レイの回復はまずまず順調と言えた。
最初のうちは介添えの手を借りなければ移動もままならない状態だった。
それが一週間も経つ頃には、自力で移動できるまでに回復していた。
リツコの予測よりも早い。
原因が何かは断定は出来ないし、する意味もない。
だが、一つ予測を立てるとすれば、シンジくんだろう、と考えていた。
何故かは判らないが、最初に回復した時から、僅かにシンジくんに固執する様子を見せていた。
今は理由を詮索する時でもないし、必要もない。
だからリツコはその事については何も言わず、レイに声を掛けた。
「レイ、今日の所は問題ないわ。模擬体とのシンクロを解除するわよ」
「・・・はい」
ディスプレイには目を閉じた少女の姿が映っている。
間もなくそれも消え、ケイジの様子に切り替わる。
しばらくしたら、レイがやってくるだろう。
それまでに必要な情報をまとめておかなければ。
実際の所、彼女については何の問題もない。
シンクロテストの結果を見れば、一目瞭然だ。
ざっと今回のレポートに目を通しながら、リツコは肩をほぐした。
多分また、シンジくんの事を聞かれるでしょうね・・・
シャワーを浴びてLCLを洗い流していく。
大雑把にすると匂いが残るので、面倒だけれどきっちりしなければいけない。
20分程掛けて、丁寧に。
自分の状態なんて、どうでも良い事だった。
そんな事よりも。
さっきから、碇くんの事が頭から離れない。
何故か判らないけれど。
彼の様子はどうなのか。
今日も目覚めてはいないのか。
少しでも、変化はないのか。
そんな事ばかりが頭をよぎっていく。
・・・何故、こんなに気になるの・・・?
答えは自分の中には見つけられない。
それが苛立たしいような、見逃してはいけない、大事な事のような。
心を捉えて放さない。
考える事を放棄したいのに、何故か出来ない。
思考する事。それが感情を成長させる大事な要因だとは気付かないままに。
セカンドチルドレン、アスカも、二週間を過ぎた頃、精神面における検査を行えるまでに回復した。
「キミが、いないから」
episode 2. 〜閉ざされた心〜
「シンクロ率・・・0%・・・ハーモニクス、ナーブリンクも変動無しです・・・・・・」
オペレータ、伊吹二尉が震える声で告げる。
室内に静寂が広がっていく。
誰も一言も発する事が出来なかった。
ただ、リツコに全員の視線が集まっていた。
エヴァンゲリオン初号機を使った、シンクロ実験。
リツコが最後まで取っておいた、切り札だった。
いや、切り札とは呼べないかも知れない。
何が起きるか判らない手札を、人はなんと呼ぶか。
ジョーカー。
こう呼ぶのだ。
ありとあらゆるアプローチは、全て失敗に終わっていた。
どうしても、彼を目覚めさせる事が出来ない。
科学者としてのプライドなど、とうの昔にズタボロになって捨て去っている。
だから、何が起きるか判らないこのカードを切る事にも、リツコに躊躇いはなかった。
例え最悪の事態が起きようとも、打つべき手は、MAGIと自分で探し出してみせる自信があった。
初号機が暴走しても、S2機関のない今、一定時間だけ耐え抜けばいい。
例え取り込まれても、サルベージすればいい。
リツコが欲しかったのは、どんな形でもいい、変化だった。
しかし、祈りにも似た気持ちで始めた実験の結果は、全員の予測を裏切る、ある意味もっとも最悪のものだった。
いや、最悪を越えたこの状況を、なんと呼べばいいのだろうか?
