< ever : 4話 − 1st パート >


− e v e r −

「 プロミス 」


PiPiPiPi・・・・。目覚ましの音に、レイは薄く目を開ける。
単調な機械音をどこか遠くの方で聞きながら、仰向けの身体をゆっくり回転させ、手を伸ばしてアラームを止めた。
半身を起こしたあと、覚めきってない目で薄暗い部屋をぼうっと見つめる。
普段眠りが浅いのですぐに目は覚める方だが、血圧が低いせいか朝には弱い。
やがてのろのろとベッドから降りるとカーテンを開け、少し危なっかしい足取りでシャワーを浴びにいく。
朝のシャワーは一人暮らしを始めた頃からの習慣になっていた。手早く浴び終え、外に出る。
短時間だが、それでも白過ぎるほどのレイの肌はうっすら桜色に染まっている。
身体を拭いた後、バスタオルを巻きつけたままの格好でドライヤーを使い、髪を乾かす。
乾かしている間、鏡は見ない。というよりこの部屋に鏡はない。鏡に映る自分の姿を、彼女は毛嫌いしていた。
髪が乾けば良いのか手櫛をいれながらサッと水気を飛ばすと、ドライヤーを置く。
時計に目をやって余裕があるのを確認すると、ブラシを手に取って髪を梳き始める。これもいつもは適当に済ますだけだ。
だが今日は椅子に腰掛け、普段より念入りに櫛を通す。さすがに姿が見えないのは不便だが、それでも鏡を買うのは躊躇していた。
ふと視線を移すと、外が曇っているため窓ガラスが僅かに部屋の風景を映し出していた。
その中に薄い陽炎のような自分がいる。青い髪も紅い瞳も、白い顔すら持ってない、輪郭だけの存在。
以前はいっそそう生まれていれば、と本気で思ったこともあった。
でもなぜか今朝は、輪郭の中にある筈の自分の容姿が気に掛かる。他の人たち、いや、彼から私はどう見えるのだろう・・・・?。
(・・・・・なに馬鹿なこと、考えてるの・・・・・?)
気恥ずかしさを覚えて窓から目を逸らす。また髪の毛を丹念に梳き始める。
その思春期特有の初々しい表情を映すものは残念ながら、この部屋には無かった。


レイは普段より遅めに登校したが、それでもクラスでは早いほうで、教室に居るものはまばらだった。
自分の席につくと図書館から借りてきた小説を広げる。しばらくは、その世界に没頭した。
時間が経つにつれ、徐々に生徒が増えてくる。教室に入ってくる慌ただしい人の流れとは無縁のように、彼女は静かだった。
しばらくしてシンジが教室へ入ってくる。静かな水面のようだったレイの雰囲気に僅かなさざ波がたつ。
「おはよう、綾波。」
本を見続けていた頭の上から、明るい日差しのような声が降り注ぐ。
「おはよう、碇くん。」
レイも顔を上げ、挨拶を交わす。喋り口こそ普段と変わらないが、抑揚のない声音の中に体温を感じさせる。
先週、シンジが家に来たときから、レイは今まで以上に彼の存在が気になった。
目を合わせたのはほんの一瞬だが、それだけで暖かい滴が心に落ちるのを感じる。
シンジは鞄を机の上に置くと、筆記用具を並べ始める。
レイは再び手元に視線を落とすが、意識は隣を向いている。
結局授業が始まるまで、その手が小説のページをめくることはなかった。

「起立ーーーーーっ!」
ミサトが教室に入ってくると、ヒカリの号令で生徒達は席を立って挨拶する。
「みんな、おはよーーーー。」
ミサトも元気良く応える。たとえ生徒達にとって形式だけのものでも、彼女は朝のこの挨拶が好きだった。
教室を一目見廻し、全員が揃っているのをみて満足する。特に先週、欠けていた生徒が今は此処に居てくれるのが嬉しい。
「とりあえず今朝の連絡事項は何もなし。じゃ、早速授業に移るわよ。」
話しながら、国語の教科書をめくる。
「先週の続き、っていっても休んでた人がいたか。綾波さん、32ページの最初の段落から。・・・折角だから、読んでくれる?」
「はい。」
レイが立ち上がって教科書を読み始める。彼女の淡々とした語り口はまるで詩を朗読しているようで、耳に心地よい。
(なんか、嬉しくなっちゃうなあ・・・・・。)
ミサトが口をほころばせる。心なしか、レイの声には今までよりも感情が籠もっているように聴こえる。
彼女がこうして学校にいる姿はもしかしたら、二度と見れなかったかもしれない。
「はい、ありがと。じゃあ続きを洞木さん、お願いするわ。」
「はい。」
ヒカリはレイとは対照的に張りのある声で、ハキハキと喋る。言葉のテンポもよく、聴いてて爽やかだ。
(でも、あの時はそうじゃなかったわね・・・・。)
レイが自宅に閉じ篭った時のヒカリは、心配と後悔でずっと落ち込んでいた。ミサトが言葉を掛けても、暗く俯いているだけだった。
再びレイが学校に出てきて最初に会話したとき―――自分もそうだったが、特にヒカリは涙で殆ど声が出ない状態だった。
あれ以降、レイとヒカリの距離が一歩、近づいたように思える。
(・・・・私は、何も力になれなかったけど・・・・。)
つくづく自分の未熟さを感じる。生徒一人一人の心情を慮り、導いていくというのは相当困難な話だ。
だが、それを求められるのが教師である。
(・・・・まず、私がしっかりしなきゃね。)
何年経っても、この仕事はずっと手探りでやっていくしかない。生徒達の信頼を失わないようにしなければ、と心を新たにした。


