『じゃ、さよなら……』



 ああ、まただ。

 眼前に広がるその光景に気づくたび、シンジはそう思う。

 純白のプラグスーツ、何の感情も読み取れないあの表情、そしてゆっくりと零号機へ歩
んで行くその背中。 

 あの日以来、何度そのときの夢を見たのだろう。

 蒼銀の髪と深紅の瞳を持つ少女が自らの夢の世界に現われるたび、胸の中に残るのは、
彼女が持つどこか人を超越した美しさに対する憧憬と、悲しみのような切なさのような、
うまく言葉にできない憐れみにも似た感情だった。

 あの子は一体どこへ行こうとしているのだろう。 

 徐々に遠ざかっていくそのシルエットが頭上で柔かな光を注いでいる月に重なると、ふ
としたことで人の世界に迷い込んでしまった妖精が、自らが存在するべき世界へと返って
いくような、そんな感覚を覚える。

 けれど、おそらくそれも錯覚に過ぎないのだろう。

『私には、他に何もないもの……』

 半ば押しつけられた義務であり、責任であり、そして自らを縛る足枷。エヴァンゲリオ
ンという存在は、あの子にとっても同じ意味を持つものなのかもしれない。使徒という名
の脅威と戦い、自らの命も顧みずに自分を守ったあの子には、ここ以外にはどこにも行く
ところなどないのかもしれない。

 作戦開始の号令。

 誤撃。

 閃光。

 沈んでいく使徒。

『綾波!!』

 エントリープラグという名の頚木から解き放たれ、大きく跳ねあがる心臓の鼓動と共に
彼女の元へと駆けより、その牢獄の鍵をこじ開ける。

 きっとあの子はそこにいるはずだから。あの時と同じように、ただ一時的に意識を失っ
ているだけだから。

 それが分かっていても、これは現実ではないと気づいていても、押さえきれずに沸きあ
がってくるこの不安は何なのだろう。

 やがて開く非常用のハッチ。シートに横たわるその姿を見つけると、その目に涙を浮か
べながら少年は言う。

『笑えばいいと思うよ……』

 一瞬の空白。

 そして彼女は、あの時見せたのと全く変わらない、柔かで、どこか切ない微笑みを自分
に対して向けるのだ。

 ああ、きっと自分の中の何かが、確かにあの子に伝わったのだ。あの微笑みは、ほんの
少しではあるかもしれないけれど、自分たちの心の距離が縮まったという証なのだ。それ
をハッキリと感じていた。そのことを嬉しいと感じる自らにも気づいていた。

 それ以来、何度か夢の中にあの子が現われた。

 しかしいつもそこに立っているのは、プラグ内で美しく微笑んでいたあの14才の少女
ではなく、以前と同じ氷のような冷たさと、鋼のように固い決意をその内に秘めた、ファ
ーストチルドレン綾波レイだった。

 そして、彼女は言う。

『じゃ、さよなら……』

 オレンジ色に塗装された零号機へと歩を進めるたび、冷たく響くタラップの金属音。

 その場に佇むシンジにできるのは、無言のまま、ただその後姿を見送ることだけ。少し
ずつ遠ざかっていくその背中の残像は、無意識の中でユラユラと揺れ続け、やがて深く暗
い闇の中へと消えていく。

 きっとこの後自分たちは、またあのプラグ内で出合うことになるのだろう。

 それならば、自分はもう一度言おう。

 その心に微かな安息と、刹那の微笑みをもたらしたのであろうあの言葉を。

 どうかその微笑みを忘れないでいてほしい。次に自分たちが会う時は、誰に言われたか
らではなく、君の意志で微笑んでほしい。そんな、内に秘めた小さな希望と共に。


I wish 3 -The first day-


 朝の目覚め。ほとんどの人にとってそうだと思うけれど、ボクにとっても、枕元でけた
たましい音を上げる目覚まし時計を止め、眠い目をこすりながら布団から這い出るのは簡
単なことではない。

 それは、単にもう少し眠っていたいという思いからだけではなく、目覚めは夢からの覚
醒であり、現実へと向き合う時間の始まりであること、そしてその現実はいつもボクにと
って辛いものだったからだ。

 けれど、その日の目覚めは今までのそれとは少し違っていた。自分でも驚くくらいにす
っきりとした気分で目が覚め、新たな一日を待ちわびたかのような不思議な高揚感を、自
らの内に確かに感じる。

(……?)

