離れていても、どこにいても

第参話
Written by tamb

 マキさんの運転は、ミサトさんに匹敵するくらい乱暴だった。

「シンジ君は、ミサトと一緒に暮らしてたのよね」
「え、あ、はい」

 ミサト、という呼び方に疑問を感じながらも、僕はそう答えた。激しく加減速を繰り返す車の中で、舌を噛まないように喋るのは大変だった。

「彼女、料理とかダメだったのね」
「あ、いや、その、何ていうか……」

 マキさんはくすりと笑った。

「さっきのレトルト発言でわかるわ」
「……」
「あたしね、ミサトとは大学の同級生だったの。赤木さんや、加持君ともね」
「そうなんですか……」
「親友ってほどじゃなかったけどね。ミサトは赤木さんとつるんでたし、赤木さんには話し掛けにくかったから。時々いっしょに買い物に行ったり、ご飯食べたり……。まぁ仲良くしてたわ。ウマがあってたと思う。似たもの同士って言う人もいたけど」
「……」
「赤木さんのことは予想してたけど、ミサトや加持君が絡んでるって知ったときは、正直めまいがしたわ」
「……」
「断っておくけど、あたしは政府の人間じゃないの。大学に残ったから。民間の研究者よ。このプロジェクトには政府の人間は直接は関わっていない。完全な第三者機関で進められているの」
「……」
「政府の中にはスケープゴートを必要としている向きもあるわ。だけど、そんなことは絶対にさせないから。あたしはこれでも結構力があるのよ」

 マキさんの声には自信があった。

「あなたたちのことはあたしが守るから。安心してていいわ」
「……よろしくお願いします」

 僕はそう答えて、それから思い切って口を開いた。

「あの、聞きたいことがあるんですけど」
「なぁに? 答えられることなら教えてあげるわよ」
「ネルフに関係した人は、僕たち以外には誰も還って来てないんですか」
「……確認できているのは、あなたたちだけね」

 少しの沈黙のあと、マキさんはそう答えた。

 ここにいないだけで還って来ていないとは限らない。例えばアスカはドイツにいるかもしれないと、僕は少しだけ希望を持っていた。でも、それも打ち砕かれた。

「そうですか……」
「どうしてだと思う?」
「……わかりません」
「そうよね……」
「何か……わかった事があるんですか」
「まだ何もわからないわ。それも調べらなくちゃならないことの一つよ」
「……」
「ミサトが還って来ないなんてね……」

 独り言のようにマキさんが言った。

「仕事の話はこのくらいにしましょ。明日また考えればいいわ」
「はい」


 車をパーキングに入れ、僕たちはマキさんの部屋に向かった。

「最初に言っておくけど」
「はい」

 僕は思わず身構える。

「もしかすると部屋が散らかっているように見えるかもしれないけど、それは散らかってるんじゃないの。引っ越してきたばかりだから、まだ片付いてないだけなの。わかったわね?」
「は、はい」
「よろしい。じゃ、ちょっと待ってて」

 マキさんは僕たちを玄関の前で待たせ、一人で部屋に入っていった。

「……マキさん、何してるのかな」
「……」

 綾波は何も答えない。

「お待たせ、上がって」
「はい」

 五分も待っただろうか。僕たちは上がることを許された。部屋はきちんと片付いていた。

「もう一つ言っておくことがあるの」
「はい」
「この部屋は絶対に開けないこと。いいわね」

 マキさんは奥の部屋のドアを指差した。
 そう言うことか。僕は軽くため息をついた。

「わかりました……」
「シンジ君、今、ため息をついたわね」
「い、いえ、そんなことないです」
「レイちゃん、ずっと黙ってるけど、笑ってないわね」
「笑ってません」

