契約更新
そんな感じなので少なくともあと一年、ここは何らかの形で継続します。
特に大きな変化なく書籍を出すことも(たぶん)なく、ぬるぬるとやって行く所存ですので、ぬるぬるとよろしくお願いします。
脱ハンコと言うけれど訂正印はどうするのだろうか、と書類を書きながら考える。
例の原作者と脚本家の件、簡単な話ではないのでうかつなことは書けないのだけれど、少なくとも何でもかんでも原作に忠実に脚本化すればいいんだよってのは違うと思う。原作を全くそのまま映像化することは、ほとんどの場合は無理なんだし。映像が何時間になってもいいんならできるんだろうけど。
ただ原作者が一切の改変をするなという条件を出してるなら改変したらダメだし、世界観を変えるなその判断は原作者がするってなら、原作者がOK出さなきゃダメ。この辺が問題になるのかなとは思う。製作が進行してたりすると止めるのは難しかったりするだろうし。まあ難しい。ビジネスも絡んでくるんで、よっぽど原作者が大物でなければ一存でいいとかダメとか言えなかったりすることもあるだろうし。
アニメ版の「戦闘妖精雪風」は(原作は神林長平の「戦闘妖精・雪風」)恐らく映像化に原作者はタッチしてないし原作とは相当異なると思うし、話変えんな的な意見も当時はそれなりにあったと記憶しているけれど、個人的には面白かった。
スピンアウトの「戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん」は見てないけど、キャラが少女化してるのでまぁ違う話だ。擬人化アニメの先駆けではあると思う。もちろん原作者が許可出してないはずはない。ここまで変われば知ったことかという感じかもしれないけど、作者直筆雪風ロゴサイン入りのパンツとか、そこそこノリノリだったのかもしれない。知らんけど。
いずれにしても良い作品を作りたいという願いはあるはずなので、お金にならないとという面はあるにしても、よく話をしてこれからのことを考えて欲しい。あえて言うけれど、やっぱり生きられるうちは生きていた方がいいと思うので。
特に大きな変化なく書籍を出すことも(たぶん)なく、ぬるぬるとやって行く所存ですので、ぬるぬるとよろしくお願いします。
脱ハンコと言うけれど訂正印はどうするのだろうか、と書類を書きながら考える。
例の原作者と脚本家の件、簡単な話ではないのでうかつなことは書けないのだけれど、少なくとも何でもかんでも原作に忠実に脚本化すればいいんだよってのは違うと思う。原作を全くそのまま映像化することは、ほとんどの場合は無理なんだし。映像が何時間になってもいいんならできるんだろうけど。
ただ原作者が一切の改変をするなという条件を出してるなら改変したらダメだし、世界観を変えるなその判断は原作者がするってなら、原作者がOK出さなきゃダメ。この辺が問題になるのかなとは思う。製作が進行してたりすると止めるのは難しかったりするだろうし。まあ難しい。ビジネスも絡んでくるんで、よっぽど原作者が大物でなければ一存でいいとかダメとか言えなかったりすることもあるだろうし。
アニメ版の「戦闘妖精雪風」は(原作は神林長平の「戦闘妖精・雪風」)恐らく映像化に原作者はタッチしてないし原作とは相当異なると思うし、話変えんな的な意見も当時はそれなりにあったと記憶しているけれど、個人的には面白かった。
スピンアウトの「戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん」は見てないけど、キャラが少女化してるのでまぁ違う話だ。擬人化アニメの先駆けではあると思う。もちろん原作者が許可出してないはずはない。ここまで変われば知ったことかという感じかもしれないけど、作者直筆雪風ロゴサイン入りのパンツとか、そこそこノリノリだったのかもしれない。知らんけど。
いずれにしても良い作品を作りたいという願いはあるはずなので、お金にならないとという面はあるにしても、よく話をしてこれからのことを考えて欲しい。あえて言うけれど、やっぱり生きられるうちは生きていた方がいいと思うので。
政治刷新本部
裏金問題を受けての政治刷新本部。特に批判する気はないが、メンバーにドリル優子とエッフェル姉さんがいるって記事があって笑ってしまった。ドリルとエッフェル、ずっと言われるんだろうなー。
全部で38人。最高顧問から本部長、事務局次長に至るまで、役職が11もある。色々大変だな。
全部で38人。最高顧問から本部長、事務局次長に至るまで、役職が11もある。色々大変だな。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
