AngelRing (4) 」

「誰?」

鏡に映し出されたもうひとつの顔―――いえ、背後にたたずむ人物を振り返って問いかけた。

「へえ、見えるんだ、僕が。」

銀髪を片手で梳きながら、その少年は答えた。年齢は一見したところ、私とそう違わないように見える。
驚いたのはその容貌で、鏡から抜け出たのかと錯覚するほど、私と同じ特徴を備えていた。
極端に白い肌、紅玉の瞳。髪の色は違うけど、色素の抜けた銀髪はアルビノ体質の影響と思われる。
そして、聞き覚えのある、その声。

「あなただったの?」
「何がだい?」
「いつかの公園で・・・・暗闇の中、私に忠告したのは、あなただったのね?」

返事は無かったが、口のはしだけでかたちづくった笑みが私の質問を肯定していた。
いつの間に入ってきたのだろう?ドアが閉まる音をたてないよう、こっそり忍び込んだのだろうか?

「答えて!あなただれ?なぜここに居るの?」

沈黙を守る相手にいら立ちを感じて問いただす。自分でも驚くほど、声がはね上がった。

「・・・そう突っかかってこられてもねえ。ま、不安なのもわかるけど。」

歌うようになめらかな声で、鋭く私の心を言い当てた。
なぜ私は、これほど怯えているのだろう?
得たいのしれない不法侵入者。それだけなのだろうか、この不安は。

「知らない振りでもしてるのか・・・・それとも、本当に憶えてないのかな。」
「何のこと?」

再び訊ねた私から顔を背ける。また、無視された。
不愉快な気持ちを我慢して、口を閉ざした白い横顔に視線を注いだまま、次の言葉を待った。

「・・・楽しそうだね、彼が居ると。」

苛立つ私をなぶるように、 唐突に話題の向きを変えようとする。
しかも、私の望まない方向に。

「どういう意味?」
「キミはさっきから、質問してばかりしている。」
「あなたが、答えようとしないから!」

人を小馬鹿にしたようなその笑みが、よけい癇にさわる。
なぜこの人は、私の神経を逆撫でする?
なぜ、碇くんのことを知っている?
そもそも何故、此処にいるのか?

