< ever : 2話 − 3rd パート >


− e v e r −

「 傷 」


「鈴原・・・・・・。」
ヒカリは慌てて、うずくまっているトウジに駆け寄る。
「ちょっと、鈴原っ!?・・・・傷、痛むの?」
「別に、大したことあらへん・・・・。」
拒絶するような返事にヒカリは一瞬躊躇したが、手を伸ばしてトウジの腕を掴んだ。
「な、なんや?」
「保健室・・・・。傷の手当てしなきゃ。」
「・・・・大したことあらへんて、ゆうとるやろ。」
「駄目!」
ヒカリがトウジの腕をグッと引っ張る。
「てっ!イ、イインチョ!そっち、ケガしとる方や。」
「いいから来なさい!」
無理矢理トウジを立たせると、保健室に引っ張って行った。

保健室に入ったが、先生はいなかった。
ヒカリはトウジを座らせると、救急箱から消毒液を取り出し、綿に染み込ませる。
「ほら、腕、出して。」
トウジが顔を背けたまま渋々腕を伸ばすと、ヒカリはなるべく染みないようにそっと塗った。
「まったく・・・・。どうしてこんなになるまで喧嘩するの?」
トウジはそっぽを向いたまま、答えない。
「・・・・言いたくないなら、聞かない。だけど・・・・みんなが心配している事だけは、わかって。」
寂しそうなヒカリの言葉に、トウジはむこうを向いたままボソッと答えた。
「アイツら、シンジの悪口云うとった・・・・。」
「・・・・・え?」
「シンジがな、綾波に近づこうとして、ええコぶって、むりやり副委員長を押し付けて・・・・。そんで花見に誘うたって・・・・・。
アイツら、絶対断られる思とったんか、綾波がOKしたから妬んどんや・・・・・。」
トウジはヒカリの事には触れなかった。
「そうだったの・・・・。」
ヒカリも嫌な気分だった。あの時のシンジの行動には、みんなは感謝していると思っていたのに。
「シンジはああいう奴や・・・・確かに、後先考えんでいきなり行動するトコあるねんけど・・・・けどアイツは、他人同士が争うのが一番嫌いな奴や。 みんなと仲良うしたい、それしか考えへん奴や。・・・・それをな、それをあのとき何もせなんだヤツらが影でグチグチ云うとんのが許せんかった。 綾波に声さえかけれんヤツがなにぬかすねん、ってな。」
トウジの声は苦い。ヒカリは無言で傷口にガーゼを当て、テーピングした。
「・・・せやけど、ホンマはワシに怒る資格あらへん。ワシかて何もせなんだ、ワシも綾波に声かけんかった、アイツが花見に来るの嫌がっとった。 シンジの努力、ムダにしようとしとった・・・・。さっき、シンジの顔見てそう気付いたんや・・・・。」
自嘲的なトウジの言葉が、まるで泣き声のように響く。
「・・・・・せやからワシ、あそこにおれんかった。シンジの顔、まともに見れなんだ・・・・・。」
顔を背けたまま呟くトウジの姿に、彼が後悔しているのが痛いほど伝わってきた。
「・・・・ねえ鈴原?今度のお花見、楽しくやろうよ。綾波さんと一緒に、みんなで色んなお話して・・・・。」
ヒカリは静かに語りかける。傷を、癒してあげたかった。
「鈴原は正しいと思うことをしたんでしょ? だったらもう、喧嘩のことは何も言わない・・・・・。
・・・・でもね、もし後悔してるんだったら、明日から綾波さんに 声を掛けてあげて・・・・。
やっぱり一人じゃ寂しいと思うから・・・・ね?」
「せやな・・・・。」
「鼻血、止まってる?顔を拭いてあげるから、こっち向いて。」
「え、ええわ、そんなん・・・・。」
「よくない。」
そういうとヒカリはトウジの顔を挟み、強引に自分の方に向かせた。
「アタタッ・・・わ、分かった!自分でするけん、離したってぇな。」
苦笑しながらヒカリはトウジに綿と消毒液を渡すと、手鏡をかざした。
「まったく、こんなに顔を腫らしちゃって・・・。鈴原、くれぐれも言っとくけど、暴力は駄目だからね?」
「じ、じぶん、さっき喧嘩の事は云わん、ってゆうたやんけ!」
「それとこれとは別よっ!傷つくのは自分達だけじゃ無いんだからね。・・・・周りだって、そうなんだから。」
その言葉で、自分がヒカリにまで心配をかけていた事がやっと解かった。
「スマン・・・・。」
俯いて謝ったトウジの脳裏に、あの時カッとなった言葉が甦る。
『お前もボヤボヤしていると、委員長をとられるぞ!』
(ワシ、なんであないにムカついたんやろう・・・・?)
図星を指された、とは考えたくない。

