなく生まれたときから宿っている。黙考する彼女を見て、我ながらなんとも臭い台詞を言ったなとシンジは気後れした。だが同時に、命という単語が自爆したレイの姿も浮かばせる。彼は咄嗟に手を取ると、足を止めた。レイも止まって表情を窺ってくる。

「もう、駄目だよ……あんなことしたら、駄目だ」
「ええ。だから、あなたも約束して」
「うん、大丈夫だよ。きみを置いて僕は死んだりなんかしない」

初号機に自爆装置はないし、一緒に搭乗していれば片方が捨て身の攻撃をするのもありえない。抽象的で伝わりづらいかとも思ったがレイはただしく理解していた。痛いくらいに強く握り返してくる。まっすぐな赤い瞳にはいつになく力があった。それからふと肩の力を緩めると言う。

「キス、して……」

レイは往来の真ん中で周囲を窺うことなく目を閉じると爪先立ちになる。今度のキスにアラームの邪魔は入らなかった。


物事にはタイミングがある。通勤通学で電車を逃す、特売品が目の前で買われてしまう、昼食に食べたものが夕飯に出るといった些事から男女の恋愛などさまざまだ。いまのアスカの場合、引越しがそれに該当する。

朝早く申請の手続きをしたにもかかわらず伝達ミスやごたつきによって宿舎が用意されたのは日没後であった。訓練あがりに時間をあまらせた彼女が本部の売店で日用品を選んでいると、今度は車が用意できないと言う。しかたなく遊戯施設で時間をつぶし、ようやっと足が使えると連絡を受けたのは食堂で食べようと思っていたメニューが売り切れて落胆しながらべつのメニューを食べ始めたときだった。

九時をまわった頃に軽トラック一台でミサトの家へ到着したものの、今度は同伴した保安部の人間から愚痴を聞かされるはめになる。それにいちいち口を挟む気力もなく自室に入ったアスカは、手早く最小限の衣類だけを箱に詰めた。

「だいたいこんなもんかしら?」

後日また取りに戻ればいいので間にあわせのダンボール七箱ぶんを見下ろす。化粧品は入れた、下着も入れた、鞄や靴も入れた。指差し確認して頷くと室内をぐるりと見渡す。家電などはドライヤー程度しか所持していなかったし家具も買ってない。

「酷い有様ね」

ダイニングへ行くと床にビニール袋があり中には割れたコーヒーメーカーが入っている。壁のカレンダーは破れており、電話機と椅子の角も欠けていた。なぜモノに当たってしまったのか自分でもわからない。悪いことをした、と思った。ここに住んでちょうど数ヶ月になるがそれなりに楽しかったはずなのに最悪の引越しだ。

溜息とともに今度はシンジの部屋の前に立つ。不在は知ってても一応ノックを三回した。もちろん応答はない。鍵がないと文句を言った引き戸をスライドさせれば狭い彼の部屋だ。窓がなく、物置のような空間。一方的に私物を持ち出して占拠したために生じたシンジの居場所。

「あのバカっ、チェロ置きっぱなしじゃないの。なんかあったらどうすんのよ」

悪態をついて、中へ入る。もうきっと寝ないであろう彼のベッドへ腰を落とした。シーツを指先でなぞり、枕に視線を移す。激しく荒れた夜のことはあまり思い出したくない。風呂あがりに身体も拭かず全裸で寝て、枕を抱き締めながら涙まで流した。

「あんなことまでして……」

アスカはそこで自慰をした。初めてにしては結構な快感が得られたのだ。あれだけ嫌悪していた行為が彼の枕の匂いを嗅いでいるだけでなんの不安も込みあげなかったのだから、いま思えば驚きである。ほどよい場所、凄まじく感じる場所、抓る、弾く、撫でるとすぐさまコツを掴んで絶頂した。それも、何度もしてしまったのだ。

