年はうつろいゆく。
とどまることのないその姿は、川の流れにも似て。
5人揃っての新しい生活が始まる。
ぱりっとしたブレザー。付け慣れないタイ。
桜吹雪の舞い乱れる季節。透き通る空の青の下。
入学式が粛々と進められていく。
ただ一人足りない人物がいるという現実を、全員が心に灯火のように捧げ持って。
「キミが、いないから」
episode 4. 〜そして時は動き出す〜
新入生の春はとかく忙しい。
新たな環境に慣れなくてはいけないし、入部先も考えなくてはいけない。
あっという間に最初の一週間が過ぎていき、クラスはようやく静寂を取り戻したある日の朝。
「トウジはそろそろクラブは決めたのか?」
「ああ。ワシはバスケットでもやろうかと思うとる」
「そっか、運動は割と得意だもんな。負けん気も強いし」
「そういうケンスケはどうなんや。やっぱ写真部か?」
「当たり。もっと本格的にカメラを勉強したくなってね。
そうなると、前みたいに帰りに一緒にゲーセン行くってのも出来なくなっちゃうな」
「しゃーないやろ。お互いやりたいことが出来た、っちゅーだけや。
ワシらになんも変わりはあらへんよってな」
「そうだな・・・と。彼女達はどうなんだろうな?」
「ああ、イインチョは料理研究部に入るそうや」
「そりゃまたベタだな・・・って。トウジ、やるじゃないか、もう知ってるなんて」
「なっ、何言うとんのや、ちょっとは、話す機会があっただけやっ!」
「ハイハイ、舌噛みながら言い訳するなって」
「くぅ〜〜、オマエはホンマいやらしいやっちゃのぉ」
「ほら、そんな事言ってる間に女性陣来たようだぜ」
視線を辿ってみると、アスカ、ヒカリ、レイが談笑しながら教室に入ってくる所だった。
席を立って軽く挨拶を交わす。
「おはよう。みんなはそろそろクラブは決めたのかい?
・・・ああ、委員長のはさっきトウジから聞いたからいいよ」
その言葉の言外に含まれた意味を汲み取ってヒカリの頬が朱に染まる。
「アタシもレイもどこにもはいんないわよ」
これはアスカの言葉だ。
「そうなのか? 二人なら勧誘は凄かったんじゃないのか?」
「そりゃあもううっとおしいったら無かったわよ」
「ふうん・・・」
「今後も勧誘されても一切はいるつもりはないから、取り次ぎなんてしないでよ? あ、それから写真撮影もお断り!」
「うぐっ」
あっさりとケンスケの狙いを封じ込めておいて、アスカは席に着く。
アスカが相手では、さすがにケンスケも形無しと言う所か。
「綾波はやっぱりシンジのトコか?」
トウジが確認する。
「ええ・・・碇くんの傍に居たいから・・・」
「わかっとるて。誰も綾波の邪魔なんぞさせへんから安心せいや」
こっくりと頷くレイ。
「ありがとう」
「お、おう、まかせぇ。シンジはワシらの大事な仲間やからな」
トウジは少し照れつつも、レイのあけすけな愛情表現に苦笑した。
レイ本人に自覚があるのかどうかは判らないが。
この辺り、ヒカリとの関係の中でトウジも成長した、と言う事だろう。
しかし、ホンマに変われば変わるモンやな・・・昔の綾波からは想像もつかんわ・・・
とその時、予鈴の音が聞こえてきた。
「じゃ、また後で」
口々にそう言いながら、自分の席へと戻っていく。
レイも自分の席に座り、古典の本を取り出す。
机の上にペンケース、ノートを並べながら、窓の外を見た。
校庭の壁沿いには桜が植えられており、今はその真っ盛りである。
綺麗・・・
時折吹き抜ける風に、ザァッと桜色の嵐が舞い乱れる。
この風景を美しいと感じる心。
それも碇くんがくれた物だった。
(笑えばいいと思うよ)
(サヨナラなんて悲しい事言うなよ)
(おかあさん、て感じがした)
幾つもの、彼の言葉が脳裏に浮かんでは消える。
・・・何故なの?