トウジの手当てを終え、二人は教室に戻ってきた。
教室にはシンジ達の他に、喧嘩していた男子生徒たちだけが残っていた。
「トウジ・・・・大丈夫?」
「ああ・・・・すまなんだ。」
トウジは心配するマナに少し笑いかけた後、シンジの背中に視線を移した。
「トウジ、さっき彼らと話し合った・・・・。トウジに謝るって言ってたから、トウジも彼らに謝ってくれよ。」
シンジはそういってトウジの方を振り返る。
トウジは出来るならシンジの顔を見たくなかった。が、逃げるわけにはいかない。
まっすぐシンジの顔を見る。シンジの顔は穏やかで、少し微笑んでいるようにすら見える。
(やっぱり・・・・。こういうやっちゃ、コイツは。)
今、トウジが一番見たくない顔。怒ってたり、感情を露わにしていてくれれば、まだしも楽だった。
(せやけどこれは、ワシのせいなんやから・・・・。)
二度と目を逸らすまい、そう思った。
「シンジ・・・・。お前は謝ってもろうたんか?」
「ああ、ちゃんと謝ってもらったし、もう仲直りした。だから今度はトウジの番さ。」
多分嘘だと分かっているが、これ以上、シンジに無理をさせたくない。
トウジは男子生徒達に歩みよって、握手を求める。
「・・・・殴ってしもてすまんかった。先に手を出したのはこっちや。ワシが悪かった・・・・。」
「・・・・こっちこそ、悪かった。」
男子達もおずおずと握手し、謝る。
その光景をみて、ヒカリはシンジの言葉を思い出した。
『トウジもいい奴だよ。・・・・少しぶっきらぼうかもしれないけど』
(本当ね・・・・。)
トウジの姿に、ヒカリの胸のつかえも、少し取れた気がした。
ケンスケはそっぽを向いているが、さっきほど怒った顔ではない。
シンジはあいかわらず穏やかな顔で、握手を交わす二人を見ていた。
(これが、シンジが望んだこと・・・・・だからわたしは、何も言えない・・・・・。)
マナはずっと、シンジの横顔を見つめている。
(でも・・・・本当に、シンジはそれでいいの?)
マナだけは釈然としない。


教室で一応の和解をした後、校門を出た。既に日は傾きはじめ、夕日がまぶしい。
「じゃあ、シンジ、霧島。俺らはこれで。」
「うん、じゃあね、二人とも。」
「また明日。」
途中でトウジ、ケンスケらと別れる。いつものように、元気よく挨拶を交わすことは出来なかった。
シンジは前を歩いている。その少し後ろをついて行く。二人とも、一言も喋らない。
ふと立ち止まって、シンジの後ろ姿を見つめる。
広くない、痩せぎすの背中。夕日の中に溶け込んでしまいそうな細い背中。
不意に、その背中が滲んだ。
「・・・・・どうしたの?」
シンジが気がついて振り返る。
「・・・・・なんでもない。」
下を向いたまま、彼に近づく。
歩こうとしたシンジの左腕を後ろから掴み、彼を引き止める。
無言のまま立ち止まったその背中を、両腕で包み込んだ。

パタンと背後で、鞄の落ちる音がした。振り返ろうとした矢先、温もりが背中を包んだ。
「・・・・・・マナ?」
振り返らないまま、声を掛けた。
「・・・・・・嫌?」
マナは小声で呟くと、身体を預けるように身を寄せてくる。首すじに彼女の頬が触れた。
柔らかな感触に混じって何かが流れ落ち、首すじを濡らす。
冷たくはなかった。彼女の優しさが零れ落ちるようだった。
「・・・・・・ううん、ありがとう。」
視線を落とすと、ちょうど左胸の上に廻された彼女の手に、右手を重ねた。
いつしか、日が暮れていた。辺りが薄暗くなった頃、マナは腕をほどいた。
「・・・・・・歩こ。」
「・・・・・・うん。」
鞄を拾い上げた彼女は、いつもの笑顔を見せてくれた。
彼女に向かって手を差し出すと、その細い両腕を絡め、抱きしめてくれた。
彼女の暖かさが、嬉しかった。


