碇シンジのサード・インパクト

第3話
Written by Sterope


それはひょんな思い付きだったのかもしれない。
あるいは必然だったのかもしれない。
シンジの口から紡ぎ出された言葉は、一筋の光をシンジの心へ通した。

「ここって、なんていう病院なんですか?」






「……ここは精神病院よ」

リツコ医長は極めて冷淡に、事実のみを述べた。

「僕のどこがおかしいって言うんですか? そうやって僕を葬ろうって気なんですか?」

シンジは珍しくリツコに食ってかかった。積もりに積もった自分の現状への不満が今、爆発しようとしていた。
これは好機だ、そうリツコは考えていた。シンジを現実へ戻すためには必要な通過儀式である。

「そういうわけじゃないわ。まずひとつ目、エヴァというモノは存在しないと思わない? NERVもね」

淡々と、事実のみを述べていく。もうこの前のように暴れられては堪らない。現実を見せる必要があった。

「そんなっ! それじゃ…あれは全部夢だって言うんですか? あんなに苦しい思いをしたのに!」

「夢、だとは言わないわ。けれどねシンジ君、あなたが言ってるようなNERVも、エヴァもどこにも存在しえない。私はそう思うの」

そこまで言われてシンジはピンと来た。”口裏を合わせろ、さもなくば殺すぞ”つまりそういうことなのではないか。
戦略自衛隊に占領されたNERVは、存在そのものが無かったことにされようとしている。
そこにあった思い出も……人さえも……すべてが煙の中へ消されてしまおうとしている。
それはシンジ自身の存在の否定とまさしく同義であった。
シンジはそれをそっくりそのままリツコへ言った。

「……シンジ君、あなた一人を騙すためにここまで大勢の人が一芝居うつとでも思っているの?
 あなたの言うとおりなら、今この場で私はあなたを注射一本で無かったことにだって出来るのよ。でもそんなことはしない、何故だかわかる?」

「わかり……ません……」



 シンジの中のもう一人の自分はこう言う。
 エヴァ?人類を救うエースパイロット?バカバカしいと思わない?
 突然徴兵されて巨大ロボットを操る?人類を守る最前線が自分自身?バカバカしいね。まったく

でもそれも事実だ。
僕は父さんに言われてたしかにエヴァに乗って、使徒を殲滅した。

 使徒を全部倒したのかい?それじゃあどうして君は人類を救った英雄にならない?
 世界は英雄の降臨を望んでいるさ。君が望まなくてもね。でもそうはならない。なぜでしょう?

…人類補完計画。
あれのために僕達は利用されていたんだ。NERVすら道具に過ぎなかった。

 国際特務機関の次は世界を裏で操る秘密結社かい?君は本当に救いようの無いバカだな。
 人類補完計画?実行されたとすればこの世界は一体なんなのでしょう?

それは…わからない…。これが僕の望んだ、誰も傷つかない、皆が僕を必要としてくれる世界なのかもしれない。

 人類を護る?そんな実感もわかないこと、どうして僕なんだ?



リツコはしばらく黙っていた。
おそらく彼の中で激しい自問自答が繰り広げられているはずだ。
それは病気という殻を破り、産声を上げるために必要な儀式。
そしてそれが出来るのは他の誰でもない、彼自身なのだ。
それを手助けするためにリツコはもう一押しを繰り出した。

「……シンジ君。綾波レイという子があなた以外の人と喋ったのを、見たことがあるかしら?」

「……ありま…せん」

でもそれは綾波が内気で、自分にしかココロを開いてくれないから―――

「あなたは綾波レイの姿が見えなくても、しゃべったと言っていたわね。そこに居ないのに何故しゃべれたのかしら?」

「リツコ先生が……何をいいたいのか……僕にはわかりません」

急ぎすぎたとは思わない。焦りすぎたとも思わない。早ければ早いほうがいいのだ。
投薬とカウンセリングだけでは改善しない、自分自身が治りたいと願わなければいけないのだ。
しかし今の彼は願う術を知らない、なぜなら自分の置かれた現状がわからないから。
神が誰かもわからず願える人間は居ない。神を信じず願える人間は居ないのである。

「僕には……わかりません……」

本来なら医者が患者の妄想を否定するようなことを言ってはならない。そのことはリツコも重々承知していた。
なぜなら、妄想を固く信じる患者との間に致命的な確執が生まれてしまうから。
だが、それでもシンジには現実を見てもらわなくては。






