冴え冴えと清冽な蒼光を放つ月が、天上よりレイの白い裸身を浮かび上がらせる。
見る者がいたならば、夢幻の光景と映ったかも知れない。
それほどまでに魂は無垢のオーラを発し、特徴的とも言える薄い蒼色の髪と深い神秘的な紅の瞳がそれを増幅させていた。
・・・・・・どれほど心が千々に乱れていようとも、暴嵐に揺るがされていようとも、凍てついたように外見には微塵の変化もなく。
シンジが一時的に変化を見せた日から、一週間が経った日の晩の事。
「キミが、いないから」
episode 3. 〜子供達の日常〜
第壱中学へと続く並木道。
あの、人類の存亡を賭けた闘いの前と同じように、沢山の生徒の登校する姿が戻ってきている。
その中に、ほとんど頭を揺らさず歩く、蒼い髪の少女の姿が混じっていた。
そして、その背を追いかける栗色の髪の少女。
「はぁっ、はぁっ・・・・・・グーテンモーゲン! レイ」
「・・・おはよう」
第一声の挨拶こそ元気よく声を掛けたものの、一週間ぶりに見るレイの姿に、アスカは次の言葉が続かなくなる。
あの日の夜、彼女の部屋の前で扉越しに会話して以来だ。
「レイ・・・今は混乱して何も考えられなくなってると思う・・・」
「一人で抱え込まないで・・・貴方は独りじゃないんだから・・・」
「ごめんなさい・・・・・・しばらく学校へは行かないわ・・・・・・・」
「どんな顔をしたらいいか、判らないの・・・・・・」
「そう・・・判った・・・・・・一週間待つわ・・・・・・」
「もしそれでもダメなら、私が引きずってでもリツコの所に連れて行くからね・・・・・・」
一週間。まさか本当にこうして登校できるまでになるなんてね。
アスカは自分がまだこの青い髪の少女を見くびっていた事に気付かされた。
決して人形なんかじゃない。
まだ幼いけれど、制御の術も持っていないけれど、間違いなくこの子の感情は豊かになってきてる・・・。
だからこそ、少しでもその心を汲み取って支えてあげなければいけない。
・・・・・・この、アタシが!!
肩を並べたまま、無言の数十メートルが過ぎる。気まずくはないが、何となく話しかけづらい、そんな空間。
新たな同行者が現れたのは、次の交差点だった。
ヒカリである。
「おはよう、アスカ、綾波さん」
「おはよ、ヒカリ」
「・・・おはよう」
「一週間ぶりね、もう風邪は大丈夫?」
「え?」
アスカは慌てて口を挟む。
「うん、もう熱も下がったし、平気だって」
「そう、よかった。でも病み上がりは気を付けないといけないから、無理しちゃダメよ?」
「え?・・・ええ・・・」
アスカは自分のバカさ加減に呆れつつも、ヒカリにだけは本当の事を言ってもいいかも知れない、そう思った。
レイが休んでいるのは風邪を引いたからだ、と学校には報告してある。
しかし、この真面目な少女なら秘密も守ってくれそうに思えた。なにより味方は一人でも欲しい。
私が支える、と誓ってはいるが、正直言えば、アスカだってただの14歳の少女だ。高度な知識と冷静な判断力があっても、人生経験だけはどうしようもない。
どうと言う事のない、たわいもない話題でその場の雰囲気を変えてくれる洞木ヒカリと言う存在は、今の彼女たちにとっては無くてはならないものだった。
もう話題はこの一週間の出来事に変わり、鈴原や相田のドタバタぶりや雑誌から仕入れた新しいケーキ屋さんの話に花が咲いている。
そして、何事もなかったかのように一日は始まっていく。
「よう、綾波やないか、もう風邪はええのんか?」
「そりゃよくなけりゃ休んでるだろ、トウジと違って綾波は丈夫じゃないんだから」
「・・・おはよう。問題ないわ」
いつも通りのトウジの声とケンスケのツッコミ。
