< 10万Hit&二周年記念: K02−A Part >



「 夏祭り(中篇) 」


お祭り当日。日が暮れ始めた頃、心地よい涼風に誘われるようにシンジたち四人はミサトの家を出た。
祭りのある神社まで少し距離はあるが、ちょっと遠出の散歩と思えば悪くは無い。
ミサトの勧めで足の指に透明なテーピングを施しているので、鼻緒で指が痛くなることもない。四人はゆっくりと歩いた。
丘よりも少し小高い山のふもとに神社が在る。この土地では昔から豊作を祈願するため、夏祭りが行われていたらしい。
神社に近づくに連れ、人が増えてきた。自分たちと同じように浴衣を着た人が大勢集う。
トコトコトコトコ・・・・・。
遠くから響いてくる太鼓の音。心臓の鼓動と調和するそのリズムは、異国の少女であるアスカの心をも浮き立たせる。
「い〜じゃんこういう雰囲気。何かが始まりそうでさぁ、ワクワクしてこない?」
「まあ、最初だけはね。」
浮かないままの顔をしたシンジがボソッと呟く。
「ちょっとシンちゃん、暗いわよぉ。子供は子供らしくパァ〜っと明るい顔しなきゃ。」
「そう!大体こんな美人がいるのに、何でそんなシケた顔してんのよ!?」
(目立ち過ぎるんだよぉ・・・・・。)
さっきから周囲の視線が痛い。それもその筈、一人でも十分過ぎるほど人目を惹く浴衣姿の美女が三人揃っているのだ。
その華やかな中にポツンと取り残されたような男一人の自分にも、羨望や興味本位の入り混じった視線が飛んでくる。
トウジやケンスケなら此処にいるだけで感涙ものかもしれないが、自分ではあまりにも場違いに感じる。
(そりゃ・・・・ちょっとは嬉しくないわけじゃないけど・・・・・。)
ずっと無言のままのレイがそこに居るのを確認するように、後方を覗き見る。
その少女もまた、鳴り響く太鼓の音に耳を傾けているのか、少し放心したように虚空を眺めていた。
白地に藍の模様を染め上げた浴衣は決して派手ではないが、古風なその柄は彼女の持つ清楚な美しさを際立たせる。
シンジがレイの方を見ているのに気付いたアスカは、横から彼の耳を引っ張る。
「い、痛てっ!痛いってばっ!」
「チンタラよそ見してないで、ちゃんと前見ながら歩きなさいよ!」
嫌がおうにもアスカの方を向かされたが、間近にみた彼女の艶姿にも目を奪われた。
朱色の生地に色とりどりの花が散りばめられたデザインはレイに比べるまでもなく派手だが、少しも嫌味になってない。
豪奢な色彩が彼女の持つ華やかさを華麗に彩っている。勿論、中心となるアスカの美しさがあればこそ、である。
(う・・・・たしかにアスカも、いつもとなんか違うなあ・・・・・。)
薄くルージュをひいた彼女の唇の艶やかな紅が、普段よりも大人びた印象を与えている。
「んっふっふ。シンちゃんたら早速尻に敷かれてるじゃない。」
そしてミサトは蒼紫に染め抜いた浴衣を纏う。落ち着いたその色は髪を結った姿と調和し、しっとりした色香を漂わせている。
だが惜しむらくは、中身は普段通りの彼女である、ということか。
「・・・・べ、別に言いなりになってるわけじゃないですよ。」
シンジはちょっと反論したが、アスカはミサトの冷やかしなど耳に入らないのか、興味深そうに夜店を見廻している。
「シンジぃーーッ!!あれなによ?いってみましょ。」
シンジの腕をぐいと掴んで見せたその瞳は好奇心でキラキラ輝いている。
一瞬その輝きに見惚れていたシンジだが、腕をぐいぐい引っ張られて我に返った。
「・・・・ちょ、ちょっと、アスカ。そんな引っ張らなくても。」
文句を言いながらも、何となく嬉しそうな顔で従うシンジ。
手を繋いで走り出す二人を、レイは少し引いた位置で見ていた。

