< 10万Hit&二周年記念: K02−B Part >




「 祭りのあと (4) 」


レイは必死に石段を駆け登る。社にたどり着いた時は息が切れ、汗が浴衣を濡らしていた。
暗闇の中で目を凝らすと、微かに人影が見えた。顔は見えないが、彼女がその後ろ姿を見間違えよう筈もない。
「碇くん・・・・・。」
しかしシンジは返事をしない。まるで影のような彼の存在に、レイの心に不安がよぎる。
ゆっくりとシンジに近づく。本当は駆け寄りたいのに、脚が鉛のように重い。
シンジはようやく、レイに気付いた。だがいつものような微笑みを、彼女に向ける事は出来なかった。
「どうして・・・・・ここにいるの?」
レイに問いかけるというより、独り言のようだった。
「私は・・・・・・。」
(・・・・・碇くんが、ここにいるから。)
何故かその言葉が声にならない。どうしようもなく、伝えたいのに。
沈黙が闇と混ざり合い、重苦しい空気が支配する。
シンジはレイから視線を外すと、祭りの方を見た。賑わう灯りが、人々のざわめく声が、遠い。
「碇くん・・・・・今日ずっと、楽しそうじゃなかった。」
顔を背けられたことに少なからず傷ついたレイだが、ただシンジの身を案じるその言葉だけが、口から出た。
「・・・・・そうかな?」
「去年は・・・・もっと楽しそうだった。」
シンジは沈黙で応えた。いや、応えてもいない。ただ、拒絶した。
レイは勇気を振り絞るように、浴衣の裾を強く握り締めた。
「・・・・・・さっき、アスカと会った。」
恐る恐る言うと、シンジの顔が強張った。レイからは見えなかったが、雰囲気で察した。
聞いてはいけないのかもしれない。そう思いながらも、問わずにいられなかった。
「・・・・・・彼女と、何かあったの?」
シンジは答えない。レイに背を向けたまま、ふもとの光景を見ていた。
櫓を中心に放射状に伸びる提灯の灯火。漆黒の大地に浮かぶその光の舞台も、まもなく消えゆく運命にある。
人が、流れていく。賑やかだった空間が、消えてゆく。もうすぐ、祭りも終わる―――。

「ずっと僕・・・・・お祭りって、嫌いだったんだ。」
「え・・・・・?」
「お祭りの最中ってさ、その輪の中にいるだけで楽しいのに、お祭りが終わると、それまでの賑やかさが嘘のように寂しくて・・・・・。
僕には一緒に見に行ってくれる友達も家族もいなかったから、なんだか独り、取り残されたような気がしてた・・・・。」
「?・・・・・・・・・。」
シンジが何を云いたいのかわからない。彼の表情が見えない。レイの不安が更に募る。
シンジは遠い光景を見ていた。その瞳が映すのは、眼前に広がる光の舞台だろうか。
「・・・僕ね、ときどき夢をみるんだ。砂浜であの赤い海を見ながら、じっと膝を抱えている夢を・・・・・。」
彼の瞳の中で、提灯の光が一つ、消える。
「・・・そこでは僕以外、誰もいなくて・・・・・。誰かに会いたくても、僕一人だけ・・・・・僕だけが、取り残されている・・・・・。」
連なる灯りが、次々と闇へ沈んでゆく。
「・・・目がさめて現実に戻ると、綾波がいて、みんながいる・・・・・。でも、でももしかしたら、それは現実じゃなくて・・・・・。」
最後の灯火が、消えた。
「・・・もしかしたらずっと僕は一人ぼっちで・・・・・。ただ楽しかったあの時を、夢の中で見ているだけなのかもしれない・・・・・。」
後に残ったのは―――闇。
「・・・ねぇ、綾波?僕が夢を見ているのは、どっちだろうね?」
その瞳はもう、光を映さない。
祭りのざわめきも、もう聞こえない。
「どういう・・・・・意味?」
ようやくレイは、声を振り絞る。
「この世界は実は、僕が作り上げた夢の中で・・・・・本当の僕はまだ、あの赤い海を彷徨っているんだろうか・・・・・?」
目を覚ますと賑やかだった世界は消え、そして自分はまた独り、取り残されるのではないか。
―――祭りのあとのような、侘しさを抱えながら。
「でも・・・・・その方が良いのかもしれないな。あそこなら誰も傷つけないし、傷つかないから・・・・・。」
自嘲するでもなく、苦笑もなく、ただ淡々と呟く。
「何故・・・・・そんなことを言うの?」
レイには今の彼がわからない。シンジにとっての世界は、ここでは無いのか?
あの世界のほうが、良かったと言うのか。
「それは違う!碇くんがいるのは、この世界。確かに此処は、あなたが望んだから出来た世界。でもたとえ、私や碇くんがいなくなっても・・・。」
いなくなる―――自分の言葉が、レイを怯えさせる。
「・・・・・仮にそうなったとしても、この世界はずっと生き続ける・・・・・。夢の中なんかじゃ・・・・無い。」
夜風が虚しく二人の間を過ぎる。手を伸ばせば届きそうなその距離は、今なお遠い。
力付けてあげたい。彼の心に巣食ってしまった闇を払ってあげたい。それなのにシンジは、振り向いてくれない。
「僕や綾波がいなくても・・・・か・・・・。この世界は、僕らを必要としないんだ。」
「違う・・・・・。」
言葉が、すれ違う。
どうすれば伝わるのだろう?
どうすれば彼の心を救えるのだろう?
(私は・・・・・私は、何も出来ないの?)
いままでもそうだった。自分は無力なまま、見てるしか出来ないのか?
(嫌、そんなの・・・・・。)
近づいてシンジの背中を、後ろから抱きしめた。
傷ついた彼の心を、そっと包むように。