ぼーっとしてると世界は知らぬ間に進んでいる。世の中にはAI絵師なる立ち位置があるようだ。生成AIを使って絵を生成する人ということで良いと思う。なんか色々炎上してるようだが良く知らないし、正直に言ってあまり関心はない。私が目にしたのはAI絵師に対して普通の絵師(?)が、そんなことも知らずに絵師を名乗るのか、と叫んでいるという図で、「そんなこと」がどんなことかもわからない私にはそれがどんなに屈辱的なことか想像もできない。感じたのは強烈な自負心である。念のため言っておくが、そういう矜持のようなものはクリエイターであろうとするなら必要だと思う。少なくともそういう内心の部分においてやたら謙虚でもあまりいいことはない。
私は絵は全く描けないので、感動したり萌えたりすることはあっても技術的側面に心を動かされることはない。写真かと思うような精緻な絵にすげーなーと思うことはあるが、写真でいいんじゃねと内心思うことはないでもない。
アマチュア的な側面から言えば、それを作成するというプロセスが楽しいかどうかにかかっていると思う。これは前に書いた。油絵の具を使ってキャンパスに絵具を叩きつけないと楽しめないという人もいるだろう。水彩絵の具を溶いている時に無上の喜びを感じるとか。人を感動させたいとか楽しませたいという部分を重視するなら結果が全てなので、AIでも何でもいいということになる。実際にはどちらかに全振りするわけではなく、バランスを取っているのだと思う。
現時点では、たとえAIで生成された絵だとしても、その絵の向こう側にはAI絵師という人間がいる。仮にその人間すらいなくなったら、つまりAIが自主的に絵を生成するようになったら、その絵を、人間がいないと知った上で見た私は何を想うだろう。そしてAIはその絵を学習する。人類が滅びてもAIは絵を生成し続け、学習し続けるだろう。それは未来の話ではないかもしれない。なぜなら、AIはその絵を人間に見せる必要などないのだから。ブレイクポイントはAIが絵を生成することに喜びを感じるかどうかだろう。ディープラーニングでも強化学習でも何でもいいのだが、結果には報酬が与えられる。それによって結果は最適化される。あるいはより良い結果に向かってゆく。この与えられる報酬は快感に直結しないか。心地よさそのものではないのか。
アンドロイドは電気羊の夢を見る。
史燕さんもご無沙汰、でもないかな(笑)。
ぼちぼちやってくので、今年もよろしくです。
私は絵は全く描けないので、感動したり萌えたりすることはあっても技術的側面に心を動かされることはない。写真かと思うような精緻な絵にすげーなーと思うことはあるが、写真でいいんじゃねと内心思うことはないでもない。
アマチュア的な側面から言えば、それを作成するというプロセスが楽しいかどうかにかかっていると思う。これは前に書いた。油絵の具を使ってキャンパスに絵具を叩きつけないと楽しめないという人もいるだろう。水彩絵の具を溶いている時に無上の喜びを感じるとか。人を感動させたいとか楽しませたいという部分を重視するなら結果が全てなので、AIでも何でもいいということになる。実際にはどちらかに全振りするわけではなく、バランスを取っているのだと思う。
現時点では、たとえAIで生成された絵だとしても、その絵の向こう側にはAI絵師という人間がいる。仮にその人間すらいなくなったら、つまりAIが自主的に絵を生成するようになったら、その絵を、人間がいないと知った上で見た私は何を想うだろう。そしてAIはその絵を学習する。人類が滅びてもAIは絵を生成し続け、学習し続けるだろう。それは未来の話ではないかもしれない。なぜなら、AIはその絵を人間に見せる必要などないのだから。ブレイクポイントはAIが絵を生成することに喜びを感じるかどうかだろう。ディープラーニングでも強化学習でも何でもいいのだが、結果には報酬が与えられる。それによって結果は最適化される。あるいはより良い結果に向かってゆく。この与えられる報酬は快感に直結しないか。心地よさそのものではないのか。
アンドロイドは電気羊の夢を見る。
史燕さんもご無沙汰、でもないかな(笑)。
ぼちぼちやってくので、今年もよろしくです。
年賀
あけましておめでとうございます。
本年も旧年中と変わらぬご厚誼を賜りたく存じます。
少々遅くなってしまいましたが、ご挨拶に参りました。
今年も何か皆様とご一緒できるような企画なりなにがしかなりを出来ればと思います。
よろしくお願いします。
本年も旧年中と変わらぬご厚誼を賜りたく存じます。
少々遅くなってしまいましたが、ご挨拶に参りました。
今年も何か皆様とご一緒できるような企画なりなにがしかなりを出来ればと思います。
よろしくお願いします。
的を得る!