どうして私の心を揺さぶるだけ揺さぶっておいて、帰ってきてくれないの?
あの頃の私は判っていなかったけれど。
間違いなく私は貴方の面影を追い始めていた。
飾らない微笑み。差し伸べられた腕。嘘のない言葉。頬を伝う、涙。
何もなかったはずの私の心の中に、貴方が棲み始めていたのに・・・・・・
碇くんがいないこの世界は、ひどく味気ない。
私がここにいるのは、望まれたからじゃなかったの?
本鈴が鳴り、思考は中断された。
今日も一日が始まる。碇シンジ、彼だけを時の流れの中、置き去りにして。
早速トウジのヤツは搾られてるみたいだな。
ケンスケは写真部の部室でカメラを弄りながら、そう呟いた。
先輩達が来るまではもう少し時間がある。
ここ数日の様子を見る限りでは、そんなにカチカチに凝り固まった技術偏向主義というわけでもないようだ。
被写体との空気、暖かさ、そう言ったモノを大事にする傾向があるように感じた。
それが悪いというわけではない。居心地が悪いよりは遙かにいいし、技術も学べる所は学び、後は独学でもいい話なのだから。
「よっと」
そうかけ声を付けて立ち上がり、暗室の札を使用中に変える。
先輩方が来る前に、バイトを済ませてしまおうという魂胆だ。
実はあれだけアスカに釘を刺されたにもかかわらず、早速写真を撮っている。アスカに限らず、レイもそうだし、その他の女子もそうだ。
いい被写体が有ればカメラを向けてしまう。これはケンスケのもう病気と言ってもいい。
実際の所、盗撮と何ら代わりはないのだが、被写体を分け隔てしない事、わざとらしいいやらしいアングルではなく、雰囲気の良い瞬間を狙って撮っているので、撮られた側にもそんなに嫌悪感を感じさせないらしい。
本人の好みがそう言う傾向にあるからだが、それがケンスケの評判に一役買っていた。
先輩達がやってきて、ひとしきり技術論、好きな被写体、ポリシーについて語り合う。
今までに持ち得なかった同志との時間に、我を忘れて熱く。
やがて日も暮れ、ぼつぼつと帰り始める人も出てくる。
この辺り、ノリは同好会に近い。
それでも、何かイベントがあればかり出されるのだから、それなりに信用はあるようだ。
「最後カタしてから帰りますんで」
最後の先輩が退出する時に声を掛けて、また暗室にこもる。
といっても、副業が終わらなかったのでその続きだ。
「ん、これはいいね。うーん、これはフレーミングが甘いか・・・」
手持ちのフィルムを全て仕上げ、ようやく暗室から出てきた時には、外は既に薄闇の世界になっていた。
「よっと」
鞄を手に持ち、ドアを開ける。
そこに赤鬼がいるとも知らず。
「はぁい。アルバイトお疲れ様。相田ケンスケ君」
目の前には、すらりとした足を組んで壁により掛かった、アスカの姿。
「や、やぁ、惣流じゃないか。バイトって何の事だい?」
ちょっと動揺が隠しきれなかったのを悔やんだが、そんな事はお構いなくアスカが続ける。
「アンタね、この私が見抜けないとでも思ってんの?
懲りもせずバイトやってるのは判ってんのよ!
