< ever : 3話 − 1st パート >


− e v e r −

「 揺らぎ 」


お花見の帰り道、みんなと駅で別れたシンジとマナはすっかり暗くなった町を、並んで歩いていた。
二人の家同士はわりと近所で、方向もほぼ同じ。いきおい、帰り道も一緒になる。
「ねえシンちゃん。こっちの道を行こうよ、近道だから。」
曲がり角で、マナが公園の方を指差す。
「うん、良いよ。」
シンジは気軽に応える。
(ごめんね、本当は少し遠回りになるんだけど・・・・。)
嘘をついてしまったが、少しでも長く一緒に歩きたい、と思うマナであった。

人気の無い公園でレイは、ひっそりと佇む桜を見上げていた。
忘れ去られてしまったような樹。周囲の景色から浮いてしまっている樹。
(私みたい・・・・・。)
薄暗い街灯に透かされた花弁の不健康な青白さが、嫌でも自分の肌を連想させる。
(馬鹿みたい。こんな所にいても仕方ないのに・・・・・。)
だがなぜか、この樹の下から去り難い。群れから独りはぐれた様な桜を置いていくのがためらわれた。
不意に遠くから、誰かの話し声が聞えた。楽しそうなその声は次第に大きくなる。
彼女は思わず耳を疑った。その声に聞き覚えがあったから。
(・・・・・・碇君?)

それまで静寂しかなかった公園に、二人の笑い声が響きわたる。
マナと会話するのは楽しい。大抵はマナが話しかけ、シンジがそれに応える。彼女と一緒にいると退屈しない。
大抵は他愛の無い話。友人の事、趣味の事、TVの事、遊びの事・・・・話題は尽きない。
マナは誰とでも楽しそうに話す。シンジは自分もその一人だ、と思っている。
だがマナがシンジに話しかける時、彼女はとても嬉しそうだ。彼女が積極的に触れたいと思う相手も、彼だけだ。
もっともシンジ本人が、それに気付いているかどうかはわからないが。
公園を抜けようとしたシンジが、ふと何かに気付いたように足を止めた。

「どうしたの?」
「へえ・・・。こんな所にも桜があったんだ。」
立ち止まったシンジの目線の先に桜の樹が一本だけ、人目を避けるように立っていた。
「・・・ほんとだ、知らなかった。どうしてこんな所に植えたんだろね?」
「元からあったのかも知れないよ。けっこう立派な樹だし。」
傘を広げるように大きく枝を伸ばして咲き誇るその姿は、満開でなくても充分に華麗だった。
だが、公孫樹の樹と公衆トイレしかないこの公園では、華麗さが逆に浮いてしまっている。
「綺麗だけど・・・・なんか、寂しいね。」
マナがポツリと呟く。暗い背景から浮き上がった花の青白さが、侘しい。
「綺麗だから・・・・寂しいのかもしれない。」
これほど見事な花を咲かせなければ、ただの枝だけだったら、この樹は違和感なく周囲に溶け込んでいただろう。
「こうして見ると全然雰囲気違うよね。同じ桜なのに・・・・。」
夜風に吹かれて数枚の花びらがハラハラと散っていった。それがまた哀しい。
シンジはふと、あの少女のことを思い出していた。自分はあのとき、ただ "綺麗だ" としか感じなかった。
だが彼女自身は、人目を惹く自分の容貌をどう思っているのだろう?
この桜も目立ちたくないがゆえに、こうしてひっそりと咲いているのかもしれない。
「ねえ・・・・・今日、残念だったね。綾波さん来れなくて。」
何となく自分が考えてた事を見透かされたようでドキッとしたが、マナに他意は無さそうだった。
「そうだね・・・・・彼女も来れればよかったんだけど。」
寂しそうに呟くシンジを慰めるように、彼の手を握りしめた。
「また何かに誘おうよ。きっと次は来てくれるわよ。」
「・・・そうだね、こんどまた訊いてみるよ。」
二人は手を握り合ったまま、その場を立ち去った。
その場所に、いま話題にしていた少女が居るとは思いもしなかった。

