< 10万Hit&二周年記念: K02−B Part >




「 祭りのあと (3) 」


ゲンドウの手紙から一週間余り、いまだシンジは回復の兆しを見せない。
彼を見守る女性たちは内心歯噛みしながらも、何も出来ない。
最近シンジは、一人で外出することが多くなっていた。行く先は知らない。
朝食の後片付けをすると、いつの間にかふらりと出て行く。夕食前にまた帰ってくる。
シンジが部屋を出て行く度に不安になる。このまま戻ってこないのではないかと。
「ったく・・・・・いつまでもウジウジしちゃってさ・・・・・。」
口ではそういうものの、誰よりも心配しているのはアスカも同じだ。
絶縁状ともいえるあの手紙。肉親から拒絶されたことの痛みはアスカにもずっと深く根付いている。
だからこそ、他のどんなものでも埋められないことを知っている。傷は古くなっても、消えることは無い。
経験上、加持の 『どうすることも出来ない』 という意見も理解出来る。乗り越える、それしかないのだ。
そう思っていても、ただ見てるだけの自分がもどかしい。
疲労がへばり付く。ろくに寝てない。シンジのことだけでは無い。
最近とみにあの夢を見る。おかげで睡眠しても疲れが取れない。寝るのが怖い。
結局シンジに相談した件はうやむやのままだ。ただの夢、それだけでは無い気がする。
気のせいだろうか。シンジの落ち込みが酷くなった頃から、あの夢を見る回数が増えている気がする。
(まさか・・・・・・ね・・・・・・・。)
あの夢に関してはシンジ以外に話せない。理屈ではなく、そう直感する。
いや、もしかすると綾波レイ・・・・・彼女なら何か知っているかもしれない。
(何考えてんのよ・・・・・アイツなんかに相談出来るわけ・・・・・・。)
振り子のように心を揺らしながらダイニングに行くと、レイが一人、シンジの席で佇んでいた。
今朝もまたシンジは出て行った。まるで主の帰りを待つ忠犬のような姿に、憐れみより苛立ちが先立つ。
「―――何やってんのよアンタ、こんな所で。」
アスカが言葉を発してから数瞬、やっとレイはこちらを見た。
「別に・・・・・。」
弱々しくレイは答えた。無視したわけではなく、声を掛けられた事に気が廻らなかった。
「ぼけ〜っとしてる余裕あるのね?シンジがどっか行っちゃってんのに。」
「・・・・・私が居ても、碇くんの邪魔になるだけだから・・・・・。」
「へ〜〜っ、ようやく分かったんだ?自分が金魚のフンみたいにくっ付いているだけの、役立たずだってことに。」
抉る様な言葉で刺しても、何も言い返さない。射るような視線さえ向けない。ただ力なく、頭を下げるだけ。
今のレイが昔と違うのは、アスカも知っている。だがこれが本当に、憎たらしく睨み返してきたあのファーストチルドレンだろうか?
理不尽な怒りは理不尽なまま、苛立ちを餌に膨れ上がる。
「・・・ホントに何も出来ないんだ、アンタは?怒る事も、泣く事も、喚く事も―――あ、でもいっちょ前に、傷つくことは出来そうね?」
すっとレイは席を立ち、近寄ってきた。俯いた髪が表情を隠す。ただ何かを決意したように、口許を噛み締めている。
「なによ?やっと殴る度胸でもついたわけ?」
挑発的に睨みつけたが、その視線は青い髪に遮られる。引き締めたレイの唇からは、たどたどしい答えだけが戻ってきた。
「・・・・・・アスカが、傍に居てあげるべきだと思う・・・・・・わたしでは、役に立てないから。」
「はぁ?」
間抜けな声だ、と自分で思った。突拍子な返事の意味が理解出来なかった。
「・・・・・・・・・・・厭きれた。」
肩透かし、拍子抜け、失望、―――失望?何を期待していたというのだ?こんな人形に。
「しょせんオママゴトなんだ?アンタとシンジって。シンジが他の女と居ても、嫉妬すらしないんだ?アンタって。」
その言葉に、青い髪が揺れる。だがアスカは注視しない。もはや目の前にいるのは自分にとって、取るに足らない存在だった。
「アタシを巻き込まないでよ。アタシがシンジの傍に居てやる義理なんてこれっぽちも無いんだから。」
「でも―――。」
「るっさいっっ!!ヒトの気持ちが解らない人形が、偉そうに口出しするなっっ!!!」
一喝した剣幕に怯えるでもなく、逆らうでもなく、ただ目の前に突っ立っているだけの存在が無性に腹立たしい。
(――――まったく、どいつもこいつも。)
こんなのに一瞬でも悩みを相談しようと思った自分が滑稽だった。気を変えて自分の部屋へ戻る際、一言だけ投げつけた。
「好きなだけそうしてたら?愛しのシンジ様が戻ってきたら、頭撫でて貰えるかもしれないわね。」
軽蔑したような眼差しを送っても、ずっとレイは項垂れたままだった。


