３.あるべき場所へ

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「ねぇ、ちょっと！　聞いてる？」
　今もこうやって一点を見つめたまま相槌も打ってくれない友人に向かって、少し冷
たく聞こえたかもしれないと自覚しつつも、あたしはいわずにはいられない。「いく
ら付き合いが長いからって、その態度はないんじゃないの？」と、今度は聞こえない
ように口の中だけで不満を漏らした。
「え？　なんだっけ？　サークルの話？」
　もう１０分以上前に済んだ話題を、平気で持ち出してくるんだから……。まぁ、で
も、そのマイペースっぷりはある意味彼女らしいといえば彼女らしい。
「それもう終わったでしょ。ろくなところがないからあんたもあたしも入らない。そ
う言わなかった？」
「あ、えっと、そうね。それだけが大学生活じゃないし」
「さっきと同じこと言っているじゃない。まぁいいわ。そ・れ・で、今度の日曜は空
いてるの？　空いてないの？」
「今度の日曜……」
　ちょっと考えるふりをしているけどあたしは知っている。どうせこの友人だってあ
たしと同じで暇を持て余しているってこと。サークルにも入らない、ゼミの飲み会も
楽しくない、バイトもしてない。ついでに勉強熱心でもない。そんなあたしたちは結
局、大学の休み時間だろうが休みの日だろうが、場合によっては講義のときですら一
緒で、お互い面白みのない毎日を過ごしていることくらい皮膚感覚でわかってしまう。
面白いことは自分から見つけないとやってこないんだから。
「……別に大丈夫だけど。でも、先週も一緒にいたわよね？」
「あれは服を買いに行ったからでしょ？」
「その前も」
「あんたがチーズケーキのおいしい喫茶店を見つけたっていったからじゃない」
「その前だって」
「あのときは……なんだっけ？」
「アスカが文芸サークル見に行こうっていったからじゃない」
「あれ？　そうだったけ？」
「えぇ。最悪の印象を残して部室を去っていったのもアスカよ。私ももうきっとあそ
こにはいけないわ」
　そう言われて思い出した。自分では何も書かないくせに他の人の文章にいちいちケ
チをつけてくるやつがいて「ならあんたが書いてみなさいよ」と言ったらいろいろと
屁理屈捏ね繰り回してきたので、あたしは汚い言葉を吐いて出て来てしまったのだ。
そのときのあたしはだいぶ感情的だったと思うけど、文章にケチつけられている当人
とか、その他被害にあっているサークルの人とかもあたしみたいな行動を取る人間な
んて望んじゃいないのはわかっていた。めんどうくさいけどうまく聞き流そう、そう
いう雰囲気があの部室に漂っていた。あたしだってそんなことがわからないほどバカ
ではないけど、我慢できないくらいには単純だった。だからトモダチと呼べる人が少
ないもかもしれない。あのあとすぐあたしについて来てくれた今目の前にいるトモダ
チには、かわいそうなことをしたとは思っている。
「それは……でも、レイだってあそこに入る気はなかったでしょ……？」
「そうね。ちょっと嫌味を言っただけよ。よくアスカが言うみたいにね」
「……なによそれ」
「私が日曜暇なことくらい知ってるでしょ？　今度はどこに行くつもり？」
「なんだっけ？　忘れちゃったわ」
　ちょっと嫌なことを思い出してテンションがそがれてしまったので、あたしはペッ
トボトルの蓋をあけてお茶を飲んだ。レイは呆れたような顔をしている。
　夕方の学食は講義の終わった学生がうじゃうじゃしていて、おまけにまだ７月にも
なっていないのにやけに暑くて、なんだか元気も出てこない。さっきまではなにか楽
しいこと考えていたはずなんだけど、なんだったか忘れてしまった。思いっきりイス
の背もたれに寄りかかってぐてっとしてみたけど、よけにダルさが増すだけだった、
その姿勢のまま、最近気になっていることをレイに聞いてみた。
「あんたさ、なんだか最近ぼーっとしてること多くない？　疲れているの？」
「そう？　あまり自覚はないけど」