アスカが最初にチャレンジしたのは射的だった。この手のことは得意な筈なのに何故か今回は、なかなか的に当たらない。
「はいお終い。残念だな、嬢ちゃん。」
これでもう何回外したか分からない。少し人相の悪い店番がニヤリと哂うのが憎たらしい。
「もう!なんで当たんないのよ!?」
「・・・アスカさあ、それじゃダメだって。」
後ろで見ていたシンジが口を挟む。彼女が的を絞ったのとは別の方角へ弾が飛んでいたのに気付いたからだ。
「なんですって?じゃあアンタ、やってみなさいよ。」
アスカから空気銃を受け取り、シンジは大雑把に狙いをつける。二、三回は外したが大体クセを把握したので、次は的に命中させた。
「なんで〜〜っ?なんで当たるの!?」
「正確に狙おうとし過ぎるからだよ。たぶんこの銃の照準が狂・・・・。」
そこまで云いかけてハッと店の人の視線に気付く。テキや風のアンちゃんが獰猛な目でこっちを睨んでいる。
「・・・・ア、アスカ、次行こうよ。」
「なに?アンタ勝ち逃げするつもり?」
「そ、そうじゃなくて・・・・。ホ、ホラ!風船釣りでもしない?あれも楽しいよ、きっと。」
少し不満げな顔のアスカだったが、シンジにグッと手を掴まれ、反論する気が失せた。
「し・・・・仕方ないわね。まあ、それほど云うんなら試してみてあげるわよ。」
言葉とは裏腹に胸がドキドキしている。胸の高鳴りを包み隠すように零れんばかりの笑顔を向けた。
「よぉ〜し、行くわよ、シンジ!!」
その勢いについ、シンジものせられる。普段怒鳴られたり蹴られたりと散々だが、なんだかんだ言ってもこの笑顔には弱い。
仲の良い兄妹のように、連れ立って歩いた。

二人から離れた位置で、ミサトとレイは並んで歩いていた。
「やれやれ。忙しいわね、あの二人は。」
さっきからひとところに落ち着かないシンジとアスカの姿を目で追いながら、ミサトは微笑した。
無邪気にはしゃぐアスカの姿を見ていると、なんだか自分も微笑ましくなってくる。
「まあでも、アスカの機嫌がいいとシンちゃんも楽しそうだし。・・・ホント、太陽みたいね。アスカは。」
彼女がカッカしてるとシンジは汗を流し、朗らかな時は周囲に暖かいものを振り撒く。
それを比喩してミサトは言ったのだが、その言葉をレイは別の意味に受け取った。
さっきからレイは、自分の気持ちを持て余していた。彼女の瞳はずっとシンジを、そしてアスカを捉えていた。
明るい、太陽のような少女。翻って自分は、暗い夜でしか気付かれない月のような存在。
本来それは資質の違いであり、各々の個性の差である。決して優劣の差ではない。
だが今のレイは、アスカという存在がとても気になる。
自分にはないあの明るさ、あの笑顔。自分だけで輝くことの出来る存在。
周囲の人を、シンジを惹きつけることの出来る魅力をもった少女。
そう考えると、胸の奥に鋭い針で刺されたような痛みを感じる。
そして、そんな感情を持ってしまった自分自身に戸惑う。
羨望、それは今まで無縁の感情だったから。
(・・・・・どうしたの私?何故、こんな気持ちになるの・・・・・?)
アスカの腕はシンジの腕に絡みついている。賑やかに喋る二人が、とても楽しそうに映る。
それを見るたび、さっきよりも頻繁に心が痛み出す。
(羨ましい・・・・?彼女が羨ましいの?私・・・・・・。)
レイが硬い雰囲気のまま、祭りに関心を向けようとしないのをミサトは気にしていた。
「レイ、何か興味を惹くようなものある?」
「いえ・・・・別に。」
そう言って首を横に振る彼女に、軽く失望を覚える。
「あなたには楽しくないかしら?」
「楽しい・・・・・?分かりません。」
自分がいま楽しいかどうか分からないのか、そもそも楽しむということ自体知らないのか、ミサトには判断つきかねる。
アスカとシンジが戻ってきた。何故だかアスカは不機嫌そうな顔をしていたのだが、手元を見て理由が分かった。
シンジは両手に風船やら金魚やらを沢山抱えている。対してアスカは手ぶらだった。
「シンちゃん、凄いわねぇ。それ、全部取って来たの?」
「ええ・・・・・何でだか取れちゃって。」
「ズルいわよ!アタシなんか初めてなのに、アンタは毎年こっそり腕磨いてたんでしょ?」
負けず嫌いのアスカには、遊びでもシンジに遅れをとるのがガマンならないようだ。
「そ、そんなことないよ。僕だってもうずっと、お祭りに来たことないんだからさ。」
「じゃあなんで、アタシが取れないわけ!?」
「そりゃアスカがヘタ・・・・・。」
ジロリと睨まれて口ごもるシンジに、ミサトが助け舟を出す。
「はいはい二人とも、そろそろ花火が始まる頃だから場所変えるわよ。」
「あ・・・・えぇと、どこ行くんですか?」
「う〜ん、どっかゆっくり見れるところがいいわね。ちょっちその前に、食べるもの買って行きましょ。」