この日もシンジは夕方頃に帰って来た。ミサトもこのところ早々と仕事を切り上げ、食事時には戻ってきている。
シンジはこんな状態でも、食事を作るのは怠らない。ミサトたちに取ってはむしろ休んでいて欲しい。
だが少しでも気を紛らわせようとしている姿を見ると、何も云えない。
いくらシンジが腕を振るっても、沈黙が主食の料理が美味しい筈はない。だからそれは自分の役目だと、ミサトは話題を振舞った。
「ね、みんな。明日のお祭りだけど、軽く晩ご飯食べてから行く?それとも夜店で賄っちゃう?」
「色々買ってもさ、あんまボリュームなかったのよねぇ〜、夜店って。」
「じゃ、軽いもの買ってきて、食べてから行きましょ。出掛けにシンちゃんに手間取らせるのも悪いし。・・・・ね?」
ミサトは視線をシンジに振ったが、シンジはまた箸を止めたまま在らぬ方に視線を彷徨わせていた。
「シンちゃ〜〜ん、どったの?もうごちそうさま?」
「・・・・・あ?・・・・い、いえ・・・・・。」
「あら〜〜っ、ひょっとして一人じゃ食べられないの?お姉さんが食べさせてあげよっか?」
「ち、違いますって!」
赤くなってご飯を掻き込む。時々こうして促してやらないと、彼は食べようとしない。
レイもまた、機械的に箸を動かすだけだ。シンジが作ったからまだ食べる努力をしているのかもしれない。
「あの・・・・やっぱり僕・・・・・明日行くの止めようと思ってるんですけど・・・・・・。」
「え?どうして?」
「その・・・・・ホントはお祭りって、あんまり好きじゃないし・・・・・。」
「そうなの?去年あんなに楽しそうだったじゃない。」
ミサトの寂しそうな顔に罪悪感を覚え、言葉を詰まらせた。
「・・・・あ・・・・でも・・・・。」
下を向いてそれきり押し黙る。煮え切らない姿にイライラしたアスカは、頭越しに怒鳴った。
「シンジッ!ぐちぐち言わないでアンタも来なさいっ!!アンタがずっとそんなんだから、こっちまで暗くなるわ!!」
「ちょ、ちょっと、アスカ!」
ぎょっとしたミサトが慌てて止めようとするが、意外にもアスカはミサトに軽く微笑みを見せた。
「一人でウダウダやっててちょっとは気分晴れた?バカの一つおぼえみたくループしてないで、たまには違う事やんなさいよ!」
アスカの勢いにしばし呆然としたシンジだが、ようやく彼女が本気で怒っている訳ではないと分かった。
「え?・・・・・あの、違う事って?」
「気晴らしよ、気晴らし。いつまでも落ち込んでても仕方ないでしょ?パァーッと遊んで、嫌なこと忘れるの!!」
父からの手紙を知られている?―――いや、机から封筒が消えてたのだから知ってて当然だ。
そこまで気が廻ってなかったのかと、シンジは改めてここ数日の自分の態度を反省した。
ミサトはやれやれという表情をしたが、気を取り直すと優しく声をかけた。
「シンジくん、無理強いはしないけど・・・・・。でもアスカの言う通り、たまには気分転換しなきゃ。」
周りに心配させまいと思っていたのに、結局、迷惑を掛けている。自分が情けなくなった。
「・・・・・わかりました。ご心配かけてすみませんでした。」
それを聞いたミサトはニッコリ笑うと、シンジの肩をポンッと叩いた。
「じゃ、この件に関してはこれで言いっこなし。明日は思いっきり遊びましょ。」
「はい。」
ミサトの笑顔に、笑顔で応える。その横顔をレイはじっと見つめた。
無理している―――それが解る。だがそれでもシンジは前向きに歩もうとしている。自分などが口出しできない。
「良かったわねぇ〜アスカ。せっかくのおニューの浴衣がムダにならなくて。」
「べ、べっつにシンジに見せるためにわざわざ買ったんじゃないわよ!」
心持ち顔を赤くしながら席を立った。一度だけ、レイの方を振り返る。
勝ち誇ったような目を向けられたレイは視線を避けた。
(・・・一生逃げてなさいよ。アンタなんかがシンジのそばにいる資格なんてないわ。)