「あたし全然平気だったじゃない」

彼女はセックスに対してトラウマがある。実母が自殺してから数日、父の再婚相手が住むようになったときのある晩だ。母の死に不安と恐怖を抱えて寝つけなかった彼女は、枕を持って両親の寝室を訪ねた。後妻は好きになれなかったが、父なら慰めてくれるだろうと期待しての行動だ。それともそれを機に新しい母との距離を縮めようとしたのかもしれない。いずれにしても、扉を開けたアスカの目に映ったのは獣のように絡みあう男女の姿だった。しかも、突然子供が登場したにもかかわらず彼らは行為を止めず、続けていたのだ。あまつさえ、大人はこういうことをするのだと言わんばかりに後妻は微笑みを向け、喘いでいた。

アスカは怖くなって逃げ出した。幼いからただしくなにがおこなわれていたのかはわからなかったが、それでも両親は母の死に哀しむどころか喜んでいるように見えたのだ。葬儀からまだ一週間も経っていないのに、である。

やがて、大人になってあのときの意味を理解するようになると両親とはとことん距離を置いた。ドイツのネルフ支部では率先して寄宿舎へ入り、訓練や実験に打ち込んだ。忘れるため、あのような大人の女にならないため必死に勉強をして飛び級で大学にまで入った。それでも彼女なりに過去を引き摺るのはよくないと考えインターネットを通じてアダルト動画を観るなどしてみたが、嫌悪感がどうしてもぬぐえなかった。ホルモンバランスの影響も手伝って生理になるたびに苛立ちを募らせた。子供なんて欲しくないのに、どうして身体は大人の女になるのかと。胸や尻の主張に自信はあっても性行為となればべつだった。そこに現れたのが加持である。

彼の包容力と気さくな話しかたにアスカは心を許した。このひとならもしかしてトラウマを克服できるかもしれない、父親とは違うのだという幻想を見た。優しく寝かしつけてくれる、ずっと傍にいて見守ってくれるという期待からだ。この男の女になれば、心が満たされるはずだと信じて。

しかし彼はミサトを選び、そして二度と現れずに去ってしまった。死んだのだろうと思う。そこまでものわかりの悪い頭はしていない。喪失感はあったし哀しさもあった。けれど、最後に残ったのは依存の対象にすぎなかったという事実だった。本当に好きなのは、求めていたのは誰なのか、それを改めて思い知らされただけだ。

「なんでファーストなのよ」

もし彼があの公園で見つけてくれなかったらどうなっていたのかと、訓練中ずっと考えていた。ありえたかもしれないべつの可能性。いや、確実にそうなっていた未来。自虐的な思考のループはきっと止まらず、地獄の最下層へ落ちるように心が壊れていたかもしれない。誰も自分を見てくれないと嘆いて呟きながら、目を閉じ耳も塞ぐ。生きる意欲なんて捨てただろう。

「あんなに抱き締めちゃってさ……バッカじゃないの」

いままで一度だってしてくれなかったのに、あのタイミングでするのは頭がおかしいとしか思えない。いくら体調が悪かったとはいえ腰も抜けるというものだ。レイはあの光景を見ていたのだろうか。もしそうならとても不愉快だが、同時に優越感もある。

「ま、辛気臭い者同士、お似合いってヤツ?」

また胸が切なくなってきた。下で待たせている保安部の人間から愚痴が出る前に戻らないといけない。ダンボール七箱はきついから、適当な理由つけて手伝わせよう。そう決めると立ちあがる。ちらりと部屋の隅を見ればインターフェイスヘッドセットが落ちている。少し考えてから、それを枕の上に置いた。

「これも捨てておくわ、ミサト」

ダイニングの袋を手に取る。ゴミの日はいつだったか知らないけれど、適当に置いておけばいいだろう。家出するわけではないので書き置きもいらない。想い出だけを残して、コンフォート17・11-A-二号室をあとにした。


帰りは保安部の車が送ってくれるとミサトから言われ、ならばと売店で土鍋風の炊飯器と普通の電気ポットを購入したシンジたちは帰宅する。非常召集以外、基本的に徒歩か電車などの交通機関で本部へ向かっていたが今度からは好きなだけ足にしていいとのことだった。アスカをロストした件に関連がありそうだが、詳しくは聞かない。