一日の授業が終わったとき、ヒカリがレイに声を掛けた。
「綾波さん、校門まで一緒に帰らない?」
校門を出たらヒカリとは反対方向になる。レイの家は、どちらかといえばシンジ達の方向に近かった。
「今から職員室に行くの。さっき先生に呼ばれたから。」
「え、知らなかった。何だろう?」
自分は呼ばれてないからクラス委員絡みのことではない。
「わからない。・・・でも、大したことじゃないみたいだから。」
とりあえずレイの言葉に安心したのか、ホッとした表情をみせた。
「そう・・・・じゃあ私、先に帰るね。」
「ええ、また明日。」
レイと挨拶を交わしたヒカリは廊下でトウジとすれ違った。
「お、イインチョ、またな。」
「じゃあね、鈴原。・・・掃除、ちゃんとやるのよ。」
「へえへえ。」
モップをぶらぶら下げながら面倒くさそうに応える。教室に入ると、帰り仕度をしていたケンスケに声を掛けた。
「あれ、シンジはおらんのか?」
「ああ、鞄置いてるから部活じゃないか?こっちの方の。」
そういってチェロを弾く真似をする。
「ほうか。」
シンジの机の脇に鞄が置いてあるのを見たトウジは、何気なくその隣の机にも視線を走らせた。
「ん?綾波も鞄、置いとるのう。」
彼女の机の上にも、鞄が取り残されていた。

レイが職員室に行ったとき、ミサトは不在だった。出直そうか、と迷っているとリツコが話しかけてきた。
「あら綾波さん、どうしたの?」
「葛城先生に呼ばれてきました。」
「ああ・・・まだ会議が終わってないみたいね。もうそろそろ終わると思うから、座って待ってれば?」
空いていた隣の席の椅子を差し出す。
「・・・・失礼します。」
礼儀正しく挨拶したレイに、少し含みを持たせた目を向けて話しかけた。
「あれから、具合はどう?」
「・・・ええ、大丈夫です。」
他の教師がいる手前大っぴらには出来ないが、先週レイが学校を休んだのは体調不良の為ということにしていた。
それをミサトに提案したのはリツコだった。教師の中でこのことを知るのは、他に加持しかいない。
「みたいね。とてもいい顔をしているから。」
リツコは少し目を細め、穏やかに微笑む。慈しむような視線を受け、少しレイの頬が赤くなる。
入学時から自分は独りだと決め付けていた。大人は自分を疎んじるか利用するかだけの存在だと、ずっと思っていた。
自分の担任だったときから、彼女はこうして見守ってくれた。なのにどうして気付かなかったのだろう?
「・・・・御心配かけて、申し訳ありませんでした。」
「あなたがそう云ってくれたことが、何より嬉しいわ。」
リツコはレイと初めて会ったときのことを思い出していた。
いくらこちらから話しかけても会話にならない。ごく簡単な返事が返ってくるか、或いはただ黙ってこちらを見返すだけ。
彼女のその態度は同級生に対しても変わらなかったが、教師に対する態度の方がより冷ややかだったと思う。
だが、リツコはそれを責める気にはならなかった。やはり自分にも、同じような時期はあったから。
「今はあなたの担任じゃないけど、それでも私はそのつもりだから。気が向いたらいつでも声を掛けて。」
「ありがとうございます。」
ちょうどそのとき、ミサトが帰ってきた。
「ごめんなさいねぇ。会議が長引いちゃって。」
「いえ、私もいま来たところですから。」
ミサトが散らかった自分の机の上をゴソゴソ探し始める。プリントをはさんだファイルを小脇に抱え、レイを促した。
「ちょっと場所を変えましょうか。進路相談室へ行きましょう。」

