< 10万Hit&二周年記念: K02−B Part >




「 祭りのあと (2) 」


夏休みの間、チルドレン三人は以前のように頻繁にNERVに顔を出す事もなく、のんびりと過ごしていた。
季節の戻ったこの世界も、夏の暑さは変わらない。外に出るより、中の方が過ごしやすい。
シンジはクーラーの効いたリビングでテレビを見ていた。もう少し経ったら、夕飯の準備をするつもりだった。
「シンジ・・・・・。ちょっと、いい?」
声を掛けたのはアスカだ。珍しく力の無い、迷っているような声音だった。
「どうしたの?」
シンジはテレビを消してアスカの方に向き直った。アスカは暫く俯いて黙ってたが、やがてポツリポツリ話し始めた。
「あたしね・・・・・、最近変な夢を見るの・・・・・。」
神妙な顔でアスカが言葉を続けると、その内容を聴いていたシンジの顔色が徐々に青褪める。
彼女が打ち明ける話は、シンジの見るあの赤い海と同じだった。
(アスカも見ていたんだ、あの夢を・・・・・。)
通常、人はサードインパクト時の記憶はない。すべての人間が一つに溶け込んだ時の記憶に脳が耐えられないからである。
それだけの情報量を人間の身体に詰め込めば、まず間違いなく発狂するだろう。
だから本能的に自己防衛が働き、赤い海での記憶は忘却されているはずだった。
だがもしかすると、消えた筈の記憶の断片が潜在的に残っていて、夢という映写機に投影されるのかもしれない。
或いは、彼女は一時的にエヴァの中に居たので、その時の自分自身の記憶が僅かに残っているのかもしれない。
けれどさすがに本当の事は云えないし、云いたくない。
「それは・・・・・きっとただの夢なんだよ。僕も時たま変な夢をみることがあるから・・・・。」
「へぇ・・・・。あんたの見る夢って、どんなの?」
「・・・・・え、え〜と・・・・・。」
返事に窮するシンジに、怪しいと直感が告げる。
「・・・何で言えないの?・・・・・まさか、あたしと同じ夢じゃないでしょうね?」
「ち、違うよ!・・・・あの、ほら・・・・ゆ、夢だからさ、あまりよく憶えてなくて・・・・・。」
「ふぅう〜〜ん?よく憶えてないくせに、何で 『違う』 って言い切ったのよ?」
ますます疑惑の目を向ける。ちょうどその時、ミサトが帰ってきた。
「たっだいま〜っ。シンちゃ〜ん、手紙が来てたわよ。」
「あ、は〜い。」
助かった、と内心ホッとした。アスカは逃げるように去っていくシンジを、疑わしそうに見送る。
だがそれ以上追求しないのは、或いは本当のことを知るのが怖かったのかもしれない。

「はいこれ。・・・何かヘンな手紙でさぁ、差出人の名前が無いんだけど心当たりある?」
ミサトから受け取った封筒を眺めると、確かに宛名とここの住所だけしか書いていない。
だがなんとなく、その手紙を出した人物にある種の予感めいたものがあった。
(まさか・・・・・・父さん?)


――――――――――――― ◇ ―――――――――――――

サードインパクトの後、すべての人達がこの世界に還って来たわけではない。
渚カヲル。彼は使徒として死に、そしてこの世界を支えることを望んだ。
碇ユイ。彼女は初号機のコアの中から、この世界を見守ることを望んだ。
そして―――碇ゲンドウ。
ゲンドウはサードインパクトの後、一度は還って来た。だが、少ししてシンジ達の前から行方をくらました。
結局彼はユイと一つになることは無かった。彼女は初号機と共に、NERVの奥深く封印されている。
『私は、必要無いようだな』
彼が姿を消す直前、たった一言だけ、冬月に漏らした言葉がそれだった。
ゲンドウが消えた直後に冬月からこのことを聞いた時、直感的にシンジは悟った。
(父さんは知ってるんだ。すべてを・・・・・。)
必要無いとは、いまのこの世界のことだろうか。それとも、母さんのことだろうか。
シンジは父が、この世界に自分の居場所を見出せないでいるような気がした。
「シンジ君、碇の消息だが・・・・・探すかね?」
長い間、シンジは俯いていたが、やがてゆっくりと首を横にふった。
「父さんは・・・・・生きている。時が来たら、僕達の前に現れる・・・・・そんな気がします。」
確信があるわけではない。だがまだ、父との絆が絶たれたとは思いたくなかった。
「そうか・・・・。」
冬月は上を向き、長い溜め息を吐いた。
「時間が必要なのかもしれんな。君も、あの男も・・・・・。」
冬月はすべてを知っている訳ではない。が、最もゲンドウの近くに居たものとして、何かしら感じるものがあったのだろう。
「NERVの司令の座は空けておくよ。しばらくは私が代理となるが、あいつが帰ったとき居場所が残ってないとな。」
「・・・・・ありがとうございます。」
そう応えたシンジを労わるように、冬月は声を掛けた。
「早く・・・・・帰ってくるといいな。」

