離れていても、どこにいても

第壱話
Written by tamb

 気持ち悪い。

 アスカは僕に向かって、確かにそう言った。僕は彼女の首から手を離し、目を閉じた。
 もう一度目を開いた時には、彼女はもうそこにはいなかった。もしかしたら幻だったのかもしれないけれど、彼女は彼女自身の意志でLCLの海に還って行ったんだと、今ではそう思っている。
 それでも、僕がアスカを殺そうとした事実は、消えることはない。カヲル君を殺したことと同じように。

 これからどうすればいいのか。僕にはわからなかった。
 ここにはいないみんなが、本当はここにいるべきなんだ。僕がここにいる理由はない。僕は酷いことをした。アスカにもカヲル君にも、綾波にも。僕には生きている価値なんてない。
 何もかも幻であって欲しいと、強く願った。それが叶えられることはないと知りながら。


 僕は行くあてもなく、ミサトさんやアスカと一緒に暮らしていた部屋に戻った。

 部屋に戻る途中、幾人かの人々に出会った。還って来た人たち。茫然と立ちすくんでいたり、どこへ行くつもりなのか急ぎ足で歩いていたりした。僕には関わりのない人たちの群れ。

 部屋のドアを開け、ただいま、と言ってみる。返事があるはずもない。いるはずがないと思いながらも、ミサトさんやアスカの、おかえり、という声を本当は期待していたんだと思う。つい数ヶ月前までの生活が、まるで夢のように思えた。

 一週間、僕は部屋から一歩も出ず、ろくな食事も摂らないままで死んだようにしていた。生きるということがどういうことだかわからない。このまま死んでしまっても構わないと思っていた。このまま死ぬことができれば、幸せなんだろうと。でも、それもできなかった。生きているのだから。

 翌日、僕はネルフ本部に向かった。行って、この目で見ておかなければならない場所があることを思い出した。
 まるで戦自の侵攻の途中で時間が止まったように、本部はそこにあった。中に人の気配はない。ベークライトで塞がれた通路を避け、僕は下へ下へと向かっていった。

 最深部、セントラルドグマ。僕がカヲル君を殺した場所。そこに彼女はいた。

「綾波…レイ……」



 碇くんの声が聞こえて、私は目を開いた。いつからここにいるのか良くわからなかったけれど、振り向くと碇くんの姿が見えて、自分が今ここにいるということは、良くわかった。

「碇くん……。お帰りなさい」

 立ちすくむ彼に近づいて、私はそう言った。他に何を言ったらいいのかわからなかった。辛いことを経験して、彼はここにいるのだと思う。ここにいないという選択もできたはずなのに。

 私は碇くんに連れられるままに、みんなの住んでいた部屋に行った。

「綾波は、いつ還ってきたの」

 私をクッションに座らせて、彼はそう聞いた。

「……わからない」

 長い沈黙のあと、私は答えた。こう答えるしかなかった。本当に自分がここにいるのか、自信がなくなっていた。

「何処にも行かなかったような気もする。ずっとあそこにいたような気もするの……」
「……」
「でも、あの時に碇くんと話したことは……」
「ごめん」

 彼は私の言葉をさえぎった。

「ごめんよ。自分から聞いといて。でも今は、そのことは話したくないし、聞きたくないんだ……」
「あたし……碇くん、ごめんなさい……」
「いいんだ。謝るのは僕の方だよ」

 彼はすごく悲しそうな顔をして、私はそれが切なかった。碇くんのそんな顔を見たくなかった。

「少し……眠ります」
「……うん」
「ごめんなさい」

 私は立ち上がって、碇くんの部屋に入った。彼の悲しい顔は見たくなかったけれど、ぬくもりは欲しかった。なんて自分勝手なんだろうって思う。



 外が暗くなり、夜になっても彼女は僕の部屋から出てこなかった。少し心配だったけれど、様子を見るのもためらわれた。放送しているのか、しているとすれば何をやっているのかわからないテレビをつける気にもなれず、少しも眠くなかったけれど、僕も眠ることにした。
 僕の部屋には綾波がいて、そこで一緒に寝るわけにはいかない。ミサトさんやアスカの部屋で眠るのも抵抗があった。少しだけ考えて、ミサトさんの部屋から布団を出してリビングに敷き、そこで横になった。それはミサトさんの、大人の女性の香りがした。


 僕は夢を見ていた。

僕はいらない子供なんだ
誰も僕のことをわかってくれない
だからみんな死んじゃえ
僕は酷いことをしたんだ
生きている価値なんかない
僕の居場所なんてないんだ
もうここにはいたくない
……

 不意に手を掴まれる感覚を覚えた。

「だれ?」

 返事はない。何も見えない。気配は、綾波レイのものだ。

「綾波……今の君は、何人目なの?」
「……」
「僕は何人目なんだろう……」
「どうして……そういうことを言うの……」

 痛いほどに手を握られる感覚と潤んだ声。僕は目を開いた。いつのまにか眠ってしまい、夢を見ていたことに気づいた。

「綾波……」

 彼女は黙ったまま僕を見つめていた。

「いつから、そこにいたの」
「少し前……。苦しそうな声が……聞こえたから……」
「夢を、見ていたんだ」

 彼女は目を伏せた。

「ごめん。気、遣わせちゃったかな」

 目を伏せたままかぶりを振った。

「もう、大丈夫だから……」
「大丈夫じゃない……」

 顔を上げた彼女の瞳から、涙がこぼれていた。

 僕は彼女を引き寄せ、そっと抱きしめた。綾波の涙が、僕の服を濡らした。

「綾波、お願いがあるんだ」

 彼女は僕の胸で嗚咽を漏らし続けている。

「もう少しだけ、こうしていてくれるかな……」
「……うん」

 本当に小さな声で彼女はそう言って、僕の胸に顔を押し付けた。


「綾波……もう眠った?」
「起きてるわ」

 結局僕たちは、そのままずっと抱き合っていた。

「アスカや……トウジが元気だった頃、よく夢を見たんだ。すごく前のことのような気がするけど」
「……」
「みんなで海に行くんだ。綾波やアスカやミサトさんや、トウジもケンスケも。ネルフのみんなと、父さんまでいっしょなんだ」
「……」
「大人の人たちは、ビーチパラソルの下でビールかなんか飲んでてね」
「綾波もすごくはしゃいでて、僕は泳ぎをおしえてもらって」
「……」
「つまんないかな。こんな話」
「聞かせて……」

 僕は綾波を抱きなおした。こうしていないと、彼女がここにいることまでが夢のように思えた。

「リツコさんとマヤさんが仕事の話なんかして、父さんにたしなめられたりしてさ。こんな時に仕事の話するなって。あの父さんがだよ」
「……」
「すごく楽しい夢だったんだ。おんなじように幸せな夢を、何回も見たんだ」

 僕はいつのまにか泣いていた。

「いつか戦争が終わったら、みんなでこうして遊びに来れたらいいなって、そう思って……」
「……」
「でも……もうだめなんだね……」

 綾波が、僕の背中にある手に、少しだけ力を込めた。

「しばらく……ここにいてもいい?」



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