ある一時期、「的を得る」で検索するとこのサイトの「ひとりごと」内の記事、「的を得る?」がかなり上位、確か5番目以内とかに表示されていた。いきなり余談だが、的を得る・射る論争の意見の一つとして上記記事が引用されてることがそれなりにあって、射る派の人から「こんなおたくサイト内の記事が根拠になるものかw」などと批判されていて、申し訳ないと心の中で頭を垂れるとともに、ごもっともと同意したのであったw
それはそれとして、こういう経緯があるのでいずれ記事にまとめたいが、的を得るが誤用というのは勇み足だった可能性が出てきたようだ。三省堂国語辞典では訂正された。私は数日前の新聞で見たのだが、かなり昔の記事にこんなのがあった。
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2018-07-25-12-36
同記事にある汚名挽回は、名誉挽回が比較的違和感がないこともあって注目していなかったが、なるほどという感じはある。かように言葉は難しく、面白い。
■Hoffnungさん
ご無沙汰しております。お元気そうで、何よりです。
ライブも行かなくなりました。アマチュアのというか、バンド仲間のライブには行ったりするんですが。人生そろそろカウントダウンですし、楽しめる時に楽しまないととは思うんですが、なかなか、ね。まぁぼちぼちやっていきます。
■tokiaさん
tokiaさんもご無沙汰です。つか、皆さんご無沙汰ですが(笑)。
Xは私もほぼ見なくなりました。向き不向きはわかりませんが、単純に時間がない。昼休みに何となく眺めてはいますが、TLを追うのは無理ですね。時間の使い方が下手というかなんというか。まあこれも無理せずぼちぼち、ですね。
何はともあれ元気で長生き、楽しんだもん勝ちなので、無理なくぬるぬるとやって行く所存ですので、皆さま今年もよしなに。
それはそれとして、こういう経緯があるのでいずれ記事にまとめたいが、的を得るが誤用というのは勇み足だった可能性が出てきたようだ。三省堂国語辞典では訂正された。私は数日前の新聞で見たのだが、かなり昔の記事にこんなのがあった。
https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2018-07-25-12-36
同記事にある汚名挽回は、名誉挽回が比較的違和感がないこともあって注目していなかったが、なるほどという感じはある。かように言葉は難しく、面白い。
■Hoffnungさん
ご無沙汰しております。お元気そうで、何よりです。
ライブも行かなくなりました。アマチュアのというか、バンド仲間のライブには行ったりするんですが。人生そろそろカウントダウンですし、楽しめる時に楽しまないととは思うんですが、なかなか、ね。まぁぼちぼちやっていきます。
■tokiaさん
tokiaさんもご無沙汰です。つか、皆さんご無沙汰ですが(笑)。
Xは私もほぼ見なくなりました。向き不向きはわかりませんが、単純に時間がない。昼休みに何となく眺めてはいますが、TLを追うのは無理ですね。時間の使い方が下手というかなんというか。まあこれも無理せずぼちぼち、ですね。
何はともあれ元気で長生き、楽しんだもん勝ちなので、無理なくぬるぬるとやって行く所存ですので、皆さま今年もよしなに。
旧年中はお世話になりました
Xはあっという間にやらなくなりましたが、特に変わりなく暮らしてはいます。
年明け早々、大変なことが続いていますが、皆様がご健康に過ごされますようお祈りいたします。
年明け早々、大変なことが続いていますが、皆様がご健康に過ごされますようお祈りいたします。
ご挨拶
明けましてお目出度うございます。本年も皆様のご多幸を願っております。
2023年〜2024年はいろんな50周年があり、間歇的かつ極私的に盛り上がっていますが(フロイドのトリビュートを聴きに野音に久しぶりに行ったりとか)、世情に目を向ければあまたの鬱展開、まずは地には平和を唱えつつ活動開始であります。
また管理人様には、なお一層ご健勝であらんことを。
2023年〜2024年はいろんな50周年があり、間歇的かつ極私的に盛り上がっていますが(フロイドのトリビュートを聴きに野音に久しぶりに行ったりとか)、世情に目を向ければあまたの鬱展開、まずは地には平和を唱えつつ活動開始であります。