――――――――――――― ◇ ―――――――――――――


(父さんの・・・・・手紙。)
シンジは部屋に閉じこもると、差出人の無い白い封筒を穴のあくほど見つめた。
自分の父親に対する感情は、単純なものではない。
憎んでいた、怨んでいた、許せなかった、かまって欲しかった、認めて欲しいとも思った、殺してやりたいと思ったことすらあった。
―――結局、嫌いになれなかった。
そして自分の出した結論―――許したわけではない。だが、出来ればもう一度、話をしたい。
その機会が来るのを待つつもりだった。だがこの手紙を前にして、再びシンジの心は激しく揺らいでいる。
まだ自分自身の気持ちに、完全に整理がついたわけではなかった。
(・・・・落ち着け、まだ父さんからの手紙だと決まったわけじゃない。)
はさみで丁寧に封を切る。少し手が震えていた。
中には二つに折りたたまれた紙が一枚だけ。
シンジは喉の乾きを憶えながら、手紙を開いた。




  『私は元気でいる。
  私のことは早く忘れろ。
  私もお前のことは忘れる。


ゲンドウ』
 




呆然とした。身体が震えた。握り締めた拳が手紙を潰し、投げ捨てる。
「ふざけるなっ!!」
自分は父が帰ってくると信じていた。いつかは話し合うことが出来る、そう期待していた。
「忘れろだって・・・・・!?」
今更そんな事が出来ると思うのか?
「忘れるだって・・・・・!?」
父はそれほど、自分が疎ましいのか?
「勝手だよ・・・・・・。勝手すぎるよ・・・・・・。」
歯を食いしばって、涙が流れそうになるのを堪える。
たとえこれが怒りの涙だとしても、自分はもう泣かない、そう決めたから。
ベッドに倒れ込むと顔をマクラに押し当て、嗚咽をこらえる。いつしかそのまま眠っていた。


手紙を受け取ってからシンジは部屋から出てこない。一度だけ、彼の怒鳴り声が扉を通じて聞こえた。
今は何の物音もしない。気を揉んだアスカはシンジの部屋へ行こうとしたが、ミサトが制止した。
ミサトの思いやりも解らなくはないが、気になったアスカはこっそりシンジの部屋に入った。
シンジは眠っていた。マクラに半分うずめた頬に、うっすらと涙の痕が残っている。
何があったかはわからない。が、何より彼の寝顔がその痛みを物語っていた。
アスカは手を伸ばし、乾いた涙の痕を指先でそっとなぞる。
(馬鹿・・・・・。なに一人で泣いてんのよ・・・・?)
考えてみればあの戦い以降、シンジが泣く姿を見たことが無い。
今までこうして人知れず、陰で涙を流していたのかと思うとやりきれなかった。
(それとも・・・・・アイツの前では泣いてるの・・・・・?)
レイの顔が浮かび上がると、猛烈に嫉妬が湧いてくる。
アスカはその顔を払いのけるように頭を振った。ふと視界の隅に、白いものが目に入る。
机の上にポツンと取り残された封筒。手にとったが中身はない。
(誰からだったんだろう・・・・・?)
アスカは整頓された部屋を見回す。部屋の隅に、クシャクシャに丸められた手紙を見つけた。


「ミサト・・・・・これ・・・・・。」

アスカが悔しそうな顔をしながら、ゲンドウからの手紙を差し出した。
ミサトはその手紙を一瞥し、眉を顰めた。
(まったく・・・・・。どういうつもりなのかしら?)
思わず拳を固める。もし目の前にゲンドウがいたら、引っ叩いてやりたい。
「シンジの奴・・・・・泣いてた。」
アスカは顔を背けて呟く。彼女の声が震えているのは、ゲンドウに対する怒りのせいだけではない。
「・・・・・・そう。」
彼は最近、自分の前でも涙をみせようとしない。それがミサトにとっても悲しかった。


