碇シンジのサード・インパクト
最終話
Written by Sterope
二週間前、シンジは隔離病棟から出され、一般病棟へと移っていた。
「それじゃあ、これまであったこと。話して頂戴」
いつもどおりのそれがはじまると、シンジは笑顔で喋り始めた。
「早く学校に戻りたいなって、そればかり考えてます。きっとトウジもケンスケもアスカも心配してるだろうから。
あ、あと料理の腕も鈍っちゃってるだろうから、練習したいですね。あはは……」
前回のリツコの問いかけは無駄に終わったわけでは無かった。
シンジは今病気という硬い殻をほとんど破り、自らの意思で外へはいでようとしていたのだ。
「……綾波レイさんはどうかしら?」
もう伊吹マヤ看護師がレイ役をやったりすることもない。彼は自力で食事できるし、服薬もバッチリだ。
まだ彼に彼女が見えているとすれば、もっと根本的な病気の問題である。
「……実は最近はあまり姿を見せてくれないんです。でもそこに居て喋りかけてくれるから……。」
「そう、声が聞こえるのね?」
「声……、はいそうです。声が聞こえます」
「どんなことを喋るのかしら?」とリツコがさらに聞く
「ど、どんなことって、普通のことだけですよ」
少々どもりながら俯くシンジ、その顔が紅潮している。
やはり彼は彼女に恋しているのだろう。
しかしその恋が実ることはまずありえない。病気が治ること、それはすなわち彼女との決別を意味していた。
「それじゃあ、少しテストをしましょう」
そういうとリツコは分厚い紙に模様が書き出されたシートを取り出した。
「それじゃあシンジ君、これは何に見えるかしら?」
「…ヒツジです。ヒツジの骨。」
「それじゃあシンジ君、これは何に見えるかしら?」
「人間です」
これまで何度か行ってきたテストであるが、シンジの答えは豹変していた。
10個ほど絵を見せ、答えを聞くと満足そうにリツコは微笑んで言った。
「そう、わかったわ。来週には退院の予定だからねシンジ君。毎日の服薬は欠かさないこと、いいわね?」
リツコが最後にそういうと、「わかりました」と少々浮かれ気味のシンジが答えた。
ベッドで二人が天井を見上げ、お互いの温もりを感じあっている。
ゲンドウはユイからシンジの退院が近いことを知らされていた。
「シンジの退院は明後日か……」
「ええ、朝早く起きて迎えにいってあげなくちゃ」
「A計画は……なんとか間に合ったな」
「ええ、他の計画を後回しにしてまで進めてきた計画なんですもの……」
「日本政府が口うるさく言って来たクローン計画の遅れは、ナオコ君がなんとか埋め合わせてくれている……彼女には感謝しなくてはな」
「結局、最後まで日本政府にはバレずに済みましたわね……ふふっ……」
「MAGIにダミーのプログラムを三重に走らせてある。そうそう真実は見抜けんだろう」
「あれには苦労しましたわ……赤木博士の目を盗んでやらなくっちゃ、いけないんですもの」
「ナオコ君は最後までA計画には非協力的だったな……」
「ナオコさんの意見にも一理ありますわ。シンジを……また病気の底へ突き落としかねませんもの」
ゲンドウだけではない、ユイもナオコも葛藤が無かったといえば嘘になる。
しかしシンジの幸せとA計画は同義なのだ。それに間違いはない。
二兎を追うものは、一兎を得ず。まさしくそんな状況を打開する手がA計画だった。
「どのみちA計画は完成してしまった、後戻りはできんさ」
「私達は彼女の魂を弄ぶようなことをしてしまいました、それはきっと許されないでしょう」
「……シンジの幸せは、彼女の幸せでもあるのだユイ。私達が彼女に幸せを与えよう」
「ええ……」
そう語り合う二人の目には常人のそれとは違う、凄まじい力が篭っていた。
何を願うの。
皆が僕を傷つけない世界。
何を願うの。
皆が僕に優しくしてくれる世界。
何を願うの。
僕は…。
何を願うの。
僕はみんなと一緒に居たい。それが、僕の本当の気持ちだって思うから。
「シンジ君! おめでとう!」
「おめでとう! 碇くん!」
「碇シンジ君、おめでとう!」
「……退院おめでとう、シンジくん」
「あ、ありがとうございます」
碇シンジは両親に迎えられ、病院のスタッフ達の見送りを受けていた。
伊吹マヤがシンジへ歩み寄ると、大きな花束が手渡された。
「シンジ君、本当におめでとう! これからがんばってね」
「はい! い、伊吹さんには本当にお世話になりました」
そう言って照れ隠しに花束に目線をやるシンジ。