それがレイにあるべき日常を思い出させる。
そう、忘れてはいけない、見せてはいけない、一週間前と変わらない自分を演じる事を己に言い聞かせる。
私が休んだ理由は風邪という事になっているのね・・・
今更ながらに、気付く。そして、誰がそう計らったのかも。
「アスカ、ありがとう」
「な、何よ突然・・・。気持ち悪いわねぇ」
「別に。なんでもないわ」
自分の机の脇に鞄を掛け、椅子に座る。
旧来の慣例通り、二年から三年へのクラス替えは行われない。去年と同じ級友達。
一年前なら、クラスの誰にも注意など払わなかった。必要がなかったから。
今も払ってるとは言い難いけれど・・・
でも、最近判った事がある。
───友達というものは、とても心地の良い存在だ、と言う事を。
視線を巡らせる。その先にあるのは、持ち主不在の机。
もちろん、そんな物は一つや二つではない。疎開先から帰ってきていない者もいれば、連絡が付かないままの者もいる。
ただ、その机だけは違う。今、この第三新東京市に所在がはっきりしていながら、登校できない人物。
今は意志を持たない、私の罪の具現・・・・・・
「ねぇ、綾波さん」
委員長、洞木ヒカリの声で、ふと我に返った。
「これ、この一週間分のプリントと、ノートの写しよ。判らない事があったら聞いて?」
「あ、でもアスカがいるから大丈夫ね」
「あ、アタシはダメ。教えるのヘタクソなのよねー」
アスカがひらひらと手を振って答える。
「・・・大丈夫、洞木さんには迷惑は掛けないわ」
「そういう他人行儀な事言わないで。私たち友達でしょう?」
友達・・・・・・それはとても気持ちの良いもの・・・・・・
守られているカンジがする・・・・・・
不思議・・・前はそんな事考えた事もなかったのに・・・・・・
今はこの心地よさに身を委ねたいと思う自分がいる・・・・・・
絆とは、私が思っていたようなちっぽけな物ではなかった・・・・・・
自ら拒んで、ただ一つだけを望んでいたから見えなかっただけ・・・・・・
私は色々な人達と繋がっている
みんなは更に沢山の人と
無限に続く、連鎖
だから人は社会という名の群体を成し、その一員たり得るのね・・・・・・
トウジととケンスケのおなじみのやりとりを聞くとも無しに聞きながら、一瞬思索の淵に沈み掛けた心を浮上させ、ヒカリへの感謝の言葉を口にする。
「・・・うん・・・ありがとう・・・」
「ううん、困った事があったら何でも言ってね」
彼女はにっこりと微笑んでそういうと、自分の席へと帰っていった。
誰しもを惹きつける笑顔というものを自然と浮かべられる彼女の事が、ひどく魅力的に見えた。
自分もいつかあんな笑顔が出来るようになるのだろうか・・・・・・・
レイは再び思索の海に沈んでいった。
昼休み。
一週間ぶりにみんな集まっての昼食になった。
正確には一人欠けてはいるが。
ともあれ、トウジにケンスケ、ヒカリとアスカ、レイの5人が揃っての屋上である。
後3ヶ月、9月に迫った文化祭の話題に花が咲く。
「でもアレだね、俺の企画したメイド喫茶、絶対繁盛するよ」
とメガネを押さえてケンスケ。
「客も希望が有ればメイドの格好が出来る、ってのが他とは違う俺の独創性だからね」
「何言うとるんや。オマエはそれを写真に撮りたいだけやろうが」
と、これはあきれ顔のトウジ。
「まったく、3バカはホントろくな事考えないんだから。メイド服に釣られた女子も多すぎよ! 私は今でも反対ですからね!!」
「いいじゃないか、トウジのヤツにメイド服見せてみろよ、一発だと思わないか?」
サッと一瞬で頬を真っ赤に染め、何も言えなくなるヒカリ。
しかし次の瞬間、自分の失言に気が付いて青くなる。
「あ・・・綾波さん・・・ごめんね・・・・・・・」
