Today is another day
――中編――
Written by DRA
落ち着いたBGMが流れる喫茶店。
一番奥に学生服を着た少年とラフな服装をした童顔の女性が向かい合って座っている。
テーブルに置かれたコーヒーの氷はすでに融けていた。
「そう、そんなことがあったのね。」
「すいません。なんだか愚痴みたいで。」
「いいのよ。気にしないで。」
先輩に頼まれた用事をネルフで済ませた私は今日、必要なものがあったから繁華街へ買い物に出かけた。
その途中、偶然シンジ君と出会った。
声を掛けるまもなく抱きついてきたのには驚いたけど、泣いていると分かりなだめるように頭を撫でてあげた。
そしてシンジ君の話を聞くため繁華街の喫茶店へ入った。
「気休めかもしれないけど、シンジ君はシンジ君よ。お父さんは関係ないわ、もっと自分に自信を持って。そんなことではなれていく友達なら本当の友達じゃないわ。」
ありきたりな慰め方しか出来ない自分が少し情けなくなった。
それでも目の前の少年はいつもの表情を見せてくれた。
「ありがとう、マヤさん。」
「ようやく笑ってくれた。」
「えっ?」
「やっぱりシンジ君には笑顔が一番よ。」
「かっからかわないでくださいよ。」
バツが悪そうにはにかんだ笑顔を見せてくる。
「どうかしら?」
からかうような笑い方をしたが、心の中は嬉しさでいっぱいになっていた。
よかったシンジ君が元気になってくれて。
それにしても司令も人が悪いわね。
いくら面倒だからって、そんな服装で参観日に出席することないのに。
「ところでマヤさん、今日は買い物ですか?」
「ええ、そのつもりだけど。シンジ君も一緒にどう?」
「いいですよ、マヤさんのおかげで元気なったし。」
2人は喫茶店から出て、近くにある2階建てのCDショップに立ち寄った。
店内には様々なCD、DVDが置かれてあり流行の曲が流れていた。
CDを手に取りながら、その曲に耳をすませるシンジ。
マヤさんのおかげで完全ではないが少し癒えた心の傷。
それが徐々に消え去り心が穏やかになっていく。
そっと口から出た一言。
この曲、けっこういいな。
「そう?」
ひとり言のつもりだったが、聞こえてしまった。
「ええ、でもこの曲はCDですから。僕はCDプレイヤー持ってませんから聞けないです。」
「あら、そうなの?」
こういう自分が聞きたい曲があるたびにCDプレイヤーに買い換えたいと思う。
でも、月の小遣いはアスカの強引なたかりによって月末ごろには綺麗さっぱり消えてしまっている。
Pi Pi Pi♪
CDを棚に戻した時、近くで機械的な音を聞く。
それは携帯電話の着信音。
音から判断して自分の携帯電話ではなかった。
マヤさんを見るとケータイを持ち何かを考えている仕草をしていた。
「シンジ君、ちょっとここで待っててもらえるかな。私、欲しいものがあるから。」
マヤさんは僕を残し、2階のAV機器売り場にあがった。
しばらくCDショップ内をうろついていたが、マヤさんが戻ってきたので近づく。
マヤさんは小さな紙袋を抱えていた。
外に出ると太陽がまぶしい。
時計を見ると12時を少し過ぎていた。
「ありがとね。欲しいものが買えたから。」
「いえ、僕のほうこそ。」
「そうだ、シンジ君。せっかくデートしてるんだから、このまま海に行かない?」
「デート?あっあの僕はマヤさんとそういう関係じゃ・・・・。」
しどろもどろになりながらも必死に否定する。
そんな僕をマヤさんは悪戯な笑みを浮かべながら見ていた。
「冗談、でも海に行きたいのはホント。」
「海ですか?」
「おねがい。」
結局、手を合わせてお願いしてくるマヤさんを断れなかった。
別に海に行くのがイヤだという事はなく、手を合わせてお願いされるような事でもなかったけど。
僕たちは海に行くため第3新東京駅へ。
平日の正午なので客のほとんどはサラリーマンかOLだった。
特急で行くらしく、マヤさんと僕は窓口で切符を買うことにした。
大人2枚でお願いします。
はい、かしこまりました。
マヤさんが切符を買い、僕に1枚手渡す。
「さっシンジ君。いきましょう。」
ギュッと手を握られた。
そこから女性特有の柔らかい感触に胸が躍る。
マヤさんと手を繋いでしまった。
イヤじゃないけど、なんだか恥ずかしい。
こんなこと思っちゃいけないけど、マヤさんってなんか可愛いなぁ。
仕草が大人じゃなくて僕みたいな子供っぽいし。
そう思うと血色の良い肌が真っ赤に染まっていく。
あぁ、なんか最近の僕って失礼なことばかり考えてるよ。
指定券だったので僕たちはその席にすわる。
なにげなく手渡された切符をよく見ると見覚えのない駅名が記されている。
駅名を思い出そうと普段使っていない脳をフル活動させるが無駄だった。
海に行くという事は分かるが場所が気になる。