「碇シンジくん、か・・・・キミの彼に対する態度には、実に興味深いものがあるよ。」
「もしかして・・・・・・ずっと覗き見してたの?」

ここ数日間の視線、そして少し前の出来事を思い出し、羞恥で頬が熱くなった。

「恥ずかしがることじゃない。好きってことは素晴らしいことさ。リリ・・・。」
「黙って!」

飄々とした軽口に翻弄されつつも、精いっぱい言葉で斬りつけた。

「それ以上・・・・・・侮辱するなら・・・・・・許さない。」

大切な想いに靴跡を付けられた気がして、眩暈がするほどの怒りを覚えた。

「・・・・・・なるほど。キミにとってはやはり、今のままが良いようだな。」

口調は変らないけれど、その声音にはさっきまでとは違う響きを感じた。

「そんなに、彼が大切かい?」

まっすぐ私を見つめる瞳には、どこか真実味を帯びた光が宿っている。
でも、まだ、真意がつかめない。

「・・・・それが?何を言いたいの?」
「だったら、いまの幸せを信じ込むがいい。この世界を壊したくないならね。」
「世界が・・・・・こわれる・・・・・?」

少しだけ真面目に傾けようとした耳のうえを、現実感のない言葉が滑ってゆく。

「信じられない?」
「当然だわ。あなたの言うことも、あなた自身も。」

・・・私をからかって何が楽しいのかしら、この人は。
一瞬でもまともに話を聴こうとした自分が、馬鹿みたいに思えた。

「やれやれ、僕には好意を示してくれないみたいだね。」

両手をひろげて大げさに嘆く道化師めいた仕種を、冷ややかに流した。
これ以上、無意味なおしゃべりに付き合う必要も無い。

「早く出て行って。あなたが誰だか知らないけど・・・。」
「僕が何ものなのか、説明するのは難しいな。そもそも僕に名前はないし・・・。」

いかにも芝居がかった動作で顎に手をあてて首をひねると、

「強いていうなら―――タブリス。リリンたちからはそう呼ばれていた。」

そう言って、反応を楽しむように横目で私の顔を伺う。

「タブリス?・・・・・・リリン?」
「リリンって言ってもぴんとこないかい?つまりはヒトのことだけどね。」

”ヒト” と発音したとき、奇妙な違和感を感じた。

「タブリスとは使徒のことさ。死海文書の予言にある十七番目の使徒、それが僕。」
「・・・・・使徒・・・・・?」

恐らく・・・・この人は妄想癖があって、人を混乱させるのが楽しいから、こうして誰彼かまわず虚言を吹いて廻ってるのだろう。
きっとそう、そうに違いない。

「いきなり言われても分からない。あなたが、その・・・使徒、だというの?」
「ああ、キミと同じね。」
「私は違うわ!さっきから出鱈目ばかりいって!」

あまつさえ変な言いがかりをつけられ、憤りを感じた。人をばかにするにも程がある。

「出鱈目、ねえ・・・・。」

怒りをみせても通じないのか相手はまるで動じず、むしろ楽しげにクスリと笑う。
その余裕に不気味なものを感じた。紅く開いた双眸は、私の心の奥底を探るように一瞬たりとも瞬きしない。

「いや、違わないんだよ。ヒト―――つまり群体である ”リリン” とは異なる、個だけの存在・・・・。」

じりじりと私を追い詰める真紅の瞳に、足許が揺らぐような錯覚を覚える。
ほんの数刻前までいっぱいだった幸福が潮のように引き、かわりに黒い恐怖がぽつぽつと胸を濡らす。

「キミは僕と同じなのさ、使徒アルミサエル。」


▼△▼


何を言われたのか認識するまで、ずいぶん長い時間を費やしたような気がする。
耳から入り込んだ言葉がようやく浸透しても、むしろ、混乱にいっそう拍車を掛けただけだった。

「わたし・・・・・・・・・なに?」
「アルミサエル。形を持たない不定形の、第十六使徒。」

嘘ばっかり―――そう叫びたいのに、咽喉が凍りつく。

「本当に忘れてたのかい?自分が何なのかも、何をしたかも、すべて。」
「な・・・なにを・・・?」

ぎこちない腹話術のようにうまく言葉が出てこず、辛うじて首だけを左右に振った。

「そうか・・・・よもや、知らないふりしてるだけかとも思ったけど。・・・言わない方がよかったかな?」

腕組みして考え込む真似をしながら、そのじつ、 まるで気にしてないのが見て取れる。

「・・・ひとりで納得しないで。言いたいことがあれば、はっきり言ったらどう?」
「教えてあげてもいいけど、聴きたくないんじゃないの?嫌そうな顔してるし。」
「そんな!・・・わたし・・・・・・後ろめたいことなんて、なにも・・・・・・。」

後ろ暗いことがあるのをさも認めたかのような自分の言葉に、慌てて口を噤んだ。
でも―――本当に知らない、心当たりすら無いのに。

「別に責めてるわけじゃない。僕はただ忠告しているだけさ。いまのままだと遠からず、この世界は崩壊するってことをね。」
「だからどういう意味?世界が滅びるとか・・・・・・よりによって、私の正体が使徒だなんて・・・・・・。」
「知りたがりも、場合によっては不幸を招くよ。世間には知らない方がいいことだってあるしね。」

今度はまるで正反対の言葉。猫にいたぶられる鼠のような気分だった。

「・・・出まかせなのね。あなたがいま話したことは何もかも。だからそれ以上訊ねられても、答えようがないんだわ。」
「そう信じたければ、信じればいい。」

肩をそびやかした相手から目を離さず、忍び足で机に近付き、左腕を伸ばして置いてあった携帯を掴んだ。
碇くんを呼ぼう。彼に来てもらって、この不審な闖入者をつまみ出してもらおう。
私の部屋に勝手に上がりこんで、私たちの世界にまで、土足で入ってきて―――。



・・・世界?・・・私たち?


携帯を操作する手が、ぴたりと止まる。
凍りつく指先を無理に動かして、登録された番号を呼び出す。
なんの変哲もない、彼の電話番号。
彼しか登録されていない、私の携帯。

「まさか・・・・・・。」

今のいままで過ぎることのなかった、当たり前の疑問。
普段の生活。彼の他には誰とも会ってない。学校・・・・学校はどうしたのだろう?
いつも買い物で使っているカードは、誰が支給してくれたのだろう?
そもそも、なぜ私は、たった一人でこの部屋に住んでいるのだろう?