レイは小さく首を振り、微笑んだ。
「いいの・・・いつか碇くんは帰ってくるから、そしたらまたいつも通りだから・・・」
ヒカリはレイの強さに羨望を覚えた。
自分はこんな風に考えられるだろうか。こんな純粋に微笑む事が出来るだろうか。
これが絆、と言うモノなのかな・・・・・・
碇くん、こんな女の子をいつまでも待たせるなんて、貴方は罪作りよ。
そしてアスカは・・・・・・。
そんな二人を、ただ何も言わず、優しい眼差しで見つめていた。
碇くんとは、あの後いつでも会えるように赤木博士が手を尽くしてくれたらしい。
だから私はまたこうして病院まで来ている。
でも、病室に一歩踏み込んだ所から、進む事は出来なかった。
怖かったから。
また拒絶されるんじゃないかと思うと、心が震えて。
私は怯えともどかしさの二つの心に挟まれながら、彼の姿を見つめた。
今はここから見ているだけでいい。
ただ、彼が生きている事さえ確認できたら。
私の心は満たされるから。
学期末テストも終わり、夏休みに入る頃。
・・・トウジだけは夏休みの補習を仰せつかっていた。
「まったく、せめて赤点取らないように頑張りなさいよねぇ。ヒカリが恥ずかしいでしょ」
「なっ、なんでそこでイインチョが出てくんのや・・・」
さすがにアスカの言葉に反駁する声も小さい。
ふと、何かを思いついたようにアスカの口がニヤリとひん曲がった。
「ねえ、アンタさ、ヒカリに勉強見て貰ったら? 補習まで落としたら、後が怖いわよ?」
「うっ・・・・・・そやけど・・・」
「ヒカリはどうなの?」
「あ、アタシは構わないけど・・・す・・・鈴原が迷惑じゃなければ・・・・・・」
「め、迷惑な事なんてあらへん。・・・あらへんけど・・・」
「じゃ、決まりね」
語尾にハートマークでも付きそうな勢いで話をあっという間にまとめたアスカは満足そうに笑った。
その姿はチェシャ猫のようだったと、後にケンスケは語る。
レイがどうしていたかと言えば・・・きょとんとした顔で二人を見ていたのだった。
かくて、トウジとヒカリは夏休みの間、望んだ時に会う口実が出来たのである。
こうして二人はようやく近くて遠い距離の第一歩を踏み出した。
ちなみに、2学期からはヒカリの手による弁当がトウジの昼食になった。
文化祭前日。
嵐のような追い込み作業が急ピッチで進められている。
ネルフ本部もかくや、と言った風情である。
「おいっ、そっちだ、そっちもうちょっと上げて押さえろ!」
「バカ、寸法間違えてるじゃねーか、誰だよこれはっ!」
「いやーーん、布が足りないーーー、手が空いてる人買い出し行ってきてーー」
そんな中、アスカはメガホンを口に当て、左手を腰に添え、仁王立ちで総指揮を執っていた。
いかにも彼女らしい、よく似合ったポジションではある。
「ほらソコッ、ダベってないで手を動かす!」
「ああ、ソコの飾り付けは5割り増しの方が華やかよ」
本来ならば委員長であるヒカリが陣頭指揮を執るべきだったのかも知れないが、事は料理に関する事なので、そっちに回っているのだ。
「そうそう、このタイミングで溶かした粉を入れて・・・」
「あぁん、真っ黒に焦げた〜〜〜」
「火が強すぎよ・・・もっと弱火で焼いてっ」
レイは不器用ながらも裁縫に参加している。そう、メイド服の作成である。根気よく作業するのは向いているのかも知れない。
チクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチク・・・・・・
「いたっ・・・」
・・・・・・
トウジとケンスケは大道具、小道具の作成である。
「まったく・・・なんでボクが企画したのに惣流が指揮取ってるんだよ・・・」