「これまでお世話になりました」
「……シンジが世話をかけました」
そう言って深くお辞儀する二人。シンジも慌ててそれに加わる。
シンジを乗せた車が見えなくなるまで、スタッフ達は手を振り続けた。
「本当に、本当によかったです。シンジ君……」
そう言って涙を拭うマヤに、リツコはそっと言う。
「まだ彼の闘病生活が終わったわけじゃないわ。これからも彼をサポートしていかなくちゃ、私達でね」
「はい……はい!」
そうなのだ。シンジは退院できるまでになったものの、定期的な服薬は欠かせない。
次の診察は2週後に予定されていた。
「おはよぉ〜」
次の朝シンジが目覚めると、そこには異様な光景が広がっていた。
母にそっくりな――見間違えるまでもない蒼い髪、赤い目の――彼女が食卓に座っていたのだ。
「おはよう、碇君」
「……起きたか、シンジ」
「おはようシンジ、ご飯できてるからさっさと食べちゃいなさい」
彼、碇シンジはぽかんとバカのように口を広げてその光景を見つめていた。
綾波が、綾波が居る。
「あのっ、えっと、この人は?」
「ああ、彼女ね、”綾波レイ”って言って私の妹の子なの。私の妹の都合でちょっとの間ウチで預かることにしたから」
そんなことは初耳である。そもそも母に妹など居ただろうか。甚だ疑わしい。
しかも見間違えるまでもない、彼の想い人その人にウリ二つ。名前まで一緒ではないか。
「私、綾波レイ。これからよろしく、碇君」
「よ、よろしく」
夢じゃないだろうかとほっぺたを思い切りつねってみたが痛いだけであった。
痛みに顔をしかめていると、母、ユイがさらに言った。
「ほら、ボーッっとしてないで、自己紹介でもしたらどう?」
「あっ、えっと、僕は碇シンジ、これからよろしくね」
「……そう、よろしく」
それだけ言うとレイは「いただきます」と小さく言い、目の前の食事をつまみはじめた。
シンジもそれにならえして「い、いただきます」とどもりながら食事を開始した。
それを見ながら微笑むユイ、ゲンドウ。
シンジは病気からの開放と想い人。その両方を手に入れようとしていた。
「よーーーぅ! センセェ! 朝からラブラブでんなあ!」
「しばらく顔を見ないと思ったら、そういうことかよ。うらやましいね、このっ」
「ちがっ、そんなんじゃなくって! 姪なんだよ! 僕の!」
そうだよねっとレイに話を振ってみるが、当のレイはやや不服そうに「違うわ」と言った。
「「い、いや〜んな感じ…」」シンクロ率400%でそういうトウジとケンスケに、シンジは思わず吹き出した。
こんな時が来るのをずっと待っていた。
皆が僕を必要としてくれる、そんな世界を。
僕の傍には僕を必要としてくれる綾波がいる。
これが僕の望んだ補完のカタチなのかもしれない。
僕はここに居てもいいんだ。
一週間前
人工進化研究所 その最深部、A計画――通称 アヤナミ計画――用の第3分室で三人の人影が動いていた。
一人は碇ゲンドウ、ここの所長である。もうひとりは碇ユイ、所長の妻である。
そしてもう一人。中央のカプセルからLCLと呼ばれる液体が抜かれると、ゆっくりとカプセルが上へと開いていく。
ユイに肩をかかえられるようにして出てきたソレは蒼い髪に赤い目の彼女であった。
シンジの話から思考パターンをMAGI経由で入力され、限りなくシンジの話と同じに創られた彼女、それはユイの遺伝子を元に作成されていた。
ユイの人工的なクローンである。遺伝子は99.89%人間のそれと同じ。
彼女はキョロキョロとあたりを見回すと
やがて
正面に居る赤いサングラスの男を見た
それを確認すると、赤いサングラスの男―――碇ゲンドウはこう宣言した。
「お前の名前は”綾波 レイ”だ」
「…あやなみ…れい…」
(碇くん…)
その人を想うと胸が急速に満たされていくのを感じた。
MAGIによって入力されたデータに過ぎないそれは、確かな形を持って彼女の中にあった。
”笑えばいいとおもうよ”
たしか、こう笑うのだ。
自分が何の為に生み出されたかを悟った彼女は、正面の男の深い罪を洗い流すようにニッコリと微笑んだ。
それを見たケンドウは、少しだけ救われた気がした。
私はこの世に生をうけた。
たとえそれが他人の為だけであっても。
自分が造られた存在であっても。
シンジの中に存在した綾波レイは、確かにココロを持っていた。
そのココロは確かに、受け継がれていた。
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