 見知らぬ天井、というよりは見慣れぬ天井というべきだろうか。まだベッドに横たわっ
たままのボクの視界に飛び込むその光景。それが、いつもとは違った一日の始まりの源だ
ったのかもしれない。

(そうだ、昨日からボクはこっちの部屋で寝ることになったんだっけ……)

 一昨日の夜まではただの物置だった部屋。古びた机と椅子、ベッド、そしてその脇の小
さなチェスト。それがその部屋にあるものの全てだった。ミサトさんがネルフの施設課に
無理を言って、急に回してもらったらしいお古の家具。悪い言い方をしてしまえば間に合
わせ。けれどボクにとっては別に何の不満もない。あるはずもなかった。

「ん……」

 軽く寝返りを打ち、閉ざされた襖の向こうにいるはずのあの子、昨日までは自分の部屋
だった場所にいるはずのあの子のことを思う。すると、まだ眠りの世界から完全に抜け出
していない頭の中に、前日の記憶が少しずつ蘇ってきた。

 たった半日という短い時間だったけれど、ボクにとっては、なんて中身の凝縮された時
間だったのだろう。

 短いながらも共有した時間の中。
 戸惑ってしまうようなことがあった。
 引いてしまうようなこともあった。

 そして、嬉しいと感じることがあった。

『…ただいま』

 あの言葉に大きな期待をかけていいものか、ボクにはよく分からない。あるいは綾波は、
単に求められたから儀礼的にそれを口にしたのかもしれないし、その言葉がボクの中で持
つ重要性と、綾波の中でのそれには大きな隔たりがあるのかもしれない。けれど、例えほ
んの少しではあってもボクの思いが綾波に伝わったのなら、それでいい。そう感じていた。

 自分もミサトさんに似たようなことを言われたとき、ちょっとくすぐったくて、そして
嬉しかった。だから、綾波にも同じことを言ってあげたかった。実際にそれを口にするの
は簡単なことではなかったけれど、誰かに歓迎されるということは、そこに自分を待って
いてくれる人がいるということは、とても嬉しいことだということをボクは知っているか
ら。だから、綾波もそんな気持ちを感じてくれればと思った。

「うん……」

 軽く伸びをした後でまた寝返りを打ち、これから長い付き合いとなるであろう天井を少
しの間見つめた。さあ、ボクももう起きよう。今日は綾波の部屋に引越しを手伝いに行く
のだから。

 とりとめもなく溢れ出る昨日の思い出の流れを一旦塞き止め、朝食のメニューはどうし
ようかなどと考えていると、隣の部屋の襖が開く微かな音がした。綾波が起きたらしい。
一瞬心臓が緊張し、わけもなく息をひそめ、気配を殺す。規則正しい足音がリヴィングの
方に遠ざかっていくのを確認してから、ボクはようやく自分のしていることの無意味さに
気がついた。

(バカだな、ボクは。一体何をやっているんだろう)

 軽い溜息をついた後で体の緊張を解き、ベッドから抜け出す。

 Tシャツとショートパンツに着替えてリヴィングに行くと、綾波の姿はそこにはなかっ
た。シャワーでも浴びているのだろうか。もしそうなら、顔を洗いに洗面所に行くのは後
にした方がいいかもしれない。

 先にゴミをまとめて出してしまおうと、部屋に幾つかある燃えるゴミの袋を一つにまと
めていると、ミサトさんが部屋からのっそりと出てきた。

「おは〜よ〜」

「あ、おはようございます」

 ミサトさんは、クリーム色のタンクトップに水色のショートパンツという格好で、左手
で目尻をこすり右手では腰の辺りをボリボリと掻いている。ボクだって男なんですよ、と
言っても相手にしてもらえないのは分かっているけれど、なんというか、もう少し女とし
ての恥じらいってやつを持ってほしい。早くも冷蔵庫からビールの缶を取り出すミサトさ
んを見てそう思う。