十一時前になってしまったものの、食事を済ませているため就寝にはさして変わらない時間だ。長時間の拘束に加え、精神を集中するテストの数々に疲労があったふたりでも愛の巣に帰れば一転、疲れは吹き飛ぶ。ついシンジが一緒に風呂へ行こうと口にすれば、レイは喜んで応じた。

「かゆいところとかない?」
「お尻」
「はははっ」

トイレと一緒の浴室は洗い場が広くない。狭い中、肘を壁にぶつけて仲良く背中を流しあうのはお互い初めての経験だがなかなか楽しいものだと感じていた。なお、レイは本気で尻と言ったが、これをギャグだと捉えた彼はご満悦だ。そして彼女は冗談のスキルをひとつ学ぶ。

「熱心に見てるのね」
「いやだって、こんなにつるつるなんだからさ、凄いよ」
「そうなの?」
「ほかの女性が知ったら嫉妬するね」
「嫉妬……」

背中に布をあてがっているうちにレイのホクロが気になったシンジは、体毛にも興味が移った。両腕をあげてもらい、じっと腋を観察してはあまりの美しさに昂奮している。中学二年生にとって、性毛とは成長のステータスでありシンボルだ。スクールカーストも決して過言ではない。誰それがまだらしい、あの女子がどうだった、眉毛がどうの。そんな話題は男子の間で持ちきりである。剃り跡、なんて言葉もテレビや広告で知ればなおさらだ。赤い顔したレイがまた可愛いものだから思春期丸出しで堪能した。

「のぼせない?」
「平気よ」
「ここってシャワーの水圧が高くていいよね」
「そう? ほかに使ってる部屋がないからかもしれないわ」
「ああ、それあるかも。ちょろちょろだと洗った気がしないしさ」

そんなシンジは、つぎに立ち姿で頭を洗っている。レイは湯船に浸かって彼の姿をじっと見ていた。水に入るのが好きな彼女だが、掃除が面倒との理由で湯船を使うのは珍しい。シンジが初めてこの部屋を訪れたときも含め、前は部屋の至るところが汚れと埃にまみれていた。いままでの歩んできた時間がそうさせていると知っている彼は彼女に生活能力がないなどとは思っていない。逆に、義侠心を激しく刺激され日々さまざまな場所に手を入れた。いまでは見違えるほど室内は明るくなっている。家電製品や家具も増え、あとは壁紙くらいだろうか。そんなことを考えながらシャンプーを泡立てた。

「不思議な構造ね」
「なんの話?」
「なんでもないわ」

股間以外さんざん見られたレイはシンジの某所を観察している。学校の授業や教科書で知ってても興味はいっさいなかった。当時の彼女にとって誰かと恋愛する、セックスする、子供を宿すなどというのはまったく関係のないことだ。ゆえに、彼を意識し始めたときですらその手の考えには至らなかった。それが、結ばれた夜を契機に遅れて好奇心を持つようになる。

洗髪の動きにシンクロしてぷるぷる揺れる某所。黒い陰毛は既知でも変化する前の性器は初見だ。皮膚のある部分と、先端から覗く赤黒い肉の部分。大きさもさることながら角度は違うしぴんと張った筋もない。これがあの存在感を放ったのかと気になって手を伸ばす。

「おっとぉ」
「ごめんなさい。痛かった?」
「そんなことはないけど、驚いたよ」
「普段は柔らかいのね」
「そっ、そうだね……うん。でもすぐに……」

軽く掴んで弄ってみる。肉の部分が出たり隠れたりキノコのようだ。なるほど、二段階式になっているらしいと小さく頷く。この段差は空気抵抗のためにあるのか。この筋も切れないのだろうか。矢印のような造形は目標を表しているのかもしれない。だらりとぶらさがった褐色の袋はよく見ると動いている。精液が生産される臓器の名称を思い出そうとして諦めた。内部にふたつあるのは予備の役目か、ダミーの可能性もありそうだ。そうこうしているうちに変化して、エントリーの準備が整う。皮膚の部分を搾ってもキノコはあまり隠れない。

