碇シンジのサード・インパクト

第1話
Written by Sterope


「そう、あの子が見つかったの…そう、そう、ええ…わかったわ」

赤木リツコ医長が電話を切ると、隣に居た伊吹マヤ看護師が話しかけてきた

「シンジ君見つかったんですね、よかった…」

よほど心配していたのだろうか、その目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。

「ここに着いたら少し検査をして休ませましょう。また逃げ出すとは思えないけれど…監視は十分にね」

ここ、とは第一神経・精神総合病院のことである。
周囲のほとんどを大きな林に囲まれ、病床数200を数える精神病院は表面的には平穏であった。
2日前、入院患者である碇シンジの脱走があったのにもかかわらず。
芦ノ湖西岸でうなだれて居たところをシンジは警察に保護され、元居た総合病院へと連れ戻されていた。







「綾波がっ! 綾波がっ! すみません、綾波が辛そうなんです!」

またか、と顔を見合わせる看護師達。
この総合病院には「綾波レイ」たる人物が入院してきたこともしている事実もないし、見舞いにそのような人物が現れることもない。
彼は時折誰も居ない椅子とおしゃべりしている時がある。その時、彼には見えているのだろう”彼女”が。

「すみません医長、彼をお願いします」

「わかったわ。あなたは扉のところで何かないよう見張っていて頂戴」

リツコ医長が指示を出すと、青葉研修医は診察室の入り口を固めた。

「それじゃあ、これまであった事、話せるかしら?」

半ば無理やり診察室へ連れて来られたシンジは少し不服そうであったが、すぐに淡々と話し始めた。

「これまでの事って…サード・インパクトの事ですか?」

サード・インパクト、とは何だろう。彼から聞かされた身に覚えの無い話はこれに始まったことではない。
エヴァのパイロットに徴兵されたこと、零号機が自分を守って自爆したこと…等。

「……そうね、それから話して頂戴」

「綾波が、大きな綾波が現れて、それで、アスカが、アスカがっ…僕のせいで…みんな死んじゃって…」

彼の話はおおむねこうであった

戦略自衛隊がNERVに攻め込み、職員達を虐殺したと。
弐号機を操るアスカは量産型エヴァに追い詰められ、バラバラに食い散らかされたと。
大きな綾波が自分を包み込み、そこで世界の破滅を願ったと。
気がつくと赤い海のほとりで倒れていたこと…である。

「………それがあなたのいう「サード・インパクト」ね…そう、そういうこと…」

もちろん戦略自衛隊なるものは存在しないし、NERVと言われる組織も存在はしない。
ゲヒルンと呼ばれる似たような研究機関なら存在はしたが。たしかシンジの両親はそこへ勤めているはずである。
弐号機とは彼の知人であるアスカという少女が操る人造人間弐号機らしい。――知人であることは母親のユイから聞いていたので間違いないだろう。
赤い海、芦ノ湖は赤くなどない。彼の妄想だろう。
綾波レイと呼ばれる人物は、まるで本当に存在しているかのような存在感を持ち、毎回シンジの話に登場した。
そして私は気づいていた、シンジが、彼女に恋していることに。
シンジが怪訝そうな顔をしている。そこで自分が深い思考の海に沈んでいたことに気づく。

彼を診察室から出すとリツコは手早く症状をカルテに書き出し、おそらく服薬を拒むであろうシンジの為、食事に薬剤を盛るようメールで連絡した。







「彼の調子、どうですか?」

日向医師を呼んだリツコは、彼、碇シンジの病状について語った。

「そうね、強迫観念、妄想、幻聴、幻覚、自我意識の障害…服薬での軽減はあまり見られないわね…」

「サード・インパクトですか…誇大妄想にはありがちですね。これは彼の心情を表しているのでしょうか?」

「わからないわ、でも前より妄想が破壊的になっているのは確かね」

「自殺の危険あり…ですか。どうします?」

「まだしばらく様子見ね、他人に危害を加え始めなければいいのだけど」



「あの、外へ、出たいんですけど…」

リツコは内心混乱していた、今度こそ妄想に囚われ自殺もしくは他人に危害を加えかねない。
しかし、外、とはいえシンジは外の空気を吸いたいだけかもしれない。
念のためと付け加えリツコは許可した。

「外へ? 誰かと一緒ならいいわよ」

シンジの顔に期待が浮かんでいくのがわかる。しかしそれは破滅をもたらすに違いない。
リツコはもう一度、付け加えた。

「病院の庭とか、病院内だけならね」







「青葉君、悪いけどシンジ君の監視頼めるかしら?二人後ろに付かせるから」

「はい。わかりました」

10分ほどで連れ戻してね。そんな言葉を聞きながら、青葉は少々不安だった。
なにしろ自分は痔なのである。はやく手術を受けにいけと散々言われてはいたが、その時間を作れないでいた。
痔だとバレると恥ずかしい、そう考えた青葉はなるべく威厳を出すべくシンジにぴったり密着した。
そのことが、必要以上にシンジを警戒させる結果となってしまった。

何か話しかけようかな、と考えている隙にそれは起こった。

痔の部分での鋭い痛み。

青葉の脳内で激しく警笛が鳴った。エマージェンシー、第一種戦闘配置。
頭のなかがグチャグチャになりながら、ただケツからの痛みにもだえる青葉シゲルはその場にうずくまった。

「シンジ君が逃げるぞ!」

「青葉さんっ!!」

後ろに居た二人はまるで別の方に意識が行ってしまい、一人はシンジを追いかけ、一人は青葉に駆け寄った。

「青葉さんっ! 大丈夫ですか!?」

「いてて…いや大丈夫だよ。それよりシンジ君は?」

そこで気が付いた、青葉の心配もいいが今はシンジを取り押さえなければ。
しかしマヤがそこまで考えた時には遅く、シンジはもう一人の看護師と共に林の向こうへ消えていくところだった。