「おはよう、綾波さん。」
「あ、綾波、おはようさん。」
「お、おはよう、綾波さん。・・・はは、いい天気だよね。今日も。」
シンジ、トウジ、ケンスケの三人がレイに挨拶する。レイは何もいわないが、少しきょとんとしているようにも見える。
「綾波さん、明日だけど、10時前に駅の東口に集合することになったから。・・・場所、分かる?」
「・・・ええ。」
「じゃあ、そこで待ち合わせよう。あ、念のため、僕の連絡先教えるから。」
「まあ、とくに持っていくもんはあらへんわ。身軽なカッコで来てくれたらええねん。」
「荷物とかは、俺らが持っていくよ。・・・・な、シンジ?」
まるで旧知のように話しかける三人。
「わかったわ。」
レイが素直に返事を返す。他の生徒たちは、その光景を少し驚いたように見ていた。
ヒカリも近づいて来て、会話に加わる。
「ねえ、綾波さん?前にお肉が嫌いっていってたけど、挽き肉とかも駄目?」
「・・・少しなら、問題ない。」
「お魚とか大丈夫?他に駄目なものはない?」
「魚は大丈夫。野菜なら平気。」
「そう。お料理は、私と碇君が作ることになっているの。頑張って作るから、楽しみにしていてね。」
「ほしたら、また後で。」
ミサトが教室に入ってきたので、トウジが自分の席に向かう。みんなもバラバラと自分の席に戻った。
ミサトは入ってきた時、レイの周りにシンジ達が集まっていたのが見えて少しホッとした。
(よかった・・・・。ちょっとは打ち解けたのかしら。)

昼休み、レイはいつものように一人で食事をしていた。お昼はいつも、パンを買ってくる。
天気の良い日は大抵、裏庭の隅の木陰で食事する。眺めはよくないが、だれも来ないので楽だった。
そよ風が、優しい。いつの間にか肌寒さが無くなっている。
(どうしてみんな・・・・私なんかを気にするの?)
今朝の事を思い出しながら、レイは考え込んでいた。
(どうして碇君は、私に声をかけてくれるの・・・・?)
この三日間、自分は彼の顔すら見なかったというのに、シンジの方から謝ってきた。
あれからずっと、レイは怒っていたわけではない。ましてや、シンジに意地悪したつもりでもない。
(わかってる。謝らなければいけないのは・・・・・私の方だって。)
ただ、今さら何を云えばいいのか、どういう態度をとればいいのか、わからなかった。
教室では怒りをぶつけ、屋上では感情の高ぶりを抑えられなかった。
きっと嫌われただろうと思った。嫌われるのには慣れている。黙ってさえいれば、そのうち近寄ってこなくなる。
今まではそうしてきた。心に引っ掛かる何かに目を逸らしてさえすれば、特に難しいことではなかった。
だからいつものように黙っていた。なのに彼の姿が視界に入る度、何故か胸のざわめきを覚えた。
彼の方を見ないようにしていても、彼の存在を意識していた。
こんなことは初めてだった。心境の変化に戸惑い、かといって相談出来る相手もいない。
どうすればいいのか解らない自分。それに対し、何事もなかったかのように接してくる彼。
(私も・・・・そうすればいいのかしら?何もなかったようにすれば、謝ることができるかしら?)
昨日、シンジの誘いを断らなかったことに、レイ自身も驚きを感じていた。
だが、もしかしたら心のどこかで、自分は彼に声をかけてもらうのを待っていたのかもしれない。
食事を終えると、少し決意したように立ち上がる。日陰から出る瞬間、太陽が眩しい。
(明日も、晴れるかな・・・・?)
いつの間にか、お花見を楽しみにしている自分自身に気が付いた。