・・・奇跡とは、起きないからこそ「奇跡」と言うらしい。
この世に神がいるのなら、余りにも無情といえるだろう。
もっとも、神の使いである使徒と闘った者には、ふさわしい末路と言うべきか。
長い静寂を破って、レイが口を開いた。
「赤木博士・・・碇くんは、どうですか・・・」
縋るような問いかけ。
「リツコ! バカシンジはどうなったのよ!」
アスカも声を上げる。
彼女には聞かなくても判っていた。これが何を意味するか。
だけど、何か口にしなければ不安に押し潰されそうで。
無責任かも知れないが、それはここに集まった者全員の気持ちでもあった。
皆、リツコの言葉を待っていた。
例えどんなに悪い言葉を聞く事になろうとも、尋ねずにはいられない。
痛い程の視線を浴びながら。
リツコは口を開いた。
「実験は・・・失敗よ・・・・・・」
「サードチルドレンには一切の変化は認められず。
ユイさんのいない初号機には、シンクロしなかったわ・・・」
判ってはいても、重苦しい雰囲気が司令部を包んだ。
「実験は終了よ。各自持ち場に戻りなさい。シンジくんは元の病室に戻して」
気を取り直したリツコが、矢継ぎ早に指示を出す。
しかし、その語尾が震えているのは隠しようもなく。
胸中の無念を物語っていた。
それまで黙っていたミサトが、口を開いた。
「で、これからどうするの? まさか赤木博士ともあろうものが敗北を認めるの?」
「まさか。手は尽くすわ。・・・ただ、もう手札がないだけよ・・・」
ミサトの言葉は、リツコの仮面で硬くはじき返されて。
「引き続きMAGIによる模索と、日々の検診。今できるのはこれだけよ」
それだけを言い終えると、リツコは深々と自分の椅子に座り込んだ。
その背中には、疲労を色濃く滲ませて。
シンジへのアプローチは、何一つ新しい有効な方法が見つけられないまま、時間だけが過ぎていった。
やるべき事はそれだけではないのだから、どうしようもないと言えなくもない。
「赤木博士、お願いがあります」
そんなリツコの元にレイが訪れたのは、5月も末の事だった。
「何かしら? 貴方が私にお願いなんて珍しい事だわ。出来る事なら聞いてあげるけれど」
クルリ、と椅子を回して、レイの方に向き直る。
「はい・・・」
レイは言いよどんだ。
「言いづらい事なの? それなら別室に行くけれど」
「いえ・・・」
しばらく視線を彷徨わせていたレイだが、やがて口を開いた。
「今度の、6月6日・・・碇くんと、会わせて頂けませんか?」
リツコは驚きを瞬き一回で隠してみせた。
「出来ない事はないけれど・・・判ると思うけど、長時間はダメよ?」
「はい・・・セカンドと二人で行きます。・・・一言話す時間だけでも、頂ければ」
「わかったわ、6月・・・6日? もしかして、シンジくんの誕生日だったかしらね?」
レイは視線を落とし、制服のスカートはその手に握り込まれている。
リツコは内心苦笑しながら、言葉を続けた。
「6月6日、10時から1時間。これで許可を貰っておくから。それでいいわね?」
「は・・・はい」
「スカート。皺になるわよ?」
ぱっと手を放し、レイはほんのりと頬を染める。
既にスカートはしわくちゃになっていたが。
「あの、有り難うございます。失礼します」
身体を翻し、ぱたぱたと退出していくレイを見送って、リツコは呟いた。
「驚いたわね・・・ホントに表情が豊かになったわね・・・あの子・・・
サードインパクトに原因があるのかしらね・・・?」
日々接見していてもわかる。
無表情で人形のようだったあの頃とは、明らかに違う。
ひとたび成長を始めた「感情」と言う怪物は、綾波レイという少女の印象をどこまで変えていくのだろうか。
自分がレイの母親だ、などと思い上がるつもりはない。
それでも、自分の科学者人生のほとんどと共にあった少女の変貌に、愛しさすら感じる。
何故そうしたいのか、きっと自分でも判ってはいないのだろう。
シンジくんの事を考えると、何か落ち着かない、何かせずにはおれない、そんな気持ち。
