一人目は笑わないWritten by 双子座
13. 公園まで来ると、レイは腕の中の仔犬を放して自由にさせた。仔犬は嬉しそうに尻尾を振りな がら、全速力で走り出した。 時刻は夜の八時を少し回ったあたりで、公園には誰もいない。ここに来るまで人影ひとつ見な かった。 相次ぐ使徒の襲撃で第3新東京市の人口が減っている上に、街の修繕が間に合わず、道路など もアスファルトがめくれあがったままの部分がある。 街灯は点灯しているのと壊れているのが半々で、放置されている瓦礫も目についた。 いくら犯罪が皆無に等しいとはいえ、このような荒廃した夜の街を歩く者はほとんどいないの が現状だった。 もっとも、人に見られたくないレイにはうってつけだったが。 「好きに遊んでおいで」 犬は少し離れた場所からレイの顔を何かを期待するかのように見つめている。 しょうがないわね、とレイは呟いて仔犬の方へ歩き出した。それを見て、ワン、と犬が鳴いた。 「ほら、星が見える?」公園から帰る途中、レイは空に向かって指差した。「綺麗でしょう」 犬は不思議そうにレイを見上げるだけだった。 「犬に言ったって仕方ないか」レイは鼻をならして、自嘲気味に少し笑った。最近どうも犬に 話しかけることが多くなったような気がする。我ながら滑稽だった。 ふとレイは疑問を感じて小首を傾げた。仔犬もそれに倣って同じ動作をする。 ――私はおかしなことを言った。何だろう? 少し考えて、疑問は解決した。 そうか。 星が綺麗だなんて感じたのは、初めてのことだった。 □
使徒の攻撃によって、第3新東京市の特殊装甲は18番まで一気に貫通された。 「今度の使徒はど真ん中ストレートって感じだわね。地上からここまで一気にやられたわ」 ミサトの声と共にモニターがパッと変わって、破壊された第3新東京市の街並みが映った。 レイは眉をひそめた。使徒の攻撃の威力ではなく、見覚えのある光景のような気がしたのであ る。気付いたのはふた呼吸ほど後だ。 「さあ、おいでなすったわよ。三体で包囲、一斉射撃から――」 「ちょっと待って!」レイは声を上げた。 「何、レイ? 説明の途中よ」 「使徒が侵入してきた経路を映して」 「何のために?」 「いいから!」レイの声は苛立ちのあまり上ずっていた。 ミサトはここで言い争うよりレイの要求に応えたほうが早く済むと判断したらしい。一瞬のの ち、地図が出た。赤い丸で囲まれた場所から使徒が侵入してきたのだろう。 やはりそうだ。そこは、レイの思った通り、マンションがある――いや、あった場所だった。 「どうしたの、レイ?」 「私のマンションがなくなった」 しかし、レイは肩をすくめただけだった。特別に愛着があった家ではない。また別のところに 住めばいいだけの話だった。 次の瞬間、あることに気がついて、まるで頭を殴られたような衝撃を感じた。 いや、違う。家が無くなっただけの話ではない。 「あ……」 犬。シンジを置きっぱなしにしていた。 そうか、と、レイは頭の片隅でぼんやりと思う。最近、出撃の前に感じていた違和感の正体は これだったのか。犬を家に置いたままでいいのかと無意識のうちに考えていたのだ。 しかし、無意識に留まり、意識にのぼることはなかった。 構うものか、とレイは思った。ただの犬だ。犬コロが死のうがどうなろうが……。 構うものか構うものか構うものか。 差し出した指先に鼻をすりつけるシンジの光景が浮かんだ。 くーん。情けない顔で鳴くシンジ。 ボールを投げると、飽きずに何度も持ってくるシンジ。 こんなのが、面白いの? 「ああ……」 おいしい? そう。 私はあなたに首輪をつけない。どこに行くのも自由。去りたくなったらどこにでも行きなさい。 でも。 でも、できることなら――。 大人しくしなさい。綺麗にならないと一緒に寝てあげない。 名前? 名前なんてつけてどうするの? 犬は犬。 どこにいってたの? 家出? すぐに逃げ出すのね。