場所を知ってどうなるわけではないが、やはり知らないよりはマシ。
向かい合って座っているマヤさんに聞こうと思い少し身を乗り出した。
Pi Pi Pi♪
「はい、伊吹です。あっ先輩・・はい・・・はい・・・・あと20分ほどで着きます。」
リツコさんからの電話か。
さっきの会話からしてリツコさんも海にいるのか。
マヤさんに気付かれない程度のため息をつく。
リツコの事をあまり良く思っていないシンジ。
レイと一緒に暮らしはじめて、以前のような冷たい印象はなくなった。
それはいい事だ。
しかし、相変わらず変な薬の実験台にされるのだ。
実験台にするならばマウスかウサギなどが当たり前なのだが、リツコは違う。
まずシンジから実験台にする。
それはリツコなりの愛情表現なのだが、シンジにとっては迷惑この上ない。
そんな事が度々ありシンジはリツコの事をあまり良く思っていない。
また変な薬の実験台にするつもりなんじゃないのかなぁ。
マヤさんってリツコさんの頼みならなんでも聞くし。
普段はいい人なんだけど。
リツコの事になると盲目になるマヤ。
薬の実験が行われるたびにシンジをあの手この手で拘束するのだ。
その時のマヤと言ったら、スゴイとしか言いようがない。
『イヤです、離してくださいマヤさん。』
『ダメよ、シンジ君。ほらっお姉さんを困らせないで。』
『絶対イヤです、僕は帰ります。綾波がネルフで倒れたって聞いたから来たのに。なんでまた実験なんですか。』
『そっ・・・そんなぁ・・・シンジ君は私のこと嫌いなんだぁ。』
『えっ・・ちょっと泣かないでください。』
『どうした伊吹君。』
『副司令、実はシンジ君にイタズラされたんです。私はイヤだって言ったのに。』
『ちょっ・・・ちょっとマヤさん?何言ってるんですか。』
『ふっ服の上から乱暴に・・・。』
『わぁーーー。わっ分かりました。リツコさんのところに行きます。』
『よかったぁ。あっ副司令、さっきの事は他言無用ですよ。それじゃ。』
実験の後。
リツコの実験でボロボロになった体をなんとか引きずり帰宅しようとしたシンジは、ミサトに捕まった。
偶然、あの時の会話を聞いていたミサト。
必死に誤解を解こうとするシンジだがミサトの尋問は止まらない。
そうこうしている内に人だかりし、あの場にいた冬月と司令のゲンドウも来た。
冬月の話と、それを脚色したミサトの話を聞いた職員たち。
思いっきり白い目でシンジを見る。
トドメの『シンジ、お前には失望した。』を頂いたシンジは泣きながら走って帰った。
「シンジ君、あと20分ほどで着くから。」
「はい、リツコさんもいるんですか?」
「そうよ、先輩だけじゃないけどね。」
リツコさんだけじゃないって事は、ミサトさんたちもいるのかな。
授業は午前で終わった。
ミサトさんの性格を考えると堅苦しい学校に用もなくいるはずがない。
残業があれば別だが、『参観日はシンちゃん達と同じ時間に帰れるから楽だわ。』と本人も言っていた。
薬の実験はないだろうな、きっと。
いくらなんでもミサトさんの前で危ない実験をするとは思えない。
ほっとしたので先ほどマヤさんに聞きそびれていたことを思い出した。
「ところでマヤさん。この駅ってどこにあるんですか?」
「えっ?シンジ君知らないの。」
意外そうに見つめてくる。
「すいません、知らないんですけど。」
「司令からは何も聞いてないのかしら。それにユイさんにも。でも着いてみればきっと分かるわよ。」
マヤさんが嬉しそうに話すので楽しいことが待っているという事は分かった。
教えてくれそうに無いのでそれ以上の追求はしなかった。
楽しい会話が途切れてしまったので何か話さなければとキョロキョロと周りを見る。
ネタが無ければ話が出来ない。
その目がマヤさんの荷物に止まる。
「ところでマヤさん、そのカバンずいぶん大きいんですけど何が入ってるんですか?」
「あっこれ?これはねぇパソコンが入ってるからなのよ。」
「パソコン・・・・ノートパソコンですか?」
「そうよ、ちょっと先輩から頼まれちゃって。」
先輩って本当にレイが可愛くてしかたないんだから。
感情表現が下手なレイのためにリツコは影ながら、その恋をサポートしていた。
今日、マヤにノートパソコンを持参させたのもそのためだった。
このノートパソコンは某事情により性能が著しく向上しており、市販のスーパーコンピュータを軽く超越している。
「リツコさんがですか。」
まっまさか・・・本当に薬の実験なんじゃ。
いつもパソコンでデータ採取してるからなぁ。
今から降りられないしなぁ、逃げたいよぉ。
身を震わせながらこれから待ち受けるはずの地獄を心中で嘆いた。
しばらくマヤさんと雑談をしていたが、やはり精神的な疲れが未だ残っており寝てしまった。
真っ暗で何も見えない世界。