「気づいたようだね。」
「いえっ、待って!」

額にこぶしを当て、私の知ってる顔を懸命に思い浮かべる。
でも、彼しか出てこない。
彼以外の顔も名前も、だれ一人として、私は知らない。
待ち合わせでよく使う喫茶店の店員、デパートで会話した従業員、通りですれ違う人々・・・・・・
仮に記憶喪失だったとしても、一人くらい、顔だけでも憶えてて良いはずなのに・・・。

「この世界の住人は二人しかいない。キミと彼、たったそれだけ。」

信じ難いその言葉に、手に持った携帯をあやうく取り落としそうになった。

「他の人物は、日常という舞台を演出するための、いわば黒子に過ぎない。彼らには顔も名前も与えられない。必要ないからね。」
「・・・・・・そんな・・・・・・どうして・・・・・・。」
「キミが望んだから。」

非難するでもない淡々とした口調が、かえって胸につき刺さる。

「わたし・・・が・・・・・・?」
「キミは彼を選んだ。彼と生きることだけを望んだ。他の何をも望まず、それだけをね。」
「嘘っ!だって碇くんは何も言わないし、普通に生活しているわ。」
「彼も疑問には感じないだろうね。なにしろ彼は―――。」

不意に言葉を切ると、一瞬、ほんの一瞬だけ、憐れみに似た眼差しを私に向けた。

「いや・・・ともかく、今の世界はキミと彼だけで成り立っている。そして何より、キミの意志が重要だ。」
「意志?」
「さっきも言ったろ?この世界は遠からず滅びる。それを押しとどめられるのは、キミだけなんだ。」

胸に落とされた黒い染みはもはや際限なく広がり、不吉な予言のような言葉だけが真っ暗な心に木霊する。

「滅びるって・・・私たちみんな、死んでしまうというの?」
「僕はもともとこの世界とは関係ないんでね・・・まあ、彼は確実に生きられないだろうけど。」
「そんなっ・・・・!!」

碇くんがいなくなる―――その言葉だけで、心臓を鷲掴みされたように息苦しくなる。

「完全に手遅れ、ってわけじゃない。キミの行動如何によってはね。」
「・・・・・・私は、何をすればいい?」

相手の言葉に耳を貸すなと、理性の片隅が警告を放つ。
しかしその忠告も、彼を失うかもしれないという恐怖に押し包まれた。

「なに、難しいことじゃないさ。キミはいまの幸せを疑わずに、愛しの彼と結ばれる、それだけを考えればいい。」
「・・・そんなことで、世界が救えるとでも?」

言葉の裏側を測るように見つめかえしたが、無表情な笑みの向こうを、まるで見通せない。

「ああ、少なくともキミたち二人は、永遠に生き続けられる。」
「ありえない、そんなの。」
「そうかな?」

瞬きする間もなく、目の前に白い顔が迫った。
避けようとする動作よりも速く、包帯を巻いた左腕を無造作に掴まれる。

「・・・やっ!離して!」
「痛いかい?そんなはず無いだろ。」

剃刀でも隠し持っていたのか、空いたほうの手が一閃すると、包帯だけスッパリと切れた。
左腕を拘束していた手が解かれ、包帯よりなお白い肌があらわになる。

「ほら、キレイに治ってるじゃないか。」

その言葉にはっとなって、剥き出しになった左腕を慌てて隠した。
火傷してから三日と経たずに、あのみにくかった痕はしみ一つ残さず消えていた。
ここ数日間、私を悩ませていた原因のひとつがこれだった。どんな良薬をつけようと、まず、ありえない。

「キミはこの世界の主だ。だから何ものも、キミを傷つけることはない・・・・・・本来ならね。」
「・・・本来?」
「世界そのものが不安定なのさ。目に映る範囲のものは落ち着いてるようでも、見えないところで土台がぐらついている。」
「さっきあなたが言った、世界が崩壊しているということ?」
「ああ、このあいだキミが迷い込もうとした場所も、空間が崩れかかっていた。理由は僕にも判らないけど。」