翌日の夕刻。四人は軽い夕食の後、タクシーを走らせて神社へと向かった。
空は今朝から曇りがちだった。夜には晴れるらしいが、いまはまだ厚い雲に覆われている。
トコトコと響く太鼓の音が懐かしい。平和の恩恵か去年よりも人の姿が多く、実に賑やかだ。
アスカはざわめきと太鼓の響きを肌で聴いてたが、「おし!」 と小さく気合を入れると、不敵な笑みをシンジに向けた。
「さーーーてシンジ?それじゃあ早速行くわよ。」
「え・・・・?行く、って何処に?」
「決まってんじゃないっ!リベンジよ!!金魚すくいに射的に風船釣り、去年の雪辱を晴らすときが来たわっ!!」
「だ、だからって何で僕まで連れて行くんだよ!?」
「アンタねーっ!このアタシに勝ち逃げするつもり?ずぇ〜ったい逃がさないんだから!!」
アスカの腕がシンジの手をガッチリ掴み、そのまま連行していった。
(この光景・・・・・知っている。)
その姿にレイは既視感を覚えた。それは以前の自分の記憶。
あのときも二人は一緒にいた。
あのときも自分は、少し離れた場所で見ていた。
記憶はある。だが、その時自分がどんな気持ちだったのか、感情までは甦ってこない。
(―――嫌だったの?私。)
(―――それとも、何とも思ってなかったの?)
押し殺した感情が心の底で蠢く。暗く、不快なこの気持ちは、今の自分だけのものだろうか?
「レイ、私が言うことじゃ無いかもしれないけど・・・・。あなたはいいの?」
「・・・・・良いんです。碇くんが楽しいのなら、私はそれで・・・・・。」
(そう、私より碇くんの方が心配・・・・・。少しでも元気になってくれたら・・・・。)
レイは無理矢理、湧き上がる不安を押さえつけた。