それが徐々に色を成していく。
着物、浴衣など様々な和服が置かれている店内。
母さんが店員の女性と何かを話している。
付き添いで来たが何もすることが無いので母さんのそばに立っていることにした。
店の奥から足音が聞こえてくる。
僕と同い年くらいの女の子が近づく。
「はじめまして、私は霧島マナ。よろしくね。」
「あっ・・えっと僕は碇シンジ、こちらこそよろしく。」
栗色の髪の毛、少し垂れた灰色の瞳。
その可愛らしい雰囲気に目を合わせられなくなり俯いた。
「ねぇ、ここじゃなんだから奥に行こうよ。」
「えっ・・うん。」
マナの実家と呉服屋は繋がっており、店の奥が彼女達の母屋にあたる。
その母屋のリビングに入る2人。
「なんだかシンジ君と話してみたいって思ったから。」
「どうして?」
「なんか可愛くて。男の子みたいじゃないじゃん。」
「そっそう・・・。」
『男らしい』とは今まで一度も言われたことがないが、この『可愛い』は言われ続けている。
そして、そのたびに落ち込んでしまう自分がいる。
「ところでさ、今日はお母さんの付き添い?」
「母さんが新しい着物が欲しいって言って、今度知り合いの結婚式があるみたいだから。」
「へぇー、そうなの。ところでさ、シンジ君ってどこの中学?まさか高校生じゃないよね。」
「高校生じゃないよ、近くの壱中。」
「そうなの!私もなのよ、2−Bだけど。」
「僕は2−Aだから会わなかったんだ。」
「うーん、不思議。」
可愛らしい顔の眉間にシワを寄せている。
「なにが?」
「こんな可愛い男の子が身近にいて気付かなかったから。」
チクチクと心に針が刺さる。
『可愛い』発言を連発されたので、言わずにはいられなかった。
「あっあの・・・可愛いってあんまり言わないでくれる?ちょっと落ち込むから。」
「あっ・・・ごっごめんね。」
昼休憩、弁当を食べようと思い自販機でお茶を買う。
それを手にとってトウジたちが待っている屋上へ向かう時。
「こんにちはシンジ君。」
「あっ霧島さん。」
ムッと少し顔をしかめてくる。
何か気に障る事をしたのかと先ほどの事を振り返る。
「なーんか他人行儀。私のことはマナって呼んで。」
「あっえっと・・・。」
「冗談、何でもいいよ。好きなように呼んでくれて。」
「ううん、マナって呼ばしてもらうよ。」
相手が自分の事を名前で呼んでいるのに、自分だけ名字で呼ぶのは確かに他人行儀のように思える。
それに相手がそう呼んで欲しいのであれば名字で呼ぶのは失礼だ。
そう考えたので名前で呼ぶことにした。
「ところでさ、一緒にご飯食べない?」
「えっ?」
「もうっこんな可愛い子が誘ってるんだよ、頷かなきゃ。」
「いいよ、一緒に食べよう。」
怒らせると怖いタイプに思えたので一緒に食べることにする。
待っているトウジたちには申し訳なく思ったが、この場はメールを送ってトウジたちに理解してもらおうとした。
弁当箱を教室に置いたままにしてあるのでマナと一緒に自分の教室の前まで来た。
「あっマナ、ここで待ってて。」
「えっ?別にいいじゃない私が入っても。」
疎外感を覚えたのだろうかマナは一緒に入ろうとする。
そんなマナに対して困ってしまい頬をかいた。
「なんかさ、僕と女の子が一緒にいると機嫌が悪くなる子がいるから。」
「・・・そうなの?分かったわ。」
マナを外で待たせ、手早く自分の席に行きカバンを開ける。
弁当箱を取り出し教室から出ようとしたとき、アスカに声を掛けられた。
「なんかシンジ、挙動不審ねぇ?」
「そっそんなことないよ、それじゃ僕は行くから。」
アスカだけでなく、一緒に食事を取っている委員長と綾波にも不審がられている。
この場は危険だと感じ、さっさと逃げる事を決めた。
そんな僕に何かを感じ取ったのかアスカが妙に可愛らしい声を出す。
「シンジ、今日はアタシ達と一緒に食べなさい。」
「なっなんで僕が女の子達と一緒に食べなきゃいけないんだよ。」
フォークを握り締めるアスカ。
ミシミシと嫌な音が聞こえる。
それに恐怖を覚えたが、一緒に食べる事を選択すれば尋問を受けるのは必至。
「いいからこっちに来る!!」
「ト、トウジたちが待ってるから、僕行かないと。」
「ちょっと待ちなさい!」
僕を追いかけようとイスから立ち上がったアスカだが委員長に服をつかまれた。
「アスカ!女の子が食事中にそんなこと・・・はしたないわよ。」
「ごめん、ヒカリ。」
アスカの申し訳なさそうな声が聞こえた。
教室の外で待っていたマナと、そこから離れるため歩いている時に目が合う。
「な〜んで僕が女の子と食べなきゃいけないんだよぉ・・・・って私にも言ってるの?」
半目でからかってくるマナ。
からかわれているのは分かっているのだが、どうしても強く言い返すことが出来ない。
「えっ・・・いや・・・そのっ。」