進路指導室で二人きりになったミサトは、まずレイに話しかけた。
「どう?最近は。」
「ええ・・・・問題ないです。みんな良くしてくれるし、楽しい・・・・そう思います。」
「そう。よかった・・・・・本当に。」
じわりと滲んだ涙を指で拭った。二人だけだからこそ見せたミサトの姿に、レイの胸も熱くなった。
「本当に、すみません・・・・・。」
「あ、ゴメンね、気にしないで。」
慌てて笑顔を作る。ちょっと最近、涙腺が弱くてねと照れ交じりに話す。
「それでね、今日あなたを呼んだのはこれのこと。バタバタしちゃってたからあなたはまだだったわよね?」
そう云ってクリアファイルから、進路相談のプリントを差し出した。
「提出期限は伸ばすから焦る必要はないんだけど・・・・。いま、ある程度希望が固まっているのなら訊いておこうと思って。」
そのプリントにチラリと目をやったレイは、ミサトにはっきり告げた。
「私は、就職しようと思っています。」
「就職!?・・・・・そうなの。」
予期してなかったのだろう。ミサトは不意をつかれたような顔をしていた。
「ご存知・・・・ありませんでした?」
ミサトの驚きようはレイも意外だった。自分が登校しなかった原因をヒカリから聞いてると思ってたからだ。
「いえ、リツコもそんなことは言ってなかったし・・・・・。」
考え込むミサトを見る限り、本当に知らなかったのだろう。
「赤木先生じゃありません。実は・・・・・。」
レイは先週のいきさつを手短に話した。
「そうだったの・・・・。いえ、あの子は 『私が悪いんです』 ってそれしか言わなかったから、そこまでは知らなかったわ。」
恐らく自分の口から言うべきではないと考えたのだろう。ヒカリらしい、と思った。
「そっか・・・・。それで、就職するのね?」
「はい。」
「進学とか、まったく考えてないわけ?」
「・・・はい。生活しなければいけませんし、学費を出す余裕なんてありません。」
「それは誰にも頼らずに、自分一人で暮らす、ってこと?」
「・・・・そうです。」
しっかりとした声で返事したものの、顔は少し俯いていた。
「綾波さん、あなたの事情を理解していないわけじゃないけど・・・・・でも本当にそれしか、考えられない?」
「・・・・・・・・・・・・。」
今度はレイは黙りこんだ。
「私はね、就職するのが悪いって云うつもりはないわ。ただ最初から、他の可能性を捨てて欲しくないの。」
俯いたままのレイに優しく微笑みかけると、ミサトは席を立った。
「提出期限は来月末までだからもう一度、ゆっくり考えなさい。あなたがよく考えた末での結論なら、私も応援するわ。」


シンジはケンスケが言ったとおり、吹奏楽部へ顔を出していた。今日はユイが家にいるので、早く帰る必要はない。
こういった形での部活の参加は、顧問の先生の提案だった。
5歳のときから弾いていたシンジは同世代の中では流石に巧い。それに、中学生でチェロを弾けるものは少ない。
彼が演奏するのを間近で見るだけでも生徒達にはいい刺激になるだろう、そう判断したからであった。
シンジとしても、一人で弾くより合奏したほうが楽しいので、喜んで承知した。
「先輩、このところ以前にも増して良くなりましたねぇ。」
みんなとの合奏が終わると、同じ部の後輩が声を掛けてきた。
「ん、そうかな?」
「ええ、弾いてて楽しそうですよ。なんか、音色が踊ってるみたいで。」
「ほ、誉め過ぎだって、それは。」
少し照れたが、そう言ってくれるのは嬉しい。
「でも、楽しいっていうのは本当かな。」
自分の演奏を喜んで聴いてくれる人がいると思うと、自然と練習にも熱が入る。
シンジはチェロをケースにしまった。みんなよりは少々早めに帰るつもりだ。
「じゃあ僕、そろそろ帰るから。」
「はい、お疲れさまでした。」
音楽室を出てシンジはふと立ち止まった。鞄を教室に置き忘れたのに気がついた。


だいぶ日の傾いた校舎の中を、レイは鞄を取りに教室へ向かった。
予想以上に遅くなってしまった。教室に戻ったが、さすがに誰もいない。
午後になってから顔を出した太陽が西日となり、室内を茜色に染め上げていた。
鞄を持とうとしたレイは外から聞えてくる声に脚を止め、窓の近くまで歩み寄った。
校庭では生徒達が元気な声を飛ばしながら部活動に勤しんでいる。四階からだと小人の群れがひしめき合っているようにも見えた。
自分はスポーツを楽しいと感じたことがないので、夢中になってボールを追っている小人達を少々羨ましそうに眺める。
(あんな風に、みんなと一緒になにかに打ち込めたら楽しいのかしら・・・・・。)
今まで集団での行動を避けてたので、部活動などの経験もない。
普通の生徒が当たり前のように行うことを、自分はしてきてない。学校生活でも、思い出というものを持ち合わせていなかった。
校庭のフェンスに並行して植えられている桜の樹に視線を移す。
樹の下は散らばった茎が絨毯のように敷き詰められ、その薄紅色と対照的な青々とした葉が育っている。とっくに花は散っていた。
シンジに花見に誘われたことを思い出した。本当は自分も行きたかった。
(どうして、断ったりしたんだろう・・・・・?)
いまさら後悔しても取り返せない。自分は今までこうして、沢山のものを取りこぼしてきたように思う。
自分の手を滑り落ちたものを思い返すように、校庭を見続けた。

