< ever : 2話 − 1st パート >
− e v e r −
「 親 」
「おはよう。」
朝、シンジはいつものように挨拶しながら教室に入った。
「おはよう、綾波さん。」
自分の席に着くと、隣の少女に声をかける。これも毎朝行っていた。
「・・・・・・・・・・。」
しかし、レイは返事をしない。シンジのほうを見ようともしない。
(・・・・・まだ怒っているのかな?)
始業式の日から三日経ったが、いまだにレイは沈黙を守り続けている。あの日から彼女の声を聞いていない。
(それとも・・・・・やっぱり、嫌われちゃったのかな。)
そう考えると何故か、胸の奥が痛む。
あの時自分は、とにかく場を収めようと必死だった。何かに耐えてるようなレイの姿が、とても痛ましく思えた。
だから咄嗟にあんなことを言ったのだが、あれが彼女にとって良かったのかどうか、全く自信は持てなかった。
いや、むしろおせっかいなヤツだと思われるのが当然かもしれない。
(でも・・・・せめて他の誰かとは会話ぐらいしてくれても・・・・。)
今のところレイに話しかけようとする生徒はシンジとヒカリの二人のみ。
他の生徒達は腫れ物に触るような態度で、彼女に近づこうとさえしない。
レイの方も拒絶の雰囲気を身にまとい、シンジとはもちろん、ヒカリとさえ話そうとしない。
(なんでそんなに・・・・頑ななんだよ・・・・?)
シンジには、レイの気持ちが理解できない。
(あの時どうして・・・・・泣いたんだよ・・・・?)
あの時の、彼女の涙の意味も解らない。
(まいったわね、実際・・・・・。)
物思いに耽るシンジと、下を向いて視線を合わせようとしないレイを横目で見ながら、ミサトは心の中で溜め息をついた。
(やっちゃったなぁ〜〜〜あたし。シンジ君にまで辛い思いさせちゃって・・・・。)
たとえ弾みだったにしろ、レイのあの言葉を許すわけにはいかなかった。
だが、怒りを正面からぶつけてしまったのは失敗だった。あれで、お互い引くことができなくなった。
当たって砕けろ、がミサトの信条だが、それですべてうまくいくなど独りよがりな事は思っていない。
だが、レイに対してどのように接すればよいのか。教育者として、一人の大人として。
(いえ、違うわ・・・・そうじゃない。あの子には対等な人間として付き合わなきゃ。)
しかし、それは口でいうほど簡単ではない。特に学校という枠の中では難しい。
ミサトはちらっと腕時計を見る。チャイムが鳴るまであと2分ほどあるが、少し早めに切り上げることにした。
「では、今日はここまで。洞木さん、号令お願い。」
ヒカリの号令で全員が挨拶した後、去り際にミサトが言った。
「あ、そうそう。悪いんだけど洞木さんと碇君は放課後、私のところまで来てくれる?」
「あ・・・はい。」
「失礼します。」
放課後、呼び出された二人が職員室に入ると、ミサトともう一人、髪だけ金色に染め上げたような女性が待っていた。
「あ、突然呼びつけちゃってごめんね。ちょっと綾波さんのことで話があるのよ。」
シンジもヒカリも、なんとなく見当はついていた。
「ここにいるリツコ・・・いえ、赤木先生からあの子のご両親のことで聞いたのよ。綾波さんのご両親って・・・・。」
「待ちなさい、ミサト。・・・・二人とも、念のため言うけど、個人のプライバシーに関わる話だから他言無用よ。守れる?」
ややキツめの顔立ちが鋭い印象を与える女性――赤木リツコがミサトの言葉を遮る。
「もちろん、誰にも話しません。」
「誓います。」
「ありがとう・・・・。彼女のご両親はね、じつは六年ほど前に離婚しているの。今、彼女は一人で暮らしているわ。」