「冗談よ。さっ休憩時間がなくなっちゃうから、私の教室に行こ。」
マナの教室に入り適当にイスに座る。
弁当箱を広げ食べ始めた。
「あっシンジ君。ケータイって持ってる?」
「うん、持ってるよ。」
「これから長い付き合いになるんだから交換しようよ、ねっ。」
マナの言いたいことは分かる。
友達として長く付き合って行こうと言うものだろう。
もちろん、友達が増えると言うのはイヤではなく嬉しい。
楽しい時間を共有したり、情報交換したり。
それに友達ならばある程度のことは頼める。
「あっあのさマナ、お願いがあるんだけど。」
「なに?私にできることなら何でも言ってよ。」
「実は浴衣が欲しいんだ。」
「浴衣?あぁシンジ君の浴衣ね。」
「いや、僕のじゃなくて・・・そのっ女の子の。」
少し考えたような顔を見せたマナはニヤッとした。
あえて言うまでもないが、父のニヤッではない。
年頃の女の子の可愛らしい笑みとでも言うべきもの。
「なるほど、分かったわ。その女の子に似合う浴衣が欲しいってことね。」
「そうなんだ・・・頼める?」
「ええ、大丈夫よ。」
「あっありがと。」
綾波にケータイを見られて、ちょっとあせった次の日。
明日は休みだから久しぶりにゆっくり眠れる。
そんな事を考えていたら本当にゆっくり眠ってしまい起きた時には13時前になっていた。
慌てた僕は走って繁華街の喫茶店へ向かう。
そこは二人で買い物をする時の集合場所になっていたから。
喫茶店の戸を開くと明らかに不機嫌な顔をしたマナがいつもの席にいた。
「遅い、13時って言ったのに10分も遅刻するなんて。」
「ごめん。」
「女の子を待たすなんてダメだよ。」
「ほんとにごめん、許してよ。」
「なーんて、ちょっとからかっただけ。」
「そう、よかった。」
今まで不機嫌で怖かった顔が和らいだので安心した。
デパートの装飾品売り場でマナがつけたかんざし。
アンティーク調のレトロな白色のかんざしで、百合の花が特徴的だった。
「シンジ。これどうかしら?」
「うん、似合うと思う。」
ハアッと大きなため息をつくマナ。
何かしたのかな、と自分が悪かったところを必死に探す。
「私じゃなくて、その人に。」
「あっ・・・似合うと思う。」
「そう、それじゃこれ買おうよ。」
「あのさ、マナ。なんでここで買うの?マナのところでもいいと思うけど。」
「私のところは服ばっかりしか置いてないし、こういうのはこっちのほうが品揃えいいから。」
「そうなんだ。」
4回ほど一緒に買い物をしたある日の帰り道。
夕焼けが真っ赤に空を染めていた。
「こうやって一緒に歩いているとデートしてるみたいだね。」
「えっと・・その・・・」
「あっごめんね。深い意味はないんだよ。」
「ううん、別に気にしてないよ。」
先ほどまで嬉々とした表情を浮かべていたマナ。
それに暗い影が入る。
夕日に染まる彼女の横顔はどこか寂しげに見えた。
「・・・・・ちょっとは気にして。」
「あっ・・・・ごめん。」
「シンジ君は誰かを好きになったことある?」
「・・・僕はそのっ・・・」
僕のほうを見ずにまっすぐ歩くマナ。
「・・・最初は可愛い男の子だと思ってた。」
「でも会うたび、話しをするたびに印象が変わってきた。」
「変わらないのは優しいところだけ。」
歩く事をやめ僕のほうを振り返る。
その目は真っ直ぐ僕を見つめている。
「・・・・誰だか分かるよね?」
「あっあのマナ・・・その・・僕は。」
夕焼けの真っ赤な色が徐々に暗い闇に変わる。
無限とも思える時を経て光が差し込む。
その光の奥に良く知っている女性が現れた。
「ほら、シンジ君。起きて、着いたから。」
「はい。」
駅から歩くこと10分、潮の香りがしてきた。
歩道が完備されておらず、車道を歩く。
その眼前に大きな青い海が広がっていた。
この風景を見て頭の中に何かが浮かび上がってくる。
ここってテレビで見たことがある。
確か何か催していたような・・・。
浜辺に下りてみると、海水浴を楽しむ人たちで賑わっていた。
10軒以上ある海の家。
その一つをマヤさんが指をさす。
「シンジ君。あの海の家に先輩達がいるから行きましょう。」
「はい・・・ところでマヤさん。何で僕の後ろにいるんですか?」
「えっ・・・あっ別に気にしないで。ほら。」
駅から降りて海に行くまでずっと先頭を歩いていたマヤさん。
しかし、浜辺に下りた頃から徐々に後ろに下がっていた。
少し不思議に思ったけど追求はしなかった。
マヤさんが指さした海の家の前に着く。
外から見ると30畳くらいある大きな座敷があった。
その大きな座敷を障子が三方から囲んでいる。
外の空気とは打って変わって静か。
他の海の家とは明らかに異なるつくり。
客、従業員の姿すら見えない。
こんなところにリツコさんたちがいるのかな?