花火を見ながらつまめるものを、というミサトの提案で、たまたま目についたたこ焼きの屋台をくぐる。
「はい、らっしゃい!」
シンジ達がたこ焼き屋を覗くと、いかにもいなせな風貌の兄さんが威勢の良い声で迎える。
「ほ〜っ、こらまた別嬪さん揃いだなぁ!」
お世辞ではなく心底感嘆しているらしい。やはり歳相応に、ミサトに熱い視線を向けている。
「あらぁ、そんなの聞き飽きてるわよん。」
という割にはミサトも嬉しそうだ。普段より愛想5割増しの、はしゃいだ声で注文する。
「じゃあねぇ、とりあえず一人一舟、貰っちゃおうかしら。」
「まいど!へへ、美人さんには一舟余計におまけしやすよ。」
「あらん!そんな気を使ってくれなくても・・・・でもどうせなら二人分、おまけしてくれない?」
「そ、それはちぃと・・・・。」
楽しげに会話するミサトの影で、アスカがシンジの袖を引っ張ってヒソヒソ耳打ちする。
「調子いいわね〜、ミサトもあの男も。」
「なんかミサトさん、すっごく喜んでるみたいなんだけど。」
「どーせ普段、云われ慣れてないからよ。ああは成りたくないわね・・・・。」
顔を見合わせて笑おうとしたシンジの視界に、ミサトの顔が映る。
「アンタたち・・・・な〜にコソコソしゃべってるわけ?」
「い、いえっ!別に。」
ミサトは少し疑わしそうな目線を向けていたが、まあいいわと言って言葉を繋いだ。
「いま聞いた話だとね、神社の裏の石段を登ったところに社があって、花火を見るんならそこがお勧めみたいよ。」
ミサトが聞いた所では見晴らしも良く、知っている人もあまりいないらしい。
「焼きあがるのに少〜し時間かかるそうだから、飲み物買ってくるわ。出来上がったらこれ、渡しといてねん。」
シンジにお札を渡すと、ミサトは別の夜店へと向かって歩いていった。
少し所在なげに待っていたシンジに、たこ焼きを焼く手を止めずに店の人が話しかけた。
「なあキミ、あの人の弟さんか何かかい?」
「あ・・・・・ま、まあ、そんなところです。」
「後ろにいるのは妹さんかい?それともガールフレンド?」
「い、いえ・・・・と、友達ですよ。」
どちらのことを言ってるのだろう?シンジはほんの少し、気になった。
「へぇ、両手に花ってやつかい。いや〜いいねぇ、若いうちに青春をタップリ味わっときな。」
こちらの言う事を聞かないで話を進めるタイプだ。さすがミサトさんと気が合うだけはあると、妙な所で感心した。
「ヘイ!おまちどうさん。」
お金を渡してから、焼きたての熱い包みを受け取る。
「まいどあり〜っ!また宜しくな!」
大きな声に送られながら、アスカたちの元へ歩いていく。
「なに話してたのよ?」
「・・・・別に。」
両手に荷物がいっぱいのシンジを見て、レイが声を掛けた。
「碇くん、私が持つわ。」
「え、ありがとう。」
渡そうと手を伸ばしたとき、アスカが横からサッと荷物を奪う。
「まったく・・・。持って欲しいんなら早くそういいなさいよ。」
「え?い、いやそんな、無理に持たなくても・・・・。」
まさかアスカが自分から持つと言うとは思わなかったので、かなり驚いた。
アスカはもう荷物を持ったまま、さっさと歩き始めている。
「・・・・・何なんだろ?」
独り言のように呟いてはみたが、やはりというか、レイから返事を貰うことは出来なかった。