出た利益の3分の2をよこしなさいな。私とレイの分よ。
イヤだって言うんなら、今すぐバイト自体出来ないようにしてあげるけど?」
目が本気だ。
ケンスケは瞬時に敗北を悟ったという。
渋々と言われたとおり利益の3分の2を渡す。
これってカツアゲだよな・・・
心の中でぼやきながら。
「毎度あり。今後も写真撮った際にはヨロシクね」
語尾に音符を付けて、アスカが立ち去っていく。
しかし彼はこんな事でくじけるような柔な精神はしていない。
ケンスケのケンスケたる所以である。
翌日からもまた懲りずに副業に精を出すケンスケだった。
「ねえ、レイ。今日帰りに寄り道していかない?」
アスカの声が聞こえた。
「ええ、いいわ」
振り返らずに答える。
アスカは寄り道して帰るのが好きだ。
よくこうして誘われる。
大して目的があるわけではなく、ぶらぶらとウィンドウショッピングをしたり、甘いものを食べて帰る。
彼女によれば、女の子とはそう言うものらしい。
私にはよく判らないけれど、楽しそうにしているアスカを見ていると、なぜだか私も楽しくなってくるから不思議。
今日もぶらぶらと街を歩くのだと思っていたら、どうやら何か目的があるらしい。
まっすぐにデパート目指して歩いていく。
「何か欲しいものがあるの?」
「私のじゃないわよ。アンタの服よ」
私は服持ってる。色々アスカや洞木さんが教えてくれたじゃない。
そう言うと、ニヤリと笑って見せた。
「へっへー。実はね、相田のバカからバイトの売上の分け前貰ってきたのよ。
だからこういうあぶく銭はパパッと使わないとね」
バイト・・・?
私達の写真売ってる事?
「そ、アンタの分も貰ってきてあるから、好きなの買っていいわよ。
そんなに大した額じゃないから、安いのだけどね」
私は彼のしょんぼりした姿を想像して、ちょっと可哀想、と言ってみた。
「何いってんの、彼の分の分け前は残してあるわよ。私は私の権利を行使しただけよ」
いかにもアスカらしい物言いだと思って、クスクスと笑う。
一通りデパートを回り、安くて良さそうなモノを探して歩いた。
「どう? 欲しいのあった? 私は部屋着のタンクトップにするけど」
私は黙って、一枚のTシャツを指さした。
『平常心』と書かれた、フリーサイズのもの。
「これって・・・シンジの・・・」
アスカも気付いたみたい。
「これを寝る時の服にするわ・・・
碇くんが近くにいるような気になれそうだから・・・」
「ん・・・アンタにしちゃいい選択かもね・・・」
「よし、ちゃっちゃと買ってパフェ食べて帰りましょ!
・・・アンタはこの後、またシンジの所に行くんでしょ?」
概ね、毎日はこんな風にして過ぎていった。
放課後に三人で入ったケーキ屋さん。
「えええーーーーーっ! マジなの、ヒカリ!?」
アスカの驚愕の声。ちょっとうるさい。
「しーっ! しーっ!」
洞木さんが必死に静かにしろと訴えている。
「ご、ごめん・・・で、本当にアイツが・・・?」
ひそひそとアスカ。
洞木さんは頬に手を当てて真っ赤になりながら恥ずかしそうに身をくねらせている。
とうとう、鈴原君が洞木さんに告白、をしたらしい。
良い事だと思う。
二人がお互いに好きであるらしい事は、私にも判っていた。
本で読んだ事しかないけれど。
いつか、碇くんにもそういう人が出来るのだろうか。
何故だか、その考えはひどく私を陰鬱な気持ちにさせた。
好きな人が出来るのは、きっと良い事なのに。
碇くんと誰かが仲良く歩いている姿を想像すると、何故だかイヤな気持ちがする。
・・・どうして?
そこに自分を当てはめてみた。
それは何故か、全然イヤではなかった。
心臓が高鳴る。
少し顔が熱い気もする。
・・・どうして?