夜風が強さを増した。雲が流れ、ゆっくりと顔を出した月が、暗闇を蒼く染め上げる。
気配よりも先に、石段の方で人影が浮かび上がる。レイが気付き、そちらを振り返った。
「アスカ・・・・・・?」
いつの間にかアスカが、そこにいる。風に流れる金色の髪が月光を弾く。その輝きとは対照的に、能面のように蒼白な顔だった。
アスカは表情を変えないまま、無言で歩み寄る。何を秘めているのかその瞳は、危険な光を湛えている。
(聴かれてた・・・・?いまの話・・・・。)
嵐を封じ込めたような静かな圧力を感じ、レイは無意識の内にシンジを強く抱きしめる。
シンジは僅かに、顔を向けた。その目は力なく、アスカの姿を映し出す。
静かにアスカは立ち止まる。ジャリと最後に踏んだ小石の響きが、やけに大きい。
バシィィィッッ!!
アスカはありったけの力を込めて、シンジの頬を打った。レイが背後から抱きとめてなければ、吹き飛んだだろう。
「何を・・・・・するの。」
レイが瞳を怒りに紅く染めアスカを射抜く。自分が殴られるのはまだいい。だがシンジに手を出すのは許せない。
「目が醒めた?バカシンジ・・・・・。」
しかし、アスカは全く怯まない。いや、レイを見ていない。
「それとも、まだ足りないの?何ならもっと打ってあげましょうか?」
「アスカ・・・・・・・。」
言葉に込められた嘲りに、シンジの声が震える。血の味が混ざる。さすがに怒りを覚えた。
だがアスカは、そんなシンジを鼻で笑った。薄っぺらいその怒りを、吹き飛ばすかのように。
「へぇ〜っ、怒られるとは心外だわ・・・・アタシはただ、アンタが帰りたそうだったから手伝ってあげようと思ったのに。」
ギリリ、瞳が収縮する。一瞬の空白。そして、怒号。
「あの海に帰りたいなら帰ればいいじゃないっ!!この世界が嫌なら、しっぽを巻いて逃げればいいじゃないっ!!」
感情の爆発に弾け飛ぶ、能面の表情。
「己惚れんなっっ!!ここはアンタだけの世界じゃないわっ!アタシの世界!!ここには、アタシが居るのっっ!!」
その素顔は嘲りでも、苛立ちでもなく、
「アタシがいて、みんながいるのっ!!この世界にいたいから、ここで生きていたいから、だから居るのっっ!!」
心の底からの怒り。そしてやるせなさ。
アスカの瞳に涙が滲む。マリンブルーに輝く光は、限りなく澄んでいた。
「そんなに嫌なら・・・・・・さっさと出て行って・・・・・・。アンタの思い通りの世界なんて、まっぴらよ・・・・・・。」
その雫がこぼれる前に背中を向け、足元を踏み締めるように進む。一歩、また一歩。
すこし遠ざかった後、彼女は虚空を睨んだ。込み上げてくる何かに耐えるように。
「・・・・・アンタたちがもし、あたしを嫌いでも・・・・あたしの存在は邪魔させない。」
淡々と、だが、噛み締めるように呟く。
「あたしは・・・・・あたしは誰に嫌われても、此処にいる・・・・・。だって、あたしにはこの世界が必要だもの・・・・・。」
振り向きざま舞い散る金の輝き。更に煌く、その瞳。
「たとえこの世界に嫌われようと、あたしは此処にいるものっっ!!」
毅然としたその顔は、今のシンジには眩しすぎる。
目を、見ることが出来ない。