翌日、シンジはレイと共に外出した。彼女の日用品を買いに行く約束をしていたからだ。
ちょっとした買い物なのでデートと呼ぶほどでもないが、レイにとっては同じような気分だった。
だからその日が来るのを心待ちにしていたのだが、当日の雰囲気は彼女が期待してたのと程遠かった。
もとより会話が弾むような二人ではない。だがいつもなら傍にいれば感じられる暖かな空気が、そこには無い。
シンジの暗い表情を見ると、肩を並べて歩くだけで浮き立つ筈の心が、重く沈み込む。
「碇くん・・・・。どうしたの・・・・?」
「・・・・え?・・・・あ、ゴメン。何でもないんだ。」
そんな会話を幾度と無く繰り替えす。彼女の問いにシンジは心ここに在らずといった応えを返すだけ。
レイはシンジの気を引立たせようと必死で話かけた。彼の重荷を取り払い、元気付けたかった。
だがもともと彼女も話すのは苦手な上、遠慮がある分どうしても伝わりにくくなってしまう。
その気持ちを知ってか知らずか、ポツリとシンジは漏らした。
「なんか綾波、前よりおしゃべりになったみたいだね。」
シンジに他意があったわけではない。何も考えずにふと感じたままを漏らしただけだった。
しかしその言葉が、レイの心を萎えさせた。
「あの、ご免なさい・・・・。余計なことを言って・・・・・。」
普段のシンジなら、その声に含まれる怯えに気付いただろう。いや、その前にさっきの言葉が失言だったと気付いた筈だ。
だが今の彼は、他者に気を配る余裕を失ってしまっている。そしてレイの心には、ある恐怖が宿る。
「御免なさい・・・・・。」
消え入りそうなその言葉は、遂にシンジに届かなかった。


自室へと戻ったレイは買い物袋を食卓に置くと、疲れた身体を椅子に沈めた。
結局、シンジと碌な会話は出来無かった。彼の負担を取り除くことはおろか、却って邪魔してしまったのかもしれない。
自分はずっと、頼ってばかりだ。今までにしてあげた事といえばサードインパクトの時、彼の望みを叶えただけ。
あのサードインパクトの直前まで、生まれ変わった自分にはココロというものが無かった。
ただ時折、白昼夢のように浮かんでは消える記憶。突然現れては胸の奥をかき乱したまま去ってゆく感情。
それが何なのかとても気になった。掴もうとすると指の間を滑り抜ける。それでも繰り返し手を伸ばした。
すり抜ける蜃気楼を掴もうとしたその掌に、何かが残る。そっと指を開くと蛍のようにか細い、だが確かな想いがそこにあった。

―――ずっと、ずっと、碇くんと一緒にいたい―――

忘れていた彼への想い。その小さな欠片は閃光のように拡がり、花火が夜空を覆うかのごとく瞬時に心を支配した。
そして自分はシンジを選んだ。彼の望む世界を創った。それこそが自分が存在する意味だったのだから。
だがその想いの主は以前の自分。シンジの望みを叶えた後の自分には、やはり何も残ってなかった。
昔のレイの抜け殻のような存在など、見せないほうがいいのかもしれない―――。
想い出は想い出のまま、渚カヲルのように彼の前から消えたほうが良いのかもしれない―――。
そこまで思い詰めたレイを繋ぎ止めるように、シンジは彼女を掴んでくれた。空虚なその心を、次第に埋めていってくれた。
それはシンジが与えてくれた絆だった。一度は途切れかけた絆を彼は根気強く、丁寧に結びなおした。
その相手は他の誰でも、昔のレイでも無い。紛れも無くいまの自分自身の筈だ。それなのに、不安が拭えない。
(もし私が、以前の私と同じでなかったら・・・・。)
彼は自分を相手にしないのではないだろうか。彼が見てるのは、昔の自分ではないか―――。
その不安が自らの心を束縛し、曇らせる。
(そんなこと無い・・・・・。碇くんはそんな人じゃない・・・・・。)
慌てて振り払おうとしても、アダムを誘惑する蛇のような暗い囁きが、耳元から離れない。
以前は何も持ってなかった。だから失うものも、奪われる恐怖すら持ってなかった。
だけど今は、大切なものがある。手放したくない、大事な大事な絆。
それを失った自分など想像出来ない。それを失うのが何より怖い。
もし彼に嫌われたら、この絆が無くなったら、自分はどうすればいい?
どうすれば―――――。