二人が居なくなった後もしばらく、レイは建物の裏に隠れていた。
あの桜の樹とは少し距離があるので、会話の内容までは聞えてこない。
(何やっているの?・・・・私。)
どうして隠れたりしたのかわからない。咄嗟に体が動いてしまった。
(あの人・・・・前に見た。)
たしか始業式の時だった。教室の前でシンジが落ち込んだような彼女を慰めていた。
(誰なの・・・・・?)
何故か気になる。昨日階段で聞いてしまった言葉が、脳裏をよぎる。
―――彼ってさ、D組の霧島とデキてんでしょ?―――
(あの人が・・・・霧島さん?)


月曜日の朝、教室でいつものようにシンジはレイに挨拶した。
「おはよう、綾波さん。」
「おはよう・・・・。あの・・・・土曜日は、ごめんなさい。」
レイが俯いたまま謝る。一瞬シンジはきょとんとしたが、お花見のことだと気が付いた。
「え?・・・ああっ、そんな気にしないで。急な用事だったんだからさ。」
しかしその言葉に、レイは一層罪悪感が募る。本当は用事ではなかったから。
「・・・・御免なさい。」
「だから、気にしないでって。もし綾波さんさえよければ、またどこかに遊びに行こうよ。」
「え、・・・・ええ。」
「それよりもさ、今朝は嬉しかったな。」
何が?と問うように、レイは顔を向ける。
「だって、綾波さんが挨拶してくれたのって、初めてだから。」
そういってシンジは嬉しそうに微笑む。その笑顔を、レイは正視することが出来なかった。

休み時間、レイが廊下を歩いていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「あの〜、綾波さん、ですよね?」
レイが振り返ると、一人の少女が立っている。深い紅茶色の髪。レイはその少女に見覚えがあった。
「・・・ええ。」
「初めまして!私、D組の霧島マナです。碇君とは前から友達なの。」
満面の笑みを浮かべて少女が挨拶する。
(やっぱり・・・・。この人が、霧島さん。)
「何か用・・・・ですか?」
自分の声は少し硬かったかもしれない。
「え〜と、用ってほどでもないけど、土曜日、お花見に綾波さんも来るって聞いてたから。わたし、楽しみにしてたの。」
「あの・・・・。」
「聞いてますよ、用事だって。・・・残念だなあ、本当ならもう知り合いになっているはずだから。」
「・・・・・・・・・。」
「だから、改めて・・・・これからよろしく!仲良くしましょうね。」
そう言ってマナが右手を差し出す。レイの肩が僅かに震えた。
「・・・・・よろしく。」
差し出された手を見つめたまま、か細い声で返した。
「あの、私・・・・授業が始まるから・・・・これで。」
そう言ってレイはくるりと振り向き、そそくさと教室に戻った。
その後ろ姿をマナはやや訝しそうな目で見る。
握手してくれなかったからでは無い。何故かその姿が、まるで怯えているように見えたからである。

お昼休みの予鈴がなるとすぐ、レイは食堂へ向かった。
パンを手にして食堂からでると、パッタリとトウジとケンスケに会った。
「よう、綾波。早いのお。」
「・・・ええ。」
「あ、さっきシンジとイインチョが云うとったけど、ワシら、屋上で昼メシ食べとるから一緒に食わへんか?」
「たまにはいいと思うよ。俺達と一緒に食べるのも。」
レイが返答するまで、少し間が空いた。
「ごめんなさい・・・・折角だけど、一人で食べるわ。」
「さよか・・・。まあワシら、大抵一緒に食うとるから、気が向いたら来いや。」
「それじゃ、俺たちはこれで。」
二人は食堂の方に向かう。それを見てレイは、逃げるように立ち去った。