首をかしげながら、店内に足を踏み入れた時。
軽快な炸裂音が響いた。
赤、青、黄と様々なカラーのテープが体にまとわりつく。
開かれた障子の奥。
そこにアスカ、綾波、委員長、トウジ、カヲル君、ミサトさん、加持さん、リツコさん、母さん、父さんがいた。
そのすぐそばに大きなイチゴケーキと大きなテーブルが置かれていた。
そっか今日は僕の誕生日だった、憶えてなくはなかったけど。
最近、忙しい事が連続してたから忘れてた。
でもまさかここでやるとは思わなかった、けど嬉しい。
「ありがとう、みんな。」
靴を脱いでマヤさんと一緒に座敷にあがる。
障子の奥においてあった大きなテーブルをミサトさんとリツコさんが、また同じ場所に置かれていたバースデーケーキをアスカが座敷に置く。
全員が大きなテーブルを囲んで座る。
その内、トウジと委員長は障子の奥から動かなかった。
「まったくアンタがいなくなったから困ったわよ。まぁマヤが偶然アンタに出会ったおかげで良かったんだけどね。」
アスカがケーキを等分に切り、全員に渡す。
言葉はトゲトゲしかったけど、声はどことなく柔らかかった。
「ごめんね、ところでアスカ達ってどうやってここに来たの?」
「お姫様たちをここまで運ぶのは俺の仕事だからな。それと葛城にも手伝ってもらって。」
タバコに火をつけた加持さんがそれに答える。
障子の奥にいる二人を見る。
壁にもたれかかって仲良く肩を寄せ合って眠っていた。
そっか、あの2人はミサトさんの車に乗ったんだ。
自分自身、初めてミサトさんの車に乗った時はひどく驚いた。
あまりにも乱暴な運転で意識を失ったことも2度3度ではない。
「シンジ」
ケーキに手をつけよとしたとき低音の声が自分にかかる。
右のほうを見ると威圧的な態度を取っている父さんがいた。
「なに父さん。あのさぁはっきり言うけど、その格好どうにかならないかな?リツコさんやキョウコさんたちにどれだけ迷惑かけたか分かる?」
まったく一番の被害者は僕だけどさ。
せっかくの誕生会も興醒めだよ。
普段の自分では絶対思うはずの無い事を思ってしまった。
しかし、父さんはそんな事を塵ほども感じない様子。
むしろ僕の精神を攻撃するような事を言ってくる。
「ふっ私は泳ぐためにこの格好をしてきたのだ。それにお前の参観日にも行ける服装だ。一石二鳥だとは思わないか。」
「思うわけないよ!あんな恥ずかしい格好して。」
自分でも声が荒くなっているのが分かる。
「ユイはカッコイイと言ってくれた。それにここでは【BPコンテスト】が催されている。優勝すれば夏の男になれる。だからバッチリ決めたのだ。」
そういえばここってそんなコンテストしてたな。
確か優勝すると『夏の男』とかってプリントされた水着がもらえるんだったっけ。
だから参観日の前日に『夏の男』なんて言ったんだ。
でもさ、その予定なら最初から僕に言ってもいいんじゃないの。
それならそれで僕も心構えが出来てたと思うし。
でも、父さんは悪気があったわけじゃない。
頭では理解したつもりだったが体、いや口がいう事を聞いてくれなかった。
「だいたいなんだよ、夏の男って!【変態ヒゲコンテスト】の間違いじゃないの。それなら父さんはブッチギリで優勝だよ。いやもう父さん以外出場者いないよ。って言うよりそのコンテスト自体父さんが主催者兼出場者でしょ。まったくバカなコンテスト作らないでよ!!!」
場の空気が凍り、何の音も聞こえない。
いや、一人だけ何やら呟いている。
逃げてはダメだ。逃げてはダメだ。逃げてはダメだ。
シンジが・・・シンジが・・・・俺はシンジが怖い。
これが涙、泣いているのは俺か。
意味不明なそれらを呟きながら右手を握ったり開いたりするゲンドウ。
瞳には光るものが見える。
ゆっくりとシンジから視線を外し、となりに座っているユイを見る。
のほほんと茶をすすっているユイ。
場の空気を読めていないように見える。
「ユイィィィィィ。俺はいらない父親なのかぁぁぁぁ。」
ズズッと茶を一気に飲み干し、悪意の全く無い純粋な笑みを見せる。
「そう、よかったですね。」
ゲンドウはその大きな背中に哀愁を漂わせ、海の家から静かに出て行った。
重苦しい空気を最初に打ち破ったのはマヤさんだった。
いつの間にかリツコさんと部屋の隅に移動していたマヤさん。
先ほどCDショップから買ったものを僕に渡す。
「シンジ君、これプレゼント。」
「あっありがとうマヤさん。すごく嬉しいです。」
中を開けてみると青を基調としたデザインのCDプレイヤー。
それと、CDショップで自分が気に入った曲のCDまで入っていた。
みんなからプレゼントをもらえる。
なにをくれるんだろう。
ちょっと現金な自分が恥ずかしくなった。
それを皮切りにみんなからプレゼントを貰う。
腕時計、エプロン、ゲームなど様々。
綾波は僕になにをくれるんだろう。
昨日のことがあり意識してしまう。
綾波の性格を考えると一般的なプレゼントではないと思う。
CASE.1
『碇君、プレゼントは私。もらってくれる?』
真紅のリボンを首に巻いた制服姿の綾波。
その瞳からは何かを期待するような光が発せられている。
『えっ・・・ちょっと・・綾波。ほらっ僕達はまだ中学生だからさぁ・・・』
しどろもどろになりながらも真紅のリボンに手をかける。
CASE.2
『碇君、家をプレゼントするわ。』
家なんて中学生がプレゼントできる代物ではない。
しかし、エヴァのパイロットをしていた自分達はそれ相応の給料を貰っていた。
そのため、小さな家くらいなら買うことはできる。
だからと言って中学生が買うようなものではないと思った。
『へっ?家・・・なんでそんなものを。』
『私とあなただけの家・・・いいでしょ?』
『あっあやなみぃぃぃぃっ。』
あまりの可愛らしい顔に理性も吹っ飛ぶ。
焦点の合っていない目の僕をアスカが肘で小突く。
よほどそれが不気味だったのかアスカの顔は引きつっていた。
それにより遠くの世界から帰還した。
なっなんてこと考えてるんだ・・・・。
激しく自己嫌悪に陥った。
「レイ、ちょっと来なさい。」
「はい。」
僕の隣に座っていた綾波は部屋の隅にいるリツコさんとマヤさんのところに行く。
「いい?昨日教えたとおりにするのよ、RESL.Temptationよ。」
「分かりました。」
会話の内容が内容だけに気になる。
さっきリツコさん達が言ってたのって何だろう?