長い石段を上ったところにある小さな社まで辿りつくと、確かにそこは穴場らしく誰もいない。
灯りは無いが、良く晴れた空から降る月明りのおかげでさほど不自由しない。少し汗ばんだ頬に夜風が心地良い。
「へえ、見晴し良いじゃない。」
ふもとを見ると、先程まで居た祭りの場所が一望できる。櫓を中心に広がる提灯が漆黒の大地に浮き上がり、幻想的な舞台に映る。
持ってきたマットを拡げると、いち早くアスカが前を陣取る。ミサトはアスカの後ろに座ってビールを置いた。
「うーん。いま考えると6本だけなのがそーとー不満ねぇ。」
「まったくこんな所まで来て、飲んべえなんだから。」
「もう、いつもどこで憶えてるのよ?そんな日本語。」
「どこだっていいでしょ。・・・ちょっとシンジ、狭いんだからこっち来なさい。」
「は?狭いんだったらボク、後ろにいた方がいいんじゃないの?」
「ったく、気が利かないわねぇ。あんたがそこに居るとファーストが座れないから、こっちに寄れっていってるのよ!」
(だったらアスカの横に綾波を座らせばいいじゃないか・・・・。)
そう不満に思いながらもアスカの隣に座る。
(はぁ〜、この天邪鬼は・・・・。最初っから並んで座りたいって素直に言えばいいのに。)
ミサトは目の前のアスカを眺め、ついで隣のレイに目をやった。
(この子は、どう思っているのかしらね?)
レイの表情に変化はない。少なくとも、ミサトには読み取ることが出来なかった。
「いっただっきま〜す。」
アスカは買ってきたたこ焼きを一口で頬張ると、途端にハフハフ息を吸いながら手足をバタつかせる。
「は、はふっ!あっふ〜う”っっ!!!」
「・・・まったく、一口で頬張るから。」
飲み物を探そうとしたシンジより先に、ミサトが缶を手渡した。
アスカはそれを一息で流し込んだが、吹きそうになった口元を押さえ、突然ケホケホ咳き込んだ。
「ア、アスカったら慌てて飲むからだよ。」
「ち、ちがう・・・・・・ミサトッッ!!何これ、お酒じゃない!?」
アスカの持った金色の缶に 『YEBICHU』 の文字が輝く。
「んふふっ、口の中がスカッ!とするでしょ?これ、ビールに合うのよねぇ〜。」
たこ焼きをかじりながら無責任に笑うミサトに、二人は開いた口が塞がらなかった。
「あんたね〜っ、未成年にお酒飲ますなんてホントに保護者ぁ!?」
「そうですよミサトさん!悪ノリし過ぎですよ。」
二人からの文句を、フフンと意地の悪い笑顔であしらう。
「あらぁ、悪かったわね。・・・ま、お子様にはちょっち早いかもねぇ。」
その言葉にカチンと反応するアスカ。口ではしょせんミサトの敵ではない。
「ダレがお子様ですってぇ?・・・・何よ!こんなもん。」
そういうが早いかビールを一気で飲み始める。
「ちょ、ちょっと、無茶だって!」
シンジの制止も間に合わず、一息に半分も飲み干し、ぷはぁ〜と息を吐く。
「お〜〜っ!!いい飲みっぷりじゃン!」
「だからミサトさんもちょっとは止めてあげて下さいよ!」
「うるさいバカシンジ!ホラァ、アンタも飲みなさいっ!」
「ぼ、ボクはジュースでいいってば・・・・あ、綾波。コーラと烏龍茶どっち飲む?」
「お茶がいい。」
シンジが振り向いて缶ジュースとたこ焼きを手渡す。
「これ、熱いから気をつけて。・・・・あ、こうすれば中も冷めるから。」
蓋を開け、つまようじでたこ焼きを半分に割ってあげる。
「知ってる。今の見てたから。」
愛想の無い返事だと思い直したのか、少し恥ずかしそうに云い直した。
「・・・・でも、ありがとう。」
「どういたしまして。・・・・ははっ、そんな大層なことじゃないけどね。」
暗がりで見え辛かったが、珍しくレイは照れたような顔をしていた。
(へえ・・・・レイがこんな表情するなんてね。相手がシンジ君だからかしら?)
その時の彼女の表情を間近で見たミサトは、意外に可愛い一面に少し嬉しくなった。
が、何となくアスカは面白くない。
「ちょっとぉ、アタシんときと随分態度違わない?」
「アスカは止める暇無かったんじゃないか。」
あっさり言われて、フンッと顔を背けながらまたビールを飲む。どう見てもヤケ飲みに近い。
「ミサトォッ!もう一本貰うわよ。」
「アスカさぁ、もう止めとけってば。」
「へ〜んだっ!お子ちゃまは黙りなさい。」
そういってミサトのストックからかすめ取った缶ビールをカシュッ!と開ける。
「あ〜アスカッ!アタシが悪かったから、アタシの分まで飲まないでぇ!」
賑やかに騒いでいると、遥か上空から閃光が放たれた。