”A計画用 第3分室”
そう書かれた扉をくぐると、中央に大きなカプセルが陣取っている。
それを除けば、メインルームとさほど変わりはない。
周囲ではMAGIから伸びた端末類が激しく点灯していた。

カタカタ……と端末を叩きながらユイ技術部長は狂気の眼差しで中央のカプセルを見る。
その中にはおそらく11〜2歳であろうヒトが浮かんでいる。
ここからではそのヒトの表情は読み取れないが、わずかに微笑んでいるようにも見える。

「……ユイ……」

「あなた……」

ゲンドウはいささか疲れた様子で妻であるユイに後ろからかぶさった。

「今日も…行ってきたのだろう…どうだった、シンジの様子は」

「前より格段によくなったってお医者様は言ってらしたわ。このままいけば、あと数ヶ月で退院できるんだそうよ」

「…あれからもう一年経つのか…」

それはひどく短い、つい昨日の事のようだと男は思った。
シンジが第3ゲートで暴れたあの日から12ヶ月。A計画を発足させてから11ヶ月。
そう、あの日夫婦で誓ったのだ。シンジを幸せにすると。




「碇くん、あ〜ん」

伊吹マヤは顔を真っ赤にしながら綾波レイ役を演じていた。
結局リツコの説得は――部分的に――失敗に終わっていた。
シンジはエヴァやNERVの存在には疑問を抱いたものの、綾波レイの存在については頑なに自分の意見を譲ろうとはしなかった。
しかも、ご飯をなかなか食べてくれなかったのだ。苦肉の策である。

「い、碇くん。おいしい?」

「……うん、でも、とれないや……血のにおい」

「そ、それじゃ、次はお薬ね。はいお口あけて」

潔癖症はね、つらいわよ。汚れたと思ったときわかるわ。
そんな言葉がマヤの脳裏を掠めたが、今は気にしないことにする。
まだまだ私ったらウブだわ……患者さんの事を第一に考えなきゃいけないのに……。

「…ゴクン…薬、飲んだよ。綾波」

ニコリと微笑むシンジ。
それに少しドキリとさせられながらマヤは自分の仕事の終わりを悟った。

「それじゃ碇くん、私は食器を片付けてくるわね」

そう言い残し、マヤは保護室のロックをかける。
そこから、シンジの視線はからっぽのパイプ椅子へと注がれる。
おそらくそこでレイは本を読んでいるのであろう。

以前暴れた経緯からパイプ椅子は排除すべきとの意見があがったが、シンジが綾波の座る場所をくださいと言ってせがむので
次暴れたら没収という条件つきでシンジの病室にはパイプ椅子が置かれていた。









「センセェが学校にこんようになってから、1年か…」

面会謝絶。
そのように言われトウジとケンスケ、アスカは一度もお見舞いに行けないでいた。
そもそもどこの病院にどのような状態で入院しているかさえ教えてもらってはいない。

「ウワサなんだけどさ、そろそろ退院できるらしいぜ。」とケンスケ

「ちょっと、それマジ!?」とアスカ

「ええ加減なこと言うもんやないでぇケンスケ、しかしなんでまたセンセェみたいなエエ奴が…」

「これもウワサだけどさ、精神病院らいしんだ……」

周りに聞こえないよう小声で付け足すケンスケ。

「なぁケンスケ、わしらに出来ることなんかないやろうか」

それから三人は案を出し合い、碇夫妻へシンジに会わせてもらうよう頼むことにした。








「ワシら、できることなら何でもします。せやからシンジに会わせてください」

「ボクら力になりたいんです。小学校のときからの友達なんです。どうかお願いします」

「アタシからもお願いします」

三人は深々とお辞儀をすると、碇夫妻の返事を待った。
長い沈黙のあとゲンドウがこう切り出した。

「……シンジは夢の世界に居る。そこから抜け出せるのは自分自身の力によってだけだ」

「今、お医者さん達ががんばってシンジのことをこちら側へ引き戻そうとしているわ。
 ……ごめんなさい、こんなこと言いたくないのだけれど。貴方達にできることは……今はないわね」とユイ

でも……とさらにユイが切り出す

「その時が来たら、シンジを……シンジの手助けをしてやってください。それができるのは、多分、私達だけだから」

私達だけだから――。その言葉の裏に秘められた意味をトウジ達は理解できなかったに違いない。



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