きっと彼女を動かしているのはそんな衝動なのだろう。
男と女はロジックじゃない、か・・・よく言ったものね・・・。
多分、誕生日ぐらいは、一言お祝いの言葉でも掛けてあげたいのだろう、そうリツコは見当を付けた。
その考えは正鵠を得ていた。
アスカとレイは、と言うのは正確ではない。
元々覇気のあまり感じられないレイではあるが、最近は特に思い悩んでいる節があった。
見かねたアスカがシンジとの面会を提案したのだ。
レイには断る理由はなく、明確ではない心の内なる欲求によって一も二もなく賛成した、と言うのが真相である。
レイとアスカの面会か・・・面白いかも知れないわね。
リツコの顔は既に科学者のそれに戻っている。
もしもシンジくんの心に彼女たちが深く刻み込まれていたら・・・
それはひどく魅力的な考えに思えた。
ダメもと、ぐらいのつもりで、私も付き合おうかしらね・・・。
一週間は、慌ただしく過ぎ去っていった。
レイはベッドに寝ころんではいるものの、なかなか眠りが訪れなくて、寝苦しげに寝返りを打っていた。
明日になれば碇くんと会える。
あの日以来、レイの頭の中はそれで一杯だ。
俯せになったまま、頭の重みで皺のよった枕を、指先でなぞる。
何を話せばいいんだろう・・・
碇くん・・・今日はアナタの誕生日だわ・・・おめでとう・・・
ダメ・・・これで終わったら、後はセカンドばっかり・・・
それは・・・
イヤ・・・
レイは時計を見あげた。午前1時を過ぎている。
ちいさくベッドを軋ませながら降り立ち、窓辺に向かう。
空には、いつか見たときと同じ、丸い月。
碇くんは目を覚ましてくれるだろうか?
いつものあの少し困ったような笑顔を向けてくれるだろうか?
一言でいいから、貴方の優しい声が聞きたい・・・
怜悧な光が、身体を包み込んでいく。
心が、落ち着いていく感じがする・・・
なんだか、眠れそうな気がした。
そして、翌朝。
結局レイは朝の6時には目が覚めてしまい、仕方なくシャワーを浴びていた。
いつものごとく、パジャマも下着も脱ぎ散らかしたままである。
何を話したらいいの・・・?
今日もさっきからずっとそればかり考えている。
そうね・・・
サードインパクト直後から、今までの事を話せばいいわ・・・
どんな事があって、何を見て、聞いて、どう感じたのか・・・
これで30分は話す事が出来る・・・
セカンドが一人で話すなんて・・・それはイヤだもの・・・
なんとか考えがまとまったためか、口元には微かな笑みを浮かべて。
ポタポタと髪から雫を落としながら、バスルームを出る。
ワシワシとバスタオルで水気を飛ばし、下着を身につける。
ドライヤーとブラシで形を整えていく。心なしか、丁寧に。
一通り終わり、ワードローブに向かう。
今のレイは、既に制服しか持っていなかった頃のレイではない。
アスカやヒカリに教えてもらいながら、いくつかの服を持っている。
・・・・・・手持ちの全ての服を床に並べ、悩み始めるレイ。
傍目には悩んでいるようには見えず、ただ眺めているだけにしか見えないが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長い時間を掛けて、白いワンピース、薄いブルーのカーディガン、と言う無難な選択に行き着いた。
そして、同じ白のベレー帽をちょこんと頭に乗せ、満足げな微笑みを浮かべる。
誰も部屋の中で帽子をかぶるな、とは言ってくれないので、完全装備のまま、アスカの迎えを待つ。
碇くんと、直接逢える・・・
今のレイの思考は、その事で埋め尽くされていた。
後ほど迎えに来たアスカが、レイの完全装備の姿に絶句したのは当然と言える。
アスカはその辺りには割とうるさい方なのだ。
自分の事を棚に上げて、ではあるが。
惣流・アスカ・ラングレー。彼女もまた、サードインパクトで変わった一人だった。
母親の魂との邂逅。
そして別れ。
心に負ったダメージは少なくはなかったのだろうが、持ち前の強靱なプライドと精神力で、自ら復活した。