しばらくして、シンジとアスカは戻ってきた。戦果を見る限り、今年もシンジの勝ちである。
「くやしい〜っ!またアンタなんかに負けるなんて・・・・。」
「だってアスカはさ、焦り過ぎなんだよ。」
「どったのアスカ?また今年も金魚捕れなかったとか?」
「そうなんですよ、アスカってば金魚すくいなのに派手に水しぶきを上げるだけで・・・・。」
「余計なことゆうなっ!バカシンジッ!!」
二人のやり取りから少しシンジの雰囲気が明るくなったのを感じて、ミサトはホッとした。
「ところでみんな。そろそろ花火始まるから河原の方へ移りましょ。」
「え、去年花火見たところ行かないの?河原って人いっぱいじゃない?」
「んーっ、見晴らしはサイコーなんだけど、あそこ缶ビール買うのに不便なのよねぇ。」
花より団子、もとい花火より酒のミサトらしい選択である。
「はぁ〜、結局それね。」
「なぁに言ってんのよ。アスカだって最近飲むようになったじゃない?」
「あ、あたしは良いのよ!お子様なシンジと違って、もう大人なんだし。」
「悪かったね、お子様で。」
不満そうに口を尖らしたシンジの耳が引っ張られた。
「い、いてて!何すんだよっ。」
「アンタが口応えするからよ!シンジ、罰としてこれからあたしと二人であそこに行くの!」
「な、なんでそうなるのさ?」
チラリとレイの方を見て助けを求める。しかしレイは僅かに微笑んだだけだった。
「・・・・・私は、ミサトさんと居るから。いってらっしゃい、碇くん・・・・・。」
「あ・・・・うん。」
拍子抜けしたような顔でシンジが答える。
「ほらあ、ファーストだってああ言ってんだし、さっさと行くわよ。」
またもアスカに引っ張られるシンジ。そんな二人を寂しそうに見送るレイ。
(やれやれ、ままならないわねぇ・・・・・。)
それを見ていたミサトの心境も複雑だった。


長い石段を登った二人は、石造りの腰掛けに並んで座り、夜空を見ていた。
去年と同じように美しく咲く花火は幻想的で、儚い。
しばらく花火に視線を集めていたが、ふと横を向いたシンジは、アスカの様子がどこか普段と違うのに気付いた。
彼女のマリンブルーの瞳は花火を映しながらも、云いようの無い寂しさを湛えている。
「どうしたの?アスカ。」
アスカは一瞬ためらったが、物憂げに視線を下に向け、静かに呟く。
「・・・・・なんかね、花火を見てると切なくなって。あの花火みたいにみんな消えちゃうんじゃないかって、変なこと考えちゃって・・・・・。」
その返事に絶句する。同じことを自分もあの夢を見るたび思っていた。
「以前・・・・話したわよね?・・・・あたしの夢のこと。」
シンジの鼓動が跳ねる。今まで鼓膜を震わせていた炸裂音が、急に遠くなった。
「不安なの・・・・・あたし。」
砕けては散りゆく花火。断続的に浮かび上がるアスカの姿が、彼女の存在まで儚く見せる。
「あたしはこの世界を守った・・・・・そう思っていた。でも、いくら考えてもあの戦いの後、どうなったか思い出せなくて・・・・・。
もしかしたらあの夢・・・・・あれは夢じゃないのかもしれない・・・・・。」
アスカは薄々気付いているのかもしれない。あの時何があったかを。
「あの夢の中であたしは、赤い海の真ん中でずっと独りぼっち・・・・・。誰かが居たような気配は残ってるのに、あたし以外誰もいない・・・・・。」
あれだけ眩しかった彼女の存在が、いまは闇に溶けそうなほど薄暗い。
「・・・・でも・・・・何でだろ?あのとき確かに、シンジがそばにいたような気がするの・・・・・。」
シンジに向けた瞳の切なさと脆さに、心が締め付けられる。
瞬間、彼女の髪の芳香がふわりと舞い、華奢な身体が腕の中に滑り込む。
「ねえ・・・・あたし、シンジのこと嫌いじゃないから・・・・。もし、そばにいてくれたら・・・・きっと、寂しくないから・・・・。」
シンジの背中に這った指が浴衣を掴む。その存在を、己の居場所を確かめるかのように。
「だから・・・・・このまま・・・・・。」
言葉を切ったアスカは火照った頬を、シンジの胸にうずめた。
「アスカ・・・・・。」
彼女にしてみれば、精一杯の素直な告白。その普段とは違う姿に当惑した。
「大丈夫・・・・夢は夢だから、気にする事ないよ。アスカはちゃんと、ここにいるんだから・・・・。」
己に言い聞かせるようにシンジは呟く。彷徨っていた手が、震える彼女の髪に触れた。
「・・・・・今は、こうしているから・・・・・早く元気になってよ・・・・・。」
「・・・・・いま、は・・・・・?」
「アスカは僕なんかよりずっと強いじゃないか。・・・今はちょっと気が弱くなってるかもしれないけど、すぐ元に戻るさ。」
―――違う、強くなんか無い。独りが怖い―――
「君は一人なんかじゃないんだ。ミサトさんも加持さんも・・・・綾波だって、みんなが一緒にいてくれるんだよ。」
―――そうじゃない、あたしが必要なのはシンジ。シンジだけなのに―――
「だから・・・・寂しくなんかないさ・・・・・。」
―――なのに、何も伝わってない。あたしの気持ちを解ってくれない、コイツは―――
怒りに肩が震えた。力いっぱい突き放した。シンジを。
「なに知ったふうな口きいてるのよっ!!寂しいのはアンタでしょ?誰かに居て欲しいのはアンタの方でしょ!?」
シンジは呆然と見てるだけだ。手を伸ばしてくれない、抱きしめてもくれない。
「誰かに去られるのが怖いんでしょ?自分が甘えさえ出来れば、他はどうでもいいんでしょ!?」
―――ほら、何も言い返せない。結局コイツは傍に居さえすれば、誰でもいいんだ―――
「アンタは自由になる人形が欲しいだけでしょ?だからファーストなんかを侍らして・・・・。」
「綾波はそんなんじゃないっ!」
立ち上がったシンジが生意気に睨みつけてくる。―――何故あんな奴の為に、ムキになるの?
「ハンッ!何カッコつけてんのよ!・・・・楽よねぇ〜あの女なら。アンタに口答えしないし、アンタの言う事なら何でも聞きそうだし・・・。」
―――アタシはアンタじゃなきゃいけないのに。アンタはアタシじゃなくてもいいんだ―――
「・・・アンタが死ねっていったら、死にそうだし。」
パシッッ!