いつの間にか私は、包帯のない腕を無意識に撫でながら、固唾を呑んで聴き入ってた。

「確実に云えるのは、この世界が揺るぎないものになりさえすれば、キミと、キミの大切なひとに危害が及ぶことはない。」
「大切な―――わたしの―――。」

先刻の、けがの出来事が脳裏を過ぎる。彼を失うことが、何よりも怖い。

「齢を経ることも、病気になることもない。寿命すら持たない、永遠の世界を築くことができる。」
「まさか・・・・・・そんな・・・・・・。」

否定する自分の言葉が、やけに弱々しく耳に届く。
その虚ろな響きに、徐々に心が傾きつつあるのを感じた。

「信じられないかい?・・・ま、永遠がどのくらい長いかなんて、僕も知らないけどね。」

急におどけた口調になって、悪戯っぽい瞳を山猫のように油断無く、くるりと動かした。
どこまで本気なのだろう?実際、いまの話を信用する根拠なんてまったく無い。
ただ、これまで気付きもしなかった疑念が一つ一つ浮かんでは、気泡のように小さな風穴を胸に空ける。
不安をいざなう胸のすきま風の音が、悲鳴となって恋い焦がれる。
私の空洞を埋めることが出来る、たったひとつだけの、彼のぬくもりを。

「いいじゃないか。彼と結ばれるのは、キミの望みでもあるんだろ?」
「そんな・・・・私は・・・・。」

いじましく疼いた心を見透かされた気がして、反射的に顔を伏せた。
想いを否定するつもりは無い。でも、彼を求めるいまの自分の気持ちがさもしい、汚れたものに感じる。

「悩む余地もないと思うけどね。キミはキミの想いを遂げ、世界は世界で救われる。結構なことじゃないか。」

振り子のように落ち着かない心をどこまで視とおしているのか、私が断れないように後押ししてくる。

「碇くんは・・・彼の意思は、どうなるの?」
「あれ?てっきり彼もそれを望んでると思ってたけど、そうじゃないんだ?」
「い・・・いえっ、そんなのっ!」

分かるはず無い―――そう言いかけたが、それこそ彼の気持ちを無視している気がして押し黙った。

「ま、大丈夫だと思うけどね。彼はキミを傷つけるようなことはしないさ、きっと。」
「・・・・ほんとうに・・・・?」

黒い蛇のごとき甘言が不安に塗りつぶされた胸に流れ込み、無数に空いた風穴をじくじくとうめてゆく。
どうしようもなく、心が揺らいでいる。

「ひとつ・・・訊いてもいいかしら?」
「なんだい?」

暗い想いに引きずり込まれないよう、話題を断ち切りたかった。
それに、どうしても訊ねたいことがある。

「さっき、あなたは言ったわ。私を使徒と―――使徒アルミサエルだと。」
「ああ・・・そうだったね。」
「どういう意味?私は綾波レイ。他の何者でもないわ。」

あいまいな回答は拒絶するつもりで、挑むように相手の顔を睨みつける。
表情を消した白い顔は、意志のない人形のような目で私を見かえしたが、

「・・・なら、それでいいんじゃない?」

と、もはやその話題は興味を失ったと云わんばかりに、投げやりに答えた。

「私は綾波レイではない・・・・・・そう云いたいの?」
「自分が誰かなんて、そんなに重要かい?キミという存在は、この世界でひとりだけだというのに。」
「誤魔化さないで!」
「言ったろ?大事なのはキミが信じることだ、って。想いが強ければ強いほど、この世界の存在は強固なものとなる。」

ここで言いくるめられたら負けと思いつつも、次なる反駁の言葉が咄嗟に浮かんでこない。

「逆に疑念は、この世界を危うくするだけさ。・・・そう、彼の命もね。」
「それは・・・・脅し?」
「とんでもない!なら教えようか?そのとおり、キミはアルミサエルだよ。ほら、これで納得したかい?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「黙り込む必要はない。キミは本当は綾波レイで、僕が嘘をついてただけさ・・・どう、安心したかい?」

遊ばれていると気付き、硬直していた頬が怒りに震えた。

「ふ、ふざけないで!私は真剣に―――。」
「僕が真実を伝えても、キミが受け入れなきゃ意味ないだろ?こんなやりとりの間にも、世界は壊れてるんだけどなあ。」

不吉な言葉の響きに気付いて周囲を見廻すと、知らぬ間に部屋の様相が一変していた。
買い換えたばかりのカーテンも、姿見も、円い机もすべてが消え、寒々しい剥き出しのコンクリート壁が取り囲む。
この殺風景な部屋を、私は知っていた。ひとりぼっちだった頃の、孤独な檻。