レイが教室に戻ろうとすると、階段の上から、女子生徒達の話し声が聞こえた。
「ねぇねぇ、昨日、うちのクラスで、殴り合いの喧嘩があったのって知ってる?」
「そう、放課後さ、鈴原君がね・・・・。怖かったわよ〜。」
「なにそれえ!?面白そう。・・・ね、ね、原因はなに?」
「ほら、あのコ・・・・・・青い髪の・・・・・。」
階段を上がろうとしたレイの足が止まる。
「あ!綾波さんって子!?何、何、あの子がどうしたの?」
「ほら、うちのクラスの男たちってさあ、みんな彼女に気があるじゃない。それでお花見に誘った男子がいてさ・・・。」
「エ〜ッ!?そんなことで殴り合い?・・・バッカじゃないの。」
「それでビックリなのがさ、綾波さんもOKして、今朝なんか、結構楽しそうにその話してたのよね。」
「あ、そうそう、あれにはちょっと驚いちゃったなぁ〜。」
「そんなのいいからさ、ケンカの方はどうなったのよ?」
「結局、さっきの男子――碇君ていうコが止めに入って終了。でも殴り合ってた男たち、流血してたわよ〜。」
碇君、という言葉がやけに大きく聞こえる。
「でもお、綾波さんは知っているのかなぁ?その事。」
「さあね。あのコ、自分以外に興味なさそうだしさ・・・・。知ってたとしても、どうせ相変わらずあの鉄面皮でしょ。」
「表情無いよねぇ〜!あの子、気味悪い。」
「顔が良くてもあれじゃさ・・・・性格悪いし。」
「・・・・・ねぇねぇ、お花見誘ったの碇君だよね?・・・・・やっぱり、綾波さんみたいな人が良いのかなぁ?」
「あ!なにミカサ!?ひょっとして、惚れてたか?」
「そ、そんなんじゃ無いけどぉ〜っ!あ、あの・・・・ちょっとだけ、良いかなぁ〜なんて・・・・優しそうだしぃ。」
「まあ、確かに優しいかも。それに昨日ケンカを止めたのも彼だしさ、思ったよりシッカリしてるのよねえ。」
「でもたしかその彼って、D組の霧島とデキてんでしょ?」
「ええ〜っ!?その話、やっぱりホントなのかなあ〜っ?仲良さそうだもんなぁ・・・・。」
聞くのが辛い。逃げ出したいのに、足が動かない。
「とすると、二股がけかぁ・・・。フッフッフッ、コイツは面白い!修羅場見れるかも!?」
「ちょっと、あんたさぁ、ミカサが泣きそうな顔してるんだからやめなよ。」
「ア〜ッ!悪い悪い。ウソウソッ!それって単なる噂だし、ミカサにもチャンスはあるよ。」
「そうだよ、綾波さんなんかより、絶対可愛いって。笑えないんだもん、あのコ。」
「だ、だから別にい・・・・そんなんじゃ無いって。」
「でも気になるんでしょ?碇君って誰にでも優しいからさ、一人ぼっちの彼女に同情しているだけだよ、きっと。」
「よしミカサ!同情作戦、それでいけ!」
同情・・・・・。その言葉にズキンと痛む。
「んもお〜っ、ふ、二人とも・・・・。ほ、ほらぁ〜、チャイムなりそうだからぁ、早く戻ろ?」
「フッフッフッ、後でたっぷり聞いてあげるわよ?ミカサちゅわ〜ん。」
「さ、二人とも。早く行こ。」
バタバタと階段を駆け上がる音が聞こえ、はしゃぐ声が遠ざかる。
レイは下を向いたまま動かない。胸の奥の傷が、ズキズキ痛んだ。


その日の晩、シンジは明日のお弁当の準備に張り切っていた。
(綾波・・・・どうしたのかな?なんか元気なさそうだったけど・・・・。)
午後、遅れて教室に入ったレイにシンジは声を掛けたが、何でもない、と素っ気無く言われた。
(ずいぶん遅れてきたし・・・・・なんでも無さそうには見えなかったけど・・・・。)
「あらシンちゃん、豪勢ねえ。明日のお弁当?」
「うん、今日中に下拵えだけやっておこうと思って。」
「いいわねぇ。楽しんでらっしゃい。」
電話が鳴り、ユイが取りに行く。
「シンちゃ〜ん。綾波さんって、女の子から。」
「え?何だろ。」
シンジが電話に出る。
「はい、シンジです。」
明るい声で言う。しかし、相手は無言のままだ。
「・・・・綾波さん?」
「・・・・・ごめんなさい。私、明日行けなくなった・・・・・。」
「え・・・・・?」
シンジの声が、落胆の色に変わった。
「・・・・・・ごめんなさい。」
「ひょっとして、具合でも悪いの?お昼、遅れてきたし。」
「違う・・・・・。用事が・・・・出来たの。」
「そ、そうなんだ・・・・。じゃあ、仕方ないよね・・・・・残念だけど。」
シンジは自分に言い聞かせるように呟く。
「・・・・・・御免なさい。」
「え?い、いや、そんなに気にしないで・・・・。また、機会があったら誘うから。」
「・・・・・・じゃあ、さようなら。」
「う、うん・・・・・。また・・・。」
途中でプツリと電話が切れる。シンジは溜め息をつき、受話器を戻した。


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