でもリツコさんだからどうせまた何か変なこと考えてるんじゃ。
よからぬ事を考えていると思い緊張する。
綾波は自分のカバンから平べったい袋を取り出した。
それを持って再び僕のとなりに座る。
「はい、これ昨日あなたが見ていた服。」
中を開けてみると見覚えのある洋服だった。
昨日のデートのときに買ったのか、僕がコレを見ていたからなのかな?
その時のことが不意に頭をよぎる。
普段、想像すらできない快活な喋り方をした綾波。
デート中。
『リツコさんの実験につき合わされたの?』
『ううん、そんなのあるわけないじゃん。シン君てば心配性。』
明るくハキハキと返された。
その時はそれ以上聞かなかったが、今になってまた聞いてみたいと思うようになった。
「ありがとう。あっあのさ・・なんで昨日はあんな風だったの?」
「・・・葛城さんがああしたほうがいいと言ったから。」
「そっそうなんだ。」
やっぱりミサトさん達が入れ知恵したんだ。
おかしいと思ったよ、綾波がああいう風になるなんて。
「・・・・迷惑だった?」
「そっそんなことないよ。」
ちょっと眉間にシワを寄せた顔をした僕を不安そうに見つめる。
それは泣く一歩手前の状態だったので、泣かせてはいけないと思い必死に否定する。
「・・・・またやって欲しい?」
「あっ・・・・その・・・。」
僕の言葉に安心したのか、少し口元を緩ませながら聞いてくる。
返答に困った。
無理に明るい性格を演じることはないと思う。
でも、そうしたいのならそうすればいいとも思う。
その二つのせいでなかなか返答できない。
でも原因はその二つだけじゃないんだけどね。
追加の原因であるモノから殺気を感じる。
それは隣に座っている亜麻色の髪をした少女からだった。
不用意な発言は死を招く恐れがあるので、自分の言葉一つにかかっている。
それなら黙秘をつらぬけばよいのだが、このまま綾波に何も言わないのは不自然すぎる。
誰かに助けてもらおう。
顔は綾波を見つつ、目で助けてくれそうな人を探す。
意外にも目が合ったのは部屋の隅にいたリツコさん。
この際リツコさんでも構わない。
【お願いします、助けてください。】
目に感情を込めてリツコさんに懇願する。
僕の目に何かを感じ取ったのかリツコさんは小さく頷いてくれた。
口元がなぜか、にやけていたけど。
「レイ、そんなこと言うもんじゃないわ。シンジ君が困ってるじゃない。」
ゆっくりと立ち上がり白衣を軽くはたく。
そして僕達のほうに近づいてきた。
「シンジ君は普段どおりの無理をしないレイでいてほしい、そう思っているはずだわ。」
あまりにも自分と同意見なので驚く。
「でもそれを言葉にするとレイを傷つけてしまうかもしれない。だから言いよどんでしまったのよ、シンジ君は優しいからね。」
優しいと言う言葉を聞いて頬が熱くなる。
普段、あまりリツコさんから褒められた事がない。
そんなぁ優しいなんて・・・リツコさんのほうが優しいですよ。
僕を助けてくれたんですから。
なんかまた薬の実験に付き合ってもいいかなぁ。
「それなのにレイはそんなシンジ君の気持ちが分からないの?」
途端に綾波の瞳が悲しみの色に染まる。
その顔は今にも泣きそうだ。
「あなたのことを一番大切に思ってくれているのに。ねぇそうでしょシンジ君?」
えっ?
リッリツコさん・・?