「それとも、こっちの方を選ぶのかい?いまのキミの幸せなんかよりも。」

追求するべき、いえ、明確にさせなければいけないはずだった。
それを躊躇ったのは、内から湧き上がる疑念が、もはや抑えようのないほど膨れ上がっているのを自覚したから。
諦めにも似た敗北感に打ちひしがれながら、うなだれて口を閉ざした。

「じゃ、成功を祈るよ。」

流れる風の気配を感じて顔を上げると、その姿はもう、どこにもなかった。
あとにはただ、いつかの無機質な、冷たい風の薫りが漂うだけ。

「・・・・消えた・・・・?」

いつの間にか風景も元に戻り、明るい電灯に照らされた部屋は、碇くんが帰ったあとのままだった。
いや、そのままではない。携帯を硬く握り締めた腕に巻いてあった包帯は切り裂かれ、床に散らばっている。
影のように現れた少年は、文字通り影すら見えない。
まだ、その辺りに潜んでいるだろうか?部屋を見回したとき、こちらを見返す紅い瞳とぶつかった。
一瞬背すじが寒くなったが、それは壁にたてかけた姿見に映る、自分の顔だった。

「いや・・・・・。」

もう、この部屋には居られない。
一刻もはやく逃げたかった。 彼のもとへ。


▼△▼


夢中で靴を履き、扉の外へ逃げ出す。
マンションの階段を駆け下り、衝動にかられたまましばらく走ってから、ある事に気付き愕然として脚を止めた。

「・・・・・そんな・・・・・。」

碇くんの家はどこだったろう?住所も家までの道のりも、まるで思い出せない。
何故、今まで尋ねなかったのだろう?知ろうともしなかったのだろう?
勘を頼りに闇雲に脚を進めても、どんどん知らない道へと迷い込んでゆく。
引き返したくても、もはや来た道すら判らない。いつかと同じような暗闇が、私に纏わりついて離れない。
ふらつく脚を止め、暗い道を見廻しても、辺りには人ひとり、物音ひとつ存在しない。
握り締めたままの携帯を開き、彼の番号を呼び出す。

Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru…

繰り返される電子音が、冷たく不在を通知する。
・・・居ないだけ?本当に?

Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru…

もし、さっきの少年が、彼のところにも行ってたとしたら―――
彼の身に、なにかあったら―――

Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru……Ru…Ru…Ru……Ru…


・・・・・・早く、早くでて・・・・・・



―――はやく―――




「…もしもし?」
「碇くんっ!?」

彼の声を聞いたとたん、膝の力が抜け、その場に崩れ落ちた。

「綾波?ごめんよ、ちょっと携帯と離れてたから・・・・どうしたの?」
「あいたいの・・・。」
「え?」
「お願い、いますぐ・・・・逢いたい・・・・。」

決壊寸前まで抑えていた感情が、ひとすじ、頬を伝う。

「きて・・・此処に来て・・・・・・はやく・・・・・・。」
「ここって・・・もしもしっ、家にいるんじゃないの?いまどこっ?」
「・・・わからない・・・。」

ぐしゃぐしゃに掻き乱された心は、渦巻く不信と恐怖に引き裂かれそうだった。

「わからないの、なにもかも・・・・・・。」
「どうした!泣いてるの?何かあった!?」

うまく説明なんて出来るはずがない。
何を云えばいいのだろう?一言でも漏らしたが最後、すべてが終わる気がする。
繰り返し訊ねる彼の声すら、どこか遠い世界から響くように感じた。

「―――とにかく、すぐそっちに行くから。絶対に携帯を切っちゃだめだよ、いいね!」
「・・・・待ってる・・・・待ってるから・・・・お願い・・・・。」

もはや私には、溢れる涙を拭う暇もないまま、泣き続けるしか術はない。

「いかりくん・・・・・・いかりくん・・・・・・。」

遠い声に縋りつきながら、涙声で彼の名前を呼び続けた。



< 続 >



< Before  |  Next >







【投稿作品の目次】 === 【HOMEに戻る】