不意に、チャイムが鳴った。不躾に鳴り響く音は、レイを思考の渦から引き戻すのには役に立った。
玄関のドアを開くと、ミサトが普段着のまま、笑みを崩さず立っていた。
「レイ、ちょっといいかしら?」
「はい。・・・・あ、どうぞ。」
レイはミサトをダイニングへと招き入れた。間取りはミサトの部屋と同じなので、一人だけだと相当広い。
家具もそれなりに揃い、女の子らしい飾りつけも見える。主にミサトやマヤが勧めた物だが、彼女も気に入っているようである。
以前のような殺風景な空間ではなく、清潔に掃除され、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
台所に立つとレイは紅茶を入れてミサトに手渡す。しばらく当たり障りないことを話してから、ミサトは本題に入った。
「ねえレイ?シンジくんの様子だけど・・・・・。今日、どうだった?」
その質問に渡りに船とばかり、レイにしてはやや饒舌に話した。
「そう・・・・。やっぱり元気無かったか・・・・。」
「ええ・・・・とても心配です。一体、何が原因なのか・・・・・。 」
レイの表情にはありありと不安の色が伺える。ミサトは少し逡巡したが、例の話を打ち明けた。
「シンジくんね・・・・・。昨日、司令から手紙を受け取ったみたいなの。」
「碇司令から!?」
レイがここまで驚くのも珍しい。やはり話して無いか、と嘆息した。
「アスカがこの手紙を見つけてね。わたしも見たんだけど・・・・・。」
ミサトから皺くちゃの手紙を手渡されたレイは、文面を見ると途端に顔を曇らせる。
シンジの心情を思いやると胸が痛んだが、一方で彼が何も云わないことも辛かった。
(碇くんは、私に何も話してくれない・・・・・。)
おそらく、自分に心配をかけまいとしているのは分かる。それでも、寂しかった。
(・・・・私では、頼りにならないから・・・・。)
寂しさと自己嫌悪に曳き込まれそうになる心を押し止める。
「どうすれば、いいんでしょうか?」
縋るようにミサトに問うが、ミサトは力なく首を横に振った。
「悪いけど、私にもいい手は思い浮かばない。・・・レイ、あなたはどうしたいの?」
「もちろん、力になりたいです。・・・・・でも、私に何が出来るのか・・・・・。」
そう言って俯くレイに対し、多少苛立たしさを感じるのは否めない。
(この子ももうちょっと、自分というものを出してもいいと思うんだけど・・・・・。)
―――せめてレイに、アスカの半分ほどの積極性があったなら。
―――せめてアスカに、レイの半分ほどの素直さがあったなら。
「・・・・・月と、太陽か・・・・・。」
「え?」
「・・・あ、ご免ね。以前リツコがあなたとアスカを月と太陽みたいだ、と言ったのを思い出しちゃってさ。」
「月・・・・・私の事ですか?」
「別にどちらがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ二人は違うんだな、って、それだけの話。気にしないでね。」
ミサトは弁解したが、益々落ち込んだようなレイの姿に、自分の失言を呪った。
(どちらにしろ、これじゃシンジくんのフォローなんて無理よね・・・・・。)
他の方法を探すかと考え直し、話を戻した。
「シンジくんの事は、さり気なく見守ってあげるしかないわね。あんまり表立ってしまうとあの子、また気を使うから。」
「・・・・・・ええ。」
落ち込みから回復しない彼女の様子に、さも今思いついたように声を上げた。
「あ!そうそう!!もうすぐお祭りがあるわよね。ほら、去年四人で行ったでしょ?」
確かにその記憶は残っている。現在の自分ではない記憶が。
「またみんなで行きましょ?去年シンちゃん楽しそうだったから、いい気晴らしかも知れないわね。」
ミサトとしては、今のレイなら一緒に楽しんでくれるかもしれないという期待もあった。
「そうですね・・・・。」
レイは曖昧に頷いた。お祭りの記憶はあっても、その時自分が楽しかったのかどうかまで感情が甦っていない。
だが、確かにシンジは楽しそうだったように思う。ならば自分の事など問題ではない。
「ね?行きましょ。」
「・・・・・はい。」
暗い顔が払拭出来ないままレイは頷く。誰かの提案に頷くだけしか出来ない自分が情けない。