6月6日。あの人の、16歳の誕生日。
今日も私は病院へと足を向ける。
もう幾度繰り返されたか判らない、儀式にも似た行為。
祈りの言葉は、目覚めへの期待。
何故なら、一年前の今日、彼はたった一度だけ覚醒したから。
あの時、私は恐怖に怯える事しかできなかった。
拒絶された事。
追いつめてしまった事。
辛い思いをさせてしまった事。
頭が真っ白になって、ただ。
嫌われた、その事が怖くて。
アスカがいつも傍にいてくれたから、私は絶望に心を閉ざす事もなく、こうして笑う事が出来る。
たから。
次は私の番なの。
碇くんが目覚めたら、傍にいて生きていく手助けをする事。
たった今、この瞬間私達の元に帰ってきても、1年半の空白は大きすぎるから。
だから、少しでも楽に生活できるようにしてあげる事。
これが私の今できる精一杯だから。
そして今の私の一番やりたい事だから。
私は病院を見上げた。
この一年半、ほとんど毎日のように足を運び続けたこの場所は、私の希望と絶望が詰まった場所でもある。
軽く頭を振って、気持ちを切り替える。
ただ一つ、彼の意識が戻る事以外に願う事なんてないから。
それ以外の事は全て、どうでもいい。
ゆっくりと私は病院へと足を踏み入れた。
結局、今日も彼は目覚めてはくれなかった。
夕日が赤く街を染め上げていく。
いつもと同じ、一日に一度だけのため息を吐き出して。
「碇くん。また、明日」
答えのない言葉だけが部屋に響き、私は真っ白な病室に背を向けた。
だが、変わらぬ日常は、その日の深夜、破られる事になる。
ネルフ中枢と第三新東京市を結ぶモノレール。
相変わらず、乗客は少ない。
椅子に座り、揺られながら今日一日の事を反芻する。
少しだけ期待してたけれど・・・
今なら動じることなく受け止める事が出来るつもりだったけれど。
現実にはいつも通りの一方通行の会話とも呼べないものがあっただけだった。
軽い失望があるのは否めない。
だけど、諦める事は決して無くて。
生涯かけてでも、彼と向き合う覚悟が今の私にはある。
ふと視線をあげると、外はもう夜闇の支配下にあった。
窓を挟んだ向こう側には、私と同じ青い髪をした少女。
かすかに微笑むと、向こうも微笑んで返す。
そうだ。
私は笑顔を忘れてはいけない。
いつだって笑顔を用意しておかないと。
彼が帰ってきた時のための、とびきりの微笑みを。
身体に軽いブレーキを感じ、我に返る。
ホームに滑り込んでいく車両。
ここからはバスに乗り換える事になる。
いつもと変わらない、寂れた街並み。
復興は進んできてはいるが、この辺りはネルフの支配力が強いのか、未だに手つかずのまま放置されている。
途中のコンビニで晩ご飯を買い込んで、帰途につく。
点滅しがちな街灯。
誰が手入れしてるのか判らない街路樹。
入居者の見かけないマンション。
全てはあの頃のまま、ここだけが時間を切り取られたような錯覚を覚える。
そう、碇くんが居た、あの頃と同じように。
マンションのカードロックを開け、部屋に入る。
アスカに何度も説得されて、取り付けた物だ。
今のところ防犯上役に立った、と言う前例は知らない。
「女の子なんだからそれぐらい気を使いなさいよ!」
との事だったのだけど、この辺りはほとんど人は居ないし、何か事が有ればネルフのガードが飛んでくるのだからあまり意味はないと思う。
ただ、アスカの気持ちが嬉しかった、だから言うとおりに取り付けた。
ガラステーブルの上に晩ご飯とお茶のペットボトルを置く。
そのまま、ポフッとベッドに俯せに倒れ込んで。
枕に顔を埋めた。
昼間の出来事がよみがえってくる。
いつもと変わらない結果だった。結局の所は。
いつもと変わらない、少しやせた面影。
涙が溢れたのは、やっぱり期待してたから?
それとも、やつれた姿が悲しくて?
枕に、少し濃い染みが広がっていく。
瞳を閉じれば、浮かんでくるのは痛い程の白に囲まれた碇くんの姿。
ちらっとテーブルに目をやると、汗をかいたペットボトルと、晩ご飯が所在なげにしていた。
そうだ、今日一日で終わりなわけじゃない。
明日も、明後日も、明々後日も、ずっと。
いつか彼が目覚めても、私の生活は続く。
私が元気でいなくて、どうして彼を支える事が出来るだろう?