あなたも碇君と同じ。 名前、そうね。似てるから――シンジ。シンジでいいわ。碇君も犬みたいなものだからちょう どいい。 「あああ……」 そう。 あなたもひとりなのね。 わたしもひとり。 ――また、ひとりになった。 「ああああああああああああああああ!」 レイは、細い身体を折れんばかりに仰け反らせ、絶叫した。 それから前のめりになると、使徒に向かって突進した。 「レイ!? 止まりなさい!」というミサトの叫び声に、シンジの「綾波!?」、アスカの 「ちょっと、何やってんのよ!」という驚きの声が重なった。 レイは止まらなかった。 歯を剥き出して疾走した。 頭の中が真っ白になっていた。 世界が真っ白になっていた。 使徒の身体から伸びてきた腕を上に飛んでかわし、宙に浮いている間にプログナイフを抜くと、 使徒のコアに思い切り突き立てた。 が、ATフィールドに弾かれ、反動で後方に吹っ飛ばされる。 瞬時に体勢を立て直し、再び走りはじめた。 誰かが何かを叫んでいた。自分かも知れないし、他人かも知れなかった。 どうでもいいことだ、とレイは思った。 私じゃなかったら、犬のことをきちんと考えて、死なせずに済んだのだろうか? 例えば碇君は絶対に本部に移していただろう。赤毛猿だってきっとそうしてる。 ひょっとして、私はどこかおかしいのだろうか? そんなことは、今まで気にしたことがなかった。 私は特別だと思ってた。ふつうの人間はATフィールドを生身で使えたりはしないし、シンクロ 率を自由に操作できたりしない。 おかしいのと特別なのはどう違う? 左腕に灼熱感。 付け根から先が無くなったような、異様に冷たい感覚。 零号機の左腕が切り飛ばされたのだ。 構うものか。 私はおかしいから、痛みなんて感じない。 ――お前さ、碇の気持ちも考えてみろよ。 誰だっけ、言ったのは? そう、メガネだ。前にそんなことを言われた。 私には、誰の気持ちも分からない。 私はセカンドのことを猿と言って馬鹿にしてるけど、あの女だって人の気持ちは分かる。 だから碇君と仲良くやっていけるのだ。碇君もおかしくないのだから。 他人が分からないのは私だけだ。 分かろうとしないのは私だけだ。 おかしいのは私だけ。 オカシイノ ハ ワタシダケ。 痛い。 痛い。 おかしい。 何でこんなに痛いのだろう。 痛いのは左腕じゃない。 もっと、別のところ。 別のところが痛い。 だめだ。今は無視しないと。 違うことを考えよう。 普通の人は、こういうときに何て言うんだろう。 自分のせいでひどい目に遭った人に、かける言葉。 人じゃない。犬だ。 でも、同じことだ。 だって一人だから。私も一人だから。 私はシンジだ。シンジは私。 そうだ。思い出した。 ごめんなさい、だ。 ごめんなさい、シンジ。 やっぱり私はおかしい。 ごめんなさいなんて、ふつうは考えなくても出てくる言葉だ。 おかしな飼い主で、ごめん。 今、仇をとるから。 絶対に、とるから。 あれ。 強い、こいつ。 肉弾戦で、私が遅れをとるなんて。 急に視界が狭くなる。 なぜ? あ、目もやられたんだ。右目をやられた。 痛いもんか。私はおかしいから痛みなんて感じない。 ATフィールド全開。 ありったけの力を、解放する。リツコには後でうるさく言われるだろうけど、知ったことか。 碇君、私の叫び声を聞いて、喜んでる? 喜んでるわけないか。 私は喜んでた。 私はおかしいから。 止めなさい? 誰、そんなことを言ってるのは。 リツコか。 今さら何を言ってるの? そもそも私は ……。 今、私、何を言ったの? いいか。 今はそれどころじゃない。 今は、こいつだ。 全力でやっているのにこいつのATフィールドが突破できない。 おかしい。私の力はこんなものじゃないはずなのに。 そんなに強いのだろうか? いや、そんなことはいい。 こいつは殺す。 こいつだけは殺してやる。 おまえだけは、 絶対に。 絶対に、 「零号機、活動停止!」 マヤの全身からどっと汗が吹き出てきた。 神経接続カットがギリギリで間に合ったのだ。 画面には首を吹っ飛ばされた零号機の姿が映っていた。 ほとんど同時に、初号機が使徒に向かって突っ込んでいった。 □