「ぼやくなや・・・しゃあないやろ、文句有るんならアイツに直接言うてこいや」
「イヤだね、ボクは命が惜しい」
「なんやマタンキついとん・・・の・・・・・・」
口をパクパクとさせてケンスケの後ろを指さすトウジ。
「なんだ・・・よ・・・・・・ひぃぃっ!」
「いーい度胸ねぇ? このアタシの悪口を言えるようになったとはね」
「・・・・・・ぎゃぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」
(ケンスケ・・・成仏せいよ・・・)
祈るしかできないトウジであった。
文化祭当日。
「さあさあいらっしゃい、当校一の美少女達が皆様をお迎えします」
「おっとソコのお嬢さん、メイド服を一度は着てみたくありませんか? お望みならばメイド服を着て記念写真も撮れますよ」
怪しげな誘い文句と不似合いなタキシードで客引きをしているのはケンスケであった。
(とほほ・・・いろんな子のメイド服姿を撮るチャンスだったのに・・・・・・惣流のヤツおぼえてろよ・・・・・・)
それでもしっかりと店内にビデオカメラを設置しているのは流石と言えよう。
店内では忙しくアスカやレイ達が注文を取り、厨房にメニューを伝えていく。
厨房ではヒカリを先頭に臨戦態勢でホットケーキとコーヒーを作っている。
「はぁい、お待たせぇ〜〜。ホットケーキ3つ、コーヒー3つお持ちしました〜〜〜」
アスカの華やかな声が響く。
「・・・注文は・・・?」
「えっと・・・コーヒー2つお願いします」
「・・・了解。それでいいの・・・?」
「・・・ホ、ホットケーキも2つ追加で」
「・・・ありがとう・・・」
これはレイの声であろう。
驚いた事に、メイド服が着られる、と言うサービスは思いの外好評で、着付係も大忙しのようだ。
こうして大好評のうちに文化祭は終幕を迎えた。
祭りの後の寂しさ、そういったセンチメンタルな気分に浸りつつ、皆後片づけをしていく。
レイは窓際にもたれかかり、空を見上げていた。
(楽しい・・・心がどきどきする事・・・・)
(寂しい・・・心がきゅっとなる事・・・・)
(碇くん・・・・・・今貴方がここにいないのは)
(・・・・・・とても寂しい事・・・・・・)
自分だけが一瞬でも楽しいと思える時間を過ごした事が、今更のように罪悪感を伴って責め立てる。
自然に振る舞う事。だけど忘れない事。碇くんを苦しめた事は許されてはならない・・・・・・
誰にも知られないこの想いは、アスカにすら悟られることのないように。
彼女が気を使ってくれている事は最近気が付いた。だからこそ、知られてはいけない。
自分で自分が許せない事すら、己の我が儘なのだから・・・・・・
そっと窓際を離れ、ヒカリやアスカ達の輪の中に入る。
後片づけを手伝いながら、話しかけられた事に返事を返す。
ただそれだけの事にすら楽しいと感じてしまう自分と、それを良しと出来ない自分。
単純に成長の証と喜べるならどんなに楽だろうか。
しかし病院では今もシンジは意識が戻らないままの状態が続いている。
その事がレイの心に影を落とし、重い足枷となっていた。
今日も私は碇くんの所に足を運ぶ。
それは私の義務であり、贖罪なのだ。
最初のうちは、怖くて側に行けなかった。
だけど、それじゃ何も解決しない、そう思い始めたのはいつ頃からだろうか。
例え罵られても、殴られても、無視されても。
彼に目覚めて欲しい。
なぜだか判らないけれど。
彼が彼らしく生きていてさえくれるなら。
私の心は満たされるから。
11月に入り、進路相談の時期が近づいてきた。
といっても、今はとてもそんな色々選べるような状態にはなく、形骸的に三者面談が行われるが、どうしようもない程の成績でなければ近隣の高校へ進学する、と言うのが暗黙の了解となっている。