私はのろのろと身体を起こし、テーブルについた。
味気ないご飯を、お茶を使って流し込んでいく。
ご飯を食べる楽しさを知ったのも、そう言えばあの人のおかげ・・・
今はただ栄養補給のためでしかないけれど、誰かとご飯を食べる、と言う事が、あんなに心躍る事だなんて知らなかった。
そっと箸を置き、一口お茶を飲んだ。
「ご馳走様」
誰に言うわけでもないけれど、手を合わせて、そう呟いて。
ご飯を食べ終わったら、作ってくれた人に感謝してそう言うんだよ、と、碇くんがそう言ってたから。
空になった容器をゴミ箱に入れ、時計を確認する。
9時。
シャワーを浴びて寝るにはいい時間だろう。
着ていた服をパサッ、パサッと床に落とし、バスルームに向かった。
服は畳め、とよくアスカに言われるのだけれど、どうせ洗うのだから一緒だと思う。
シャワーの栓をひねる。
「冷たっ」
慌てて身体を避けて、温かいお湯が出てくるまで待つ。
ゆっくりとシャワーを肩からかけていく。
一日の疲労が少しづつ流されていくよう。
本当は湯船にお湯を張って暖まるのが一番いいとアスカや洞木さんにも言われたけれど、時間が掛かるから滅多にやらない。
身体の上を、水玉が転がっていく。
この歳になっても、あまり立派な起伏とは言えない。
こんな事アスカに言ったら、また笑われるだろうから言わないけど。
彼女がちょっと羨ましい。
だって、あの人は胸の所で水の流れが分かれるのに、わたしのはそのまま落ちていくんだもの。
今ひとつ成長の乏しい自分の身体に一つため息をついて、シャンプーを手にすくい取って頭を洗う。
敏感な私の肌にも優しい、赤木博士謹製のものだ。
根本から蒼い、私の髪。
人にはあり得ない、異形の象徴。
奇異の視線で見られる事には慣れている。
だけど何故か、アスカだけは何一つそんな事は言わなかった。
洞木さんでさえ、最初は驚きと好奇の視線を投げかけていたのに。
そういえば碇くんも「綺麗な髪だね」とは言ってくれたけれど、決して変な目で見る事はなかった。
不思議。
エヴァのパイロットには変わり者が多いの?
髪を流し、リンスを付ける。これもアスカに言われた事。
「髪は女の命なのよ!」
私にはよく判らないけれど。
でも、これをすると髪がさらさらになる。
変に絡まったりしないし、気持ちいいから好き。
好きとか嫌いとか、そんな気持ちも、彼と出会ってから芽生えた感情のような気がする。
それは彼が傍にいなくなってからも、アスカや洞木さん達と過ごす中で増えていく。
そう言えば、洞木さんが鈴原君の事を好きなんだ、って気付いたのはいつ頃だっただろう?
よく見ていると、実は鈴原君も洞木さんの事を気に掛けているのが見えてきて。
微笑ましく感じた。
羨ましくも感じた。
碇くん・・・私の事を好きになって欲しいなんて望まないから・・・また貴方の微笑みが見たい・・・・・・
私を気持ちよくさせて欲しい・・・
私は少し腰をもぞもぞさせた。
最近、碇くんの事を考えている時、たまにこうなってしまう。
頭がぼわぁっとしてきて、鼓動も早くなる。
好き、と言う気持ち。
これがそう言うものだと判ったのは最近のこと。
体温の上昇を伴う身体の変化。
気持ち、いい。
少し痺れるような、甘く疼くような感覚。
もう少しそれに身を委ねていたいけれど、このままだとのぼせてしまう。
諦めて身体を洗い始める。
この身体の変調の事は、アスカに聞けば何か判るのかも知れない。でも何となく聞くのが恥ずかしいし、うまく伝えられる自信がないから。
仕上げに、全身にシャワーを浴びて、泡を洗い流していく。
栓を閉め、ポタポタと水滴の落ちる音を聞きながら、バスタオルを手に取る。
ワシワシと頭の水分をぬぐい、身体もサッと拭き上げていく。
バスタオルを肩に掛けて寝室へと戻り、下着を取りだした。
と、視界の隅に何か点滅するものが映る。
携帯電話が点滅し、着信を知らせていた。
なに・・・?