(どうして・・・・私にやさしくしようとするの?・・・・どうして?)
いつもの場所でお昼を食べながら、レイは物思いに耽る。
(どうして・・・・私は何も言えないの?・・・・逃げようとするの?)
声を掛けられるのが嫌なのだろうか?かまって欲しくないからだろうか?
(・・・・嫌・・・・じゃ、ない・・・・。)
では嬉しいのだろうか?なのに何故、逃げようとするのか?
(・・・・だって、嘘かもしれない・・・・。)
先日、レイの心に深く、沈んでしまった言葉。
―――碇君はだれにでも優しいから―――
―――同情しているだけだから―――
(・・・・同情されるいわれなんか、無い。)
同情なんかされたくない。自分は不幸な人間じゃない。自分をみじめだと思いたくなかった。
(私は今まで一人で生きてきた。これからも一人でやっていけるはず・・・・。)
なのに、そう思い込むほど、なぜか辛くなる
(同情なの?あの言葉も、あの笑顔も・・・・。)
今朝のシンジの笑顔を思いだす。
(・・・・違う。碇君はいつも、あんなにきれいに笑ってくれるのに・・・・。)
それに対し、何も言えない自分。微笑むことすら出来ない自分。
そして、心を開こうとしない自分。
(嫌なのは、私自身・・・・。)
自分が嫌いなのだ。笑えない自分が。
シンジ達の好意を疑い、シンジの笑顔の裏を探ろうとしている自分が。
(でも・・・・どうすればいいの?)
他人を受け入れられるのだろうか。他人に自分を曝け出すことが出来るのだろうか。
どう考えても、今の自分には無理だった。


授業が終わり、シンジ達いつもの三人組は、揃って帰宅していた。
マナはそろそろ陸上部の方に顔を出さなければいけないので、一緒ではない。
「なあ二人とも。帰りにゲーセン寄って行かない?」
「あ、ワイはパス。今日珍しくオトンが帰ってくるよって、メシ食いにいく約束してんねん。」
「あ、僕も。今日早めに帰ってくるっていってたから、夕飯の準備しないと。」
「ちぇっ、なんだよ二人とも。付き合い悪いな。」
そうケンスケは言ったが、怒っているわけではない。二人の家庭の事情も知っている。
「ケンスケこそ、写真部はどうしたのさ?マナも部活に行ってるのに。」
「ふ、そんなもの、部長のこの俺の判断でなんとでもなるさ。」
「・・・ちゅうか、ええかげん新人集めせんとヤバイんやろ?じぶんら。」
第壱中学校のクラブ活動の条件は部員数が最低5名以上いること。写真部はケンスケ含め3名しかいない。
今月末までに5人以上に満たないと廃部なのだが、部長がこれだから他は推して知るべし、である。
「ふふふ・・・。実は俺の頭には既に新人を集める秘策があるのさ。」
「どんな?」
眼鏡をキラリンと光らせながら、ケンスケがシンジの肩を掴む。
「それには君の協力が必要なんだよ、シンジ。」
「な、何だよ。協力って?」
こういうときのケンスケは碌なことを考えない。シンジは嫌な予感がした。
「頼むシンジッ!お前から綾波に写真部に入部するよう頼んでくれないか?」
「な、なんでだよ!?」
「決まってるじゃないか!あの綾波レイが写真部に入れば、入部したい野郎どもがいくらでも群がってくるさ。」
「い、嫌だよっ!」
「頼むっ!このとおりだ!」
「あんなあ、ケンスケ。何ぼなんでも男らしゅうないで。」
拝み倒すケンスケを見かね、トウジが溜め息まじりに言う。
「そ、そうだよ。本人が承知する筈ないし、第一、綾波さんを利用するようで嫌だよ。そんなこと。」
「だから、話してみるだけでも。助けると思ってさ、・・・な?」
その姿に溜め息をついたシンジだが、ケンスケを見据え、キッパリと断った。
「ケンスケ、綾波さんが自分から入りたいって言うんならいいと思う。でも、いま彼女はやっと僕達に心を開きかけているんだ。
それなのに、彼女の意思を無視するような事は言えない。そんな無神経なことは出来ないよ。」
「せやせや。誘うんなら本人にスパッと云えや。せやけど、動機がそれやったら無理と思うわ。」
「はあ・・・・。やっぱり駄目か・・・・。」
ケンスケがガックリ肩を落とし、大仰に溜め息をつく。
「誘うんならもっと彼女自身の事を考えてあげてよ。でないと、僕、怒るよ。」
「わ、わかった、もう言わない・・・・。」
落ち込んだように見えたケンスケだが、再び眼鏡を光らせながら顔を上げた。
「その代わりシンジ、トウジ、君らには写真部に入ってもらう。」
「な、何でやねん!」
「だって、俺の最後の秘策を却下された以上、もうそれしか手がないんだ。」
「む、無理だって!僕らの事情は知っているでしょ?」
二人とも普段は親の帰りが遅いため、家事を手伝わなければならない。
シンジはたまに吹奏楽部に顔を出すが、あくまで特別。好きなときに来ていいと許可を貰っただけで、正式に入部はしていない。
「だ〜いじょうぶっ!名前さえ書いてくれれば、後はなんとでもなるから。」
確かに、普段は活動しているのかどうかすら怪しい部だ。まあ部長がこの調子だから無理もなかろう。
「でも、三年が入ったってさ・・・・。今年までだよ。」
「いいって、来年の事は残った奴が考える事だよ。な、頼むよ!せめて名前を貸すだけでも。」
再び拝み倒すケンスケ。シンジとトウジがやれやれといったように顔を見合わせる。
「わかった・・・・。でも、ほんとに名前を貸すだけだよ?」
「サンクス!さすが親友!さ、帰ろうぜ。」
「親友が聞いて呆れるわ・・・・・。」
意気揚々と歩くケンスケの後ろ姿を見送りながら、二人はヒソヒソ声で話す。
「ねえ・・・・綾波さんを誘うよう言ってたのって、この為だったのかな?」
「たぶんな。ワシらが拒否するとわかっとって・・・・まあ、どっちに転んでも損はせんと思たんちゃうか?」
「・・・・相変わらずこういう事には頭が回るよね。ケンスケって・・・・。」
「ああ、ワシより遥かに大阪商人向きやで・・・・。」
本当の大阪商人に聞かれたら怒られそうな事を言いながら、憮然として歩く二人であった。