「ちょっと待ちなさいよ、ファースト!」 アスカに声をかけられても、レイは駆け出す一歩手前の速さの歩みを止めなかった。声をかけ られ、危うく走り出しそうになったのを必死で抑える。 「待てってば!」 走ってきたアスカに肩を掴まれ、レイはようやく立ち止まった。歯を食いしばって振り返る。 頭が爆発しそうだった。体が震えている。 どういう感情によるものか、レイには分からない。 私を責めるつもりなのだろうとレイは思った。当然だった。この事態はレイが引き起こしたと 言ってもいいのだから。 しかしアスカの口から出た言葉は全く予想だにしないものだった。 「あんた、犬飼ってるんだって?」 「……え?」 何が言いたいのだ、この猿は? この状況で犬が何の関係がある? 「シンジのやつ、保安部に頼んであんたの犬を本部に移しておいたってさ。時間がなくてあん たには言えなかったみたいだけど」 レイの全身が硬直した。 そのとき、背後から犬の鳴き声が聞こえてきた。 「シンジ!?」 「シンジ……? それって、まさか……犬の名前?」 アスカがびっくりした顔で訊いた。 「ち……違うわ。し……そう、しんじられない、って言おうとしたのよ」 レイは床を見ながら弁解した。レイの視線を受けたい仔犬がそこに割り込んでくる。 アスカは疑いの目でレイを見ていたが、「ふーん。まぁ、いいけど。シンジが帰ってきたら礼 の一つも言いなさいよ」と言ってくるりと後ろを向いて、去っていった。 レイは何も答えなかった。アスカがいなくなった後も、黙ったままそこに立ち尽くしていた。 □
レイはキャットウォークの上に膝を抱えて座り、拘束具が外れ、剥き出しになった初号機を見 下ろしていた。 作業員が修復作業を行うのがアリ――とは言わないが、猫か仔犬のように小さく見える。 本部にいるほとんどの時間、レイはこうして黙ったまま初号機を見ている。 シンジが初号機に取り込まれて一週間が経っていた。 マンションが破壊され、新しい住居の代わりにネルフ本部に住みこむことにした。 リツコはあまりいい顔はしなかった。使徒との戦いという観点から言うと、本部に近ければ近 いほど都合がいい。すぐに出撃できる態勢がとれるからだ。 しかし、パイロットの精神衛生にとってはよくない。いつまで続くか分からない、いつ襲って くるか分からない状況ならなおさらのことだった。 渋るリツコをいつものように説得して、仔犬と一緒に適当な空き部屋に引っ越した。引越しと いっても、荷物などほとんど無かったが。 学校は行っていなかった。疎開で転出する生徒が多すぎて、もはや授業の態をなさなくなった からだ。 学校がないため、必然的にレイはネルフ本部で一日を過ごすことが多くなった。 もっともやることはと言えば、初号機をこうやって見ているだけだった。 リツコは人が変わったように大人しくなったレイを気にかけてつつも、シンジのサルベージ計 画にエネルギーを注がざるを得なかった。 □
二週間が経った。 今日もレイは初号機を見つめている。 □
三週間が過ぎてもシンジは戻ってこない。 さすがに本部の空気も重い。職員の中には諦めの声を上げるものもちらほら出はじめた。 「なぁ、知ってるか。過去にも同じようなことがあったんだとよ。これに取り込まれちまって」 作業員の一人が傍らで作業をしている同僚に話しかけた。同僚は油まみれの手袋の、かろうじ て油がついてない部分で額の汗を拭った。 「結果はどうだったんだ?」 「失敗さ」 同僚はうなり声を上げる。 「そいつは心配だな。偉い人の機嫌も悪いわけだ……。おっと」 レイが通りがかったのに気がついて、慌てて口を噤む。レイは関心が無い様子で、目も遣らず にそのまま歩いていく。 レイは口をきかなくなった。もともと無口で余計な事を言うタイプではなかったが、今では必 要最小限の言葉すら発することも稀になった。頷くか、首を横に振るかに二通りの仕草しか示 さない。 当初は作業員もレイの姿が気になるようであったが、別段邪魔になるわけでもなく、今では風 景の一部になっていた。 「まったく、あんな可愛い子を待たせて何やってんのかねぇ」 作業員は初号機を見上げて呟いた。 「さっさと帰ってこいよ」 □