「さっきだってそうだったじゃない。何考えてるのかわからない顔つきになること、
最近よくあるよ？」
「私は元々こういう性格だから……。アスカの気のせいよ」
「ま、ならいいけどさ」
　あたしは直感的にレイの言っていることがウソだとわかったけど、それ以上聞かな
いことにした。いくら年がら年中一緒にいるとは言え、レイにだって知られたくない
ことはあるだろう。
　だからあたしは、別の方向から可能性を探ってみることにした。
「ほんと、毎日なんにもないわよね。あんたもあたしも。レイはいい男でもみつから
ないわけ？」
「そんなことあるわけないでしょ。その言葉、そのままアスカに返すわ」
「いたらとっくにあんたに教えてるわよ」
　レイが何を考えているかはわからなかったけど、態度に変化はなかった。もしかし
たら、本当にただぼーっとしていただけかもしれない。それに、レイが恋煩いなんて
ちょっとあたしの想像の範疇を超えすぎている。
　姿勢をもとに戻してレイのほうを見ると、また何か考えていたさっきのような顔つ
きになりそうだったので、あたしはあわてて声をかけた。ただでさえ退屈なのに、レ
イが相手をしてくれなくなったらもっと退屈になってしまう。
「やっぱり、顔出す程度の会員でもサークルには入っておくべきだったかしら？」
「さっきと言っていることが逆よ。アスカはそんなに彼氏がほしいの？」
「そういうわけじゃないけど。でも、あんたふたりきりでと４年間過ごすことになる
のかと思うとなんだかやりきれない気持ちになるわ」
「ずいぶん御挨拶ね」
「あんただってあたしとだけで４年間過ごすのなんて嫌でしょ？」
「……それもそうね」
「もうちょっと人間関係広めないとね。そんなに多くなくていいからさ」
　レイはわりとどうでもよさそうに答えていた。あたしよりレイの方が退屈にも孤独
にも強い。「それもそうね」とは言ったけど、きっと本当に４年間あたし以外友人が
できなかったとしても、彼女は何も思わないかもしれない。
　でもおかげで、さっきレイに何を言おうとしていたのか思い出した。あやうく今日
唯一の生産性のある話題を話しそびれるところだった。
「それでさ、レイ。ちょっとのってほしいことがあるんだけど……」
　あたしが何か企んでることを悟ったのか、レイが少し嫌そうな顔をする。
「何？」
「そう怖い顔しないでよ。今度はサークルとかじゃないから」
「まためんどうなことなの？」
「そうでもないわ。レイにはね。あんた文芸サークルに行こうって言ったときはそん
なに嫌そうじゃなかったじゃない？」
「まぁ、本は嫌いではないから。アスカだってそうでしょ？」
「そうね。専攻は違うとは言えあんたもあたしも文学部なんだから、なにもおかしい
ことはあないわよね？」
「前置きはいいから、早く本題を言って」
　レイは痺れを切らしたのか、結論を急ごうとする。この子にはよくあることなので、
あたしももったいぶらずに話すことにした。
「あたしさ、ホームページ作ってみようと思うんだけど、あんたも協力してくんな
い？」
「え？　ホームページ？」
「そう、ホームページ。まあウェブサイトって言ったほうがいいのかもしれないけど」
　あまりに予想外のことだったのか、レイは言葉を返せずにいる。
「よく考えたらさ、わざわざサークルになんか入ることなかったのよ。自分でそうい
うの作ってさ、好きな本のこと書いたり、自分で小説書いたりすればよかったのよ。
いつか気の合うやつも出てくるかもしれないわ」
「でも……」
「大丈夫。作り方はわかっているから。今丁度、情報処理の講義でインターネットに
ついてやっててさ、ホームページの作り方も教えてもらってるわけよ。しかもレポー
トが『自分の趣味などをまとめたホームページを作りインターネット上に公開するこ
と』よ。スペースは先生が用意してくれるらしいし。一石二鳥じゃない！」
「作るだけなら大丈夫かもしれないけど、維持するのは大変じゃないかしら？」
「まぁめんどうになったらやめるだけよ。でも今作らないと、きっと半年後にはやり