「どうして二段階式になってるの?」
「えっとね、それは大半の日本人がそうだっていう話と、生物学的に見てもただしいと言うか、仮性とか言う呼称が半端者みたいでよくなくて、一説によると中に入ったときに動かしやすくするためにあるらしいんだ。だからきみがあまり痛くなかったのはもしかすると僕が優しさに包まれていたお陰かなと思ったりして。もちろんきみがとても潤ってたのが一番大切だし緊張してなかったのも大きいと思うよ? でもそれだけじゃなくてね、普段は乾燥から守ってるATフィールドみたいなもので、でも僕は成長期だから将来的にもっと大きな男に変わる可能性があって、美容整形の宣伝に騙されてはいけないと言うか、心を強く持って欲しいと言うか、いつも清潔にしてるしなるべく剥くようにもしてるし、綾波が満足してくれれば僕はとてもしあわせかな。うん」
「よくわからないけれど、私は……ま、ま、満足、してる、から」

シンジの感動したような表情を見て、レイはただしく伝えられた自分に安堵した。また顔が熱くなってきたのでのぼせる前に出たほうがいいだろう。天を突かんばかりに逞しく血管が浮くほど変化した某所が目の前にあっても鼻息を荒くしてはいけない。彼女は貞淑と声に出さないよう小さく唱えながら脱衣所へ戻った。

身体を拭き、トレーナーを着て冷たい麦茶で喉を潤せば多少は落ち着くというものである。少し遅れて風呂を出たシンジも同じで、手渡されたグラスを前屈みになりながら一気に煽った。ふたりして乱雑に頭を拭き、レイは椅子へ座る。そこでふと彼は思い立って先日買ったドライヤーと櫛を用意した。彼女の背後に立ち、スイッチをオンだ。

「まずは生乾きの状態にするんだ。手でこうして水分を弾いて」
「風が強いのね」
「熱くない?」
「平気よ。少し目が乾くくらい」

シンジは以前にアスカから命じられて何度かブローした経験がある。曰く、初めは低温でじっくりと乾かせとか、乾く直前にブラシを入れろとか、ブラシも使いわけろとか注文の多いお客さまであった。そしていま目が乾くと言われたのは当てる角度がよくない証だ。アスカなら間違いなく口を尖らせただろう。ひさびさだが恋人を落胆させてはなるまいと、彼は慎重に風を当てる。残念ながらブラシが一種類しかないため、明日も売店だ。

「綾波って直毛なんだね」
「ちょくもう?」
「髪の毛質がまっすぐって意味だよ。癖があると雨の日とか湿気でくるんってなっちゃうんだ」
「そうなの?」

アスカは髪も性格も少し癖があった。緩いパーマをかけたようなうねりが全体的にあり、櫛を当てるときは細心の注意が必要だ。引っかかりがあって、少しでも切れる音がしようものならお客さまの血管も切れてしまう。そんな懐かしくも怖い過去を回想しつつ優しく繊細に撫でつければ完成である。シンジはあえて見せていなかった鏡をそっとテーブルに置いた。

「どう、かな? さっきコンディショナーも使ったからさ」
「とても光ってるわ」
「でしょ? あとボリュームもね」
「ええ。いままでと違うわね」

青みのある銀色は、まさに天使さながらの輪を頂に作っていた。レイは目を丸くしつつ上下左右に顔を動かしている。美容院なんて縁のなかった彼女は自分を別人だと思っているのかもしれない。指をくぐらせて肌触りにも驚いているようだ。聞けばマヤかリツコが定期的に切っているだけだと言う。それも素人がやるのだからレイヤーだとかグラデーションなんて技術は皆無だ。普段目にする広がったショートボブは量を減らしてないことによるものである。