レイはATMでお金を下ろした後、外食を済まして自分の部屋へと帰った。
1Kの広さのアパート。あまり綺麗な建物ではないが、渋る親たちからもぎ取った自分の部屋。
渋ったのは一人暮らしの身を案じたからではない。金がかかるからである。
ただ、叔母は厄介払いが出来ると思ったのか、意外と協力的だった。
叔母と実の親の間でどういう駆け引きがあったのか、レイは知らない。知りたいとも思わない。
とにかく叔母の家から出たかった。あの家に居た間は、いい事など一つもなかった。
そしてそれ以前、両親と暮らしていた時の思い出も・・・・いや、思い出などときれいなものではない。
(・・・あと一年、一年学校にいけば働くことが出来る。)
義務教育を受けるのは、一人暮らしするための条件の一つだ。レイの為ではなく、親の世間体の為である。
(そうすれば、経済的にも独立出来る。あんな人たちに面倒みてもらわなくても済む。)
その為にも勉強は大事だ。学校に行くのはレイの希望でもあった。
(だから、あと一年・・・・それでもう、みんなともお別れ。)
だったら仲良くする必要などない。無理に笑って、友達のように接することもない。
みんなとは、生きかたが違うのだから・・・・。今まではそう思っていた。
(その筈だったのに・・・・・・何故?)
なのに今、レイの心は大きく揺らいでいる。
仲良くしようと云ってくれる人がいる。
仲良くしたい自分がいる。
そして、その想いから逃げようとしている自分も。

(私・・・・・わからない。私は、どうしたいのだろう・・・・・?)


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