そっそんな誤解を生むような発言は・・ちょっと。
100%純粋な悪意のない笑みを浮かべてくる。
違いますよぉ、なんてとてもじゃないけど言えないほど、その笑顔は怖かった。
周りの人たちが何人ほど誤解したのかは分からないが、少なくとも一人は確実に誤解している。
先ほどから度々自分に向けられる殺気を発するアスカ。
おそらく、いや確実に誤解している。
なぜかリツコさんが発言するたびに殺気が強まっていく。
ほんの少し殺気の根源に目をやる。
綺麗な蒼い瞳が真っ赤に充血し、口が真一文字に閉じられていた。
そしてその何ともいえない恐ろしい顔で僕を真っ直ぐ見つめてくる。
いったい僕がなにをしたっていうのさ。
確かにリツコさんのあれは聞き方によっては『僕は綾波が好き』って事になっちゃうかもしれないけど、アスカには関係ないじゃないか。
そんな目で見てこないでよ、怖いじゃないか。
しかし頭ではそう思ってても口には出せず、とりあえずいつもの愛想笑いをする。
しかし、それが余計に気に障ったのか可愛い口元の奥から歯がきしむ音が聞こえてくる。
あまりに怖すぎてアスカを見ることが出来なくなり、綾波のほうに視線をうつす。
「そうなの?碇君。」
目尻にわずかな輝きを含んだ顔で僕を見つめる。
そっそんな顔したら頷くしかないじゃないか。
「あっ・・・えっと・・・・うん、もっもちろんそうだよ。」
「・・・次のデートのときは普段どおりの私だから・・・安心して。」
柔らかい笑みを浮かべる綾波。
それは今、自分が置かれている状況を忘れさせるほどの威力だった。
いつまでも見ていたいなんて思わずにはいられなかったが、やはり現実がそうさせてくれなかった。
ガシャン。
ケーキの取り皿を思いっきりテーブルにぶつけたアスカ。
破片が宙を舞う。
花吹雪のような光景が広がった後、僕の目の前にアスカがいた。
その距離わずか5cm。
「デートですってぇ!ちょっとシンジ!」
「あっいや・・・その。」
間近に憤怒の表情を浮かべたアスカがいることでパニックに陥る。
いつもの様にアスカに対する言い訳が思いつかない。
「今週の土曜日にもデートするの。」
「今週の土曜日って・・・・・ちょっとアタシとの約束はどうするのよ?反故にする気?」
「あっその・・・えっと・・・アスカとの約束は日曜日ってことで・・・・。」
適当な言い訳が思いつかず、また未だパニックを起こしている僕の嗜好回路。
ついつい本音が出てしまった。
「レイ、あの時シンジに吹き込んだのね。今すぐ取り消しなさい。」
「・・・ヤダ。」
「ふざけるんじゃないわよ。ちょっとシンジ。アンタからも何か言いなさよ。だいたいアタシとの約束が先だったでしょ。」
いきなり振られたのでびっくりしたが、多少振られるまで時間があり言い訳を考えることが出来た。
「あっあのね、アスカ。別にアスカの約束をナシにするってことはないんだよ。ただ、あの時綾波が泣いちゃいそうだったし、泣かせたら僕はクラスの男子から殴られそうだったし。」
我ながらいい言い訳だと感心したが、アスカは鼻で笑って返してきた。
「アンタの都合なんてどうだっていいのよ、そんなもんよりもアタシとの約束が大事でしょ。」
「ひっひどいよ、そんな言い方ってないよ。」
「・・・・なんか言った?」
恐ろしいほど目を細めるアスカ。
「うっ・・・・なんでもないです。」
これだけを言うのが精一杯だった。
「ほらっレイとの約束をとっとと取り消す。」
「・・・碇君。」
不安でいっぱいの綾波。
人差し指を口にあて肩を震わせている。
紅い瞳はもうこれ以上ないほど潤んでいた。
いくらなんでも『ごめん、綾波との約束はまた今度ね』なんて言えるわけないじゃないか。
「えっと・・・ねっ・・・そのぅ・・。」
慌てふためく僕。
不安でいっぱいの綾波。
イライラしながら僕を見るアスカ。
そのアスカをリツコさんが見つめていることに気付く。
そのリツコさんとまた目が合った。
リツコさんは黙って頷く。
「マヤ、RESL.Interferenceへ移行。」
「了解しました。」
マヤさんは自分のバックから数枚のプリント用紙を取り出した。
「アスカ、ちょっといいかしら。」
「何か用なの?マヤ。」
憮然とした表情のままアスカは部屋の隅にいるマヤさんのところへ行く。
「ええ、ちょっとね。」
マヤさんからアスカへ先ほどの用紙が渡された。
「えーと・・・ちょっと何なのよ、これは!」
その用紙を思いっきり放り投げた。
ヒラヒラと用紙が舞い、僕のいるところまで来る。
【今週の土曜日はシンクロテストを実施、ただしエヴァンゲリオン弐号機専属パイロットのみ。技術部長:赤木リツコ。】
タバコに火をつけてアスカを見るリツコさん。
フゥーと煙を吐き出して一言。
「なにって、そこに書いてあるとおりよ。」
「なんでシンクロテストなんてするのよ?使徒はもういないのに。」
「アスカ、使徒が襲来する確率が少しでもあればシンクロテストは行うことになってるのよ。」
「じゃあ聞きますけど、その確率って一体どのくらいなのよ。」
「0.0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%の確率よ。」
「そんな確率でシンクロテストなんかするかー。だいたい弐号機は大破しちゃって今はもうないんでしょ。」
「大丈夫よ、量産機に乗ってもらうから。」
「あいつらに乗るくらいなら死んだほうがマシよ。」
「技術部長としての命令です。」
「そんな命令、聞けるわけないじゃない。」
どちらとも敵意むき出しの状態でにらみ合っている。
「アスカ、ちょっとこっちに来て。」