また管理人様には、なお一層ご健勝であらんことを。
暮れのご挨拶
人はなんで生きてんのかっていうと、やっぱ楽しくあったり幸せでいたいからなのだろう。人の不幸は蜜の味とか言うけど、これはたぶんルサンチマン的な側面の話で、自分が幸せであるなら誰かが不幸になって自分の幸福度が増大するということはないような気がする。わからんけど。
子育てという局面は事実上終了したので(子育ては死ぬまで終わらないとか哲学的なことは言わないように)、私の人生は仕事とバンドと創作でほぼ全てが占められている。アウトプットがないので創作してると言っても信憑性ゼロだが、まあしている。ここでこう書く以上、創作とは二次創作のことである。バンドってのはロックバンドだが、内容を書くと身バレするので書かない。仕事は仕事だ。仕事が一番健康に悪い。さっさと引退したいがそうもいかない。その意味では子育ては続いている。
AIが進化して、知的労働の多くは消失するだろう。かつて機械化によって労働の質が変化したのと同じで、これは避けられない。悪いことに人力車とかとは違ってノスタルジーもない。たがそう悪い話でもない。捨てるとわかっている企画書を半日かけて書いてもそれは無駄というものだ。では何をするのかという問題はある。
暇を持て余した老人が陰謀論にハマったり右傾化するのを見ているのは辛い。人のことは言えない。陰謀論は面白いからね。その常識が永遠に常識であり続けるとは限らないし、例えば薬害なんてのは歴史的にもいくらでもあった。星の数ほどある陰謀論のうちの一つくらいは実は陰謀ではなかったなんてことは十分あり得る。地球が丸いなんて言ったら発狂したかと思われる時代もあった。鉄の塊が空を飛ぶ。反ワクはいくらなんでも、と思うけれど、どうだろうと思う時もある。メリットを強調するあまりデメリットに目を瞑り過ぎな感じはしないでもない。ワクチンが原因とは断定できないとして、ワクチンが原因ではないと断定できるのかと言えばできないわけだし。この辺は検証が必要なんだと思う。歴史はまだ浅い。メリットがデメリットを一定程度上回るならそれで良いので、デメリットを隠蔽するのは間違いだろう。いずれにしても、その陰謀論は今は陰謀論だと言われているという事実とその理由は知っておいた方がいい。ちなみにワクチンは4回打ったがコロナにはかかった。ワクチン打ってたから軽く済んだのかは、当たり前だがわからない。後遺症として言われている集中力低下、記憶力低下は間違いなくある。認知機能の低下はわからない。これが後遺症なのか加齢によるものなのかもわからない。何もかもわからない。
あんまり関係ないがついでに書いておくと、ウクライナと西側諸国はロシアの抑止に失敗したわけだし、イスラエルはハマスの抑止に失敗した。抑止力というのは双方が一定の合理的な判断の元に行動するということを前提としていると思うのだが、そうでない可能性がある場合はどうしたらいいのか。戦地ではプロパガンダとフェイクと陰謀論が渦巻いていて何が正しいのか全く不明である。陰謀論ですと言っていれば済む話ではない。根拠が必要となる。最近の言葉で言うならエビデンス。
さらについでに書くと、みんな毅然とした態度が好きだけれど、相手だって毅然とした態度を取ってくるわけで、だから軍事力と同等かそれ以上に外交力が必要になる。毅然とした態度を取ると相手が折れるわけではない。もちろん軍事力を背景にする必要は、残念ながらある。交渉で妥協すると弱腰とか批判するなら殺しあうしか道はなくなる。それでいいならいいけれど、おれは嫌だな。暇を持て余した老人には、もちろん若者にもだけれど、そしてもっとも問題な中年層も、日本すげぇ以外のことも考えて欲しい。そして仮に日本すげぇとしても、すげぇのはあなたではない。
AIの話だ。前にもどこかに書いたが、例えば私の子供が描いた私の似顔絵という作品の価値は、AIとは関係のない場所にある。ただそういう価値のみを追い求めて行くのも少し淋しいとは思う。作品の価値が人間関係に閉じてしまうからだ。