方全部忘れてるわ」
　そう言って笑ってみせたけど、レイはあまり乗り気ではないようだった。でもここ
までは想定済みだ。問題はここから。
「そこにさ、あんたの好きなエヴァンゲリオンのことも書けばいいじゃない。仲間が
集まるかもよ」
「な！」
　レイの顔が一瞬で赤く染まっているのがわかった。
　最近はあまり話さないけど、あたしたちが中学のころやっていたそのアニメがレイ
は好きで好きでしょうがないことをあたしは知っている。そういうサークルに入るの
をそれとなくほのめかしたこともあったけど、「エヴァンゲリオンが好きなだけでア
ニメが好きなわけじゃない」とのことで却下となった。ま、あたしはどっちにも興味
ないからいいんだけど。
　それでも相当好きらしく、もう何度もエヴァンゲリオンのＤＶＤを見返しているよ
うだった。夜にレイの携帯に電話すると、３回に１回くらいの確率でそれらしい音が
後ろから聞こえてくるのでわかってしまう。あたしは高校のころ無理矢理見させられ
てそれっきり嫌になってしまい、レイもそれを察してそれ以来話をもちかけてこない。
でもたまに一緒に本屋とかレンタルビデオ屋に行くと、必ず「それ」の前で足を止め、
なんとも寂しそうな、何か諦めたような表情をあたしに向けてくる。でも、あたしは
「気持ち悪い」なんて言わずに、ちゃんと「またエヴァンゲリオン？　しょうがない
わねぇ」と答えることにしている。でも、どうしてそんなに好きなのかは今だに聞け
ない。なんか話が長くなりそうだから。
　それでもレイは、精一杯強がって言った。
「べ、別に仲間なんかほしくない。私ひとりでいい」
「さんざんあたしのこと引き入れようとしたじゃない」
「……もうずいぶん昔のことよ。それに、自分でホームページなんか作らなくたって、
すでにたくさんあるわ」
「あっそ。これを機にあたしも好きになれるかなと思ったんだけどねぇ」
　あたしはわざとそっぽを向いて、でも視界だけはレイのほうに集中させて反応を待
った。レイが何も言い出しそうにないので、もうひと押しだと思った。
「今度の日曜さ、あんたと一緒にエヴァンゲリオン見ようと思って誘ったんだけどな
ぁ」
　レイの肩が動いたのがわかった。
「……それは本当？」
「えぇ、本当よ。一応趣味のホームページを作るのが課題だしね」
「アスカ――」
　あたしがそう言ったときのレイの嬉しそうな顔は、めったに見れないほど表情が崩
れてしまっていて、ここまで喜ばれるとさすがにあたしもなんだかくすぐったいよう
な気持ちになる。
　これで決まったと思い、あたしはもう一度ペットボトルの蓋をあけてお茶を口に入
れた。ぬるくなってしまったお茶を一気に飲み干した。
「アスカならいつかわかってくれると思っていたわ」
　高校以来の友人は、嬉し涙をながさんばかりの勢いで微妙な勘違いを繰り広げてい
たけど、まぁ細かいことは気にしなくていいか。好きになるかどうかは別として、ウ
ソをつくつもりはなかった。
　別に、どうしてもホームページが作りたかったわけでもない。もちろん課題でいい
点数を採りたいわけでもない。ただ、なんだか、毎日無為に暮らすのにうんざりして
きて、とにかく何かやりたかった。そして、何かやるならやっぱりレイと一緒がよか
った。それだけの単純な理由で始めたことだった。


　日曜日は外に出ないのがもったいないくらいにいい天気で、レイの家に来るまでに
通る散歩道で犬を連れて歩いていた少年とか、その横を流れる川（とある歌謡曲のお
かげで有名だったりする）がキラキラしていたのを見てあたしも外で気晴らしがした
かったけど、そんなあたしのささやかな願望に後ろめたさを感じさせるほどに、レイ
の表情も負けず劣らず晴れやかだった。レイのアパートはあたしのアパートから徒歩
３分くらいで、どちらもひとり暮らしだからお互いの家には飽きるぐらい訪れている
し泊まることだってしょっちゅうあったけど、こんなにレイが嬉しそうにしているこ