三十一日目。 レイの眼下には、初号機のコアからまるで産まれるように出てきたシンジが、生まれたままの 姿で横たわっていた。 ミサトがシンジに抱きつくのを見て、レイは立ち上がった。 □
レイが病室に入ったときも、シンジはまだ眠っていた。いったん目を覚ましたというから、ま た眠ったのだろう。 身体については心配することはないという話だった。精神についてはこれからの様子を見るし かない。何しろLCLに溶けて再び実体化するなど、初めてのケースなのだ。 レイはベッドの脇に立ち、シンジが目を覚ますまで待っていた。壁掛け時計のかすかで規則的 な音と、二人の呼吸音だけが世界を支配していた。 このまま永遠に時が過ぎるのかと思ったとき、シンジの目が開いた。 シンジはレイに顔を向けて「綾波……」と呟いた。まだ夢を見ているような表情だった。 「ずいぶん長い間、中にいたのね」と、レイは言った。 「……うん」 シンジは目を瞬かせた。だんだん現実感が出てきたらしい。目の焦点が合ってくる。 「そんなに居心地が良かったの」 「そういう、訳じゃない……かな。自信が無いけど。みんなに会いたかったんだ」 「そう」 二人は黙り込んだ。沈黙を破ったのはレイだった。 「犬の、ことだけど」 「え? ……ああ、ごめん。言う機会がなくて。電話しておいたんだ。使徒が攻めてきたら犬 を本部に移しておいてくださいって。ひょっとしたら余計なことしちゃったかも知れないと思 ったけど……」 「……」 レイの脳裏にアスカの言葉が甦った。しかし、何を言えばいいのか分からない。舌が張り付い たように動かなかった。 レイはシンジの顔から病室のリノリウムの床に視線を移した。もちろん、そこには何も書かれ ていない。答えは自分で出さねばならなかった。 「……良かったね、綾波」 シンジがとても優しい声で言った。おそらくそれは、レイが今まで聞いた中でも、一番優しい 声だったろう。 レイは下を向いたまま、こくんとうなずいた。 また、長い沈黙が続いた。 シンジも何も言わずにレイに付き合っている。まだシンジの役目は終わっていなかった。シン ジはそれをよく分かっていた。 レイの身体が少し震えた。 「い……今までのこと、色々と……ご……ごめ……ごめんなさい」 シンジは驚きのあまり、上半身を起こしてしまった。前のときと違って、今度はパジャマを着 ていたから、上半身を見せても慌てる必要はなかった。 「いや、別に謝る必要なんかないよ、全然」 レイにはシンジの言葉は聞こえていないようだった。 「そっ、それから……」と言うと、顔を上げて、シンジの目をじっと見つめた。顔が紅潮して いた。 最近長い時間喋る機会がなかったため、レイの喉は掠れていた。 「……とう」 レイはか細い声を絞り出した。 「ありがとう、碇君」 □