こんな時間に、誰・・・?
下着を手に持ったまま、ベッドに歩み寄り、液晶を眺めてみた。
『赤木リツコ』
・・・・・・?
何か特別な事、有ったかしら・・・?
しばらく画面を睨んで考えてみたけれど、思い当たる節があるわけでもない。
風邪を引く前にとりあえず着替えよう。
下着を身につけ、アスカに買ってもらった、フリーサイズのTシャツを身につける。
もう一度携帯を手に持ち、ベッドに横たわって考えてみた。
定期検診はこないだ終わったばかりだし・・・
たまに食事に誘ってくれる事もあるけれど、こんな時間に掛けてくる用事でもない・・・
わからない。
考えていても埒があきそうにないので、携帯を操作し、掛け直す。
数回のコール音の後繋がった。
「もしもし? 私だけど、どこ行ってたの?」
赤木博士らしい、飾り気のない言葉。
「すいません、シャワーを浴びていました」
「そう、まあいいわ。それより伝えなければいけない事があるの」
なんだろう。私自身には特に問題はないし、そもそも緊急の用事というものが私にはまず発生しない。
「落ち着いて聞いてね。貴方が帰った後しばらくして」
「シンジくんが目を覚ましたわ」
ポスン。
軽い音を立てて、携帯がベッドに落ちる。
・・・・・・え・・・・・・?
「もしもし? レイ? 聞いてるの?」
慌てて携帯を持ち直す。
「は、はい、聞いてます!」
「ふう・・・驚くのは判るけど、落ち着きなさい」
「彼は目を覚ましたわ。だから貴方はしばらくは病院には来ないで頂戴。いいわね?」
「なっ・・・何故ですか!?
今すぐにでもそっちへ・・・」
「馬鹿な事を言わないで。落ち着いて聞きなさい」
「もう一度言うわよ。彼は目を覚ました。貴方が目を覚ましたときのことは覚えてる?
絶対安静の期間と調査の時間が必要なの。その上1年半のブランクをどう埋めるつもり?
何故目覚めたのかも、彼の精神状態も、何にも判ってはいないのよ」
「でも・・・」
「貴方の気持ちは判るわよ。待ち望んだ王子様のお目覚めだ、と言う事ぐらいはね?
だけどそれとこれは別。今からしばらくは間違いの許されない、大人の対応が必要なの。
ちゃんと経過は貴方のPCに転送してあげるから、それで我慢なさい。
ブランクについても、これからネルフで模索するから。・・・いいわね?」
「・・・・・・」
「とりあえず、今は彼が目覚めた事を喜びなさいな。・・・ね?」
最後の言葉は、優しい声色で。
「はい・・・」
「じゃ、切るわよ。お休み、レイ」
しばらく私は、呆然と携帯を握りしめていた。
碇くんが・・・・・・目覚めた・・・・・・?
じわじわと、実感がこみ上げてくる。
嬉しい。
例え今すぐ逢えなくても。
近いうちに、きっと彼の笑顔が見られる。
一年半通い続けた事が、意味があったのかどうかは判らない。
だけど、目覚めた事は事実だから。
必ず、心地よい声に身を浸す事が出来る。
こみ上げてくる、喜び。
自分の顔が歪んでいくのが判る。
ヒトは嬉しい時にも泣くのだと。
遙か昔に聞いた言葉が、今私を襲っていた。
ぽろぽろととめどなく溢れ出す涙を堪えようともせず、ただただうねり、襲い来る感情に翻弄されながら、私はベッドの上で我が身を抱きしめていた。
to be continued...
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