 綾波の方を見ると、確かに笑ってはいない。でも、僕には笑いをこらえているように思えた。

「よし。いい子たちね。じゃあご飯作るから、適当に座って待ってて」

 マキさんがキッチンに消えたのを確認して、綾波がぽつりと、らしくないセリフを言った。

「類が友を呼ぶって、こういうことを言うのね」
「そ、そうだね」
「……」
「ね、綾波」
「なに?」
「マキさんて、どう思う?」
「良くわからない……。でも悪い人じゃないように思える。今は信用していいと思う」
「そうだね。僕もそう思うよ」
「……マキさんは、私たちのことをかなり調べていると思うの」
「そうだろうね」
「だから、碇くんが今心配しなければいけないのは、マキさんが信用できるかどうかじゃないわ」
「どういうこと?」

 綾波がキッチンの方をちらりと見る。そちらからは、何やら格闘しているかのような派手な音が聞こえてくる。

「まさか」
「だといいけど……」
「料理は得意だって言ってたし――」
「ね〜シンジく〜ん、確かお料理上手よね〜。ちょっと手伝って〜」

 僕たちは顔を見合わせる。綾波が、“ね”、という顔をした。
 そんな綾波の顔を見るのは初めてだった。初々しい、無垢な、少女らしい表情。僕はドキリとして、彼女から目が離せなかった。

「ね〜、シンジ君てば〜」



 私はクラスのみんなの顔を思い出して、“ね”、という表情を作ってみた。こういう時は、こういう顔をするものだと思ったから。碇くんはびっくりしたような顔で私をみつめた。うまくいかなかったのかもしれない。こんな顔をするのは、私らしくないのかもしれない……。

 碇くんがマキさんに呼ばれて何分もしないうちに、マキさんは憮然とした顔で戻って来た。

「邪魔だからあっちで待ってて下さい、だって。失礼しちゃうわ」
「……」
「ねぇ、レイちゃん」
「はい」
「あなた、苦労するわよ」
「……どうして、ですか」
「シンジ君の料理の腕は天才的よ。尋常じゃないわ。必要に迫られてとか、練習してとか、そういうレベルじゃないもの」
「……」
「レイちゃんも、シンジ君にご飯作りたいとか思うでしょ?」
「……はい」

 少なくとも、手伝いたいとは思う。

「キッチンで一所懸命作ってるとこにシンジ君が来てさ、後ろから見られて」
「……」
「レイ、それはこうするんだ、とか、そんな手つきじゃ危ないよ、手を切っちゃうよ、とか」

 マキさんが碇くんの声色をまねて言う。

「あぁ、それじゃ塩の入れすぎだよとか、そんなに濃い味付けじゃダメだとか」
「……」
「まったくもう。まいっちゃうわ」

 私は、碇くんにそんなことを言われて怒っている場面を想像してみる。なぜか笑みがこぼれた。そして、そういう風に碇くんを怒ってみたいと思った。

「レイちゃん……」

 マキさんは微笑みながらおずおずと手を伸ばし、まるでガラス細工に触れるようにそっと私の顔に触れた。それから頬をつまんで伸ばした。むにーっと。
 私は、何するんですか、と言おうと思ったが止めた。喋れるわけがないからだ。

「柔らかなほっぺね」

 私は黙っていた。

「レイちゃん……ね、あたしね、あなたには幸せになって欲しいの」

 そう言うと彼女は急に涙ぐみ、私を抱きしめた。

「シンジ君から離れちゃダメよ。彼はあなたのことを幸せにしてくれるわ」

 マキさんの声は、完全に涙声だった。
 この人は、たぶん何もかも知っている。そう思うと、不意に涙がこぼれた。この人は何もかも知っていて、こうして私を抱きしめている……。

「たくさんわがまま言って、いっぱい甘えなさい。まだ頼りないけど、彼は受け止めてくれる」
「……」
「あなたはここにいるのよ。シンジ君やあたしといっしょにね。それを忘れないで……」
「……はい」

 私の声も涙でかすれてる。

 いっしょにいるということ。
 女の人の、ぬくもり。
 私はお母さんを知らないけれど、お母さんに抱かれているって、こういう感じなのかなと思う。
 彼女の腕にすがりついて、目を閉じた。

「マキさん、綾波、ご飯ができ……何してるんですか」

 碇くんの声が聞こえる。

「……レズごっこ。女同士の幸せを堪能してるの」

 潤んだ声でマキさんが答えた。

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