「ええーーーーっっっ!?」 食事中にもかかわらず、アスカは思い切り仰け反って絶句した。自分の十四年の人生でかつて これほど驚いた事があっただろうか。アスカはそう思ってしまったほど驚愕した。 「そんなに驚くことないじゃない、アスカ……」 シンジはアスカのあまりの驚きぶりに若干引く。退院して久しぶりのミサト家である。ひょっ として二人が……と思ったが、やはりというか、食事はシンジが用意することになった。 もっともそれは二人の優しさなのかも知れなかった。ミサトが作った料理など食べた日には、 また病院に戻らなくてはならないからだ。 「だってファーストが、よ? あの冷血人間のファースト・チルドレン、綾波レイが!」 アスカは手を思い切り広げて、目を裂けんばかりに大きく見開いた。 「私たちを食事に誘うなんて! これに驚かずに何に驚くって言うのよ!」 「まぁ、そりゃ僕もびっくりしたけど……。いいじゃない、悪いことじゃないし」 「そうよ、アスカ。シンジ君の退院祝いよ。一ヶ月ぶりに娑婆に戻ってきたんだし、美味しい ものをご馳走してくれるって」と、ミサトが笑顔を浮かべて言う。 ――娑婆って……。その言い方はどうだろう。 シンジは苦笑しつつミサトに新しいビールを手渡した。アスカがおかわり!と皿を差し出す。 「今回のこともそうだけど、レイ、最近変わってきたわね」 「そうですね。すごくいいことだと思います」 病院での出来事をシンジは思い出して、思わず微笑んでいた。綾波から感謝の言葉を聞くとは 思ってもみなかったのだ。 「シンジ、ファーストにあの犬を連れて来いって言ってよ。毒見させるから」 シンジはシチューのおかわりをアスカの皿によそいながら、アスカも変わって欲しいものだ、 と、思った。 「高そうなお店ね……」 三人は約束の時間に約束の場所に来ていた。目の前にはレイのお気に入りのステーキ専門店が ある。 「お金はあいつが出すんでしょ? いいじゃない、別に。高くたって」 「そういうわけにはいかないわよ、アスカ」ミサトが苦笑した。「私の分は私が払うわ。大人 が子供に奢られるわけにはいかないもの」 しかしこのあと、コース料理が最低一万五千円からと知って、顔を引きつらせつつレイの支払 いを受けることになるミサトだった。 「ちょっと、これ本当にあんたが払うの?」と、アスカがメニューを見て目を丸くして言った。 「ええ、そうよ」 「何でそんなにお金持ってるのよ? そんなにお小遣い貰ってるわけ?」 「カードだから」 「カード!? 中学生で!? ……ちょっとミサト、何でファーストばっかり! 私も同じコ トしてるんだから不公平じゃないの!」 「そう言われてもねぇ……。司令の判断だから私には何とも……」 ミサトは困り顔で答える。私だって欲しいわよ……と内心思うが、これは口に出せない。 「あ、料理がきたよ」 シンジがのんびりと口をはさむ。 「シンジ、あんたは何にも思わないの?」 「うーん。綾波は一人暮らしだし、何かと入り用なんじゃないかな……」 「ったく、人が好いわね、あんたも」 二人の会話を何となく聞きながら、レイは切った肉を口に入れた。 その途端、「うっ」と呻き、入れたばかりの肉を吐き出しそうになる。それでも我慢して二口、 三口噛むが、そこで我慢できなくなり、三人に気付かれないようにナプキンに吐き出した。 「どうしたの? 綾波」 シンジがレイの様子を窺う。 「碇君、これ食べてみて」 レイは一切れ取って、シンジの皿に移した。 「え……うん」 不思議そうな顔をしつつもシンジは口に運び、食べた。レイはその様子をじっと見つめている。 「どう?」 「うん、おいしいよ」 「……そう。碇君のも一切れくれる?」 「いいよ」 レイはシンジがくれたのを食べる。口にした瞬間に嘔吐しそうになった。 やはり、駄目だ。それでも何とか必死に飲み込んだ。 「どうしたの? 顔色悪いけど」 「味覚が変わったみたい。おいしくない」 あれほど好きだった肉が、まずく感じられて仕方ない。いや、まずいなんてものではなかった。 味以前に、身体全体が拒否してるような感触だった。 仕方がないので、パンと野菜サラダを注文した。こちらは普通の味――というより、美味しか った。 レイは、何あんた、菜食主義者にでもなったの、というアスカの言葉を無視して考え込んだ。 ――風邪を引いたせい? レイは首を傾げた。そんなことがあるのか、今度リツコに訊いてみようと思った。 これが、レイが肉類を口にした、最後の日になった。 |