乾いた音が響き、アスカの頬が赤くなる。
呆然としたアスカの表情。一瞬何が起こったのか、二人とも理解出来なかった。
手を出した事に自分の方が驚いたが、それでもシンジには謝るつもりはなかった。
「綾波を・・・・・侮辱するな・・・・・。」
アスカの顔が辛そうに歪む。気丈に溜めていた涙が遂に零れた。
「なによ・・・・・綾波、綾波って・・・・・・どうせアタシは、アイツじゃ無いわよ・・・・・・。」
その頬を伝う光に、シンジの怒りが揺らぐ。
「アンタなんか・・・・・アンタなんか・・・・・。」
「アス・・・・・。」
彼女の涙に、初めて本当の彼女を知った。彼女の想いの深さを知った。
手を差し伸べようとしたが、鋭い痛みと共に弾かれる。
シンジを睨みつけると、アスカはその場を走り去っていった。
傷つけるつもりなど、なかった。ただ慰めてあげたかった。・・・・なのに、
(どうして・・・・・こうなるんだろう・・・・・?)
放心したように立ち尽くすシンジの姿を刹那の光が照らす。遅れて届く音が虚しく響いた。


ミサトとレイは流れる人ごみの中、二人が帰ってくるのを待っていた。
花火はもう終わっていた。そろそろ祭りも終わりに近い。なのに二人は帰ってこない。
「二人とも、遅いわねぇ。」
「・・・・・・・・・。」
ミサトの言葉にレイの心が波打つ。さっきからずっと胸の奥を汚す黒いものが再びざわめき、暴れだす。
(私、嫉妬しているんだわ。アスカに・・・・・。)
嫉妬、初めてその感情を自覚した。
(醜い、嫌な感情。私にもそんなものがあったなんて・・・・・。)
今まで気付こうとしなかった心の闇。あまりの嫌悪感に堪らず目を背けようとした。
「レイ、二人を探さなくていいの・・・・・・。」
レイの肩がビクッと震える。まるでミサトに心を見透かされたような気がして、激しく動揺した。
「・・・・・私は、別に・・・・・。」
慌てて顔を背けるレイの肩に、ミサトの手が柔らかく降りる。
「レイ、わたしはね・・・・・みんなに幸せになって欲しい。心の中では応援している・・・・・。あなたも・・・・・アスカもね。」
ミサトはレイの瞳を正面から捕らえる。彼女に、どうしても伝えておきたい。
「けど、二人いっぺんに同じ人を好きになっちゃったんだから、誰かが傷つく・・・・・。もしかしたら三人とも傷つくかもしれない。」
「・・・・・好き、に・・・・・。」
「でも、それでもみんなには、自分の心に素直になって欲しい。自分の気持ちを見ない振りをして、後悔して欲しくないの。」
「わたしの・・・・・きもち・・・・・。」
今にも壊れそうなレイの頬をそっと撫でる。姉のように。母親のように。
「・・・レイ、正直になって。今のあなたがしたい事をしなさい。本当の心を、偽らないで。」
ミサトの優しい瞳が、レイの背中を押した。
「私・・・・・探してきます。」
「いってらっしゃい。」
慌てて駆け出すレイの後ろ姿を、暖かく見送った。