中空で弾ける火の結晶が暗がりにいた四人を映し出す。少し遅れて空のあらぬ方から大太鼓のような破裂音が鳴り響く。
全員動きを止め、夜空を見上げた。二発、三発と次々に花火が上がり、夜空を華麗に彩る。
「綺麗ね・・・・・。」
散り行く光の欠片を瞳に映しながら、アスカが呟く。
「うん・・・・。僕も、花火は好きだな・・・・。」
シンジの視線も、夜空に釘付けになった。
ミサトが花火を見つめるその瞳は、どこか哀しい。彼女が見ているのは、遠い記憶だろうか。
「そうね、儚いけど・・・・だから惹かれるのかしらね・・・・。」
たとえその煌きは一瞬だとしても、でも確かにその時、その瞬間は、他の何よりも輝いている。
レイはただ、一心に空を見上げている。
彼女の紅い瞳はそれ自身が瞬間の煌きのように、刹那の光を宿していた。


花火が終わると、祭りも終わりを告げる。シンジが嫌いだったのは、この瞬間だった。
でも今日は一人じゃない。家族―――そう呼べる人たちに、包まれている。
四人揃って歩く。いや、正確には歩いているのは三人で、残り一人はシンジの肩に掴まり引きずられているのが正しい。
「アスカぁ、起きてる?」
「・・・・・ふるひゃい・・・・・。」
返事も足取りも危なっかしい。慣れないビールを一気に飲んだのだ。酔っ払って当然だろう。
突然、アスカの重みが急激に加わった、シンジはよろけながらも抱きとめる。
「・・・・・寝ちゃったよ・・・・・。」
スースーと寝息を立てた彼女を支えながら、シンジは途方に暮れる。
「やれやれ、しょうのない子ね。」
「・・・原因の半分はミサトさんだと思うんですけど。」
シンジにジト目で睨まれたミサトはバツが悪そうに頭を掻くと、慌ててごまかした。
「あ・・・・あ〜っ!ちょっとアタシ、タクシー拾ってくるから。シンちゃんはアスカを抱っこしてるのよ。」
「だ、抱っこ・・・・・。」
その言葉に絶句したが、確かに今の体勢では抱えてやるしか出来ない。
(ま、まさか綾波に頼むわけにもいかないし・・・・。)
レイは無意識なのか、そうでないのか、シンジとは別の方向を向いて目線を合わそうとしない。
仕方なくアスカの腋の下に手を通し、お尻に触らないよう注意して腰を支える。どう見ても、抱きすくめてるようにしか見えない。
「ま、まったく困ったなあー!!ほんとミサトさんも無責任だよね!?」
誤解されないようにと大声で言い訳したが、レイの表情にはいささかの変化も見えない。
(・・・・・何言ってんだろ、僕は。綾波が僕のことなんて気にしているはず無いのに・・・・・。)
彼女が不機嫌になるなんて少しでも考えた自分がバカだったと、落ち込みながら腕の中のアスカを見る。
天使のように純粋な、あどけない寝顔。いつもの怒った顔に慣れきっているせいか、こうした彼女を見るのはとても新鮮だった。
(・・・・・普段からこうだったらなぁ。)
夜風が流れる。金色にたなびく髪がその寝顔を覆い隠す。
しゃがみ込んだシンジは片膝を立て、浴衣を汚さないよう膝で彼女を支える。空いた方の手で、顔に掛る髪を梳いてあげた。
「だめよおシンちゃん、寝ている隙にチュ〜なんかしちゃあ。」
その声に驚いて顔をあげると、また悪い時にミサトが立っている。
「ミ、ミサ、ミサトさん!?・・・・な、何てこと言うんですか!?」
そのタイミングの良さにひょっとしていつも狙ってるんじゃないか、と邪推する。
「やっぱりいくら愛し合う二人でも、そういうのは合意じゃなきゃあねぇ〜。」
「だ、だから、そんなんじゃなくて!別に、や、やましいことあったわけじゃ・・・・。」
どもりながら弁解しても逆効果である。焦るからよけい悪いのだが、どうも平静を保てない。
「まあ、それはともかく、タクシー向こうで待っているから早く行きましょ。」
「・・・・・は、はい。」
割とアッサリ追求の手が緩まったのにホッとしながら、ミサトと二人でアスカを抱えた。
左側からミサトが、右側からシンジがアスカを支える。三人肩を並べて歩くその光景を、レイは立ち止まったまま見つめていた。
「・・・・・あら?レイ、どうしたの。」
後部座席にアスカを寝かそうとしたミサトが後ろを振り返る。何故かレイはそこに立ちすくんだまま、動こうとしない。
「先に帰ってください。私は一人で帰りますから。」
「一人でって・・・・ここから歩くの?」
確かにレイの自宅まで歩けないことはない。だが、なぜ彼女は一緒に帰ることを拒否するのか?
「問題ありません。」
そう言い捨てたレイは踵を返し、ただ一人、夜の道を歩き始めた。
(綾波・・・・・どうしたんだよ?)
遠ざかってゆく彼女の後ろ姿に、なぜか二度と逢えなくなるような不安を抱いた。
「ミサトさん、先にタクシーで帰ってください。」
「シンジ君!?」
ミサトは引き止めようとしたが、肩に担いだアスカと先ほどから待たしている運転手を見比べ、溜め息を吐く。
「わかったわ・・・・。悪いけどレイのこと、頼んだわよ。」
シンジは頷いて応えると、離れてゆく彼女の姿を追いかけた。