そんなアスカだから、物事を見る目も変わってきていた。
昔なら一言で切り捨てたような事も、苛立たしげに罵るような事も、優しさや慈愛、そう言ったものを含んだ目で見る事が出来るようになっていた。
そんなアスカにとって今のレイは、危なっかしい妹そのものだった。
細やかに世話を焼くような事はしないが、遠くから見守って、危なくなれば手を差し伸べる、そんな気持ちに溢れていた。
「レイ、そろそろ行くわよ」
「ええ、用意は出来てるわ」
「・・・そりゃ帽子までかぶって待ってるんだもの、完璧よねぇ。愛しの王子様に会うんだからそれぐらいは当然か」
一言レイをからかって、アスカはドアを出る。
「王子様じゃないわ・・・碇くんよ」
「ハイハイ、ごちそうさま」
レイにはおちゃらけて見せるものの、アスカも嬉しさを隠し切れてはいない。
いつもはモニター越しにしか見る事の出来ない、大事な戦友。
半年程度の短い期間ではあったが、血よりも濃い絆で結ばれていると感じている。
生涯忘れる事の無いであろう存在。
かすかに男として感じていた時もないわけではない。
だが、今は妹のような存在の、淡く幼い感情を大事にしてあげたかった。
「で、話す事、考えてきた? アンタがしゃべり終わったら、後は私の独壇場だからね?」
「問題ないわ・・・。30分は話す事、考えてあるもの」
アスカは驚きの声を上げた。
「へぇ・・・。そいつは楽しみね。何話すのか、後ろで聞かせて貰うわ」
よもやレイがそれだけ話す事を用意できるなんて、想像もしていなかった。
レイ・・・アンタ本当に変わったわ・・・いい事よ・・・・・・
蒼色の髪、深紅の瞳、白雪のような肌。妖精のようなその姿に、豊かな感情が備われば、それはもう、女神と呼ぶしかないのではないだろうか?
そんなやくたいもない想像に陥る程に、今のレイは、アスカから見ても魅力的だった。
二人がシンジの病室に付くと、そこにはリツコの姿があった。
「おはようございます」
「おはよう」
「・・・なんでリツコがここにいるのよ?」
アスカの疑問ももっともである。そんな話は聞いていない。
「ええ、ちょっとね。科学的興味、ってヤツかしら。
アナタ達の呼びかけに、シンジくんが答えるかどうか・・・ね」
「・・・あっきれたーー。ほーんと、科学の徒、って感じねー。
まぁいいわ、レイ、頭の30分は譲ったげるから、好きなだけ話しなさいよ」
そう言って、アスカはドアの所まで下がった。
レイがシンジの側に立つ。
軽く身を乗り出してベッドに手を付いて、静かに語りかけはじめた。
サードインパクトの事。
そこで出会った人達の事。
この世界に帰ってきたときの事。
目が覚めたときの事。
碇くんが、目覚めないと知ったときの事。
それからのみんなの奮闘ぶりの事。
淡々と、静かに透き通るような声で。
それはレイの心が感じた物語。
決して雄弁ではないけれど、優しく、それはまるで、子供をあやすかのように。
シンジの脳波計に微妙な変化が現れる。
レイの言葉に合わせるように、揺らぎながら。
覚醒に向かってる・・・?
科学者たるもの、現実に目の前にある事が全てである事は承知している。
レイに続きを促しながら、手早くシンジに装置をセットしていくリツコ。
簡易でもいいから、と思って、ネルフから機材を持ち込んでおいて良かった・・・
計測値は、確かに覚醒を示す値を表示している。
・・・やっぱり、最下層レベルからあがってきている・・・
レイの話は続いている。
「相田くんがね、また最近商売始めたの・・・」
「私の写真、売れるんだって・・・アスカと同じぐらい人気がある、って言ってた・・・」
順調に意識レベルが上昇していく。
これはいけるかもしれないわね・・・
しかし次の瞬間、計測器からのけたたましい警告音が響き渡った。
何事・・・?
ソレノイドグラフが・・・反転・・・!?
「いけない、レイっ、下がって!!」
突然の事に、立ちすくむレイ。
パルスが逆流ですって!?
手持ちの機材じゃ手が打てない!!