アスカは二人を見つめた。
俯いて、泣きそうになるのを堪えるシンジと、崩れそうな彼を支えるレイ。
そんな二人から視線を逸らさず、ただ真っすぐに見つめていた。
(あれが、あの二人の距離・・・・・・。)
レイの両腕は、しっかりとシンジの身体を抱きかかえている。
(・・・・・・そしてここが、あたしのいる場所。)
二人から少し離れたこの場所。手を伸ばしても、彼に触れることは出来ない。
(この距離が近づくことは・・・・・・もう無い。)
悔しくない、と言うのは負け惜しみかもしれない。
(でも、それでも・・・・・・あたしは、此処にいるから。)
シンジの顔が見えるこの場所に。二人に一番近いこの場所に。
「・・・・・・レイ。」
「・・・・・え?」
レイが弾かれたように顔を上げる。アスカは顔を見られないよう、素早く背中を向けた。
「そのどうしようもなくイジけた奴、頼んだわよ。またふざけた事言ったら、張り倒してやっていいから。」
アスカは後ろ手を振って去ろうとする。
「アスカッッ!!」
シンジが叫ぶ。アスカが歩みを止める。
「・・・・・なに?アンタの面倒なんて、見切れないわ。」
返事をする。が、後ろは振り向かない。
「アスカ・・・・・ごめん・・・・・ありがとう。」
シンジの声は小さい。が、その言葉は迷っていない。
「馬鹿・・・・・・相手が、違うでしょ。」
決して後ろは振り向かない。それが、アスカなのだから。
そして彼女は、石段を降りて行った。
残された二人は、いつまでもその後ろ姿を見送っていた。


ミサトが子供達を探していると、遠くに揺れる金色の髪が目に入った。
「あ〜っ!やっと会えたわ。・・・・・・アスカぁ!!シンちゃんとレイ見なかった!?」
袋を提げたミサトは、空いた方の手を振り回して大声で呼ぶ。が、アスカは振り返らない。
「んも〜っアスカちゃんっ!はぐれちゃったのは悪かったけど、そんなに怒らなくたってん。」
ワザと明るく言うと、その華奢な背中に手を回した。
だが、彼女はこちらを見ようともしない。
「・・・・・アスカ、どうしたの?」
「別に・・・・・。なんでもない。」
心配そうに訊ねたミサトに、沈んだ声で応える。何でもないわけがない。
「・・・・・ねえ、シンジ君たちと何かあった?」
「別に・・・・・。あたしはここにいて、あの二人は向こうにいる。ただそれだけ・・・・。」
ただそれだけ、その言葉がどれほど重いのか。
「・・・・・わたしが、二人を迎えに行ってこようか?」
「ダメッッ!!二人きりにしてあげてっ!!」
激しく返され、ミサトは口を噤む。
「・・・・・でないと・・・・・許さないから・・・・・。」
腕に伝わってくる震えを慈しむように、ミサトはアスカの肩を抱き寄せた。
「わかった・・・・・。じゃあ、かえろっか?」
カラリと明るく声を掛けた。
「帰ってたこ焼きたべよ?買ってきたから。ビールのつまみには最高よ、アスカも飲む?」
「・・・・・・飲む。」
「よぉ〜し!今日の二次会は二人だけで、ぱ〜〜っとやりましょっ!!」
アスカは初めてミサトの方を向いた。太陽のように眩しい、その瞳。
「つき合ってよね?ミサト!」
「当ったり前よっ!アスカ!」
アスカの頭を優しく抱きしめながら、ミサトは心の中で謝った。
(御免なさい、アスカ・・・・・。)