ミサトが帰った後もレイは一人、物思いに沈んでいた。
シンジの力になりたい。でもどうすればいいのか、全く思い浮かばない。
以前の自分なら、どうしただろう?どうやって彼を勇気付けようとしただろう?
内なる心に呼びかける。だが何も響いてこない。
(何故・・・・・何も応えてくれないの・・・・・・?)
時間が経つにつれ、一枚、また一枚と、薄紙を剥がすように記憶は甦っていた。今はもう、かなりの記憶を取り戻している。
だが今度は、あれほど自分の心を揺さぶっていた昔の感情が湧いてこない。他人の記憶を覗き見している様な居心地の悪さ。
その記憶によれば、かつての自分も絆を掴みかけていた。だが彼女は使徒との戦いで自ら自爆を選んだ。
それはただ、命令されたからだけなのか?それともシンジの為だろうか?
(あなたは・・・・・怖くなかったの?)
死はすべてを無に還す。命も、絆も、すべてが―――。
(駄目・・・・・今のわたしには、無理。)
命よりも、絆を失うのが耐えられない。今はもう、昔の自分に勝てない。
レイはアスカの顔を思い浮かべた。 ミサトは優劣ではなく個性の違いと言ったが、レイはその言葉に囚われていた。
(月は・・・・・わたし・・・・・。アスカは太陽・・・・・。)
太陽の明るさに比べれば、月の光など霞んでしまう。
月は決して、自分だけでは輝けない。シンジを導く、光になれない。
(アスカなら、わたしに出来なくても、彼女なら・・・・・。)
あの明るい、太陽のような少女なら。最もシンジの近くにいるあの少女なら、彼を慰められるのだろうか。
その情景が浮かびそうになると、またも得体の知れない感情が、心の底を這う。
(駄目!!・・・・・・・嫌われる・・・・・・・。)
不快感に鳥肌が立つ。それなのにその感情は、ヌラヌラと蠢きながら心に黒い巣穴を残してゆく。
そのどす黒い感情を受け入れるには彼女の心はあまりにも未熟で、無垢だった。
胸を押さえ、身体を瘧のように震わせながら必死で押さえ込む。それは彼女がまだシンジにすら見せた事のない姿。
今にも泣き出しそうな苦悶の表情で耐えながら、鎮めの呪文を心の中で繰り返す。

碇くんが好きになってくれたのは、こんなに醜い私じゃない。
碇くんが好きになってくれたのは、こんなに弱い私じゃない。
こんなことで悩むわたしを、彼は好きになってくれない―――。


翌日、ミサトは加持に相談を持ちかけた。シンジは益々塞ぎ込んでいるように見える。
それに引き摺られるようにレイとアスカも落ち込んでいる。何とかして挙げたいのだが、彼の返事は素っ気なかった。
「どうすれば良いか・・・・か。だが結局、シンジ君自身の問題だからな・・・・。本人以外、どうしようも無いだろ。」
ゲンドウの手紙を指の間に挟みひらつかせる加持を、恨めしげに見やる。
「冷たいこと言うのね。」
ゲンドウ絡みのことでリツコには相談したくない。だから、あと頼れるのは加持しかいない。
それなのにこの婚約者は冷静な顔で、すげない答えしか返さない。それが腹立たしい。
「シンジ君だって、昔のままじゃない。いつか自分で、立ち直るさ。」
「いつかって、いつよ?それまで放っとけっての!?」
バンッと机を叩いた拍子に、コーヒーカップが転げた。中身が空でよかった、と加持は呑気に考える。
落ち着いてコーヒーカップを戻す彼を苛立たしげに睨んだが、ふと怒りが途切れると、寂しさが心を凪いだ。
「確かにシンジくんは、強くなった・・・・・そう思う。でも、それでもまだ背伸びしているわ・・・・・。」
あの戦いの後、シンジは変わった。時々彼が、自分など想像も出来ないほど重いものを背負っているように感じてならない。
それでも彼は明るく振舞っている。自分の苦悩を見せないように気を配っている。それが透けて見えるだけに、辛い。
「なあミサト・・・・。お前にとってシンジ君たちは家族同然、それは承知している。」
「家族同然じゃないわっ!家族よっ!!」
「わかった・・・・・だがな、例え家族でも、介入しちゃいけないことってあるだろ?」
「だって・・・・・酷いわよ、こんなの・・・・・。血が繋がってるのに・・・・・本当の家族のはずなのに・・・・・。」
自分に家族はいても、血の繋がった家族はいない。だからこそ、大切にして欲しい。なのに・・・・・。
加持は立ち上がると、俯くミサトの頭にポンと手を乗せた。
「ミサト・・・・彼を信じてやれ。シンジ君が強くなったと思うなら、誰よりお前がその強さを信じてやれ。」
頭の上に載った掌は大きく、温かだった。子供のころ父が、こうしてくれたことを思い出した。
「・・・・・・うん。」
じわりと伝わるその温もりに、目元が滲んだ。ぽろぽろと涙が落ちる。でも構わない。唯一、見せてもいいと思う相手だから。
こうして安心して弱さを見せられる相手がいるのは、幸せだと思う。
加持は手をのせたまま、もう片手で机の上に置き去りになった封筒を裏返した。
裏は真っ白。住所も差出人も書いてない。表情の見えないその手紙は、送り主のように語ることを拒否していた。


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