―――親なんて関係ない―――
―――私は一人だもの――――
レイのあの言葉はそういうことだったのか、とシンジは思った。
「他所様の家庭をとやかく云う権利はないけど、今の彼女を見る限り、あんまり良い家庭じゃなかったらしいのよねぇ。」
ミサトの言葉に対しリツコは何も言わなかったが、その沈黙がミサトの意見を肯定していた。
「・・・良い家庭だったかどうかは置いといて、御両親が離婚してから綾波さんは親戚の家に預けられたの。でも、確かに彼女は、
あまり馴染んでいるようには見えなかったわね。私は去年、彼女の担任だったんだけど、彼女と最初に面談したときに来られた
伯母様の態度は、まるで他人・・・・いえ、二人とも、お互いがお互いを無視しているかのようによそよそしかったわ。」
その時の雰囲気を思い出したのか、リツコが眉を顰める。
「だから多分、彼女は今まで愛情というものに縁遠かった、と思うの。肉親からの愛情だけではなく、友人同士の関係もね。」
「綾波さん、友達いなかったんでしょうか・・・・・?」
「多分ね・・・。彼女って目立つでしょ?髪とか目とか・・・・。ご両親や親戚でも、ああいう色の持ち主はいらっしゃらないらしいの。
目の色が違う、髪の色が違うっていうだけで、苛められることがあるの・・・・私のようにね。」
自分の髪を撫でながら、リツコが苦笑いをする。
「私もおばあちゃんがドイツ人だったから、この髪のことではずいぶん苛められたわ・・・・。顔だけだと日本人っぽいから、特にね。」
確かによく見ると彼女の顔の造形は非常にシャープだが、目と眉が黒いので一見しただけではクォーターのように見えない。
「私の場合、祖母の髪の色が先天的に出たらしくて父とは違う色だったから、よけい変な目で見られたわね。でも、それでもこの髪は
祖母と同じ色だったから・・・・。彼女の場合は珍しい色だし、身近に似たような人もいないし・・・・ね。」
シンジは仮に自分がそうなった場合を想像してみた。彼の顔立ちは母親によく似ている。
肉親から何も受け継いでないってどんな気持ちだろう、と気の毒になった。
「なんだか・・・・・可哀そうですね。」
ヒカリがポツリと呟く。
「洞木さん、でもね、彼女は恐らくそうした同情が一番嫌いだと思うの・・・・。だから、そういった事は言わないであげてね。」
「はい・・・・すみません。」
「それから、私があなた達にこんな事を話したのは、彼女の事情をわかって欲しかったからなの。あの子は不器用な子だわ・・・・・。
たぶん、自分をどう表現していいのか分からないのかもしれない・・・・・。」
少し言葉を切ってリツコは目を伏せる。彼女の姿に、以前の自分を重ねたのかもしれない。
「だから、あんな態度を取るのも、みんなを嫌っているからじゃないって、知って欲しかったの。」
「ええ、解ります。」
シンジとヒカリが頷くのをみたミサトは、二人に切り出した。
「ねぇ碇君、洞木さん。これはあくまで私の希望なんだけど・・・・。出来れば二人とも、彼女の友達になってあげてくれないかな?」
「・・・はい、勿論です。」
「私も友達になりたいと思ってます。・・・・けど、綾波さんはどうなのか・・・・。」
ヒカリの言葉に、ミサトがホッと溜め息をつく。
「確かに彼女自身の気持ちも大事だけれど、私は今、あなた達がそう思ってくれている、と分かっただけで嬉しいわ・・・・・。」
ミサトはニッコリ笑うと、シンジとヒカリの肩にポンッと手を置く。
「ありがとう二人とも。ごめんね、呼び出しちゃって。困った事があれば何でもいいから、私に相談してくれる?」
「はい。では私たち、これで帰ります。」
「あ!それからシンジ君!?」