「ミサトさん、ボク、ゴミを出してきますね」

「は〜い。いってらっさ〜い」

 ちょうどプルタブを開けようとしていたミサトさんに一声かけ、玄関へと向かう。

 サンダルを引っ掛け、微かな空気音と共に開くドアを抜け外に出ると、どこからか気持
ちのいい朝の風が吹きつけ、ボクの頬を優しくなでた。

 ゴミ袋を傍らに置き、廊下の手すりから少し身を乗り出し空を見上げると、雲一つない
綺麗な青空がボクの視界に飛び込んでくる。その吸いこまれそうな深い青を見つめている
と、自然と微笑みが浮かび、柔らかい気持ちになった。いつ以来だろう、こんなに清々し
い気持ちで朝を迎えるのは。

 さほど気温が上がっていない、朝方の少し涼しい空気を胸いっぱいに吸い込んでみる。

(今日も、素敵な日になるといいな)

 エレヴェーターに向かう廊下を歩きながら、そんなことを思った。





 朝の目覚め。一日の始まりであるその時間は、少女にとって何の感慨も呼び起こさない
無彩色なものだった。決められたスケジュールの反復。何も変わらない毎日。元々感情の
起伏の少ないレイにとって、そんな日常の中で感慨を感じろという方が無理な話である。

 だが、その日は少し違っていた。

 目覚め、目を見開き、全くその体を動かさず、表情も変えぬままパチパチと何度か瞬き
をする。そんな態勢のまま少しの時間が流れた後、レイはようやく自分の置かれた状況を
再把握した。

(この部屋……)

 身じろぎ一つせず、しばらくの間天井を見つめる。まだ新しい環境に少し戸惑いを感じ
るのは否めない。慣れない枕の感触、天井に取り付けられた蛍光灯、淡いクリーム色の壁
紙、そして、微かに漂う彼の残り香。

(……)

 軽く寝返りを打ち、記憶の時計を少し巻き戻す。

 昨日はいろいろと予測外のことが起こった日だった。

 今までに見たことのない表情を見た。
 今までに経験したことのない言葉をかけられた。
 今までに感じたことのないものを感じた。

 そしてその事柄の中心には、あの少年がいつもいた。

『あ、あの、お、おかえり、綾波』

 その言葉と、あの時の彼の表情が脳裏に蘇ると、微かな震えと共に不思議な熱が自らの
内で生み出され、それがジンワリと体中に広がっていく。

(……)

 どうして彼は、自分にあんなことを言ったのだろう。

 どうして自分の心は、彼の言葉にあんなにも揺さぶられたのだろう。

 知ったからといって、対した重要性を持つとは思えないこと。自らの行動に何か影響を
与えるとも思えないこと。しかし、それらの疑問はレイの中から容易には消えてくれず、
それどころか昨日よりもその存在を少し大きくしたように思えるのだ。

 戸惑うということにすら慣れていないレイが、その存在に多少の違和感を感じてしまっ
たのも無理からぬことだった。

(……これ、好きじゃない)

 もし機会があったなら、彼にそれについて聞いてみるのがいいかもしれない。

 自らの内でモヤモヤと澱んでいるものにそんな形で区切りをつけ、意図的に思考のベク
トルを昨日の出来事から今日の予定へと振り向ける。

 今日はこれから私物を取りに部屋に戻ることになるのだろう。実際の引越しの作業はど
うなるのか、ハッキリとした命令が出ているわけではないが、特に大きな問題も予想され
ない。運ばなければならない物の数もそうは多くないのだから、それほど時間もかからな
いはずだ。

『……あの、ところで、明日はさ。ボクでよければ、綾波の引越し手伝うから』

 何の前触れもなく、その言葉が脳裏に蘇る。

 彼は、自分と共に部屋に来るのだろうか。昨日何度かその意思を示したように、何かの
形で援助を申し出るのだろうか。もし彼の援助を考慮に入れられるのなら、彼には何をし
てもらったらいいだろう。布団やシーツなど、かさばる物を持ってもらうのがいいだろう
か。彼は少し華奢な体型をしているから、あまり力仕事には向いていないのかもしれない。
けれど彼は男性なのだし、おそらく自分よりはそうした仕事をうまくこなすだろう。だか
らそれをしてもらうのがいいかもしれない。

(……)

 ふと、不思議な思いに捕らわれる。

 先ほどから自分は、何故彼のことばかり考えているのだろう。彼の今日の予定など、別
に自分には何の関係もないのだ。もし一緒にくるというのならよし、やはり来ないという
のなら、それはそれでいいことだ。それが特に大きな障害になるとも思えない。考えるべ
きはそんなことではなく、引越しに関しての具体的手順等であるべきはずなのに。