私が何かを書くのは二人の幸せを描きたいからで、何よりもそれが楽しいからだ。楽しくなければやらない。そしてその二人の幸せが誰かに伝われば嬉しい。それは楽しいという気持ちに直結する。伝えるということ。だがその部分はもしかするとマシンに頼ってもいいのかもしれないという気もする。今現在、原稿を手書きで書いている人はごく少数だろう。漢字がわからなくて辞書を引くことはないし、なんなら予測変換もある。それは脳と原稿が書記としての手のみを経由して直結している状態とは程遠く、アウトプットにマシンが介在している姿だ。それがどういうことなのかはよくわからないが、いずれにしてもマシンと共存していくことにはなるだろう。幸いにしてと言っていいのかどうか、特に日本人はロボットと共生することに対する親和性は高い。ドラえもん。
あなたが書きたいことはつまりこういうことか、とマシンが文章を提示する世界は、何十年も前に神林長平が描いている。私が産んだのは姉だった、という文章が論理矛盾で弾かれて書けないという話だったか。
話が拡散しつつあるので元に戻すが、例えばプロットだけ考えてそれをAIにぶち込んで出力された作品と、自分で書いた話と、その二つを前にして結果としてどちらが楽しいのか、という話になると思う。問題になるのは作品としても評価としてもAIが上回った場合で、じゃあ出来のいい方がいいじゃんとなるのかどうか。たぶんAIの手を借りつつ自分で書くということになるのだろうけれど、恐らくAIフル出力の作品には勝てないだろう。それでも、と言えるのかどうか。プロットを考えたのが自分なら出来のいい方がいい、とならないのか。
コピーバンド、というバンドの形態がある。これは簡単にいうとなんかの曲をまるまるパクって演奏するバンドということで、まあ写経みたいなもんだ。違うか。まあいい。これなんかは元の曲をCDかなんか、今ならサブスクか、で聞けば済む話で、何の意味があるのかというと、その人が演奏しているという部分にしかない。これは子供が描いた似顔絵という世界に近く、だから客も集まるわけはない。でも楽しいんだよ。自分で演奏するってのはね。
結局、そういうことなんだろう。
私のこの想いを誰かに伝えたいわけだ。私が、自分の力で。それは必要のないことだからこそ、そこに自分でやることの価値を見出せる。なければないでいい。必要がない。だから自分でやるんだよ。漢字を開くかどうか迷いまくりたいんだよ。
卒業はまだ遠い。
では皆さま、良いお年を。
来年は平和になるといいね。
子育てという局面は事実上終了したので(子育ては死ぬまで終わらないとか哲学的なことは言わないように)、私の人生は仕事とバンドと創作でほぼ全てが占められている。アウトプットがないので創作してると言っても信憑性ゼロだが、まあしている。ここでこう書く以上、創作とは二次創作のことである。バンドってのはロックバンドだが、内容を書くと身バレするので書かない。仕事は仕事だ。仕事が一番健康に悪い。さっさと引退したいがそうもいかない。その意味では子育ては続いている。
AIが進化して、知的労働の多くは消失するだろう。かつて機械化によって労働の質が変化したのと同じで、これは避けられない。悪いことに人力車とかとは違ってノスタルジーもない。たがそう悪い話でもない。捨てるとわかっている企画書を半日かけて書いてもそれは無駄というものだ。では何をするのかという問題はある。
暇を持て余した老人が陰謀論にハマったり右傾化するのを見ているのは辛い。人のことは言えない。陰謀論は面白いからね。その常識が永遠に常識であり続けるとは限らないし、例えば薬害なんてのは歴史的にもいくらでもあった。星の数ほどある陰謀論のうちの一つくらいは実は陰謀ではなかったなんてことは十分あり得る。地球が丸いなんて言ったら発狂したかと思われる時代もあった。鉄の塊が空を飛ぶ。反ワクはいくらなんでも、と思うけれど、どうだろうと思う時もある。メリットを強調するあまりデメリットに目を瞑り過ぎな感じはしないでもない。ワクチンが原因とは断定できないとして、ワクチンが原因ではないと断定できるのかと言えばできないわけだし。この辺は検証が必要なんだと思う。歴史はまだ浅い。メリットがデメリットを一定程度上回るならそれで良いので、デメリットを隠蔽するのは間違いだろう。いずれにしても、その陰謀論は今は陰謀論だと言われているという事実とその理由は知っておいた方がいい。ちなみにワクチンは4回打ったがコロナにはかかった。ワクチン打ってたから軽く済んだのかは、当たり前だがわからない。後遺症として言われている集中力低下、記憶力低下は間違いなくある。認知機能の低下はわからない。これが後遺症なのか加齢によるものなのかもわからない。何もかもわからない。