「え?何ですか。」
シンジが振り返ると、ミサトは心からの笑顔で御礼を云った。
「この間は本当にありがとう。・・・・・私のせいであなたには余計な心配かけちゃって、ご免なさい。」
「そんな・・・・気にしないで下さい。じゃあ失礼します。」
「ええ、また明日。」
職員室を出て行く二人を見送った後、ミサトはフゥッと溜め息をついた。
「情けないわね、わたし・・・・・子供達に頼るしかないなんて。」
「あなただけじゃないわ。私も何かしてあげらればいいんだけど・・・・・。」
だが、自分のような立場の者が近づいてもよけい避けられるだけだ。昔のリツコ自身がそうだった。
「でもミサト、だからこそ、私達の方こそしっかりしなきゃ。」
「うん、わかってる・・・・・・。」
「・・・かり・・・・いかりくん・・・・・碇君。」
「え・・・・・?」
いつの間にか立ち止まっていたシンジがはっと気が付くと、ヒカリがこちらを向いてシンジを呼んでいた。
「どうしたの?さっきから、ずーっと考え事をしているみたい。」
「う・・・・うん。」
「綾波さんのこと、聞いたから?」
「うん、それもあるけど・・・・ひょっとして、綾波さんを傷つけたのは僕かもしれない・・・・。」
「どうして?」
「僕が彼女の気持ちも考えず、勝手にあんな事言ってしまったから・・・・。」
ヒカリは首を横に振った。
「私はそうは思わないな。もしあの時、碇君が止めなかったら綾波さんもみんなも、もっと傷ついていたと思うから。」
「・・・・そうかな・・・・?」
「私は碇君を偉いと思う。私なんて、ただ見ているだけだったもの。委員長なのにね・・・・。」
責任感が強いヒカリは、怖くて何も出来なかったを悔やむ。
「葛城先生だってそう言ってたし、クラスのみんなや・・・・きっと、綾波さんも、心の中ではそう思っているわよ。」
「そうだと・・・・いいけどね。」
「きっとそうよ。だから元気だして・・・・ね?」
元気付けようとしてくれるヒカリの気遣いが嬉しく、シンジは微笑んだ。
「ありがとう・・・・。そう言ってくれると、なんだか気が楽になったよ。」
シンジの言葉に、ヒカリも笑顔で返す。
「でも、いい人よね、碇君って。」
「別に・・・・。そんなことないけど・・・・。」
「本当よ、碇君みたいな人が、あの鈴原君と友達だなんて不思議だわ・・・・。」
トウジの事になると途端にキツくなるのがなんだか可笑しくて、シンジは苦笑する。
「トウジもいいヤツだよ。たしかにぶっきらぼうかもしれないけど・・・・。洞木さん、トウジの事、キライなの?」
「べ、別に、キライってわけじゃ・・・・。い、いつも向こうから突っ掛かってくるのよ。」
「ふ〜ん・・・・。たしかにケンカしてても、仲悪いって雰囲気じゃ無さそうだもんね。」
「な、なにそれっ!私とあいつが仲良いってこと?」
「あれ〜っ!?そう聞こえた?」
シンジの揶揄するような口ぶりに、ヒカリがプッとむくれる。
「前言撤回。・・・・・碇君、やっぱり、意地が悪い。」
「アハハッ、ごめんごめん。・・・でも、なんかトウジの気持ちも分かる気がする。」
「え?」
「いや、洞木さんの今のふくれた顔も可愛いから。トウジもそれが見たくて、ワザとやってんじゃないかなぁ、って。」
ヒカリの顔が真っ赤に染まる。
「な、なんてこというのよ!?・・・・・コラッ!待ちなさい。」
「ゴメンッ!でもホントのことだから。」
笑いながら逃げるシンジ。
「もうっ!碇君たら・・・・・。待ちなさいって言ってるでしょ!」
シンジは明るく振舞ったが、胸のつかえが取れたわけではなかった。
シンジ達が校舎を出ると、校門の前でマナが待っていた。
「あれ・・・・マナ?」
