3.言葉は、いつでも人を傷つける





 窓を打ち付けるような強い雨の音が、教室の向こうで鳴り響いている。それは私た
ちを責めるような勢いをともなっていて、その存在を脅かす。その恐怖は私には心地
いい。私から奪えるものなんてないということを実感させてくれるから。私には何も
ないと言うことを実感させてくれるから。唯一アスカを除いては。
 アスカは十一月に入って急に忙しくなったようだった。次のクリスマスコンサート
の運営から部長としての仕事を任されるようで、昼休みでもすぐに食事を済ませてい
なくなってしまうことがよくあった。そんなとき私は、決まって本を取り出す。例え
それが前の日のうちに読み終わった本であっても、なんとなく読み返しているのだ。
なんと不健康な生徒だろう。
 今日のアスカは仕事がない様で、いつものように私の向かいでお弁当をつついてい
た。活発な彼女にしては、そのお弁当はあまり大きくなく、いかにも女の子というよ
うなものだった。彼女が箸をつつく仕草を私はとても可愛らしいと思う。
「なんだか今日のレイは機嫌よさそうね」
「そう?そうかもしれない。最近アスカがいないこと多いから」
「寂しい?」
 
「えぇ。そうね。寂しい」
ひょう
「ホント?レイからそんな言葉が聞けるなんて意外ね。明日は雨 が雹に なっているか
 
もしれないわ」
 四月の「あれ」以来学校ではいつも一緒にいるアスカに対して、私は少し依存して
いるのかもしれないと最近思うようになった。夏休みや休日にどこかへ出かけること
もあったし、お互いの家に行くこともあった。きっとアスカの知らない私は図書館に
いるときの私くらいなものだろう。なぜか図書館にはアスカがついて来た事も、私が
連れて行こうとしたこともなかった。
「クリスマスコンサートの準備がなかなか面倒でね」
「よく、わからないけど」
「毎年プログラムなんて少ししか変わらないし、変わるのも簡単なポピュラーソング
ばかりだから、部員はそんなに負担じゃないのよ。ただ、コンサートやるとなるとス
ケジュールのこととか、練習場所のこととか、周りの部との兼ね合いとか宣伝とかと
にかくやること多くて」
「部長になったこと後悔しているの?」
「まぁ、去年の部長の大変そうな姿見ていたから、わかってはいたし、後悔はしてな
いけどねぇ。つまらない仕事ばかりなのは確かよ」
「そう。かわいそう」
 私は心からそう思った。アスカはもっと活発な活動をするべきだと思う。同時に、
私は変なことを思い出したので、アスカに尋ねてみた。
「碇君には向いてなかったかもしれないわね」
「そう?あいつは部活のためだったら、どんなことでも嫌な顔せずに引き受けると思
うけどね。まぁ器用にこなせるかはまた別だけど」
「そう」
 私は自分が好きでもないことを引き受ける碇君の姿をあまり想像はできなかったが、
アスカがそういうならきっとそうなのだろう。
「そういえば、最近よく一緒に帰ってるらしいじゃない」
 アスカは興味津々と言った様子でニヤニヤしながら私に話しかけた。
 確かに彼は三回目の「偶然」以来、かなり頻繁に図書館に来るようになった。そし
て、そのたびにCDを二枚か三枚借りている。彼は部活が終わってから来るようで、
図書館に来るのはあまり早い時間ではなかった。私も、宿題が終わってすぐに帰らず
に、閲覧スペースで時間をつぶしていることがあった。そうすると彼は大抵いる。特
に期待して待っているわけではなかったが、彼と帰ることが苦痛ではなくなったのも
確かだった。彼が「私に声を掛けた目的」を話したのは、「偶然」が「偶然」ではな
くなってから何度目のことだっただろうか。それは曖昧になってしまったが、少なく
とも彼が私に「目的」を話して以来、私と碇君のことについてアスカに尋ねられるの
は、これが初めてだった。
「そうね。彼よく図書館に来るわ」