シンジは楽器ケースを片手に教室に戻ってきた。このケースを持ってたためか、何故か鞄を持っていたよう錯覚していた。
自前なので仕方ないが、楽器を学校に置いておけないのが少々煩わしい。
教室のドアが開いているのを見ておや、と思った。普通この時間まで人はいない。
中を覗きこむと窓際に一人、少女が立っていた。
「あれ?綾波、まだ居たんだ。」
声を掛けられたレイは少し驚いたように振り返った。
「・・・碇くんこそ。」
そう応えたレイの視線が、シンジの楽器ケースに移る。
「あ、僕はさっきまで部活に顔出していたから。」
「部活、やってたの?」
「ちゃんとした部員じゃないけどね。たまに、出させてもらってるんだ。」
「そう・・・。」
シンジはケースを机に置くと、レイへと話しかけた。
「綾波は部活とか、やんないんだ?」
「今まで、やったことない。前の学校でも・・・・。」
「ふうん・・・・。ところでどうしたの?こんな時間まで。」
「・・・・用事、あったから。」
彼女の言葉は相変わらずそっけない。でもシンジはもう、それを気にしなくなっていた。
あのとき彼女の本当の姿に触れたから。本当は誰よりも傷つきやすく、純粋な心の持ち主だと気付いたから。
窓の近くまで歩み寄ったシンジは、レイと同じように校庭を見下ろした。
(こうやって外を眺めるのって、最近してなかったなあ・・・・。)
いままで当たり前に通ってて、当たり前に馴染んだ風景。
(なんか、実感湧かないな・・・・。あと一年で卒業だなんて・・・・・。)
小学校を卒業したときはどうだっただろう?いつの間にかその時の記憶も遠くなっていた。

「綾波、何を見てたの?」
「・・・・桜。」
レイの返答に、シンジは校庭の隅に目をやった。
「あ。・・・・もう、散っちゃったね・・・・桜の花。」
花見のことを思い出して残念そうに呟いたシンジが、気を取り直すように誘った。
「今年は駄目だったけど来年は行こうよ、お花見に。」
「来年・・・・?」
「その、綾波さえ良かったらだけど。」
はにかみを交えた彼の言葉が、さっきのミサトとの会話を甦えらせた。
(来年、私は・・・・・。)
レイは云いかけた言葉を飲み込んだ。自分が進学しないことをシンジは聞いているのだろうか?
いずれ分かることだし、別に隠すつもりもない。そう思っても、口に出すのが躊躇われた。
(私は、どうなっているんだろう・・・・・?)
今までは学校をでて一日も早く自立したい、それしか頭に無かった。
卒業して何処にいくのか、何をするのかなど考えてない。いまさらのように気が付いた。
シンジの視線から逃げるように窓の外を見る。レイにとってはまだ馴染みの薄い校庭の風景。
だがこの風景を見られるのもあと一年もない。そう思うと、ふと寂しさを覚える。
沈黙が、永かった。気軽に投げかけたつもりの言葉に返ってきた無言が、シンジを不安にさせた。
「綾波・・・・どうしたの?」
レイは顔を上げると窓の外を見つめたまま、強い声で応えた。
「碇くん・・・・・・約束しましょう。来年、一緒に行くって。」
(私は今まで自分から、何もしようとしなかった。・・・・・何も・・・・・。)
まもなくみんな卒業する。そのときはもう、自分もシンジ達もここに居ない。
だからせめて残り一年、最後の学生生活だけは悔いのないようにしたい。
「今度は、必ず守るから・・・・・。」
こちらを向いたレイの真剣な眼差しに、シンジも真顔で応えた。
「・・・うん、約束しよう。」
彼女の真剣さの意味は解らない。でも約束するといった。シンジにとって、それこそが重要だった。
レイは穏やかに微笑んだ。そのときの笑顔を自分は、一生忘れる事はないだろう。

「まだ、帰らないの・・・・?」
「私はいい・・・・。もう少し、見ていたいから。」
そう言ってまた、視線を外に戻す。
「そう―――。」
シンジもまた、外を見た。見慣れた校庭。これももう間もなく、思い出に変わるのだろうか―――。

外が暗くなるまで二人は、同じ風景を見続けた。


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