とも、お菓子やジュースを用意していることも、部屋をきちんと片付けていることも
今までになかった。そんなに楽しみにしていたのかな？
「……あんたのパソコンのモニタ、なんか大きくなってない？」
「今日のために買い換えたのよ」
「……こんなにスピーカーたくさんあったっけ？」
「今日のために５.１chにしたの」
　そういいながらもレイはお菓子の袋を広げたり、なんだかよくわからない関連書籍
をならべたりスピーカーの位置を調整したりときびきび動いている。あたしはただク
ッションを抱えてそれを見ているだけだ。どれも少しでもあたしが快適に鑑賞できる
ようにと配慮してくれたんだと思うけど、さすがにちょっとひいたかも……とは口が
裂けても言えない。前見せられたときは、もっと普通に、おすすめの映画を見せる程
度の感じで見せられたのに、この数年で何が彼女をここまでさせてしまったのだろう。
「私はとてもエヴァンゲリオンが好きだけど、でもだからと言ってこんなにお膳立て
しているわけではないのよ。ただ、アスカが楽しんで見てくれれば私も嬉しいから」
　あたしが少々ドン引きしているのを感じ取ったのか、レイが恥ずかしげもなくちょ
っと恥ずかしい言い訳をしてくる。この子は本当にうまい誤魔化し方を知らないとい
うか、まぁよく言えば素直ってことなんだろうけど。
　パソコンにＤＶＤをセットし、部屋の電気も暗くして、後は手元のリモコンだけで
操作できるところまで来て、レイはあたしの隣に腰を下ろした。しかも正座で。
「ちょっと、あんたがかしこまってるとなんだかあたしが落ち着かないんだけど」
「そう？」
　何で正座なのかあたしは意味がわからなかったけど、レイは何事もなかったかのよ
うに脚を崩した。……冗談とかでもなかったんだ。
「アスカ、準備はいい？」
　真剣な面持ちでレイが尋ねてくる。さすがにあたしも不安になったので、一つだけ
言わずにはいられない。
「その前に一つ確認したいんだけど」
「何？」
「あたしがエヴァンゲリオンを好きになるかどうかは、見てみないとわからないんだ
からね？　別に興味を持つかどうかはこれからなんだからね？」
「大丈夫、わかっているわ。どんな結果になっても、私は受け入れるから」
　ほんの少し寂しげな表情を見せて、レイは言った。あたしはだぶん好きにはならず
に早く終わってほしいと思っているであろう未来の自分を少しだけ憎んだ。


「アスカ？　どうだった」
「………」
「今ならこの作品の素晴らしさがわかったでしょう？」
「………」
「……アスカ？」
　少しの休憩もなく、十数時間ずっと見させられた。
「エヴァのホームページ、作る気になった？」
　見始めたときは外は眩しいくらいに明るかったのに、今はもう夜中だ。
「わからないことがあったら、この解説書を見るといいわ」
　そう言ってレイは分厚い本をあたしに渡そうとするけれど、それを受け取る気力は
なかった。
「アスカ？」
「レイ？　えっと――」
　これのどこが面白いの？　とにかくこれが尋常じゃないことはわかったけど、こん
なの見ていて何がいいわけ？　あやうく吐き出しそうになったその言葉を、寸前のと
ころで飲み込んだ。自分でもよく頑張ったと思う。でも今のあたしはとにかく脳みそ
を休ませたかった。このままだとなんだか洗脳とかされかねないくらいには弱ってい
る。
「ちょっと、休まない？　さすがに、疲れたわ」
「そう？　もう眠いの？」
「まだ大丈夫だけど。ごめん。ちょっとベッド貸して」
　そういってとぼとぼとベッドまで歩き、ばたんと音を立てて倒れた。心配そうにあ
たしのほうを見ているレイの顔が脳裏に浮かんだ。
「……やっぱり、ダメだった？」
「いや、ダメとかどうとかっていうより、よくわかんないって言うのが正直なところ。
それに、最後の方ってあんな感じだったっけ？　前見たときのことそんなに憶えてい
るわけじゃないけど」
　うつ伏せになり、枕に顔を押し当てたままレイに向かって話した。
「あんな感じではなかった気がするんだけど」