一触即発、殴り合いの喧嘩になるだろうと思った時、ビールの缶を握りつぶしたミサトさんがアスカを呼んだ。
ミサトさんの座っている場所はリツコさんたちと同じで部屋の隅。
「アスカ、ここは引いときなさいよ。」
「なんでよ?」
「やかまし過ぎる女の子は嫌いだってシンちゃん言ってたっけ。」
「なんですってぇぇ、シンジのヤツ絶対殴る。」
拳を思いっきり握りしめ、僕を睨む。
一瞬それと目が合い、すぐに外す。
本当に殴られそうで怖くなったから。
「それよりも・・・ほらっ参観日に言ってたアレ・・・・。」
にやつきながら何やらアスカに耳打ちをするミサトさん。
そのアスカもなにやらにやついている。
「そっそうねぇ、その手があったわ・・いっいいわよ、今週の土曜日はレイにくれてやるわ。」
そう言って急に手をそわそわさせる。
そんなアスカを、僕を含めみんなが黙ったまま見つめる。
みんながどういう思いでそれを見ているのかは知らない。
でも僕はなんだが不安でいっぱいになっていた。
そして。
「だっだって・・・アタシ・・・シンジと寝たから。」
やだ、アタシったら。キャッ恥ずかしいぃ。
真っ赤になりながら手で顔を覆う。
グッドとミサトが親指を立てる。
ミサトさんの近くにいる加持さんは僕を見てなにやら満足そうに頷いている。
僕のそばにいる綾波は恐ろしいほど目を細めて僕を見ている。
見つめられた僕はただボーッとするだけ。
マヤさんはリツコさんに泣きすがっている。
「先輩、シンジ君が・・・シンジ君が不潔になっちゃいました。うっ・・えぐぅ・・シンジ君は絶対にそうならないって思ってたのに・・・。」
「マヤ、安心して。これは何かの間違いよ。」
子供をあやすように優しくマヤさんの頭を撫でるリツコさん。
ちっ既成事実があったか・・・。
ルージュで彩られた口元が歪んで見え、独り言と舌打ちが耳に入ってくる。
加持さんが黙ったまま僕に近づき何かを握らせた。
手を開いてみると、どこかで見たことのある輪のようなゴム製のブツだった。
パッと見て何か分からずボケッとしていたけど、徐々に記憶がよみがえる。
見る見るうちに血の気が引くのが分かる。
こっこれって確か・・・保健体育のときに・・・・うわぁぁぁぁぁぁ誤解されてる。
加持さんがそっと僕の肩に手を置く。
その顔は使徒戦の前に見せたあの顔だった。
「シンジ君。自分で考え、自分で決めろ。自分がいつコレを使うのかを。」
「ちょ・ちょっと加持さん・・・ちっ違うんですよ。」
何かを激しく誤解している加持さん。
「シンジ君、恥ずかしがることはない。俺は君が早く大人として目覚めた事を喜んでいる。しかし、女性に対する配慮を忘れてはならない。これは俺からシンジ君に対する気持ちだ。遠慮せずに受け取ってくれ。」
これで受け取ってしまったらアスカとそういう大人の行為をしたというのを認めてしまうことになる。
かといって、こんなにも僕の事を真剣に考えてくれる加持さんの厚意を無にするなんてできない。
ど、どうすればいいんだ。
ブツを手のひらに乗せたまま固まる。
「そんなウソには騙されない。」
「本当のことよ。ねぇシンジ。」
「ウソでしょ、碇君。」
二人に呼びかけられ思考の海から連れ戻される。
僕を真っ直ぐ見つめる4つの瞳。
紅い方は不安げで、蒼い方は力強く感じる。
マズイな、ここで誤解を解かないとあとあとが大変だ。
特にミサトさんの場合は僕の担任だから学校で言いふらすかもしれない。
って言うかすでにミサトさんに知られてるんだけどね。
あーっどうしよう。
アスカは冗談で言ってるから別として綾波や他の人たちの誤解を解かないと。
・・・特に綾波の誤解は絶対に解かないといけない。
本当の事を言えば分かってくれるはず。
「あっ・・・・えっと・・・旅行の時に一緒に寝たっていうのは本当。」
「シンジ君、やるじゃない。中学生で捨てるなんて。先生、そんな教え子持って困っちゃうわ。」
「違いますよミサトさん。酔いが醒めたアスカが眠れないって言うから子守唄を歌ってあげたんですよ。でもアスカはそれでも眠れないって言うから。子守唄を歌ってあげたあと、マッサージしてくれって頼まれて。僕マッサージが下手って言ったのにアスカが無理やり。それでアスカが痛がって。」
「そうなの、分かった。」
「ちぇー、いい作戦だと思ったのに。」
「もうっシンちゃんったらノリが悪いんだから。」
少なくとも誤解は解けたようだ。
周りの反応も落ち着いたものになっているようだから。
当面の問題は解決したのだが、未だ残る問題。
これ、どうしよっかなぁ。
加持さんから貰ったブツを見つめる。
誤解が解けた今なら返してもいいんだけど。
でも子供は遠慮なんてするもんじゃないって言うし。
こればっかりは遠慮したほうがいいのかなぁ。
でも加持さんなら。
『シンジ君、子供は遠慮するものじゃない。それにいつか必要になる日がくる。それまで取っておいてくれ。』
そう言うと思うし。
「さぁ今日は無礼講よ、思いっきり楽しまなきゃ。」
みんながミサトさんの周りに集まって楽しく騒いでいる。
テーブルの前にいるのは自分ひとり。
せ、せっかくだし・・・もらっておこうっかなぁ。
誰も自分の事を見ていない事を確認し、ズボンのポケットに入れる。
「シンジ。」
「うわっ。」
いつの間にか帰ってきた父さん。
目元を赤く腫らしている。
そうとう泣きはらしたのだろうと見て分かる。
しかし、今の僕にはそんな事どうでもよかった。
見られた。
その思いが強くて慌ててしまう。
「とっ父さん・・・・・。」
「これに出場しろ。」
二つ折りにされた一枚のプリントを渡された。
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