「もしかして、もしかするんじゃない?というかすでに結果出てたりしてぇ〜」
 アスカが知っていると言うことは、彼がアスカに私とのことを話しているのだろう。
その真意はわからなかった。少し迷ってから私は思い切ってアスカに聞いてみた。
「アスカ好きな人とかいる?」
「えっ?あたし?い、今はいないけど……それより今はレイのことでしょ!」
 クラスのなかで目立っているような人の中には、恋愛のようなものをしている人も
いるだろうと思った。アスカはそういう人とあまり深くは関わろうとしていないよう
だったが、それでもアスカならそういう世界にいてもごく自然であるような気がした。
しかし、私がその世界に入っていこうとすることは不自然と言うよりは、不気味でし
かなかった。少なくとも私自身はそう感じている。だからアスカとこういう話をする
のは、私にとってかなり緊張を強いるものだった。
「もし、アスカが好きだとは断定できない人から、例えばデートとか誘われたらどう
する?」
「えっ?まじ?シンジにデート誘われたの?」
「いえ、そうじゃなくて」
「じゃこれからレイが誘うの?」
「そういうわけでもないけど。例えばの話」
「う〜ん。例えば、ねぇ。まぁ深く考えることもないと思うけど、そのとき自分に他
に好きな人がいなかったら、とりあえず行ってもいいんじゃない?」
「好きな人がいなかったら?」
「そうね。そしたら他の人とデート行っても面白くないだろうし。ただまぁ、その好
きな人にすでに恋人とか心に決めている人がいるとか、あとはゲイだったりして絶望
的な状況だったりしたらデートに行くかもね」
「なんとなく、わかったかもしれない」
「あくまで、私は、だけどね。あっ。もち誘ってきた奴が全然ダメダメだったら即お
断りだけど」
「そうね。ふふっ」
「行ってみて自分の気持ち確かめてみてもいいんじゃない?デートくらいで彼氏ヅラ
するやつもいないと思うから。レイはシンジならオッケーでしょ?」
「だから、そういう話じゃないの」
「まだいうか、このこの」
 そういって彼女はいつものように私の脇腹をくすぐってきた。アスカは私がそうい
う世界に入ることを喜んでいるのだろうか。それとも自分が知っている二人が仲良く
なっていくことを喜んでいるのだろうか。いずれにしても、彼女は普段よりもはしゃ
いでいるような声で私とじゃれあった。
 その声色に含まれるかすかな寂しさをよみとったのは、私の願望だったのだろうか。


「多分大丈夫だと思う」
「ほんとに?」
 昼間あれだけ強く降っていた雨は、夕方には止み、今は冷たい風に運ばれるいくら
かの湿気が、頬に当たってひんやりと心地よい。地面は水溜りだらけだったが、車の
通りが少ないので少し慎重に歩いていれば気にならなかった。
「今好きな人はいないと言っていたし、好きな人がいなければ誘われればデートに行
くと言っていた」
「そう、なんだ」
「誘ってきた人が『全然ダメダメ』だったらすぐに断ると言っていたけど」
「ははっ。僕当てはまるかも」
「大丈夫。アスカは碇君のこと嫌いじゃない」
「……だといいけど」
「アスカははっきりした性格だから、嫌いな人とは話さない」
「……そうだね。綾波はアスカのことよく知ってるね」
「えぇ」
 アスカと恋人になりたい。それが彼の目的だった。
 私はあの日以来なんとなく関心が薄れてしまったので無理に「目的」について尋ね
ようとはしなくなっていたが、いつだったか彼が唐突に話し始めた。アスカと碇君は、
話くらいはするがどうしても恋愛をするような雰囲気にはならないので、アスカと特
に親しい私にアスカのことを教えてほしい。最初にそれを聞いたときは、私だってア
スカとそういう話はしないし、そもそも私自身そういうことには疎いので、役に立つ
ような助言はできないと言い、そういう「下心」で近づいてきた彼に対して嫌悪感を