レイは人ごみの中、シンジの姿を探す。浴衣が邪魔で思うように走れない。気ばかりが逸る。
シンジと同じ年格好の浴衣姿の男女をみると、胸が痛かった。
シンジとアスカが仲良く腕を組んでいる姿を想像しただけで、胸が張り裂けそうだった。
(醜い・・・・・。でもこれも私、私自身のこころ・・・・・。)
だから、もう逃げない。自分の心から。自分の気持ちから。
レイは珍しく、汗をかいていた。夢中だった。
纏わりつく浴衣に脚を取られそうになり、よろめいた。
なんとか立ち止まって、呼吸を取り戻す。気付かなかった風景が視界に入る。
去年見た映像が甦る。立ち並ぶ夜店。嬉しそうにはしゃぐ二人。遠巻きに眺めるだけの自分。そして、そのときの自分のココロ。
(・・・・・・そうだったんだ・・・・・・わたし・・・・・・。)
ずっと嫉妬していた。アスカにだけではない。行き場の無い感情の矛先を、知らず知らず自分にも向けていた。
羨んでたのは、昔の自分に対しても同じだった。かつてシンジが惹かれ、憧れていた綾波レイ。
コンプレックスが覆い隠し見えなくなった昔の姿は、記憶の中で美化された遠い存在だった。
だがその彼女も、実は同じ不安を抱いていた。アスカを羨ましいと思っていた。
(あなたも、同じ気持ちだったのね・・・・・。今のわたしと、同じこころ・・・・・。)
臆病で、繊細で、傷つき易いのに、泣きたくても泣く事も知らず、甘える事も知らず、自分を表現するにはあまりにも不器用で。
独りぼっちが嫌だからこそ、一人でいようとした。誰かに去られるのが辛いから、最初から一人なら誰も離れないから。
自分を見つけてくれたシンジにも何も云えず、ただ気付いてもらうのを待っているだけ。そんな自分を嫌っていた。
太陽の光を羨みながら、その眩しさに胸を焦がしながら、伝えきれぬ想いを抱きしめた少女が、心に居た。
(ご免なさい・・・・あなたはずっと、此処にいたのに・・・・。ずっと、待っててくれたのに。)
厚く阻んでいた壁が溶け、魂がそっと触れ合う―――二つの心が重なり、嫉妬ですら愛おしく思える。
あたたかい―――他の誰でもない、自分自身の心がこんなにも温かいと、初めて感じる。
(・・・・・行きましょう。私と一緒に、碇くんの所へ・・・・・・。)
振り返った途端、レイは脚を止めた。目の前に、アスカがいた。