「まぁ、参考までにだよ。僕も詳しく知らないから」
「ありがとう、碇くん」

鏡像の中のレイが微笑む。そんな彼女を上から満足げに眺めるが、シンジの目線は頭を通過して胸元へ注がれた。トレーナーの首まわりは少しゆったりとしており控えめな谷間が覗いている。ほんのりと桜色の肌は入浴による血行の促進だけが理由なのだろうか。

「そろそろ、寝ようかなって」
「うん……」

頬を染め口元をまごつかせたレイもこのあとを察しているようだ。そっと目を閉じた彼女に唇を重ねると立ちあがって抱き締めてくる。椅子の脚が床を下品に鳴らした。彼女に押されるようにしてベッドへ仰向けになった彼はよく弾む、と思った。レイは自らシャツをたくしあげて半裸を晒すと整えたばかりの髪はぼさぼさだ。そして彼女の手はすぐさまシンジのTシャツにかかっていた。

「今度から、裸で寝ようか……」

レイと裸で抱きあって眠る心地よさを知ったシンジは、昨日の夜に違和感があった。もちろんアスカの前でネイキッドになるわけにもいかないのでしかたないが、そう考えているのはレイも同じである。彼の首筋に唇を這わせながら吐息混じりに応じた。

「うん……そうしたい」

レイが枕元にある照明のスイッチを常夜灯に切り替えれば、ぐるりとシンジに組み伏せられる。彼女は掴んでいたTシャツを上に引っ張り、ふたたび現れた彼の顔を強く抱いて腰を浮かせた。下着と短パンを一緒に脱がせた彼もまたレイに腰まで脱がされる。膝までさがったところで彼女は掴み、彼も同時だ。ふたりは着ていたトレーナーを邪魔だと言わんばかりに床へ放る。すると、その瞬間を狙っていたかのように彼女の唇が彼を襲う。両手で彼の髪をくしゃくしゃに掻き乱し、全身を左右にくねらせた。シンジと自分の胸を擦りつけ、恥丘で陰茎をしつこく撫でまわす。ベッドが弾むよりさきにレイの鼓動は高く大きく弾んでいた。もう下着の染みに溜息を漏らすことも、ない。


本部の職員用宿舎はあまり需要がない。ただでさえジオフロントという閉鎖された地下空間を職場とし、住まいまで天然の光を浴びないとなれば息も詰まる。朝陽があって月光があり、晴れや雨とさまざまな天候を感じてこそひとの営みだ。しかし、本来なら閑散としている網の目状のフロアーも少しずつ部屋が埋まっていた。地上の戦火が激しくなるほど職員たちはこぞって入居したのだ。

そんな経緯もあって廊下へ出ればぽつぽつとすれ違う職員はいるものの、自室に入れば無音の空間だ。本来ふたり用である広々とした1DKを借りたアスカは、夕方に購入したテレビをつけたまま入浴していた。ミサト宅から持ち出した衣類の収納に手間取っているうちに時刻はもう十一時をすぎている。

「うーん……ダメね。この剃刀じゃチクチクするわ」

片腕をあげ、しょりしょりと無駄毛の処理をしながら呟く。レイの家に剃刀が見当たらなかったため、四日ぶりだ。思春期はいろいろと細かい手入れも面倒である。腕や脚はもともと薄いからいいとして、半袖の間からシンジに見られてないかと冷や冷やだった。目立ちにくい栗色の地毛で助かったと思いたい。

「落ち着いたらレーザーでもやろうかなぁ」

毎回面倒だし、肌も荒れる。さりとてワックスでは生えてきてしまうし、やはりレーザーが一番だろう。そんな美容について考えてながら風呂を終えるとレイの姿が浮かんだ。恋する乙女の割には相変わらず制服姿にぼさぼさのショートボブだったが、少しは女らしくしようと思わないのだろうか。いや、彼なら無駄毛を伸ばし放題にしてても喜びそうだ。