ある日の夕方、レイはリツコの元へと赴いた。
レイの保護者はリツコとなっているため、都合を確認する必要があったのだ。
しばらくレイは待たされ、リツコは仕事を終了して振り返った。
「で、今日は何かしら?」
「はい。学校で進路相談の為、三者面談が予定されています」
「ああ、それは私が出ないといけないわね」
「・・・ご都合はよろしいのですか?」
リツコは悪戯っぽく微笑んだ。
「当然だわ。私は貴方の保護者、いわば母親。子供の進路に関わらない親がいると思って?」
「・・・いえ・・・」
「何も心配しなくていいわよ。貴方は成績では心配ないし、進みたい高校もあの子達と同じ所なんでしょう?」
「はい」
「11月23日ね、時間は10時、と。覚えておくわ」
「ありがとうございました」
一礼して去っていくレイを呼び止める。
「別に無理に、とは言わないけれど・・・仕事の用事の時以外は、家族として言葉遣いも変えてくれると嬉しいわね。そのうちでいいから」
「・・・努力、します・・・」
「ええ、そうね、そうして貰えると嬉しいわ」
「それでは・・・」
今度こそ立ち去っていく彼女の後ろ姿を見やって、そっとつぶやいた。
「家族ゴッコ、か・・・あの頃は自分がそんな立場に立つなんて思いもしなかったわね・・・」
自分が今更レイの親だなどと言えた立場ではないのは承知している。しかし、彼女の事が愛おしく、守りたいと感じている事もまた事実だった・・・・・・
地上へと向かうレールウェイに揺られながら、レイはさっきのやりとりを頭の中で繰り返していた。
(母親・・・それは子供を産み育てる人)
(赤木博士は私を産んでくれたわけではない・・・でも、今は博士に見守られている・・・)
孤独を友として生きていた自分に母親がいる。
そう認識する事は、なんだかとても幸せな事のように思えて、そして恐れ多い事のように感じられた。
明けて、新年を迎えた。
初詣にはアスカ、レイ、ヒカリの3人で出かける予定になっている。
待ち合わせの場所に3人が揃う。冬休みに入って、初めての顔合わせ。
ここしばらくの出来事の話題に花を咲かせながら、神社に向かう。
「ねぇヒカリ、休みに入ってから鈴原のやつと会ったの?」
「ええっ、なんでそれを・・・」
スザザッ、っと後じさるヒカリ。
アスカがしてやったりとばかりににんまりと笑う。
「うふふ、やっぱり会ったんだ」
「もぅ、アスカ、からかわないでよ〜〜」
「ヒカリったら判りやすいんだもの、からかいたくもなるわよ。
で、キスとかしたの?」
「ちょ、ちょっと、フケツよっ!!」
「別にフケツなんかじゃないわよ・・・って、もしかして、まだ付き合ってないのぉ!?」
驚いたアスカは素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ちょっと声が大きいってば」
「ご、ごめん・・・でもマジ?」
「え・・・だって・・・鈴原何も言ってくれないし・・・私は一緒にいられるだけでも・・・」
「はぁ・・・もうっ、ヒカリの願い事は決まったようなモンね」
「しかしまぁアイツも煮え切らない男ね〜〜。ここまでされたら、男としてびしっと決めりゃいいのに」
「洞木さん・・・鈴原君の事が好きなの?」
レイの特大NN爆雷発言に、ヒカリは凍り付いた。
「え・・・ちょ、ちょっと・・・綾波さんまで・・・・・・」
「この間読んだ本に洞木さんと同じような事を言ってる女性が描かれていたの」
「それが好き、と言う事なんでしょう?」
「う・・・うん・・・お願いだから鈴原には黙っててね・・・」
「どうして・・・? 想いを伝えれば幸せになれるのに・・・」