アスカが去ったあとの空白を見つめながら、シンジが自嘲気味に呟いた。
「ほんと馬鹿だよね・・・・・僕って・・・・・。」
何も解っていなかった。つくづく自分の馬鹿さ加減に呆れる。
「自分だけが傷ついたような顔をしていて・・・・・。アスカやみんなを傷つけてばかりで・・・・・。」
涙が溢れそうになるのを、辛うじて踏みとどまる。
シンジの身体を振り向かせたレイは、彼の瞳を覗き込んだ。
「碇くん・・・・・無理しないで。涙を堪える必要なんて無い。」
「大丈夫・・・・・だよ。」
笑おうとするが上手くいかない。半泣きのその頬を白い手が包み込む。
「大丈夫じゃない!・・・・・私は何も出来ない。あなたの役に立たない。」
「そんな・・・・。」
正面からレイの表情を見たシンジは言葉を失う。彼女も必死で痛みに耐えている。
「でも、せめて・・・・・涙だけでも、受け止めさせて。」
自分のこうした態度が、いかにこの少女を傷つけているのか。それに気付くと、もう、堪えきれない。
涙が、溢れ出た。
「ごめん・・・・・ごめんよ、あやなみ・・・・・ほんとに、ごめん・・・・・。」
ひとたび溢れた涙は止まることを知らない。泣きながらレイに縋りつく。
レイは彼の頭を抱き寄せ、頬と頬を合わせた。
シンジの涙が、レイの頬を濡らす。
レイはその涙を受け止めながら、シンジの髪を柔らかく撫でる。
シンジはときどき、ごめん、その言葉だけを繰り返す。
レイに対して。アスカに対して。自分が傷つけてしまった、すべてに対して謝った。
シンジの流した涙はレイの頬を伝い、零れ落ちる。
或いはレイも、涙を流していたのかもしれない。彼女はもう、泣くことを知っているのだから。


幾許の涙が零れたのだろう。
シンジの涙は、止まっていた。泣くだけ泣いた。その分、心が軽くなった。
(こうやって、縋りつけば良かったんだ・・・・・。)
レイの背中に廻した腕が、シンジの頭を抱きしめた手が、互いを支えあっている。
(アスカが云うように、僕にもこの世界が必要だから・・・・・。だからこの世界に縋ればいいんだ。)
苦しんで、もがいて、傷ついて・・・・それでも自分は精一杯、この場所に立っていよう。
そうすれば或いは、抱き止めてくれるかもしれない。レイのように・・・・。
挫けそうになっても、叱咤してくれるかもしれない。アスカのように・・・・。


シンジとレイは、祭りのあとを並んで歩いた。
みんな帰り仕度を始めている。夜店をたたんだり、盆踊りのセットを取り払ったりと、忙しい。
だが、談笑しながら片付けるその様子は意外と楽しそうだ。既に次の祭りの話題などで盛り上がっている。
「僕・・・・・片付ける所を初めて見たけれど、けっこう賑やかなんだね。」
「そうね・・・・。」
昂揚した空気の余韻をひきながら、みんな還ってゆく。元の居場所へと。
祭りの終わりは、夢の終わり。ひとときの夢に浮かれた足は地に降り立ち、現実を歩む。
そして祭りが終わっても、人々の営みは終わらない。―――自分はそんなことすら、分かって無かった。
(寂しいから、嫌いだった・・・・・でももう、寂しくない。)
レイを曳いたその手に、力を込めた。これが自分のいる、支えるべき現実。
「よっ!お二人さん。いま帰りかいっ?」
不意に、声を掛けられた。その顔に見覚えがあった。去年のたこ焼き屋の兄さんだ。
「よかったらこいつ、持って行きな。」
そう言って紙袋に包んだたこ焼きを二舟、シンジに差し出す。
「そ、そんな、悪いですよ。」
「いいって。こっちこそ売れ残りで悪いけどよ。捨てるのも勿体ないし、食べてくんな。」
半ば強引にシンジに持たせる。まだ十分、温かい。
「あ、ありがとうございます。」
「だから、気にすんなって言ってるだろ。よかったらまた買ってくれよ。来年もまたやってるからさ。」
二人はもう一度御礼を云って、その場を離れた。
「どうしようか、これ?」
振り向いて声を掛けたが、レイから返事は返ってこなかった。
「綾波・・・・・どうしたの?」
重ねて問うと、やっと瞳を上げた。
「・・・・ご免なさい、なんでも無いの。」
「少し、休もうか。」
「大丈夫・・・・・。」
「いいから、あそこに座ろう。」
外れにあるベンチに、レイを促した。
「あ、僕、何か飲み物買ってくるよ。何でもいい?」
「・・・・ええ。」
さっき貰った紙袋を置いて、シンジは飲み物を探しに走った。