あんまり関係ないがついでに書いておくと、ウクライナと西側諸国はロシアの抑止に失敗したわけだし、イスラエルはハマスの抑止に失敗した。抑止力というのは双方が一定の合理的な判断の元に行動するということを前提としていると思うのだが、そうでない可能性がある場合はどうしたらいいのか。戦地ではプロパガンダとフェイクと陰謀論が渦巻いていて何が正しいのか全く不明である。陰謀論ですと言っていれば済む話ではない。根拠が必要となる。最近の言葉で言うならエビデンス。
さらについでに書くと、みんな毅然とした態度が好きだけれど、相手だって毅然とした態度を取ってくるわけで、だから軍事力と同等かそれ以上に外交力が必要になる。毅然とした態度を取ると相手が折れるわけではない。もちろん軍事力を背景にする必要は、残念ながらある。交渉で妥協すると弱腰とか批判するなら殺しあうしか道はなくなる。それでいいならいいけれど、おれは嫌だな。暇を持て余した老人には、もちろん若者にもだけれど、そしてもっとも問題な中年層も、日本すげぇ以外のことも考えて欲しい。そして仮に日本すげぇとしても、すげぇのはあなたではない。
AIの話だ。前にもどこかに書いたが、例えば私の子供が描いた私の似顔絵という作品の価値は、AIとは関係のない場所にある。ただそういう価値のみを追い求めて行くのも少し淋しいとは思う。作品の価値が人間関係に閉じてしまうからだ。
私が何かを書くのは二人の幸せを描きたいからで、何よりもそれが楽しいからだ。楽しくなければやらない。そしてその二人の幸せが誰かに伝われば嬉しい。それは楽しいという気持ちに直結する。伝えるということ。だがその部分はもしかするとマシンに頼ってもいいのかもしれないという気もする。今現在、原稿を手書きで書いている人はごく少数だろう。漢字がわからなくて辞書を引くことはないし、なんなら予測変換もある。それは脳と原稿が書記としての手のみを経由して直結している状態とは程遠く、アウトプットにマシンが介在している姿だ。それがどういうことなのかはよくわからないが、いずれにしてもマシンと共存していくことにはなるだろう。幸いにしてと言っていいのかどうか、特に日本人はロボットと共生することに対する親和性は高い。ドラえもん。
あなたが書きたいことはつまりこういうことか、とマシンが文章を提示する世界は、何十年も前に神林長平が描いている。私が産んだのは姉だった、という文章が論理矛盾で弾かれて書けないという話だったか。
話が拡散しつつあるので元に戻すが、例えばプロットだけ考えてそれをAIにぶち込んで出力された作品と、自分で書いた話と、その二つを前にして結果としてどちらが楽しいのか、という話になると思う。問題になるのは作品としても評価としてもAIが上回った場合で、じゃあ出来のいい方がいいじゃんとなるのかどうか。たぶんAIの手を借りつつ自分で書くということになるのだろうけれど、恐らくAIフル出力の作品には勝てないだろう。それでも、と言えるのかどうか。プロットを考えたのが自分なら出来のいい方がいい、とならないのか。
コピーバンド、というバンドの形態がある。これは簡単にいうとなんかの曲をまるまるパクって演奏するバンドということで、まあ写経みたいなもんだ。違うか。まあいい。これなんかは元の曲をCDかなんか、今ならサブスクか、で聞けば済む話で、何の意味があるのかというと、その人が演奏しているという部分にしかない。これは子供が描いた似顔絵という世界に近く、だから客も集まるわけはない。でも楽しいんだよ。自分で演奏するってのはね。
結局、そういうことなんだろう。
私のこの想いを誰かに伝えたいわけだ。私が、自分の力で。それは必要のないことだからこそ、そこに自分でやることの価値を見出せる。なければないでいい。必要がない。だから自分でやるんだよ。漢字を開くかどうか迷いまくりたいんだよ。
卒業はまだ遠い。
では皆さま、良いお年を。
来年は平和になるといいね。