リツコの焦りは現実のものとなった。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
シンジの絶叫が部屋にこだました。
幼子の泣き叫ぶ声、とでも言えば判りやすいだろうか。
「あああああああああああああああああああああああああああっ!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
それは聞く者の心臓を鷲づかみにし、鈍く光る刃で魂を切り刻み、恐怖の鎖で縛り付けるかのように。
がばっ、と上半身を起こすシンジ。
両手で、頭を庇うように抱え込んで。
大きく見開かれた目は、恐怖に彩られ、全てを拒絶するがごとく。
リツコは、インタフォンに手を伸ばす。
「状況レッド、鎮静剤、急いで!!」
アスカは、一歩、二歩と、我知らず後退った。
扉に背中が当たる。
「ひ・・・なに・・・よ・・・これ・・・・・・」
レイは何が起こったのか判らないまま、呆然と立ち尽くしていた。
拒絶・・・された・・・?
私が、碇くんに、辛い思いをさせた・・・?
頭がぐるぐると回っていて、思考がまとまらない。
シンジの絶叫はとどまることなく続いていた。
身体を左右に捻り、何かから逃れようとするかのように。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
ああああっ!!
ああああああああああああああああああああああああああ!!」
「ああああああああああああああああああ!!
うあああああああああああああああああああああああああああああああ」
鎮静剤はまだ届かない。
そして。
唐突に、シンジの絶叫は途絶えた。
あたかも、糸の切れたマリオネットのごとく。
病室には打って変わったように、静寂が訪れた。
ドサッ。
力尽きたようにベッドに倒れ込む音。
身体を苦しげにくの字に折り曲げた、シンジの姿。
暴れた結果、各種計測器の端子は全てはじけ飛び、点滴の針が刺さっていた場所は薄皮が破れ、血がジクジクと溢れていた。
背筋も凍るような沈黙が、病室を支配した。
タンッ!!
床を蹴る小さい音。
静寂を打ち破ったのは、レイだった。
身を翻し、硬直したままのアスカを押しのけて、病室から飛び出していく。
その衝撃で、アスカは金縛りから解放された。
レイが横を駆け抜けていった時、頬にかかった、暖かな飛沫。
あの子・・・泣いてた・・・?
「リツコ!! シンジはっ!?」
「一旦覚醒状態に復帰したけれど、何らかの原因で神経に過負荷が掛かって、また最下層に逃避した・・・としか言えないわ・・・」
「く・・・っ、要はわかんない、って訳ね?」
「シンジくんは私が見ておくわ。それよりもアスカ、レイを」
「わかってるわよっ!!」
頬にかかった飛沫を、そっと指先でぬぐう。
それはレイの、感情の証。
そしてアスカも駆け出した。彼女を探して。
くそっ・・・どこいったのよっ・・・・
エレベータホール、待合室には彼女の影はなかった。
女子トイレ・・・?
ダメ、居ないわっ・・・
レイ・・・待ってなさい・・・すぐに行くから・・・・・・
階段を荒々しく駆け下りる。
渡り廊下にも・・・いない・・・
ちいっ、なんたってこんなに広いのよっ・・・
一階まで駆け下りた。
自販機前・・・喫煙所・・・ロビー・・・いない。
どこいったのよ、アイツはっ!!
後はどこがある・・・考えろ・・・諦めるな・・・
たまたま側を若い看護婦が通りかかる。
アスカは噛みつかんばかりの勢いで質問を叩きつけた。
「ちょっとアンタッ、蒼い髪の子、どっかで見かけなかった!?」
はっはぁっ、はぁっ、はぁはぁ・・・・
いた・・・!!
見間違えようもない、空のような、薄い蒼の髪が。
中庭の、一番隅っこのベンチの、一番端っこに。
レイが座っていた。
芝生を踏みしめながら、アスカは近づいていく。
「私が・・・碇くんを追いつめた・・・私が・・・辛い思いをさせた・・・私は・・・拒絶された・・・」
アスカの耳に、レイのつぶやきが聞こえてきた。
っ!!
ダンッ!!