レイがそこに居たと知ってたなら、アスカは先に身を隠しただろう。
だが彼女もまた、自分の感情に囚われて周りを見ていなかった。気がつくと、レイと向かい合う形になっていた。
アスカはまるで仇でも見るような目で、レイを睨んだ。
「・・・・・・なんなのよ?アンタ。」
「碇くんは・・・・どうしたの?」
「ウルサイッ!!なんでアタシがアイツの居場所を知らなきゃいけないのよっっ!!」
「何か・・・・・あったの?」
レイの心配そうな表情が、今のアスカの癪にさわる。
「アンタなんかに関係無いっ!!」
「関係無く・・・・・ない。」
レイは自分の浴衣の裾を握り締め、はっきりと告げた。
「私は・・・・・碇くんのことが好きだから・・・・・。」
バシィッ!!
アスカがレイの頬を打つ。白い頬に血のような赤が拡がる。
「よくも・・・・・。よくも抜け抜けと・・・・・人形のくせに・・・・・。」
その言葉を自分は遂に伝えられなかった。”好き”、たった一言が云えなかった。―――それなのに、コイツは!
だがレイは、打たれた頬を庇うことなく、決然とアスカに対峙する。
「私は・・・・・人形じゃない。人を好きになったり、嫉妬したり、傷ついたり・・・・・。」
様々な感情がレイの表情を通り過ぎる。自分を理解してくれない事への悲しみ。拒絶された痛み。敵対する者への怒り。
だが、最後には彼女は微笑んだ。静かな温もりを湛えて。
「私だって・・・・・あなたと同じ。」
相手を貫く視線ではない。自分と同じ痛みを持ち、同じ人を好きになった相手を思い遣る、包み込むような眼差し。
「・・・・・・・・・・・・。」
それ以上その瞳を受けることが出来ず、アスカは顔を背けた。
「・・・・・あたし達はずっと、去年花火を見たところにいた。・・・まだシンジが居ればの話だけど。」
「ありがとう。」
御礼を言うとレイは踵を反し、走り去っていった。
(ありがとう・・・・・か・・・・・。)
頭に上っていた血が徐々に下がってくると、先程のレイの言葉が浮かんできた。
(嫉妬・・・・嫉妬っていってた。アイツ・・・・・。)
レイが嫉妬、と言うこと自体驚きである。が、確かにあの時の彼女の表情に、それを感じた。
(・・・・・知ってたわよ、シンジが誰を見てたかなんて・・・・・。アタシじゃ無かった、って・・・・・。)
黙っててもお互い通じ合っているような雰囲気を、幾度となくあの二人から感じていた。
羨ましかった。妬ましかった。それを認めたく無いから目を逸らしていた。レイという存在、そして自分の気持ちからも。
(・・・・・逃げてたのは、アタシの方・・・・・アイツは、あの女は・・・・・・。)
不安に揺れる声。シンジを好きだと云ったときの表情。アスカを見たときの、誇りに満ちた瞳。
(あたしと、同じだったのに・・・・・・。)


シンジはまだ、あの場所にいた。曇に遮られ、光すら届かない暗闇の中を独り、立ち尽くしていた。
彼女のあの涙が、あの言葉が、頭から離れない。
『・・・・・・どうせアタシは、アイツじゃ無いわよ・・・・・・』
(アスカが、あんなことを言うなんて・・・・・・。)
自分の知っている彼女は強気で、プライドが高くて、常に前だけを見つめていた。
他人を羨むようなことを言う少女ではなかった。誰よりも自分であることに誇りを持っている少女だった。
たとえ弱気になっても、自分を卑下することなど無い、そう思っていた。
(僕は・・・・・アスカのことなんて、これっぽっちも解ってなかったんだ・・・・・。)
以前、母の墓前で告げた父の言葉が、彼の心を縛り付ける。

―――人と人とが完全に理解し合うことは決して出来ぬ。人とは、そういう悲しい生き物だ―――

人は皆、解り合った振りをしてすれ違い、傷つけ合う事しか出来ないのだろうか?
(結局僕は・・・・・誰も理解出来ないのかもしれない。父さんも、アスカも、・・・・・誰ひとり・・・・・。)
祭りの光が遠目に見える。自分はそこから離れたところにいる。
冷たい風が運んでくる賑やかな祭りの喧騒が、孤独を一層強く感じさせる。
以前公園の片隅から、桜を見ていた時も孤独だった。あの時の疑問がまた甦る。

(どうして僕は・・・・・この世界を望んだのだろう?)


< 続 >



< Before Next >







【投稿作品の目次】 === 【HOMEに戻る】