「あれで人間じゃないって言われてもねぇ。無理な話よ」

厳密には違うのだろうが、あんな表情を見たら人外とは思えない。衝撃の告白を聞き終えたあとの顔もさることながら、翌朝の光景が頭から離れなかった。レイに促されて浴室へ向かったあと下着を忘れたのに気づき戻ろうとしたら、なんとも生々しい営みを目撃してしまったのだ。ふたりとも裸になっていたわけではないが下着姿の彼女が彼に覆いかぶさってキスをしていた。それも、触れるような優しいものではなく音が聞こえるくらい情熱的だったのだから驚きは二倍である。息を止めるほど凝視して、ふたりに気づかれる前に慌てて(きびす)を返したものの不覚にもかなり昂奮してしまった。だいたいシンジのあの手が一番よくない。風呂場で確認したらしっかり濡れていたのがなおさら不愉快だ。

「あんなヤラシイ手つきしちゃってさ。あーヤダヤダ」

素肌にタオルを巻いて、ドライヤーで髪を乾かす。手つきと言えば、何度か彼に髪を手入れさせたときがあった。女の髪に触れられるのを光栄に思えとかなんとか口にした気がする。あの頃はまだ仲がよかった。いや、表面上は文句ばっかりだったが、それでも楽しかったのだ。その髪も少し痛んでしまった。復活するのはしばらくさきだろう。

「もうあたしのこと、オカズにはしないのかな。しないか……チッ、童貞卒業したからって」

悪態をつきながらバスタオルを洗濯機へ投入すると、レイに譲ってもらったトレーナーを取り出す。テレビが面白くなさそうなので消して、こちらも購入したダブルベッドへ横になった。寝室はレイの部屋と同じ、コンクリートが剥き出しの壁だ。申し訳程度の絵画が備えつけてあり、部屋の隅には小さい造花が置かれている。テレビとベッド以外、冷蔵庫や洗濯機、電子レンジなどは初めからあったので助かったところだが、こうして見るとやはり空間が目立つ。照明を落とせば息苦しさはそこまでないものの、落ち着いたら地上に家でも買おうと思った。

「だっさいトレーナーね」

タオル素材で柔らかいが、絵柄もない地味なグレー単色を上下に着る。ショーツはこのあと予定があるので穿いてない。ごろりと仰向けになり常夜灯をぼうっと見詰めて昨夜を回想する。うしろから抱き締められた温かさは入浴などとはまったく違う。うなじに感じた彼の息、絶対に離さないと吠えた言葉のまま腕の力もたしかだった。

「どさくさにまぎれてセクハラしてんじゃないわよ」

あんなにも声をあげて泣いたのは記憶にある限り初めてかもしれない。抑えていたものが恥じることなく一気に噴出した。我ながら単純だとは思うが、それでもこれが欲しかったのだと安堵したのだ。彼はなにも言わなかった。弐号機のことも、戦いで無様に負けたことにも触れずただ大丈夫だと繰り返していた。だからこそ余計に染みたのだ。下手な慰めなら逆上していただろう。

「あたし、どうしよう……んっ……」

右手はすでに生地の上から乳房をまさぐっていた。シンジの腕がしっかりと当たっていた場所だ。性的な行為をされたわけではないが、大切な想い出である。トレーナーを着たときから彼女は昂奮していた。

「べつに、これは治療なんだから……」

左手をするすると短パンの中に入れる。目指す場所は臀部だ。頬を赤く染め、口は徐々に半開きとなる。彼がレイにしていた手の動きが繰り返し脳裏に浮かぶ。彼女の姿が自分にすげ代わると鼻息が一気に荒くなった。

「ヤバいっ……結構、出てる、かも……はっ……んんっ……」

誰に聞かれるわけでもないのに下唇を噛むのは彼に指摘されたら恥ずかしいからかもしれない。そんな予定など存在しない事実から目を逸らし、眉を寄せて夢中になる。

「あっく……んはっ……シ、ん……ジぃ……」

とても大切にしている中を傷つけないように入り口だけを撫でると卑猥な水音がした。上へずらすときは慎重にしないと声が大きく出てしまう。そう思っていたのだが、硬くなったふたつの突起を控えめに弄っても絶頂は戸惑うほど早く訪れた。