もう帰ろうとしていた夜店の人が、ジュースを売ってくれた。やるよ、と云われたが一応代金は支払った。
お釣りを受け取って戻ろうとしたとき、ポンと軽く、肩を叩かれた。反射的に振り返る。
「加持さんっ!?」
「よっ、悪いな。驚かせるつもりはなかったんだけど、さっきたまたま見かけたんでな。」
驚くシンジにいつもの笑みを返すと、ラムネの壜を二本持った彼の手に視線を移した。
「一人じゃないみたいだな、・・・ちょっと用事があったんだ。すぐ済むけど、いいかい?」
「・・・・・ええ、何でしょうか・・・・・?」
本当にいま偶然見かけたのだろうか?あまりにもタイミングが良すぎる。
だがそれを疑っても、加持という男は追及させてくれない。諦めてシンジは話を聞くことにした。
加持は胸ポケットから二つ折りにした紙を差し出した。
「これ・・・・・。受け取るかどうかは君次第だが。」
「何ですか?」
「連絡先だよ。・・・・・碇司令の。」
その言葉にシンジは危うく、壜を落としそうになった。
「話はミサトから聞いた。・・・・・おっと、云っとくが、これはすべて俺が勝手にやったことだからな。」
「・・・・・どうして・・・・・?」
「住所は封筒から投函先を調べた。ちょいと手間がかかったけどな。この連絡先は・・・・司令から直接聞いたものだ。」
「父さんから!?」
今度こそシンジは本当に驚いた。父は自分を見捨てたのではなかったのか?
「司令は連絡して欲しいとは言わなかったが、俺が聞いたらあっさり教えてくれたよ。」
なぜ・・・・?シンジの頭の中を疑問が駆け巡る。
「・・・・・なあシンジ君。司令は複雑な人だ。 正直、あの人の気持ちは俺にもよくわからん。だが、教えてくれたのなら扉はまだ閉ざされてない・・・・・ そう考えても、いいんじゃないか?」
―――絆はまだ、切れていない?
シンジはその紙を見つめた。父の思惑はわからない。だがひょっとしたら、父も悩んでいるのかもしれない。
さっきまでの自分のように、この世界での居場所を見つけようと必死で足掻いているのかもしれない。
長い時間では無かっただろう。それでもシンジにとってこれが、延々と悩み抜いた結論だった。
ゆっくりと手を伸ばし、その紙を受け取った。
「シンジ君・・・・・焦る必要はない。キミもあの人も少しずつ、歩み寄ればいいと思う。」
「・・・・・・はい。」
シンジはその紙を胸にしまった。今はまだ、無理かもしれない。が、そのうちきっと・・・・。
「じゃ、俺はこれで。・・・邪魔してゴメンな、早く待っている人の所に行ってやれよ。」
顔を上げると加持が背を向け、去っていこうとしていた。
「あ、あの・・・・・加持さんっ!」
「・・・ん?」
「ありがとう・・・・・ございました。」
こんなにも気に掛けてくれる人がいる。みんなが支えてくれている。それが改めて、心に沁みた。
振り返った加持の表情は薄暗い闇の中だったが、それでもシンジには、彼の頼もしい笑顔が見えた。
(僕もいつか・・・・あんな風に笑えるだろうか?)


レイは一人で待っていた。ずっと、アスカの事を考えていた。
彼女が自分のことを ”レイ” って呼んでくれた。
そしておそらく、自分とシンジの仲を認めてくれた。
知らぬ間に彼女も成長していた。より強く、より眩しい存在へと。
(羨ましい・・・・・。)
彼女のあの眩しさが。あのときの瞳の美しさが。
(・・・・私は何も出来なかった。碇くんを救ったのはアスカ・・・・なのに・・・・。)
それなのに、自分がここにいる。
(いいの?私なんかで・・・・・。彼女じゃなくて私で、本当にいいの?)
アスカがシンジの隣にいる。それを想像するのは何より辛い。でも、それでも彼女の方こそ、彼に相応しいのではないか?
暗い月よりも、明るい太陽の方が・・・・。