「と、とにかくお願い、内緒にしてて、この通り」
ヒカリは必死に手を合わせてお願いする。
「・・・よく判らないけれど・・・言わない方がいいのね?」
「うん、知られたくないの」
「判ったわ」
「はぁ〜〜、新年早々びっくりさせられる事ばっかりねぇ。ヒカリと鈴原はまだ付き合ってないわ、レイは恋愛の機微なんか判っちゃうし」
目をまん丸にしていたアスカだが、しばらく経つとその事の持つ意味がじわじわと掴めてくる。
レイの感情はどんどん成長している、と言う事・・・
妹分の様な存在がより人間らしくなっていく様を、肌で感じ取る事の出来る立場にいる自分が誇らしく思えた。
「で、なんでまたそんな本読んでたわけ?」
「伊吹二尉が貸して下さったの。『貴方もこういうの読んでみない?』って言って」
「ああ、マヤの趣味か。それなら判るわねー」
伊吹二尉がくしゃみをしたかどうかは記録には残っていない。
つつがなくお参りも済ませ、帰途につく。
ヒカリが何を祈ったかと言えば、当然のようにトウジとの仲の進展である。受験を神頼みするような成績ではない所が流石である。
アスカは、皆が幸せでありますように、そしてレイの抱えている悩みが解消するように、と。
聡いアスカには、レイが隠している事ぐらいお見通しであった。
そして気付いている事をレイに知られないようにする事もアスカになら可能なのだ。
見守り、支える事。それがアスカが自分に課した役割だった。
レイはただ一つを願った。強く、強く。
彼女たちの願いを聞き届けるものがいるのか、それは誰にも判らない。
しかし、純粋な想いは何かを変える力がある、そう信じているのが彼女たちの年頃なのだ・・・・・・
2月。ついに受験の日がやってきた。
といっても、大多数の人は大して困ってはいない。普通に赤点を取らない程度で入学が出来るからだ。
ただ一人、トウジだけはかなり緊張していたようだが、ヒカリの特訓のおかげもあり、無事に試験を済ませたらしい。
合格発表の日。
彼ら5人は揃って結果発表を見に来ていた。
一人ずつ、結果を確認する事にして、まずはアスカが確認に行く。
数分後、極当たり前、と言うようなすまし顔で戻ってくる。
次いでヒカリ、レイとケンスケと続く。
最後にトウジ。
「イ・・・イインチョ・・・一緒に見たってくれへんか・・・」
ガクガクと足は震え、声も上擦っている。
「わ、わかったわ・・・一緒に見に行きましょ・・・」
ヒカリもやや声を震わせつつ、トウジに肩を並べる。
「さ、いきましょ。あれだけ頑張ったんだもの、きっと大丈夫よ」
「あ、ああ・・・」
二人の姿が人混みの中に消えていく。
そしてしばらくして。
掲示板の前には、ヒカリに抱きつかれ、真っ赤になって硬直しているトウジの姿があった。
「やった、やったわ、努力すればきっと報われるのよ」
嬉し涙をぽろぽろとこぼしながらトウジにしがみつく。
「ああ・・・ホンマや・・・夢やないんやな・・・・・・」
ヒカリの涙が収まってきた頃、トウジはようやくぎこちないながらも、そっと彼女の細い身体を抱きしめ返した。
トウジはこの時はじめて洞木ヒカリという少女を意識しはじめた。いや、意識している事を自覚した、と言うべきか。
夏休み、ヒカリが一歩踏み出したと思いこんでいたのに比べて非常に遅い自覚ではあるが、この時から、確かな音を立てて二人の歯車は噛み合いはじめた。
いつしか、私は彼に日々の話をする事が日課になっていた。
そうやって話しかけていると、なぜだかとても心が安らいでいく。
もちろん返事なんて返っては来ないのは判っていたけれど。
何故か、聞いてくれているような気がして。
ねえ、碇くん。洞木さん、鈴原君の事が好きなんだって。知ってた?