「前は、アスカがつまらなさそうにしていたから、アニメ版のほうだけで終わらせて
しまったから。今回は、劇場版を最後に見たの」
「あぁ、それで。なかなか悲惨な結末だったわね」
「……どういう風に見るかは人それぞれだと思うけど」
　レイの声色が少しずつ悲しいそうなものになっていったので、もう少しフォローし
ながら会話した方がいいかとも思ったけど、なんだかそんな気力すらなかった。
「……アスカ」
「ん？」
「……お酒、飲む？」
「えっ？」
　思わず体を起こしてレイのほうを見た。よほど楽しいことがあって気分が盛り上が
ったときか、我慢ならないことがあってどちらかが愚痴をこぼすときくらいしか、あ
たしたちはお酒を飲まない。どちらもお酒そのものはあまり好きではなくて、それが
大学生活に上手くなじめない一因にもなっていると思う。でも、たまに、酔っ払って
しまいたいときというのはあるものだ。今日がそういう日になるということなのだろ
うか？　それはどういう意味で？　それともあたしに気を使っているの？　とにかく、
レイがそんなこと言ってくるのが意外で、あたしはどう返していいかわからず、見当
違いなことを聞いてしまった。
「部屋に置いてあるの？」
「今から買ってくるわ。コンビニでならまだ買えるから」
「でも、」
　あたしはなんと言っていいかわからずに、レイのほうに顔を向けたまま何もできず
にいた。レイのほうは、バッグから財布を取り出して、鏡の前で少し身嗜みを整えて
いる。
「アスカは休んでいて。私が買ってくるから」
「えっと――」
「すぐにもどるから」
　玄関のほうに体を向けて、顔だけこっちに向けてレイが言ってくる。悲しそうでも
寂しそうでも、怒っているふうでも冗談みたいな感じでもなく、何を考えているのか
読み取れない表情でレイはこちらを向いている。だからあたしは、頷くことしかでき
なかった。
「あ、うん」
「それじゃ、行ってくるわ」
　ここが、レイの家でよかった。あたしがここにいてもあの子は帰ってくる。そんな
ことを考えながらレイを見送った。
　まだお菓子が散乱していたこの部屋に取り残されて一番に考えたのは「やってしま
った」ということだった。あたしの方から誘っておいて、レイをぬか喜びさせて、挙
句の果てにまた悲しい思いをさせてしまった。レイは何もせずに退屈でいることに何
も不満を抱かない人間なので、たまにあたしが何かしようとしてあの子を巻き込んで、
最後にめんどうな思いをさせることがよくあった。レイはそのたびに少し嫌そうな顔
はしたけど、それでもいつもあたしについてきてくれた。でも、今回は違う。今回は、
レイの好きなものをダシにして、結局ダメだったから投げやりな態度を見せてしまっ
てあの子を傷つけてしまった。こんなに大きなモニタとたくさんのスピーカーまで用
意してくれたのに。あたしの心に残ったのは、エヴァンゲリオンのことでもホームペ
ージのことでもなく、だたの甘ったれな自己嫌悪だけだった。
　最低だ……あたしって。
　もう一度ベッドにうつ伏せになった。何も考えずにベッドに乗ってしまったけど、
普段のレイはあたしがここに乗るのを嫌がる。まぁ、その気持ちはわからなくもない。
かなりプライベート度合いの高い空間なんだから。でもあたしはあまり気にしない方
なので、ついつい乗ってしまった。あたしの部屋のベッドにレイが横になることはほ
とんどなかったけど、あたしの方はそんなに嫌じゃない。もちろんそれが嫌いなやつ
だったらまっぴらだけど。
　そんなことをうだうだ考えながら、このあとどうやってレイの機嫌をとろうかと思
いを巡らせて、枕から少し顔を上げた時だった。ベッドの隅のほう、枕の先の布団の
天辺の方にルーズリーフの端、気づくか気づかないくらいのほんの端っこが見えた。
ちょうど布団とベッドの台の間に挟まるような感じになっていて、そこから取り出せ
ば全部が見えるような感じになっていた。
　特になんの疑問も抱かずに、右手だけ前に出してルーズリーフを取り出そうとした