雲の過ぎ去った空は銀の光を浴び、闇から夜へと色を変える。藍よりもなお深い、夜の蒼空。
だがその晴れ渡った夜空をレイは見ることが出来ない。視線を地面に縫い付けたまま、自らの迷いが重くのしかかる。
「・・・ゴメン、遅くなっちゃって。」
声を掛けるまで、レイは彼に気付かなかった。隣に腰を下ろしたシンジは、優しく訊ねた。
「何を・・・・考えてたの?」
レイはしばらく迷っていたが、やがてポツリと呟いた。
「・・・・・いいの?・・・・・アスカを選ばなくて?」
「え・・・・・?」
壊してしまうかもしれない、絆を―――でも、抑えきれない。
「アスカは・・・・碇くんの気持ちを解っていた・・・・。アスカは・・・・・碇くんを救ってくれた・・・・・。」
言葉を吐き出しても、楽にならない。一言ずつ、胸の痛みが増してゆく。
「・・・・・彼女なら、あなたを支えられる・・・・・。私じゃなくて・・・・・。」
言葉が通るたび、喉を切り裂く。嫉妬と恐怖が、傷つけてゆく。
「わたしなんかより・・・・・・ずっと・・・・・・アスカの方が・・・・・・。」
「もう、止めなよ!」
シンジが彼女の手を握り、遮った。
小さな手は、震えていた。握り締めた拳は、痛々しいほど冷たかった。
「・・・・・ごめん。僕がだらしないせいで、負担ばかりかけて。」
震える拳を包み込む。冷たい手に、少しでも温かさを取り戻したい。
「アスカには申し訳ないと思う・・・・・・彼女は僕にとって、本当に大切な家族だから。」
ピクリ、と動揺が伝わる。俯いた表情は変わらなくても、その手が本当の気持ちを伝えてくれる。
昔からそうだった。言葉よりもその仕草が、多くを語っていた。
シンジはレイを見た。迷いは何も無い。
「でも・・・・僕が望んだのは、此処なんだ。君が居る、この場所なんだ。」
「わたしの・・・・・いる場所・・・・・。」
レイのすぐ隣。それがシンジの選んだ居場所。
顔を上げるとシンジの視線と重なり合った。決意を込めたその瞳の美しさに、レイは心を奪われる。
「きっと・・・・・、きっと僕は、強くなる。強くなってみせる。」
「碇くん・・・・・。」
「みんなを・・・・・誰よりレイを、守るために。」
”レイ”、初めて名前で呼んだ。
紅い瞳が、揺れた。嬉しいときにも、涙は出るから。
「・・・・・私も、強くなる。アスカのようには、なれないけど・・・・・。」
アスカの強さ、それは彼女だけのものだから。
「でも私は私らしく、碇くんを受け止められるように、碇くんを叱れるように・・・・・そうなるから。」
「じゃあ僕も、レイに叩かれないよう早く強くならなきゃ。」
すこし冗談めかしながらシンジは微笑む。レイの大好きな、あの笑顔で。
(嬉しい・・・・・。)
変わらない優しさを湛えた笑顔。そしてどこか、逞しさを感じさせるようになった笑顔。
アスカが ”レイ” と呼んでくれたように、シンジが ”レイ” と呼んでくれたように、皆、変わっていくのだ。
(きっとこれこそが、碇くんの望んだ世界・・・・・。)
変化は時に苦痛をもたらす。その痛みに怯えながらも、シンジは心のどこかで憧れていたのではないか。
―――自らが成長することを。
だから彼はこの世界を選んだ。苦痛のない永遠より、傷ついても乗り越えられる、この瞬間を。


レイは夜空を見上げた。

月が、輝いていた。


< 了 >



< Before


< 後書き >

以上、お祭り話後編でした。「夏祭り」でも書きましたが、時間軸としては 「夏祭り」 → 「サクハナ(後半部)」 → 「祭りのあと」なので、
「サクハナ」 のEOE後だけ先に読んで頂いた方が流れとしてはあってます。 ・・・・って、普通後書きじゃなくて先に書くべきなんですけどね。(苦笑)
冒頭でちょこっと書いたのですが、映画のEOEとは少し結末を変えています。ユイはゲンドウと宇宙へ飛び立つことなく、初号機の中でひとり封印されたまま。
また、赤い海から徐々に人が還るのではなく気が付いたら世界が変わってたという設定。TV版最終話とEOEの中間のようなものでしょうか。
その辺のことは今後書くかどうか・・・・・まだ問題は残っているものの、取りあえずひと段落したので別にいいかとも思ってたり。^^;)
書くとしても何らかの記念 or 企画でしょう。もともと企画から生まれた話ですから。もしまた書くようなことがあれば、宜しくおつき合い下さい。m(_ _)m


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