抱かないこともなかったが、二人でアスカのことを話しているうちに、私はとても楽
しい話題について話している感覚にとらわれて、少しずつ碇君のことを応援するよう
になっていった。
 実際のところ、アスカでさえも知らないアスカについてのことを誰かと話すのはと
ても楽しかったし、碇君はアスカとの付き合いは私より長いので、とても詳しかった。
だから、若干の寂しさや嫉妬のようなものも感じなくはなかったが、きっと碇君なら
アスカとうまくやってくれるだろうと思った。娘を嫁に出す「父親」の気持ちと、親
友の誕生日のサプライズパーティーを企画する小学生の気持ちを同時に味わったよう
な気分で、私は心が躍った。ただ一つ心配事がないわけではなかった。
「ただ、アスカは私と碇君が付き合うんじゃないかと勘違いしているみたいだから、
はっきり本人に言わなくてはダメ」
「う、うん」
「変な誤解を生んで、全て台無しになったら碇君だけではなくてアスカがかわいそう」
「わかってる」
「計画が成功したら、私からもアスカに言っておく」
「あ、あの、もし失敗したら……」
「……失敗でも言う。そうしたら、私からアスカを説得できるかもしれない」
「そう。あ、ありがとう」
 とは言うものの、アスカが碇君を拒絶することはないだろうと思った。アスカが碇
君を見る目はとても温かい。今まで二人の関係が恋愛に発展しなかったのは、きっと
きっかけがなかったからだろう。私としては、無理に二人の関係を恋愛に発展させる
こともないだろうと思ったが、男子と女子として二人がある程度排他的な関係を築き
上げるためには、それも仕方ないかもしれないと思った。
 しかし、この手の話をしているときの碇君はとにかく気が弱かった。音楽や部活の
ことについて話をしている彼はどこにいってしまうのだろう。この点に関しても心配
ではあったが、それは私が手助けをするような問題ではなかった。
「とにかく碇君は、今月駅前でやっている恋愛ものの映画をアスカと見るのよ」
「………」
「そして人ごみのあるところに行って手をつなぐ」
「………」
「知らない人が多いところに行けば、近くに親しい人がいることをうれしく思うはず
だから」
「そ、そうかな?」
「そう。不安な気持ちをうまく利用するべき」
 われながらずいぶんむちゃくちゃなことを言っているとは思ったが、きっと察しの
いいアスカなら気づいてくれるに違いないという希望的観測のもと、私は躊躇わずに
どんどんアドバイスしていた。実際はアスカがうまく碇君をリードしてくれることだ
ろう。
「あ、綾波でもそうなの?」
「私?そうかもしれないけど、試したことないから」
「綾波も、いい人見つかるといいね」
「そうね。ありがとう」
 口ではそう答えたが、私はちっともうれしくはなかった。もしかしたら、今日私を
くすぐっていたアスカもこんな気持ちだったのかもしれない。だとすると、碇君は私
たちの前に現れた疫病神と言うことで、そう考えると少しだけ愉快だった。


 昨日の大雨とは打って変わって、秋の空とは思えないようなすがすがしい日本晴れ
だった。天気予報でもしばらくは晴れが続くと言うことだったので、碇君とアスカの
デートは心配ないだろうと思った。
「雹が降るどころか一気に晴れたわね」
「きっとアスカがいなくて私が寂しいと思うのは珍しくないことだということよ」
「ここまで変に晴れたらそれはそれで気味が悪いわ」
「そう?そうかもしれない」
 今日もアスカが私のそばにいてくれる幸せを握り締めつつも、ほんの少しの不安を
押し隠して私はアスカと話していた。
 一方の碇君は、今日もいつもの三人組でお弁当を食べているようだったが、愛想笑
いを浮かべてばかりで、ろくに会話をしていなかった。恐らく緊張しているのだろう。
なんでもないように軽く振舞われるのは不愉快だが、それにしてもあんなに緊張しな
くてもいいと思う。本当にあんな人が人前で演奏などできるのだろうか。