けどなかなか取り出せそうになくちぎれてしまいそうだったので、体を起こしてベッ
ドの天辺まで行き、布団の頭を少し持ち上げた。すると、そこにあるルーズリーフは
一枚だけではなく、数十枚が少しばらばらに束になっていた。罫線にそって字がびっ
しり書き込まれていて、講義ノートとは違うような感じだった。あたしはそれを布団
の下から取り出した。


「ただいま、アスカ。近くのコンビニ行ったら年齢確認されてしまって、面倒だから
別のところに行ったら遅くなってしまったわ。でもアスカの好きなおつまみ――」
「お、おかえりなさい」
「どうしたの？　アスカ」
　あたしが枕元に座って誤魔化すように笑っているのをさすがに怪しいと感じ取った
のか、レイがこちらに寄ってきた。あたしはどうしていいかわからず、これが誤魔化
した方がいいことなのか、それとも冗談っぽく笑い飛ばした方がいいのか、真剣に考
えてあげた方がいいことなのかわからずに、しかもレイが帰ってくるタイミングが不
意打ちすぎて頭が真っ白になってしまった。
「何してたの？」
　少し語気を強めてレイが言った。
「えっと、その」
「アスカらしくない態度ね」
「いや、あはははは」
「……誤魔化さなくていいわ。だいたい予想はつくから」
　レイは諦めたように言った。
「私が迂闊だったわ。あなたのことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた」
「……ごめんなさい」
「何に対して謝っているの？　心配なんて必要なかったこと？　勝手にベッドを漁っ
たこと？　それとも、「それ」を読んでしまったこと？」
「全部、かな」
「そう」
　あたしが申し訳なさそうにそう言うと、レイはお酒やおつまみで膨れたビニール袋
をテーブルの上に置いて、入れ替わりに食べ終わったお菓子の袋をゴミ箱に捨てた。
露骨に態度には出さないけど、たぶん、怒ってる。
「どう思ったの？　ますますあたしのことおかしな人間だと思うようになった？」
「いや、そんなことは……。レイがこういうの書いていても不思議ではないし、むし
ろすごいなって思ったくらいで」
「最後まで読んだの？」
「一通り読んで、２回目の中盤くらいでレイが帰ってきて」
　レイはあたしと目をあわさないように話していて、それでもお酒とかおつまみとか
並べながら話していて。どう対応すればいいのかよくわからなかった。あたしなら、
きっともっとわかりやすく怒っているかヘコんでるかしている。
「ちょっと、聞いてもいい？」
「何？」
「あの、まぁ、いろいろ聞きたいことはあるんだけど、とりあえず、その、い、碇シ
ンジってのは、あんたの知り合い？」
「いえ、架空の人物よ」
「でも、レイとかあたしとかは出てきたくらいだし。というか、最初は日記か何かか
と思って」
「耐えられないくらい退屈な講義があってね、その暇つぶしに書いていたの。ちょう
ど明日ある講義よ」
「はは、そ、そう」
　なんとなく気まずくなって、あたしはそれ以上何も言えなくなった。
「アスカ、飲もう？」
　カクテルの缶のプルトップを開けて、レイがあたしに渡してきた。本当の今日の正
念場はここからだと思った。あたしはベッドから降りてレイの隣に座った。
　謝罪の意味も込めて、レイから受け取った缶を一気に飲み干した。半分くらいきた
ところで反射的に喉が拒絶しているのがわかったけど、構わずに流し込んだ。そんな
ことしても意味ないことはわかっているけど、あたしがそう決めたんだ。
「ア、アスカ！？」
「ふーーっ。ま、ジンジャエールに比べりゃ楽勝よ。炭酸ないしね」
　あたしは自分がお酒に弱いことは自覚している。きっと後数分もしないうちにすご
い勢いで酔いが回ってくるだろう。今だって充分、匂いだけでクラクラ来てる。
　レイもしばらくは驚いたような顔をしていたけど、あたしと同じようにお酒をあお
った。さすがに一気飲みはしなかったけど、それでも半分くらいは飲んだだろう。苦
しそうにしているレイを見て、あたしは急に可笑しさが込み上げてきた。