レイに追いつくのにさほど時間は掛からなかった。シンジが意外に思うほど、彼女はゆっくり歩いていた。
だから余計、シンジは戸惑う。どうやって声を掛けよう、どうやって振り向いてもらおう・・・・。
目の前のレイはシンジを気にした様子もない。シンジも一定の距離を保ちながら、黙ったまま彼女の後をついてゆく。
(これじゃまるで、ストーカーみたいじゃないか・・・・・。)
普通に近寄って話かければいい、わかっててもこの距離を詰められない。彼女との差は5,6メートル、いや、もう少しあるだろうか。
一気に駆け出して、この距離を詰めてしまいたい。でもそうすると何故か、彼女に逃げられてしまうような気がする。
レイが自分に気付いていない筈が無い。なのに彼女は話そうとも、脚を緩めようともしてくれない。
(怒ってるんだろうか?嫌われたんだろうか?・・・・何で一言も喋ってくれないんだろう?)
それとも只の、いつもの気まぐれ?―――そう考えて、ハッと思い当たった。
(僕はいままで綾波の気持ちを、理解したことがあっただろうか・・・・・?)
彼女の思考は態度からは分かりにくい。でもそれは表面上そう見えるだけで、実際のところ色々なことを感じている筈である。
(それなのに 『いつもの気まぐれ』 なんて、勝手に決めつけちゃって・・・・・・。)
が、いくら考えても解らない。なぜ一人で歩くと言い出したのか、なぜ一緒に帰ろうとしなかったのか―――。
目の前の少女は、白地の浴衣のおかげて辛うじて姿が見える。が、その背中は今にも周りの闇に飲まれて消えそうなほど頼りない。
しかし、どんなに暗い道でも、その先に光がなくとも、彼女は歩き続ける。たった独りで。
今までも、そしてこれからも、彼女は孤独を選ぶのだろうか?

―――私には、何も無いもの―――

以前彼女はそう云った。自分には何も無い、だから独りなのか。
(違う・・・・・。)
そうじゃない。何も無いのなら、自分はここに居ない。こうして彼女の後を追いかけたりしない。
それとも彼女にとって自分は、そこまで無価値なのか?・・・・・そうは、考えたくない。
小川のせせらぐ土手道を二人はずっと歩いていた。川を跨ぐ小さな橋のたもとまで来たとき、何故か、レイの歩みが遅くなった。
距離が詰まる。少しずつ、ゆっくりと。あと4メートル、あと3メートル―――。

「・・・なぜ、一緒に帰らなかったの?」
不意に声を掛けられ、そこでシンジの脚は止まった。


< 続 >



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