「ねぇねぇ、シンジとのことはどうなったの?」
「だから、彼とはなんでもないわ」
「ほんとに?あたしには話してくれてもいいじゃない」
 私が頑なに否定し続けるので、隠し事をしているように見えたのかアスカは不機嫌
な様子だった。しかし、アスカは私のプライベートなことにあまり突っ込んで質問し
てくることはこれまであまりなかったので、私は少し不思議に思った。最近「アスカ
依存症」気味である私は、ここで全てを話してしまいたい衝動にも駆られたが、それ
をぐっと堪えた。今日一日黙っていればもうアスカに隠し事なんかしないで済む。
「大丈夫。アスカには本当のこと全て話すから。だから私のこと信じて」
 嘘とも事実ともならないような、というより私が言うにはあまりにもウソくさいセ
リフだったが、アスカは納得してくれたようだった。
「そうね。……しつこく聞いてごめんね」
「……かまわない」
 それきりアスカも私も黙ってしまった。真実を隠すのは苦痛ではないが、嘘をつく
のはとても苦痛なことだと思う。そういう人間の汚い部分を見せられたような気分に
なって私は打ちひしがれてしまった。だから私は……
「きゃ!えっ?ひゃ、れ、れい!あははははっ」
 アスカを思いっきりくすぐることにした。
「あは、あ、ひゃ、く、くすぐた、たい、れい、レイ」
 私ができる限りの満面の笑顔で
「だ、だめだって、く、くるしい、クルシイ〜」
「いつものお返し」
「れ、レ、レイ」
 私の笑いは少し悲しい笑いだったかもしれない。それに、傍から見れば私たちはお
かしな二人組みだったかもしれない。でも私は、今がとても幸せであると信じたい。
だから、私は、アスカに気づかれないように、声には出さずにそっとつぶやいた。
 ――アスカ、大好き


「じゃあね、レイ」
「えぇ。また来週。部活頑張ってね」
「ありがと、がんばる」
 そういうと彼女は急いで教室を出て行った。碇君はまだ部活の支度をしているよう
で、鞄から何かを取り出していた。
 部活が終わって、アスカと一緒に帰って、別れる前に映画に誘う。
 よほど陳腐な学園ドラマだって、もう少し凝った演出をするだろう。どんなにたく
さん本を読んでいても、私は全くそういう類の想像力を働かせることができなかった
し、そういうことを考えている自分自身に嫌気がさすこともあった。しかし、そこに
アスカの幸せそうな笑顔が添えられるだけで、私はなんだか満足してしまった。だか
ら、実際にそういう場面になれば、きっと雰囲気もでるだろう。私はそう思うことに
した。
 寂しさを紛らわせるように、そんなことを考えながら、私は廊下を歩いていた。そ
のまま帰る人もいれば、部活へ向かう人もいる。ジャージを着て元気に走っていく人
もいれば、めんどうくさそうに掃除をしている人もいる。そして、私は図書館へ向か
うのだ。
 そんなこと今まで考えたこともなかった。でも、大丈夫。アスカと碇君の関係が変
わったところで、私たちは友だちのままだ。その関係は変わらない。だから、来週か
らだって、私たちは一緒にお弁当を食べるし、一緒に教室を移動するし、一緒にトイ
レだって行く。そこに碇君が入り込むことは、たぶんない。大丈夫。きっと今まで通
りだ。
 さすがに授業が終わってすぐに帰る人はそれほど多くはない様で、下駄箱は閑散と
していた。そんな当たり前のことを考えながら、自分の靴が置いてあるほうに向かっ
ていると、誰かの手が私の肩を叩いた。学校で私に声を掛ける人はいない。あの人以
外は。私はそれを想像して勢いよく振り向いたが、それは私が予想した人物ではなか
った。
「碇君?」
「あの、すごく迷ったんだけど、やっぱり」
 私たちがいるのは下駄箱の隅のほうで、あまり目立ってはいなかったが、学校で、
しかもよりによって今、彼に声を掛けられるのは気持ちのいいものではなかった。