「くっ、っくく、はは、何が『あんたもサークル入ったら？』よ。あたしだってあん
たと同じで全然そんなことしてないじゃない！　は、ははっ、くくく」
　もう何がなんだかわからなくて、でも今ならレイも笑って話してくれるような気が
して。
「それじゃお話にならないでしょ？　主人公が根暗だったら友人は社交的じゃなきゃ
ダメなのよ。でないと物語が始まらないの」
　レイが買ってきてくれたあたしのお気に入りのおつまみのチータラをかじった。本
当にこの子はなんでも良くわかっている。
「でもあたし嘘つきとか最悪じゃん！　ま、そっちは現実と大差ないかもしんないけ
どさ」
「そう、彼女は惣流・アスカ・ラングレーだから。あ、物語の中では惣流アスカね」
　でも、嬉しいこともあった。ここに書かれている「アスカ」は確かに「レイ」の親
友で、信頼しきっていて、ふたりのやりとりは読んでいてなかなかに面白そうだった。
レイがあたしたちのことそういうふうに見てくれているんだというのは、むず痒いよ
うな、くすぐったいような気持ちもしたけど、すっごく嬉しいことだった。それが知
れただけでも、この物語を見れた甲斐があったというものだ。その喜びは、今はこの
子にできるだけ態度で伝えたい。
「もしかして、最近ぼーっとしてることが多かったのはこれを書いていたから？」
「あまり自覚はないけど、たぶんそうだと思う。でも、なんとなく言い出せなくて」
「そうだったんだ……。勝手に見てしまってごめんさない。でも見れて良かったと思
ってる。あたし、この話好きよ。続きが読みたい！　まさかここでまたエヴァンゲリ
オンが出てくるとは思わなかったしね」
「アスカ――」
「文芸サークルなんかに入るよりもさ、こうしてあたしたちだけでやってる方がよっ
ぽど楽しいじゃない？　レイはそう思わない？」
「でも、続きが思い浮かばなくて。結局、碇シンジを狂人にしてしまった方がいいの
か、それとも本当にエヴァンゲリオンからの使者にしてしまった方がいいのか」
「ゆっくりでいいからさ、作っていこう。あたしもできるかぎり協力するわよ」
　あたしは思わずレイを肩から抱き寄せた。レイはちょっと恥ずかしそうにしていた。
あたしたちはあんまりスキンシップを取るほうじゃなかったし、レイはそういうの嫌
がると思うけど、今なら少しくらいは大丈夫な気がした。レイの中に眠っている創作
欲を、あたしが呼び起こしてあげたい。
　もうひとつ、碇シンジが本当は誰なのか。たぶん、これはレイとなんらかの関係が
ある人物だと思う。それだけは聞きたかった。それは、物語の中のアスカと同じよう
に、レイの背中を押してあげたいというあたしの単なるお節介だ。
「碇シンジは、ゼミ生か誰か？」
「………」
「変に詮索したりしない。ウソもついたりしない。レイが正直に話したら、あたしも
全部正直に話すわ。これは本当の気持ち」
　レイがあたしの方に顔を向けて目を合わせてきた。大丈夫、ちゃんとレイの信頼に
は応えるから。だから、あなたのこともっと教えて。
「明日の退屈な講義、出席の取り方が名簿式なの。回ってきた出席簿の自分の名前が
書いてある欄にチェックするだけ。きっと、代返の人もたくさんいると思う。なんと
なく、その出席簿眺めてたら、「碇シンジ」っていう名前があって、すごく綺麗な名
前だと思ったから、使わせてもらったの。でも、それが誰だかはわからない」
「一緒に講義は受けているってことね」
「たぶん。でも、誰が碇シンジ君かなんてわからないし、調べようとも思わないわ」
「……そうね。それでめちゃくちゃダメな男だったらあたしもがっかりするし」
　そういって笑って見せた。レイも一緒に笑ってくれた。
　なんだかもう時間の感覚もなくなってきたけど、真夜中なのは間違いない。でも、
今日もレイとしゃべりたいことはたくさんあった。
　こりゃ明日は自主休講かな。良くて講義中爆睡ってところかしら？

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