「それで、逃がしてしまったというわけ?」

青筋が立つなんてモノではない。完全にキレた様子のリツコは、今後の策を練っていた。
警察に「今日連れてきてもらった患者がまた逃げましたの。オホホ。」などと言わなくてはならない。管理体制が問われるだろう。
しかし、シンジが行きそうなところには見当がついている。自宅か、もしくはゲヒルン、いや葛城家だろうか。
葛城家が一番ありえそうだ…なぜならシンジは今日の問診でひどくミサトの事を心配していたからだ。

「このことは機密とします…後は私に任せて」

そう言うと日向医師と看護師数名に葛城家の付近で張るよう指示し、次いで旧友であるミサトの携帯へ連絡を入れた。
危険な賭けになる。既に一人にケガ(痔が悪化し担架で運ばれた)を負わせているのだ、自殺の危険さえある。

「もしもし、ミサト? ええ…実はシンジ君がまた、脱走したのよ」

「なんですってぇ!? アンタんとこの病院、どうなってんのよ!」

「こちらでも捜索は進めているわ、…ひとつだけ言えることは…あなたのマンションへ行く可能性が高いってこと」

「私のマンションへ? どういうことよ、なんでシンジ君が…?」

「今日の問診であなたの事をひどく心配していたからよ…こちらの医師達をあなたのマンションの近くで張らせるわ」

「そう、私もアスカに伝えておく」

「それで、もしシンジ君が来たら、その医師の携帯へ連絡してちょうだい。あなたの家から着信があればすぐに行くよう伝えるわ」

シンジの危険性についてもミサトへ忠告し、一旦電話を切った。




「なによぉ! それぇ〜〜!!」

帰宅したアスカに状況を説明した後の一言目が、それだった。
ミサト自身シンジが自分達に危害を加えないとわかっていても、恐怖を抱かずに居られなかった。

「一応、加持にこっちへ来るように言ってあるから、そうね…夜には来てくれるわよ。」

「そういうことじゃなくってぇ! せっかく来たシンジをそのまま追い返せってわけぇ!?」

アスカは憤慨していた。
無理もない。シンジが発病するまでは中学で少ない友人のうちの一人であったし、なにより誰よりもやさしくしてくれた人だったのだ。
ドイツから留学といってやって来た日本は、お世辞にも住みやすいとは言えなかった。おまけに、ご飯が合わなかった。
そんな時、「ウチにきなよ、ドイツ料理僕も食べてみたいし」と言い、シンジはアスカを自宅へ誘って慣れないドイツ料理を振舞ってくれたのだ。
少女は感激していた。
(そのシンジが、ちょっと病気になったからって…この仕打ち?)
アスカの内心を読み取ったのか、ミサトが続ける。

「アスカ。シンジ君はね、ここに来る途中。一人にケガを負わせているの。自殺の危険すらあるわ」

多少語弊があるが、アスカを納得させるためには仕方ない。

「!」

「だからね、放っておけなくなったら警察で保護してもらうしかないの。そうなったら…わかるわね?」

「それは…」

シンジの為、そう言い聞かせアスカはしぶしぶミサトに同意した。
本当はシンジに料理の一つも作ってもらいたい。それが本音であった。それが叶わない事は十分理解していたが。




夜7時
張り詰めた空気の葛城家に場違いな音がした。
ピンポン、ピンポン。
加持くんかしら、そう思ったミサトはアスカを制し玄関へと出た。

「ミサトさん…」

「…シンジくん!?」

消え入りそうな声でそう呟いた少年は、間違いなく彼であった。しかしかなりやつれているし、髪もボサボサである。

「シッ、シンジ君、まず落ち着いて? どうしてここへ来たのかしら」

「ミサトー加持さん来たの?」

その声をシンジが聞いた途端、大粒の涙がボロボロとこぼれ出し、彼の頬を伝った。

「アスカ、ごめんよ、あんな目にあわせて…僕が、僕が弱かったから…」

はぁ?アンタばかぁ?と言うのをグッとこらえ、できるだけ普通に返事をしようとアスカは決めた。

「へっ? あ、あらそう?大丈夫だけど…ワタシは…ピンピンしてるわよ…」

なにいってんだろ。アスカは自分をなじる。しかもシンジは今の言葉でひどく傷ついたようだった。



「さっきの話、わかってるわね」

ミサトにそう耳打ちされ、アスカはグッと下唇を噛んだ。
”さっきの話”つまりはシンジの来訪を待機している医師へ伝えろと、そういっているのだ。
メモしてあった携帯番号を押し、さも家族へ電話しているかのような口調で話した。

『はい、もしもし? ……アスカさんですね? …わかりましたすぐに向かいます』

電話はそれだけ言うと切れてしまったが、アスカは構わず話し続けた。そうしていないと、泣きそうだった。
そしてすぐ、玄関のチャイムが鳴った。もうこれ以上ここに居られない。そう思ったアスカは玄関の扉を開くなり外へと飛び出した。

バカシンジ…!



「綾波っ! 綾波ぃ! 助けてよ! 僕を助けてよおっ!」

押さえて! リツコの指示が飛ぶ。

「ハロペドール、投薬! 落ち着いたら保護室へ連れて行きなさい!」

「はいっ! おい大人しくしてくれっ…!」

シンジの細い腕に注射器がねじこまれ、薬品が注入されていく。
しばらく暴れていた彼だったが、5分ほどすると抵抗も弱くなり、ぼぅっとした顔へと変わった。

「よく監視していて頂戴、彼の容態のことよ!?」

「は、はいっ!」

リツコの頭の中はすでに治療方針でいっぱいであった。
(シンジ君…)



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