 それなのに……。

(……)

 なぜだろう。
 よく分からない。
 うまく考えがまとまらない。

 自分の頭はまだ完全に眠りの世界から抜け出していないのかもしれない。
 きっと冷たいシャワーを浴びれば、思考能力も通常の範囲にまで戻ってくるだろう。

 そう判断したレイは、もそもそとベッドを抜け出すと、手早く身につけていたものを脱
ぎはじめた。

 人気のないリヴィングを抜け、バスルームに入り、シャワーの蛇口をひねる。流れ出る
冷たい水に体が小さく震え、まだ完全に目を覚ましていない頭がすっきりしていく感覚を
覚える。寝起きが苦手なところがあるレイにとって、これをしないと一日がうまく始まっ
てくれない。

 人心地ついた後、手早く髪を洗い、ボディーソープで体を洗ってしまう。

 バスルームを出ると、ちょうどダイニングからミサトの声が聞こえてくるところだった。

「くうぅぅ、や〜っぱ、これがないと一日が始まる気がしないわね〜」

 「これ」が一体何を指しているのか、レイにはハッキリとは分からなかったが、言って
いることは理解できる気がした。それはきっと、自分にとっての朝のシャワーのようなも
のだろう。

 タオルで体を拭き脱衣室を出る。

「…おはようございます」

「……ぶ!」

 部屋に戻る途中、ビールを飲むミサトに声をかける。すると、突然ミサトは口の中のビ
ールを吐き出した。

(…汚い)

 そんな光景を目にしても、レイの中にそれ以上の感慨は浮かんでこないし、ましてやそ
の反応の原因が自分であるなどとは、思考の遥か彼方のものである。それ故、慌てて台拭
きでテーブルを拭くミサトを横目にレイはその場を去ろうとする。

「ちょ、ちょっと待った、レイ!」

 そんな言葉でレイを呼びとめると、ミサトは無表情でその場に佇む少女の手を取り、急
ぎ足でその部屋へと連れて行く。

「レイ、あ、あんたねえ、何考えてるのよ。ちょっとは女としての恥じらいを持ちなさい。
今はゴミ出しに行っているからいいものの、シンちゃんの前でそんな格好してたら、あの
子出血多量で倒れちゃうわよ」

 そんなことを言われたが、レイの中では、シンジが倒れることはないだろうという確信
がある。前に見られたときにはそんなことはなかったのだし、逆に倒されたのは自分の方
だったのだから。

 それ故、淡々とした口調でそのことを告げると、ミサトはポカンと口を半開きにして固
まってしまった。そしてしばらく何かブツブツ呟いた後、キロリとこちらを見つめ、とに
かくここではそういうことをしないように、着替えは脱衣所でするようにと告げる。

「…分かりました」

 それがここでのルールというのなら、これからはそれに従うべきなのだろう。郷に入り
ては郷に従え、というのだから。

 制服に着替えた後、レイはダイニングで少しミサトと話をした。

 とくに中身のある話ではなかった。洋服の話、普段どういう生活をしていたのか、シン
ジに裸を見られたのはいつか、そういった類のことだ。ミサトはエヴァパイロットの私生
活の点でも責任があるから、そういうことに関するデータが欲しかったのだろう。

 聞かれたことに返事をしていると、ドアの開く空気音が遠くでした。なんとなく視線を
廊下に向けると、白いTシャツとショートパンツ姿のシンジが部屋に入ってくる。

「あ、おはよう、綾波」

 そう言うシンジの表情が少し柔らかい。

 感じるのは戸惑い。

 朝の挨拶。
 それは知り合いに対する儀礼のようなもの。
 そこに何か特別な意味が込められているとは思えない。

 でも、どこか心地よいのはどうしてだろう?