シンジの声に、マナがこちらを向く。
「あ、来た来た。待ってたんだよ。」
「トウジ達と一緒に帰ったんじゃないの?」
「むーっ、だって最近、全然一緒に帰れてないじゃない。」
シンジにちょっと拗ねてみたあと、ヒカリの方に笑顔を向ける。
「初めまして。私、D組の霧島マナです。よろしく。」
「あ、洞木ヒカリです・・・・。碇君とは、クラス委員で・・・・。」
「”イインチョ” さんですよね。トウジ君が言ってました。」
「え?・・・・・あ、あの、私のこと何か言ってたんですか?」
「別に、変な話じゃないですよ。」
「そ、そう・・・・。あ、じゃあ碇君、霧島さん。私こっちだから、また明日ね。」
「うん、また明日。」
「気をつけて〜。」
校門を出たところで、ヒカリと別れた。
帰り道、マナがシンジに話かけるが、いつものように会話が弾まない。
「シンちゃん・・・・。ひょっとして今日、先生に怒られたの?」
「え・・・・?違うよ。どうして?」
「さっきから暗そうな顔しているからさ。」
「そ、そうかな。」
「そうよ・・・・気になるじゃない。そんなにアタシと二人で帰るのが嫌なのかな、って。」
「そ、そんなわけ無いだろ。」
シンジの顔を覗き込むように見ながら、マナがチロッと舌を出す。
「ごめんね、そんなこと思ってないけど・・・・・。でも、本当に、どうしたの?」
「うん、ちょっとね・・・・。」
「当ててみようか?・・・・・綾波さんの事でしょ?」
「!?・・・・・どうして?」
シンジが驚いてマナを見ると、マナは悪戯っぽく片目をつぶった。
「へへっ、女のカン・・・・な〜んて、この間シンちゃんのクラスのことは聞いたわ。ケンスケ君から。」
「そうだったんだ・・・・じゃあ、知っているよね。彼女、まだクラスに馴染もうとしないんだ・・・・。」
「え〜と、初日にシンちゃんが綾波さんを庇った、ていうのは聞いた。」
「庇ったんじゃないよ。結局、僕も彼女を責めるような云い方をしてしまったし。」
「シンちゃんはケンカになるのを止めただけだ、ってケンスケ君は言ってたけど。」
「でも・・・・それが反って、綾波さんを傷つけるような事をしてしまったんじゃないかって・・・・。」
あのとき屋上で泣いていた少女を思い出し、シンジは暗くなった。マナは心配そうな顔で、俯くシンジの横顔を見つめる。
「わたしはその場に居なかったから分からないけど・・・・。でも、綾波さんはちゃんと学校に来てるんでしょ?ホントに傷ついたのなら、
わたしだったら学校になんか行きたくないと思うけど。」
落ち込む彼を慰めるようにマナが云う。こういうときの彼女はふざけたりしない。
「それに、やってしまった事は後悔しても変わらないんだから、どうすれば仲直り出来るかを考えましょうよ。」
「わかっている・・・・けど・・・・。」
「けど、なんて云わない!・・・そんなに悔やんでるのなら、なおさらこれからどうするかを考えなきゃ。でしょ?」
「うん・・・・そうだね。」
しかし、シンジの反応は暗い。
(なにウジウジ悩んでんの?シンジ・・・・・。)
内心溜め息をついたマナは、思わず空を見上げた。今まで気がつかなかったが、桜の花が咲いていた。
日が傾き始めて少し赤みを帯びた空に、薄桃色の白い花がよく映える。
マナはしばし、その花に見惚れていた。彼女の様子に気付いたシンジも立ち止まり、桜を見上げた。
「きれいね・・・・・もうこんなに咲いているんだ。」
「うん・・・・そうだね。」
何かを思いついたように、マナがシンジに微笑みかける。桜の花のような、艶やかな笑顔で。
「ね、シンちゃん。みんなでお花見行かない?・・・・・綾波さんも誘って。」
< 続 >