「これ、なんだけど」そういって彼が見せたのは、アスカをデートに誘うために使う
はずの、例の映画のチケットだった。
「まだ何もしていないのに、諦めるの?」
 恐らく今の私の声は、初めて碇君が私に話しかけたときより刺々しいものだっただ
ろう。私はそれを自覚しながら、さらに、射るような視線を彼に向けた。
「アスカならきっと大丈夫」
「そうじゃなくて」
「ならなに?」
「………」
「黙っていたらわからないわ」
「これ、始めから綾波を誘うつもりで買ったんだ」
「どういうこと?」
「最初からアスカを誘うんじゃなくて、綾波を誘うつもりだったんだ」
「………」
「昨日の綾波の話聞いて、僕のことなんとも思ってないことはよくわかったけど、で
も諦め切れなくて」
「………」
「綾波に好きな人がいなかったら来てくれるかも知れないと思って」
 私はあまりに突然な彼の「豹変」ぶりに、半分も状況が飲み込めなかった。だから、
私は全く的外れな質問を彼に投げかけた。
「アスカは、このこと、知っているの?」
「え?アスカ?う、うん。そもそもこのこと考えたのはアスカだし」
 私はますますわけがわからなくなってしまった。怒っていいのかも、悲しむべきな
のかも、喜ぶべきなのかも。そのどの感情も、今の私の気分を表すには、あまりにも
似合わなすぎた。ただ漠然と、なんだか裏切られたような気分になっただけだった。
それはいったい誰に?
「すべて、ウソだったということ?」
「う、ウソっていうか、まぁ、僕がアスカと恋人になりたいって言うことに関しては。
も、もちろんアスカだってちゃんとわかってるよ」
 私にとってそれは最も残酷な答えだった。
 私は驚かせる側ではなく、驚かされる側の人間だった。そういうことを頭では理解
できた。しかし、今の私は、突然「新郎」に告白された「父親」の気持ちを味わうこ
としかできなかった。そんなことあるわけない。
「どうして?」
「え?」
「どうしてそんな回りくどいことしたの?」
「それは……。綾波は、仲良くなるのが難しいから、とにかく打ち解けるきっかけを
作ったほうがいい、って」
「………」
「でないと、ただの、ぎょ、玉砕になるって。本当は、もう少し、色々あるんだけど」
「アスカが、そう言ったの?」
「……うん」
「そう」
 その作戦は、おそらく正しかった。とても。それに巧妙だと思った。アスカが私の
ことをこんなにもわかってくれているということが、本来ならとてもうれしいはずの
ことが、こんなに残酷に働くなんて。たぶん、アスカの考えは九十九パーセント正し
かったが、ひとつ、私にとっては最も大事で、最も決定的なことを彼女は見落として
いた。そんなこと、どんなに頭のいい人でもわからないだろうけど、それこそが私に
とってはとても残酷な事実だった。そして、私と彼女の真実。
「あの、騙していたことは謝る。ごめん。でも、綾波といたい気持ちに嘘はない。だ
から、もし良かったら、」
「いや」
「え?」
 だから、答えは始めから決まっていたのだ。
「あなたと映画なんて行きたくない」
「………」
「もう話しかけないで」
「………」
「さようなら」
 言葉は、いつでも人を傷つける。誰かが思いを伝えようとすればするほど。世界は、
何度でも不幸を生み落とす。誰かの心に対して誠実に生きようとすればするほど。
 たぶん、やっぱり、私と碇君はどこか似ていたのだろう。そして、私たち三人が幸
せになる方法など、始めから存在しなかったのだ。
 私が靴を履き替えるのを、彼は黙って見ていた。私が歩き始めても、彼は止めなか
った。私も振り返ろうとも思わなかった。ただ、校庭を歩いているとき、音楽室の方
からかすかな視線が投げかけられているような気がしたのは、気のせいだろうか。振
り返らなかったので、私にはよくわからなかった。
 わかったのは、私たちの関係がはっきりしたということだけだった。この澄み切っ
た秋空のように。