(今日は風が強いな……)

 少し寝癖のついたままのボクの髪の間を、空気の流れがびゅうびゅうと音を立てて通り
すぎていく。

 風は嫌いじゃない。それは照りつける太陽の熱気を少しでも和らげ、束の間の心地よさ
を与えてくれるものだから。特に今日みたいな快晴の日には尚更だ。

 ゴミ捨てから戻ると、ミサトさんと綾波がダイニングで何か話をしているようだった。
一瞬昨日の夕食の悪夢が脳裏に蘇ったけれど、今日は少し雰囲気が違う。ミサトさんは昨
日のように饒舌ではなかったし、ボクに向けられたその視線には、どこかジットリとした
ものが含まれているような気がした。それが寝起きのせいなのか、ミサトさんの脇にある
もののせいかはボクにはよく分からなかったけれど……。

 何となくミサトさんから視線を逸らし、その焦点を、ボクに注がれるもう一つの視線に
合わせる。少しの緊張、少しの不安、そして少し弾む心。それらの気持ちが混ざって作り
出される笑顔。

「あ、おはよう、綾波」

「……」

「……」

「……おはよう」

 数瞬の間があった後、綾波はポツリと呟いた。別になんてことのない朝の挨拶。けれど、
その言葉をとても嬉しく思っている自分がいる。我ながら単純な奴だと思うけれど、綾波
が相手だと、何気ない会話でもコミュニケーションが成立するのが嬉しいのだ。ついこの
間までの綾波は、IDカードの説明をするボクを無視してさっさと部屋を出る、なんてこ
とも平気でやってのけたのだから。

「ねえ、シンちゃん、朝御飯まだ〜?」

 綾波の反応にささやかな満足感を感じていると、ミサトさんにそんな言葉をかけられた。
相変わらずビールを飲んでいたらしいミサトさんの前には、既に空き缶が五つも並んでい
る。

「あ、はい、今から用意します。でも、あの、あんまり朝から飲んでると、体に良くない
ですよ」

 どう考えても起きたばかりの人へのセリフではないけれど、何も言わないのも居心地が
悪いので一応声をかける。言っても無駄とは分かっているんだけれど……。案の定という
か、ミサトさんには全くこたえた様子がなかった。

「ん〜? 酒は百薬の長って言うのよ」

「飲みすぎなければ、でしょ」

「だ〜いじょうぶだって。ビールの二杯や三杯飲んだうちに入らないわよ。ドイツ時代か
ら鍛えてるしさ」

「……二杯や三杯には見えないんですけど」

「……シンちゃんねえ、あんまり細かいことに拘る男はモテないわよ。レイにも嫌われち
ゃうかもねえ」

「な……。あ、朝から何言ってるんですか。ボクは、別に……」

「へへへ、どうだかね。ねえ、それよりさ、今日はレイの引越しの日でしょ。どういう風
に事を進めるのか、ちょっと話し合いましょうよ」

「あ、は、はい、そうですね。じゃあすぐ用意しますから、朝食食べながらにしませんか?」

「オッケ〜、よろしくねん」

 うまく話題を逸らされたような気もしたけれど、とにかく10分程時間が経った後、ト
ーストを頬張りながら、ボクたちはその日の予定を確認した。

 綾波の私物がさほど多くないこと。家具に関してはミサトさんの部屋にあるものを全て
利用すればいいこと。だから運ぶのは綾波の身の回りのものと、布団くらいでいいだろう
ということ。そういう事情があったので、引越し業者に頼むのではなく、自分たちだけで
事を済ませてしまうことになった。ミサトさんが引っ越し用に車を借りてきて、それを使
って荷物を運んでしまおうということで作戦が決定する。ボクと綾波は先発隊として部屋
で荷物をまとめ、後から車で駆けつけるミサトさんと合流することになった。

 それらの段取りを決めたのはもちろんミサトさん。詳細なタイムスケジュールまでバッ
チリ決めてしまうところは作戦部長らしいところだと思うし、二人っきりだからって変な
ことするんじゃないわよ、とボクに囁くのを忘れないところが非常にミサトさんらしいと
思う。ミサトさんの口調がいつもの茶化すようなものではなく、妙に本気口調だったのは、
なんだか気になるけれど……。

 ミサトさんの説明に寄れば、引越しは午前中だけで終了してしまう予定だった。そして
午後は、ミサトさん曰く、久しぶりのショッピングを楽しむのだそうだ。

「じゃ、ミサトさん。僕たち先に出ますね」

「は〜い、んじゃあさ、あたしもそっちについたら電話するわね」

「はい。それじゃ行ってきます」

 それが、ボクと綾波にとっての長い長い一日の始まりだった。


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