聞こえるように足を踏みならし、レイの正面に立った。
「拒絶された・・・私が・・・碇くんを追いつめた・・・私が・・・辛い思いをさせた・・・私は・・・」
しかし、正面に立つアスカにも気づかないままに、レイはうわごとのように同じ言葉を繰り返す。
アスカは、レイに語り掛けようと、芝生の上に腰を降ろした。
そこで見えたものは、能面のような表情と・・・とどまる事のない涙。
アスカは背筋に悪寒が走るのを感じた。
一体どれほどの悲しみが、レイの表情を塗りつぶしてしまったのか。
だが、考えてみればそれも当然かも知れない。
自分が語り掛ける事でシンジに変化が生まれ、その最終結果がアレだとしたら、やりきれない。
ましてや、レイは感情を持ち始めたばかりなのだ。
拒絶されたように感じても当然かも知れない。
自分が碇くんを苦しめた、そう考えてもおかしくない。
アスカは、出来るだけ優しく、レイの名前を呼んだ。
「レイ・・・? わかる・・・? アスカよ・・・
落ち着きなさい・・・何も怯える事もないし、自分を怖れる事もないわ・・・
アナタの所為じゃないんだから・・・自分を責める事はないのよ・・・
シンジは、自分の中の何かに怯えたのよ・・・」
ピクリ、と、シンジの名に反応するレイ。
ゆっくりと顔を上げて・・・
「ア・・・ス・・カ・・・・・・?」
その顔に、少しだけ表情が戻る。
溢れる涙を、ぬぐおうともせず。
「私・・・嫌われた・・・碇くんに、辛い思いをさせた・・・から・・・」
「碇くんに・・・もう、逢えない・・・」
レイの表情が、言葉が、アスカの胸に痛みを与える。
例え嘘でも・・・レイをこのままにしておくよりは・・・
アスカは、嘘を付く事に決めた。もとより、真実など判っていないのだから、どうしようもなかった。
「シンジは・・・自分との闘いに負けたんだと思うの・・・
レイの言葉は、確かにトリガーになったのかも知れない・・・
でも、気になるキーワードはどこにもなかった・・・
だとしたら、後はアイツの内面なのよ・・・」
レイが口を挟んだ。
「でも・・・目が・・・碇くんの瞳は、恐怖の色をしていた・・・」
「だからぁ、それはアイツの心の中の何かだ、って言ってんのよ。
アンタはなにも悪くない。私が保証するわ。
アタシが先に話しかければ良かったわね・・・レイ、アンタには悪いことしたと思ってる」
「望んだのは・・・私だから・・・」
「そうね・・・でも、後悔はしないで欲しいの。アンタの言葉で、確かにアイツは変化を見せたのよ?
アンタの言葉が、アイツの意識の最深部にまで届いた、って事なんだから」
「私の・・・言葉が・・・?」
「そうよ。だから、アンタは胸を張っていいの。サードチルドレンの心にアクセスできる、たった一人の人間なんだ、ってね?」
「私が・・・碇くんに・・・」
長い、静寂。
そして。
「ごめんなさい・・・まだ混乱してて、どうしていいのか判らない・・・」
アスカは、レイの雰囲気が変わった事を感じて、胸をなで下ろした。
「なにも考える事なんて無いわ・・・今まで通りでいいんじゃない・・・」
「わからない・・・
しばらく、一人になりたい・・・」
「判ったわ。今日はもう帰りなさい?
後はアタシとリツコでやっとくから、私の言った事、よく考えてみるのよ?
じゃ、アタシは戻るから、ちゃんと家にかえんのよ? またね」
アスカはそれだけ言って、病院内へと足を向けた。
振り返りたい衝動を抑えながら。
「シンジ・・・アイツは、レイは、逃げたりしない・・・近いうちに、必ずここにまた来るわ・・・
だから、アンタもいつまでも現実から逃げてんじゃないわよ・・・
アンタが目覚めるまで、私がアンタの代わりに、レイを支え続けてあげるわよ・・・」
だから、さっさと起きてきなさいよ・・・お姫様が待ってんのよ・・・
アスカは静かに、そして厳かに、自分の決意を眠り続けるシンジの前で独白した。
そっと、床に残されたレイの白い帽子を手にとって。
そして自らを鼓舞する。
「ASUKA,GEHEN!」
to be continued...
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