私には好き、って言う気持ちは判らないけれど。
きっと素敵な事なのよね。
碇くん。貴方にもそう言う人はいるの?
何故か、私の心臓がトクン、と大きく脈打った。
通常では考えられない様々な苦難の日々を乗り越えて、彼ら、彼女たちは終業式の日を迎えた。
長かったような、短かったような、そんな三年間ではあっただろう。
半年あまりの動乱の時期は、いつ命を失ってもおかしくないものだった。
残り続けた者もいれば、避難した者もいる。だが、極限の体験は仲間意識を強くする。
そんな命を賭けた時期を共有する者だけが持つ絆が、彼らを深く結びつけていた。
「なあトウジ。俺たち、とうとう卒業するんだよな・・・」
「ああ、そうや。ワシら、これでこの学校に通うのは終いや・・・」
「なんで俺たちだけなんだろうな・・・」
「言うな。それは思っても口にしたらアカン。それを口にしてエエのはたった一人だけやろ・・・」
「ああ、そうだな・・・」
口にしていいのはたった一人。
その人物は今、アスカ、ヒカリと共にいた。
「は〜。私は転校してきたから本当に短い期間だったけど、ヒカリはどう?」
「うん・・・やっぱり短かったかな・・・中学二年の半分はあんなだったから・・・。今私たちがこうしていられるのも、みんなアスカや綾波さんのおかげなのよね・・・」
「それが私たちのやるべき事だったんだからヒカリは気にしないでよ。私もヒカリ達と知り合えて良かったと思ってるんだからおあいこ、って事よ」
「レイもそう思うでしょ?」
「ええ・・・そう思うわ・・・」
「綾波さん・・・」
レイは遠い空を見上げ、しばらくして、ポツリと呟いた。
「・・・碇くんもここにいて欲しかった・・・・・・」
「レイ・・・」
アスカは堪えきれず、レイを抱き寄せ、力一杯抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫よ・・・アイツは絶対帰ってくるわ・・・」
「いつまでもこのままなんて、このアタシが許さないわ。帰ってきたら、思いっきり文句言うのよ、アタシもアンタもね」
「このバカ、どれだけ心配させれば気が済むのよ!! ってね・・・」
アスカは知っていた。
この一年間、毎日のようにレイがシンジの元を訪れていたことを。
希望を胸に訪れ、失望を抱えて帰っていく様を。
アスカもレイ程ではないにしても訪れていたからこそ判る。
彼女のつぶやきに含まれた尋常ではない深い悲しみを。
ヒカリが後ろからそっとレイの肩を包み込む。
「綾波さんは待っていればいいの。きっと碇くんからいつもの困った顔で謝ってくれるわよ・・・」
レイの瞳が揺らぐ。
それはあっという間に許容量を超えて。
頬を伝い、アスカの胸元を濡らしていく。
力一杯抱きしめてくれる腕がとても心強くて。
肩を包み込む手の優しさがとても切なくて。
あの優しい、困ったような笑顔が、自分の手の届かないところにある事が信じられなくて。
レイの声のない嗚咽だけが辺りを満たし、アスカとヒカリの胸を締め付ける。
いっそのこと、大声で慟哭された方がマシだったかも知れない。
掛ける言葉など見つからない程に、それほどまでに深い悲しみが伝わってくる涙だった。
ただ抱きしめてあげる事だけしか出来ず、その行為に精一杯の優しさと慈しみを込めて。
アスカはレイの感情を再認識し、ヒカリは改めてアスカの言葉が正しかった事を知った。
二人の胸には、共に同じ思いを抱いて。
こうして、中学校生活最後の一日が過ぎていった。
to be continued...
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